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先日、「あまりにブログを更新していないから心配している」というメールをいただいた。ご心配をおかけしてすみませんでした。僕は元気・・・でもなかったんです。

5月31日、母に頼まれて生け垣の剪定をしに実家に帰った。この日は雨が降っていただけでなく、やたらと寒かった。あまりに寒いから、すでにしまっていたウインドブレーカーを引っ張り出して着ていったほどである。

昼ちょっと前に家に着いたら、母からストーブを階下の倉庫にしまうように頼まれた。そこで僕はストーブを持って階段を降り、倉庫の扉を開けようとしたのだが、その瞬間、腰に激痛が走りへたり込んでしまった。いわゆるぎっくり腰である。

ちなみにぎっくり腰は二回やったことがある。どういうわけか、重いヤバそうなものを持ったときにはならず、しょうもないことでなる。一回目は椅子を引いた瞬間だった。二回目は運動会で綱引きをしたときだった。今回のストーブもたいして重くはなかった。油断大敵である。

幸い、実家には以前父が使っていたコルセットがあったので早速それを装着、ロキソニンを飲んでなんとか動けるようにはなったが、そんなので完治すれば世話はない。実家で5月の総括を書くつもりだったが、満足に椅子に座れなくなって書けなった。

ぎっくり腰は、同じ姿勢をとっているぶんにはそれほど痛くはない。しかし、姿勢を変えようとすると途端に激痛が走り力が抜けてしまう。コルセットをしていれば歩けるが、振り向いたり向こうからくる人を避けたりするとものすごく痛い。

一番きついのが寝ている時である。寝返りがうてない。寝ている間にトイレに行きたくなると最悪である。コルセットを付けて寝るわけにはいかないので、横になったままコルセットをつけなければならない。なんとか装着しても起き上がるのは至難のわざである。そんなわけで、5月31日から一週間ほど睡眠不足がつづいた。

ぎっくり腰がほぼ治った頃、あの寒かった日はどこへやら、やたら暑い夏日が続いて、今度は季節外れの風邪をひいた。最初は咳と鼻水と痰がでる典型的な風邪だった。すぐに医者に行き薬をもらったが、さっぱり効いている気がしない。

そうこうしているうちに、咳の出方がおかしくなった。喘息みたいに発作的に咳が出て、止まらなくなるのである。熱は相変わらず出ないし鼻水も痰も出なくなったが、咳だけはひどくなる一方だ。

咳は寝るときにとくにひどくでる。横になるとすぐに咳こむので、座椅子に持たれて小一時間本でも読んで、いよいよ眠くなったらすかさず寝る。しかし、きまって午前3時か4時ごろになると、発作的に咳がでて叩き起こされる。これでまた小一時間寝られなくなる。毎日これの繰り返しである。

この症状を検索してみると、百日咳の典型的な症状らしい。百日咳菌が出した毒素により、風邪自体が治っても咳を引き起こすのだそうだ。その名の通り、本当に百日続くこともあるらしい。病院にいっても風邪自体は治っているから方策はなく、治るまで我慢するしかないという。腰砕けと咳のおかげで6月は睡眠不足の毎日だった。

幸い今はかなりおさまった。それでも夜中に咳で起きることがある。百日咳、流行っているらしいのでご用心を。

さて、明日からは7月です。毎年恒例のブログ強化月間が始まるよ。できるかな〜。

古活字本『伊曾保物語』の電子テキストを公開しました。

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古活字本『伊曾保物語』:やたナビTEXT

いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『伊曾保物語』は江戸時代初期に刊行された『イソップ物語』の翻訳で、本邦初のヨーロッパ文学の翻訳になります。『イソップ物語』の翻訳にはローマ字で書かれた『エソポノハブラス(天草本伊曾保物語)』が有名ですが、これとは別の本になります。

別の伝本に万治二年版本があり、こちらには挿絵が入っています。イソップが長屋のご隠居みたいだったり、古代ギリシャ人がチョンマゲ野郎になっていたり、セミがゴキブリにしか見えなかったりと、なかなか面白いので、挿絵に該当する説話に挿入し、挿絵を概観できるギャラリーを作ってみました。

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『伊曾保物語』は三巻からなり、冒頭から中巻9話までがイソポ(アイソーポス・イソップ)の伝記、それ以降は寓話集になっています。

前半の伝記は次のような内容です。戦乱により奴隷の身分となったイソポが、シヤントという賢人に買われます。イソポは弁舌によりシャントの危機を何度も助けますが、うまいこといいくるめて自由の身を得、得意の寓話を使って王にアドバイスをするようになります。その後、イソポは各国を遍歴し、いろいろな国の王に「よき道(道徳)」を説きますが、デルホス(デルポイ)という島に至り悪人に殺されてしまいます。

イソップは多くの辞典で古代ギリシャの寓話作家と書かれていますが、この伝記を読む限りでは寓話作家というよりは政治コンサルタントに近い印象を受けます。各国を遍歴して道徳を説いたというところは孔子を想起させます。ちなみに、イソップは紀元前620年ごろ、孔子は紀元前552年ごろの生まれで、生きた地域は違いますがほぼ同じ時代の人です。

後半は有名な寓話集です。各話は寓話の後に教訓という構成で、あとの方になるほど仏教説話っぽい感じになってきます。

登場人物を動物にするというのは画期的な工夫です。動物が持つ個性により、古代ギリシャと江戸時代の日本、そして現代の日本と、どの時代のどこの人が読んでも理解できる普遍性があります。日本にもたらされた最初のヨーロッパ文学が『イソップ物語』というのは、そのような強い普遍性によるものでしょう。

イソップの寓話は子供のころに読んだきりでしたが、今読むとなかなか考えさせられるものがあります。是非ご一読ください。
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米が高い。だいぶ前に不作だかなんだかといって、新米が出たら下がるはずだとかいっていたのに、下がるきざしがない。買い占めだとか、減反政策がどうのとか、いろいろいわれてはいるが、どうもしっくりこない。

米なんか買い占めしたって限界がある。賞味期限があるし、貯蔵する場所だってタダではない。確実に上がるというわけでもないのに、そんなことするやつがいるはずがない。減反政策にしても、じゃあなぜ今なのかが説明できない。それに減反政策ってのは田んぼを減らして畑にするわけだから、米が高くなるぶん野菜が安くならなければならないはずだが、野菜だって高くなっている。

そもそも、値段があがっているのは米だけではない。あらゆる物の値段があがっている。賃金の上昇が物価の上昇に追いついていないから実質賃金は下がっているそうだが、名目賃金はちゃんと上がっている。

これはもう単純にインフレが原因と考えるほかない。ようするに高いとはいいながら米代が払えるから上がっていくのである。だから短期的な上がり下がりはあるかもしれないが、米の値段がもとに戻ることはないだろう。

インフレとは、市中に出回るお金が増えて、お金の価値が下がることである。お金の価値が下がるから、物を買うのにたくさんお金を払わなければならなくなる。

お金の価値が下がるということは、貯金しているお金の価値も下がるということだ。だから、貯めこむより使ってしまったほうがいいということになる。借金は自動的に減るから、もっと借金して物を買おうとする。すると、ますます市中にお金が流れて、インフレが加速する。みんながお金を使うわけだから景気もよくなる。

日本は景気の悪い時代が長かったから、みんなこの感覚を忘れているが、終戦からバブル崩壊まではずっとこんな感じだったのだ。かつて、ごく普通のサラリーマンが一人で働いて、家族を養い、その上家まで買うことができたのもインフレだったからである。

果たしてそううまくいくかどうかは分からない。賃金の上昇が物価上昇に追いつくかどうかが鍵になるだろうが、労働者がまともに「ゼニよこせ」と言わないのに、そう簡単に賃金が上がるとも思えない。実質賃金が下がりまくって、いよいよ生活できないとなったら「ゼニよこせ」と言い始めるかもしれない。いずれにしても、インフレの現状が好景気の予兆であることは間違いないと思っている。

2月の総括で壁紙道(クロス張り)に入門したという話を書いたが、今月実行に移した。本当はこれだけで記事にするつもりだったが、初心者向きといわれる無地の壁紙(サンゲツSP9719)を張ったので、写真がちっとも面白くない。

だが、作業は面白かった。クロス張りの面白いところは、使っている道具のほとんどが、子供のころから使っているものだということだ。

壁紙はその名の通り紙だし、糊はヤマトのりと同じデンプンのりが主成分。あとはごく普通のカッターとか、ごく普通のハサミとか、定規とか、小学生のころから使い慣れたものばかりである。撫で刷毛、地ベラ、ローラーなどはちょっと特殊だが、一見して何に使うか分からないというほどのものではない。

基本的な作業も、紙に糊をつけてる、まっすぐ貼る、定規をあてて余分な部分をカッターで切ると、相手にするものがでかいだけで、やっていることは小学生の工作と同じである。しかも、僕は書道でこの作業を今もやっているからなれているつもりだった。

だが、これが難しい。何しろ相手がでかい上に糊で濡れていて破れやすくて切りにくい。カッターの力加減は弱すぎるときれいに切れないし、強すぎると余計なところまで切ってしまう。

窓やらコンセントやらいろいろ障害物があるので頭を使う。脚立を降りたり登ったり、下の方は這いつくばったりと体力も使う。やる前はきれいに貼るのが難しいかと思っていたが、あにはからんや、貼ること自体はさほどでもなく、切るのがとにかく難しかった。

結果は、いろいろと失敗もあったが、シロート目でなおかつ遠目で見る分にはよく分からない程度には仕上がった。まあ、最初だからこんなもんだろう。次はもっときれいにできる自信がある。
壁紙
それにしても物は使いようとはよくいったものである。子供のころから使っているカッターや定規にこんな可能性があるとは思わなかった。
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やたナビTEXTが30作品になったのを記念して、「やたナビTEXTとは何か」みたいなことを書こうとしていたら、匿名でこんなメールが来ました。
翻刻について調べてみたところ、自動で翻刻してくれるNDL古典籍OCR-Liteが無料で公開されていました。
古文の現代語訳も生成AIチャット(LLM)を使っての現代語訳が試みられているようです。
(漢文の翻訳は百度翻訳、Bing翻訳、Polytranslatorが対応しているみたいです)
現時点における翻刻や現代語訳の精度はわかりませんが、いつの日か日本古典が無料で気軽に読める日が来るのでしょうか?
ブログのネタにしてもいいということなので、ここで私見を述べたいと思います。

「日本古典が無料で気軽に読める」には、いくつかのレイヤーがあると思います。
  1. 写本や版本を現代使われている文字に起こした〈翻刻〉が読める。
  2. 翻刻を読みやすくした〈校訂本文〉が読める。
  3. 〈注釈付き校訂本文〉が読める。
  4. 〈現代語訳〉が読める。
これまでは、すべて人間が行わなければなりませんでした。しかし、今はAIがあります。古典の原文そのものに著作権はありませんので、AIの活躍が期待できるかもしれません。では、どのレイヤーでAIの活躍が見込めるでしょうか。

ここからはまったくの私見になります。私はAIの専門家ではないので、間違っているかもしれません。古典の電子テキストを作っている立場からこう見えているという程度に読んでいただければ幸いです。

1.翻刻
いただいたメールでも書かれているように、AIでいわゆる〈くずし字〉を翻刻するものがいくつか出ています。スマホアプリもいくつかあるようです。

しかし、現在のところはまだ発展途上です。江戸期の版本などはかなり正確に読んでもらえるようですが、写本や碑文などの手書きのものになると途端に精度が落ちるようです。なぜでしょうか。

私はこれらのソフトウェアが既存の文字をもとに〈文字〉そのものを読もうとしているからだと考えています。写本や版本で使われる変体仮名や漢字の草書は紛らわしい字が多いだけでなく、全く同じ字形になってしまうものもあります。これに書き手のクセが入ります。これらは文脈を考慮しないと読めません。

あくまで肌感覚ですが、文脈無視で読めるのは多く見積もっても全体の95%ぐらいです。95%というと高いように思えますが、100文字で5文字読み間違えるということですから、これでは実用になりません。

もしAIが作品の文脈を解析して文字を読むようになれば、この割合がかなり高くなると思います。これは解釈しながら読むということですから、これができれば次の校訂本文も作れると思います。

2.校訂本文
校訂という言葉の本来の意味は本文の間違いを正すことですが、読みやすい本文にするにはそれ以上にやっかいな問題があります。

写本や版本には特殊な場合を除き、句読点や鉤括弧などの役物、濁音・半濁音の記号がありません。段落も存在しません。さらに仮名を漢字になおす必要もあります。書かれた時代によって、仮名遣いを正確な歴史的仮名遣いに直す必要もあります。

次の文章は嵯峨本『伊勢物語』の冒頭を翻刻したものです。
むかしおとこうゐかうふりしてならの京かすかの里にしるよししてかりにいにけりそのさとにいとなまめいたる女はらからすみけりこのおとこかいまみてけりおもほえすふるさとにいとはしたなくてありけれは心地まとひにけり
嵯峨本は古活字本なので、文脈無視のAIでもかなりこれに近い翻刻ができると思います。しかし、AIがこれを出力しても、初見ですらすら読める人はなかなかいないと思います。写本や版本を読み慣れている人であれば、原本をそのまま読んだほうがまだ読みやすいでしょう。これでは「古典を気軽に読める」とはいえません。

これを校訂すると次のようになります。
昔、男、初冠して、平城の京春日の里にしるよしして、狩りに往にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男、かいま見てけり。おもほえず、古里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。
古文の教科書や注釈書の本文は、このようにして作られています。では、この作業をAIはできるでしょうか。

AIは人工知能ですから、人間にできることは当然できるはずです。しかし、人工知能である以上は人間と同じように学習する必要があります。

AIが現代の日本語を学習するために必要な「教材」は、ネット上に無数のリソースがありますし、どんどん増え続けていくでしょう。しかし、古典文学のテキストはそう多くありません。

つまり、AIが古典の校訂本文を作れるようになるために、もっともっと人間が電子テキストを作る必要があるということになります。仮名遣い・文法・語彙も時代やジャンルによって変化しますから、思っている以上にたくさんの教材が必要になります。AIが古典を読めるようになるために、人間がひたすらテキストを作る、これは大変な矛盾です。

3.注釈付き校訂本文
注釈とは言葉の意味や読解に必要な背景などを記したもので、どの言葉に付けるか、どう付けるかが問題になってくる極めて創造的なものですから、人間にしかできません。辞書的な言葉の意味くらいはできるようになるかもしれませんが、せいぜい辞書を引かなくてよくなる程度のことでしょう。

4.現代語訳
校訂本文の作成は、文章を一定の型におさめる役割があります。そのような型に収まった文章は、文法を理解し辞書が引ければ、ある程度訳すことはできます。古文の授業で文法をやたらとやるのも、そういう狙いがあります。

古語辞典や国語辞典はネット上にいくつも公開されています。断片的ですが現代語訳もあります。AIによる外国語の自動翻訳があたりまえになっていますから、校訂本文さえあればできると思います。

現代語訳というのは、上の1〜3の集大成で、さらに日本語のセンスが要求されますから、実はもっとも難しいことです。どんなに正確に訳したとしても、現代語訳する人によって、作品から受ける印象は変わってしまいます。

ですから、仮にAIが現代語訳できたとしても、「その作品を深く読みたい」というニーズには答えられないでしょう。しかし、「とりあえず内容が把握できればいい」というニーズには答えられるものができるのではないでしょうか。

以上のように、私はAIの教科書となる翻刻と校訂本文のテキストが増えないかぎり、「日本古典が無料で気軽に読める日」は来ないと考えています。現在のところは、そんな日を待つより人間の手でどんどん古典のテキストを作る方がよほど建設的です。

以上はあくまで私のポジション・トークです。コンピューターの進歩とともに、もっと度肝を抜くような変化があるかもしれません。もし私が作ったテキストがその役に立ったら望外の喜びです。そんな日が来るのを楽しみにしています。
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ついこの間2月になったと思ったらもう終わり。毎年のことだが、2月、ちょっと短すぎやしないか。

最近、「壁紙道」に入門した。いわゆるクロス屋さんの真似事のことを僕が勝手にそう呼んでいるだけである。ようは部屋の壁紙を張ることだ。

と言っても、まだ壁紙と糊、その他材料、工具を買っただけである。張る部屋の古い壁紙はすべて剥がしたが、まだそれだけだから、入門したというよりは門を叩いた段階である。

幸いなことに、今はたくさんのプロのクロス屋さんたちがYouTubeで技術を見せてくれている。今はそれらを見てひたすらイメージトレーニングしている。

最初からプロがやっているようにきれいにできることはないだろうが、やっていることは書道の表具とよく似ている。使う道具もカッターとかハケとかよく似ている。表具は簡易的なのしかやったことがないが、それでも多少のアドバンテージがあるだろうと思っている。

電気工事士の資格を取って「電気道」に入門したときもそうだったが、「壁紙道」もちょっと入門してみただけで、いろいろ世の中の見え方が変わってくる。今までは壁紙なんか気にしたこともなかったが、どこで繋いでいるかとか、どんな壁紙を使っているかとか、見えにくいところをどう処理しているかとかが気になってくる。世の中の見え方が変わってくるのは楽しいことだ。

壁紙は寒すぎると固くなって貼りにくくなるらしい。糊も5°C以下では施工するなと書いてある。3月は仕事が減るし、だんだん暖かくなる。来月は頃合いを見計らって壁紙道デビューしようと思う。
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『伊曾保物語(いそほものがたり)』の電子テキスト化を始めた。

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『伊曾保物語』は江戸時代初期に成立した仮名草子で、いわゆる『イソップ物語』の翻訳である。同時に本邦最初のヨーロッパ文学の翻訳でもある。底本は国会図書館蔵の慶長元和頃と考えられている無刊記古活字本。

伊曾保物語のテキストは、すでにいくつかネット上にある。

「イソップ」の世界 別館

伊曾保物語:ウィキソース

特に、『「イソップ」の世界 別館』は古活字本と万治二年刊本の翻刻と、『エソポのハブラス』(通称『天草版伊曾保物語』)のテキストがあり、充実した資料になっている。ちなみに『伊曾保物語』と『エソポのハブラス』は同じイソップ物語がもとではあるが、親子・兄弟関係にはない。

そんなわけだから、今さら僕がやることもないかとも思ったが、どちらも資料としては素晴らしいものの、いかんせん読みにくいし検索の便もよくない。読みやすくすれば、あらためて本文を作成する意味もあるんじゃないだろうか。

とはいえ、ただ本文を載せるだけでは面白くない。底本は古活字本だが、万治二年刊本には挿絵がある。古代ギリシヤなのに、イソップはボーサン風に、その他の人々は江戸時代風チョンマゲ野郎になっている。しかしこのチョンマゲ野郎、ヒゲが跳ね上がっていたりしてどこかヘンだ。たぶんあのヒゲが古代ギリシヤなのだろう。もちろん、『イソップ物語』だから動物もたくさん出てくる。

そんなわけで、伊勢物語のときにもやったように、万治二年刊本の挿絵も載せようと思う。

乞うご期待。
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というわけで(『三宝絵(三宝絵詞)』の電子テキストを公開しました:2025年02月12日参照)『三宝絵(三宝絵詞)』の電子テキスト化を終えたわけだが、はるか昔に買った『諸本対照三宝絵集成』(小泉弘 高橋信幸・笠間書院・昭和55年6月)がとても役に立った。

この本、20代のころに神保町の古書店で買った。値段は5000円。もちろん値段なんか忘れていたが、鉛筆で本にそう書いてあるから間違いない。

30年も前なので細かいところは記憶が曖昧だが、買った時のことはよく覚えている。古書店の本棚からこの本を見つけ、値段を見てびっくりした。高いのではない、安いのだ。

当時、『諸本対照三宝絵集成』は数万円が相場だった。専門は説話だからほしいことはほしいが、『三宝絵』は現代思潮社の注釈書をすでに持っていたから、ないと困るというようなものでもなかった。しかし、数万円が5000円なら話は別だ。金に困ったら売っちまえばいい。そのころは本さえ買えば賢くなると思っていたから迷わず買った。

買った後、中身を読むことはほとんどなかった。「諸本対照」だから中身は諸本を対照しているに決まっている。こういう本は必要になったら開けるもので読むものではない。それ以来30年余り、この本は僕の書架で眠り続けていた。

今回、『三宝絵』の電子テキストを作るにあたって必要になったので、『諸本対照三宝絵集成』を引っ張り出してきて、ようやくこの本の偉大さに気づいた。これはとんでもない労作である。

諸本対照の「諸本」とは、前田家本・東寺観智院本・東大寺切(関戸本)の三つを指す。これが『三宝絵』の主要な伝本なのだが、それぞれ全く違う特徴を持っている。

前田家本は全巻揃っているが、漢字のみで書かれている。まともな漢文ではないから、それだけで読むのは困難...というよりほぼ不可能だ。あくまで他の本と対照して読める本で、底本にはならない。

東寺観智院本は漢字片仮名交じりで書かれていて読みやすく全巻揃っているが、前田家本や東大寺切と比べると誤脱が散見される。とはいえ、まともに読めて全巻揃っているのはこれだけだから、底本にするにはこれしかない。今まで活字になった本も、やたナビTEXTも底本はこれ。

問題は東大寺切である。これは雲母摺りの美しい料紙に、これまた美しい仮名で書かれている。尊子内親王に献上された本もかくやと思われる美麗なもので、本文もよさげだ。
東大寺切
東大寺切(東京国立博物館蔵):ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

しかし、いかんせん東大寺切は古筆切(こひつぎれ)である。古筆切とは冊子や巻物などの形をしていたものを、観賞用にぶった切ったもののことをいう。切り出された元の関戸本(名古屋市博物館蔵)というのも残っているが、三分の一ぐらいしかない。それ以外はその美しさゆえにバラバラに切られてしまったのだ。

切られた無数の古筆切は、あるものは博物館や美術館、あるものはコレクターの家、あるものは古書店、あるものはオークションと様々な場所にあり、目録や図録、書道の手本など様々な形で世に現れる。それも単独で軸にでもなっていればまだいいが、手鑑(てかがみ・様々な古筆切を集めて冊子にしたアルバム)に貼られていると、古書店やオークションに出ても、開けてみないことには分からない。

『諸本対照三宝絵集成』の東大寺切はそれらを博捜し集めて翻刻したものである。それでも全文にはほど遠いが、とんでもない労力がかかっている。買ったときはなんでこんなに高いのか分からなかったが、なるほどこれはそれだけの価値がある。

探してもいない数万円の本を5000円で買ったのは偶然である。もし、もともと数千円の本だったら、買っていたとしても買った事を忘れていたかもしれない。30年以上前に買った本が、今になって役に立ち、その価値が分かったのも偶然である。こういう偶然の積み重ねが、本を買う醍醐味かもしれない。
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東寺観智院本『三宝絵(三宝絵詞)』の電子テキストを公開しました。

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東寺観智院本『三宝絵詞』:やたナビTEXT

底本は東寺観智院本(東京国立博物館・国宝)です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『三宝絵』は平安時代中期に成立した仏教説話集です。作者は文人貴族として知られる源為憲。仏宝・法宝・僧宝の三巻からなり、それぞれの内容は次のようになっています。

上巻 仏宝...釈迦の本生譚。
中巻 法宝...日本への仏教の伝来と高僧の略伝。
下巻 僧宝...年間の法会の次第や由来。

僕は説話集の多くは教科書として書かれたんじゃないかと思っているのですが、『三宝絵』はまさしく仏教の初心者向け教科書として書かれました。ですから、仏教説話に詳しい人にとってはあまり新味はありません。特に中巻はほとんど『日本霊異記』の焼き直しの上、霊異記独特のオドロオドロしい説話は一つも入っていないので、なんだか気が抜けた炭酸飲料みたいな感じがします。

しかし、ちょっと読み方を変えると、とたんに味わい深い作品になります。それは、読者を想定することです。実は『三宝絵』はたった一人の読者のために書かれた作品なのです。

たった一人の読者とは、冷泉天皇第二皇女尊子内親王です。何しろ皇女ですから究極のお姫様です。しかし、幸せな生涯を送ったとはいえません。
尊子内親王は『栄花物語』によれば「いみじう美しげに光るやう」な姫宮であったといい、摂関家嫡流を外戚に何不自由ない将来を約束されていたが、外祖父・藤原伊尹や母・懐子、そして叔父たちまでも次々と早世したために有力な後見を失ってしまう。また円融天皇の妃となった際も、入内直後に大火があったため世間から「火の宮」(内親王の皇妃を「妃の宮」と呼ぶのに掛けたあだ名)と呼ばれるなど、高貴な生まれにもかかわらず不運の連続だった。それでも円融天皇は尊子内親王を可愛らしく思い寵愛したというが、唯一の頼りであった叔父・光昭の死を期に、内親王は自ら髪を切り落として世を捨ててしまう。(尊子内親王:Wikipedia)
『大鏡』伊尹伝
また花山院の御いもうとの女一の宮は亡せたまひにき。女二の宮は、冷泉院の御時の斎宮に立たせたまひて、円融院の御時の女御に参りたまへりし、ほどもなく、内裏の焼けにしかば『火の宮』と世の人付け奉りき。さて、二三度参りたまひて後、ほどもなく亡せたまひにき。この宮にご覧ぜさせむとて『三宝絵』は作れるなり。
『栄花物語』花山尋ぬる中納言
堀河の大臣(兼通)おはせし時、今の東宮(師貞)の御妹の女二の宮(尊子)参らせ給へりしかば、いみじううつくしうとてもて興じ給ひしを、参らせ給ひて程もなく、内など焼けにしかば、火の宮と世の人申し思ひたりし程に、いとはかなううせ給ひにしになん。
尊子内親王は天元5年(982年)に出家した後、永観3年(985年)に二十歳の若さで亡くなっています。『三宝絵』は序によると永観2年11月に書かれています。尊子内親王が亡くなったのはその半年後です。為憲が書き終えたとき、すでにかなり弱っていたのでしょう。

『三宝絵』はタイトル通りもともと絵があったものが、現在は伝わっていないといわれています。しかし、私は最初からなかったんじゃないかと思っています。絵の場所は「有絵」と書かれていますが、上巻の最初のほうにしかありません。本当は絢爛豪華な本にするつもりが、尊子内親王の具合がだんだん悪くなり、急いで奉るために絵の場所の指定だけして入れなかったか、そこだけ入れて奉ったのだと思います。

為憲はでこのように書いています。
我が宮、深窓に養はれて未だ外(ほか)の事を知らず。他家の遠き事を心中に思ひ遣りて、我が国の近き事をば眼の前に知見し、公私の仏事、和漢の法会、種々これを写して、各々これを書く。戸を出でずして天下の貴き事を知るにこの巻にしかず。
「深窓に養はれて未だ外の事を知らず」という書き方がいかにも尊子内親王の身分の高さを表しているようですが、いかに皇族とはいえ、「深窓に養はれて」とか「戸を出でずして天下の貴き事を知る」というのはどうにも不自然に感じます。幼いころから体が弱かったのではないでしょうか。

その深窓のお姫様に捧げたのがこの作品です。姫様が直接登場するのはこの賛だけですが、説話のチョイスや書きぶりに、為憲の姫様に向けた愛情が伝わってきます。『日本霊異記』を源泉とする説話にしても、マイルドな話しか入っていないのもその現れでしょう。

為憲はこの薄幸のお姫様にそうとうな思い入れがあったのだと思います。それを感じながら読むのが、この作品の味わい方です。
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年始の挨拶の次が総括という、なんとも締まらないことになってしまったが、今月も終わりである。

今月は中国の生成AI、DeepSeekで関連株がAI大暴落したり、三郷市の道路に大穴があいたり、いろいろあったが、なんといっても中居正広氏とフジテレビの件が世間を沸かした。

先日、実家に帰った時、母がこの件は何がなんだかさっぱり分からないという。母はネットや週刊誌のニュースなどは見ない。テレビだけ見ていると、「中居正広の女性トラブル」としか出てこないらしい。中居氏は独身だし相手も独身だから、何らかのトラブルがあったとしても、なんでこんなに大騒ぎしているか分からないのだという。

相手方の女性がフジテレビのアナウンサーで、この〈トラブル〉により退職したこと、そのトラブルにフジテレビ社員が強く関わっていた可能性が高いこと、フジテレビの最初の会見(二回目もだけど)があまりにもオソマツだったことを話したら納得していたが、いずれもテレビを見ているだけでは分からなかったそうだ。

ここでいう、テレビはフジテレビだけではない。どのテレビのニュースを見ても、それだけでは概要が理解ができないほど、各局がまともな報道をしていないということである。

もう一つ、テレビ業界がここまで時代遅れになってしまったことにも驚いた。僕は職業柄、時代遅れがときに命取りになることを知っているし、時代に遅れてしまったために現場から退場させられた人を何人も知っている。

体罰を例にすると、僕が高校生のころ教師は生徒をボコボコ殴っていた。卒業して三年経って教育実習に言ったら、同じ先生が「君たちのころとは時代が違うんだから、絶対に手を出さないように」という。どの口が言うのかと思っていたが、今となってはありがたい言葉だ。これでこの件については時代遅れにならなくてすんだ。

それから30年以上経った。体罰はほぼなくなったが、あくまでほぼである。今でも時々体罰で退場させられる人の話は聞く。その人は時代遅れになってしまったゆえに命取りになったのだ。時代遅れとは恐ろしいものである。

僕はテレビ業界というのは時代遅れとは正反対の、トレンドの最先端にあるものだと思っていた。ダメ会見をした港(前)社長は、僕たちが若い頃のトレンドセッターだった。聞くところによると、80年代に港氏の手によって大ヒットした番組の焼き直しを令和の今やっているという。ノーミソが80年代からまったく更新されていない。時代遅れに気づいていなかったのである。流行の最先端であるべきテレビ局の上層部がこういう人たちで構成されているのは驚愕するしかないし、これではテレビがつまらないのも道理である。

時代遅れそのものは別に悪いことではない。年をとれば仕方がないことでもある。しかし、責任ある立場にあれば、時代遅れは命取りになることもある。ノーミソをアップデートするか、それができなければ隠居するべきだろう。いずれにしても、自分が時代遅れになっていないかは常に自問する必要があると思った。

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