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日曜電工(その1 ダウンライトと人感センサー)の続き。

今工事している家はもともと母の実家で、私がオギャーと生まれて病院から最初に連れてこられた家です。生まれた時にはすでに新築ではなかったので、少なくとも築60年以上になります。とはいえ、これまでに何度も増築とリフォームを繰り返しています。

一番新しいリフォームが十年前で、前回の玄関はこのときにリフォームしました。一階は全体がリフォームされていますが、二階にはまだ手が加わっていない場所がたくさんあります。その一つがこのスイッチです。
階段スイッチビフォー
上2つが部屋の照明用で一番下が階段の電球用です。部屋用は普通の片切りスイッチ、階段用は階下でも入り切りできる三路スイッチになっています。やたらと重くて、動かすと大仰な音がでます。なので、どのスイッチもあまり使われませんでした。

何しろ60年以上このままなので開けるのが怖いのですが、意を決して開けてみます。「ここを外せ」と言わんばかりにマイナスのビスが見えているので、これを外してカバーを取り去り、さらにスイッチの取付枠にあるビスを外します。このビスもちろんマイナスです。

いろいろ活躍するわりにネジ回しにはほとんど使われないマイナスドライバーくんが今日は大活躍です。本来の仕事ができて、きっと喜んでいることでしょう。

さて、開けてみたらこんなん出ました。
古いスイッチを外す
まさか全部青い電線に繋がっているとは思いませんでした。これでは迂闊に外すと、どれがどれだか分からなくなります。現代の電工さんはマジックで「階段上」とか「リビング」とか書くのですが、こんな線では書けません。昔の電工さんはどうやったのでしょうか。

スイッチの結線は、現在では穴にプスっと差し込むだけですが、このころはいわゆるのの字曲げにしてネジで止めていました。ビスの頭はやはりマイナス。

面白かったのが「渡り線」です。渡り線というのはスイッチ同士をつなぐ線で、今は電線を短く切ってコの字形にして、プスプスと差して繋ぎますが・・・。
渡り線
こんなふうに線の途中を剥いてU字型にして巻き付けていました。これ、簡単なようでなかなか難しいと思います。

三路スイッチの端子の位置も違います。上の写真で渡り線が付いている場所が0番で、その隣と反対側に1番と3番があります。このスイッチの近くに階段の電球があるのに、片切りスイッチと渡り線で繋がっているのもヘンです。どう繋がっているのか、小一時間考えて結論がでましたが、説明が面倒くさいのでやめておきます。

全部外すとこんな感じ。スイッチボックスがブリキで出来ていて味わい深いです。なお、白いテープは私が付けたもの。付けないと何が何やら分からなくなります。
古いスイッチを外したところ
というわけで、昭和レトロなスイッチがモダンなスイッチに変わりました。
階段スイッチアフター
最後にブレーカーを上げ、スイッチを入り切りしてみます。ちゃんと使えるのをかくにん。よかった♡

と思いきや、ふと階段の照明を見るとヤバいものが目に入りました。
階段照明
というわけで、次はこれを交換します。
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今回はダウンライト2つと玄関スイッチの交換と、階段のものすごく古いスイッチの交換です。

まず、ダウンライトから。ビフォー。蛍光灯型のLEDもあるみたいですが、非効率なのでユニットごと変えることにしました。
ダウンライトビフォー
左のものから右に交換します。口径は同じですが、大きさも重さも全然違います。
新旧ダウンライト
ブレーカーを落として、天井から古いダウンライトを外します。板バネでとまっているだけなので、少し引っ張って、隙間から指をつっこんで板バネを内側に押さえて抜きます。簡単に抜けますが、調子に乗って引っ張ると天井の石膏ボードが傷むので注意。
ダウンライトを抜く
この段階で穴の直径を計ります。これは150mmなので150φというのを買います。今回買ったのはこれ。ちなみにφはギリシャ語で「ファイ」と読みますが、電工さんは「パイ」といいます。

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マイナスドライバーなどで電線を外してもいいのですが、頭上にあるのを外すのは面倒くさいので、ニッパーでちょん切って被覆を剥がます。
ダウンライトを外す
あとは器具に電線を差し込んで、天井に収めて終了。これは思いのほか簡単でした。
ダウンライトアフター
次はこのダウンライトを入り切りするスイッチの交換です。
玄関スイッチビフォー
このごく普通のパナソニックコスモを人感センサー付き「勝手にスイッチ」に交換します。

パナソニック 壁取付熱線センサ付自動スイッチ ホワイト WTK1811WK:amazon

ごらんの通りそんなに古いものではないので簡単だろうと思って開けてみると・・・。
電線被覆のももけ
何かに挟んだような傷がいくつもあって、ひどいところは芯線が見えています。芯線が見えている所は二ヶ所、これはヤバすぎます。原因は分かりませんが、ちょっとまずい施工です。

本当はちょん切って新たに剥いたほうがいいのですが、なぜかケーブルの長さが足りないので、やむなくビニールテープで巻きました。

で、取り付けたところ。
玄関スイッチアフター
このスイッチは点灯時間と作動する明るさが設定できます。この玄関は明るいので、夜だけ作動するように設定しましたが、なかなかいい感じです。

さて、次は階段のスイッチです。
階段スイッチビフォー
このスイッチは、僕が生まれる前から付いている代物で、60年以上前のもの。60年前の電工さんがどんな施工をしていたのか、それは明日に続きます。
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ついこの前まで暑い暑い言ってたのに、なんだか突然寒くなりました。天気もあまり良くない日が続きます。どうやら秋はなくなってしまったようです。さて、今月の話題といえば、熊さんと高市さんに尽きるでしょう。

熊といえば、学生時代、秋田県しろまるしろまる村出身の後輩が「私の実家はナマハゲも熊も出ません!」と言っていたのを思い出します。なにしろマタギの本場で「村」ですから、誰もがそう思っていました。卒業後、後輩を訪ねてその村に行ったんですが、想像していたような山奥ではなく、のどかな田んぼの広がる平地で、ナマハゲはともかく、どう考えても熊なんか出そうにありません。後輩には深く謝りました。

このように熊が出るのは山の奥というのが常識でしたが、今年からその常識も崩れてしまいました。例のしろまるしろまる村(現在は横手市に編入)でも多数目撃されています。しろまるしろまる村どころか市街地にも現れて問題になっています。それらの多くは、熊の本来の生息域からはかなり隔たっています。

では、なぜそんなところに熊が現れるようになったのでしょう。もちろん、私は熊の専門家ではありませんので、話半分で読んでください。

ちょっと哲学的な話ですが、「熊が現れた」というのは、熊が人の生息域に来るの同時に、その熊を見た人がいるということです。たとえどんな大都会に熊が来ても、人に見つかる前に山に帰ってしまえば、それは現れたことにはなりません。

ご存知の通り、現在地方都市は人口が減少しています。それは実際に行ってみると実感できます。10年前に行ったときは活気があったのに、今行くとおそろしく寂れているように感じる街はたくさんあります。そういう街では数字に出てくる人口減少以上に人がいない印象を受けます。

熊だって本当は人間には見つかりたくないはずです。しかし、その人間が減ってしまった。過疎化が進むに従い活動域を広め、その一部が人が少なくなった街に現れ、さらにその一部の迂闊なヤツが人に目撃されたり被害を与たりするのでしょう。見つかっている数の何倍もの数が人里に来ているとしか考えられません。

もちろん、さらに根本には熊の生息数が増えているというのもあるでしょう。山に食べ物がなくなったから人里に出るともいわれますが、もしそうだとすれば単純に生息数は減るはずです。メガソーラーで生息域を奪われたというのもおかしい。メガソーラーは熊の本来の生息域にはありません。そんなところに作る経済的合理性がないからです。仮に熊に影響したとしても、せいぜい雨宿りに便利なぐらいでしょう。

私の考えをまとめると次のようになります。人のほとんどいない山奥に生息していた熊が、過疎化とともに本来人間が住んでいた所まで、すこしずつ活動域を広げていった。過疎化といっても人が住んでいた所ですから、山奥よりは熊の食べる物はあります。その結果、栄養状態がよくなり生息数が増えた。この一部が、より餌の多い市街地に出て、さらにその一部の迂闊なやつが目撃されたり被害をおよぼして騒ぎになる。そういうことではないでしょうか。

まあ、素人考えなんですけどね。高市首相についてはまたこんど。

9月も終わりになって、ようやくすこーし涼しくなって来ましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。涼しくなったとはいえ、あくまで「すこーし」。30度を超える日もちらほらあります。服装も夏と変わりません。一体どうなっちゃってるんでしょうね。

天気といえば、9月11日に強烈なゲリラ豪雨で戸越銀座が冠水しました。ニュースにもなったのでご存知の方も多いでしょう。
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その日は帰りが早く、三時ちょっと前に地下鉄戸越駅に着きました。出口に向かうと強烈な豪雨です。少しでも雨が弱くなるのを待っているのでしょう、出口付近の階段には雨宿りをしている人がたくさんいます。

私も5分ほど様子を見ましたが、雨はどんどん強くなります。家までは10分ほど戸越銀座を歩いて行かなければなりません。悩みましたが、多少濡れたところで風呂にでも入って着替えればいいだけです。足元はサンダルなので濡れても問題なし。

意を決して地下鉄出口から外に出ました。傘が重く感じられるほどのひどい雨です。一分もたたないうちに頭以外がびしょ濡れになりました。「雨がひどかったら、喫茶店にでも逃げ込めばいいや」とか思っていたのですが、甘かった。こんな状態でエアコンの効いた店内に入ったら寒いし、第一喫茶店に迷惑です。とにかく帰るしかありません。

途中、今まで聞いたこともないほど大きな雷鳴が何度も轟いてビビります。光った瞬間鳴っているのでよほど近いのでしょう。まわりは避雷針のあるビルばかりなので自分に落ちるわけがないのですが、分かっていても恐ろしいものです。

びしょ濡れになってようやく家に着き、シャワーを浴びてしばらくしてからXを見ると、何とさっきまで歩いてきた道が川になってるじゃないですか。間一髪、あと10分ほど駅の出口で待っていたら沢登りしなきゃならなかったところです。

夕方になって雨はやみましたが、同じ品川区内の勤務校から電話がかかってきました。なんでも給食室が冠水して給食が作れなくなったとのこと。この高校は学校名に「山」と「台」が付いています。「山」で「台」なのに冠水。この近くに30年も住んでいますが、いままでそんなことは一度もなかったし、聞いたこともありません。

異常気象、もう何が起こるかわかりませんね。くわばらくわばら。

電車マニアではないけど、外国の電車や地下鉄に乗るのが好きです。日本とは電車そのものや乗り方、駅のつくりや車内の様子など、外国に来た感が味わえるからです。

で、本題の吊り革。日本の電車にはたいていこれがぶら下がっています。形や長さは鉄道会社によってちがうけど、ビニール製のベルトにプラスチックの輪がついているのが普通です。
日本のつり革
でも、これ吊り革と言っていいのでしょうか?吊っている部分がビニールなのは百歩譲っても、どう見ても主役は輪っかの方です。この吊り革は「吊り輪」というべきです。

ちなみに吊り輪といえば体操のアレですが、英語では「rings」というそうです。一方で電車の「吊り革」は「strap」です。ちょっと前の携帯電話についていたストラップと同じですね。

では、他の国の吊り革を見てみましょう。まず、ボストンの地下鉄。
ボストン地下鉄の吊り革
さすがは全米最古の地下鉄、まごうことなきストラップです。革製ではありませんが、これは日本語で吊り革と言っても文句ないでしょう。

ちなみにニューヨークの地下鉄には吊り革はなく、手すりだけでした。手すりだけのタイプはけっこう多い気がします。
ニューヨーク地下鉄の手すり

ボストンのはストラップであり吊り革ではありますが、いかにも持ちにくそうです。その点、ニュージーランドはオークランドの吊り革はひと工夫されています。
オークランドのつり革
これは文句なく吊り革です。「吊り革は革であるべき」という、強い意志が感じられます。持ちやすいように輪っかになってはいますが、吊る部分と革が一体なので、ストラップ感もあります。

さて、最後は8月に行ったオーストラリアのシドニー。私はこれを見て驚愕しました。
シドニーのつり革
もはや革でもなければストラップでもありません。「吊り棒」とでもいうべきでしょうか。斬新なデザインですが、持ちやすそうには見えません。

それ以前に、白昼堂々こんなのぶら下げていいのかとちょっと心配になります。
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8月にオーストラリアのシドニーに行ってきました。オーストラリアといえば珍獣ですが、行ったのは大都会のシドニーです。さすがにそのへんの公園でカンガルーが寝ていたり、コアラが電信柱に抱きついたりはしていません。

とはいえどさすがはオーストラリア、街の中にもちゃんと珍獣はいます。全部鳥だけど。まず、到着した日に公園で見つけたのがこいつ。
オーストラリアクロトキ
誰がどう見てもトキです。色は違いますが、日本のトキは珍獣どころか滅亡しています。これがそのへんをひょこひょこ歩いています。
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こいつは、オーストラリアクロトキといいます。オーストラリアではどこにでもいる鳥で、しょっちゅうゴミ箱を漁っていることから「bin chicken(ゴミ箱チキン)」と呼ばれているそうです。街中ではこんな落書きも見つけました。
落書き
本当にどこにでもいるので、飼われている動物にまざって動物園にもいます。次の写真はペンギンにまざっているところです。「は?ボク飼われているんですけど」とかとぼけて言ってそうです。
さりげなくペンギンに混ざるクロトキ
ビン・チキンはちょっとひどい名前ですが、こいつもオーストラリアの固有種で、へんな名前を付けられています。
ノイジーマイナー
和名は「ズグロミツスイ(頭黒蜜吸)」ですが、英名は「ノイジーマイナー(Noisy miner)」といいます。「うるさい炭鉱夫」といったところでしょうか。たぶん鳴き声が大きいことから「うるさい(Noisy)」顔が黒いところから「炭鉱夫(miner)」、ということなのでしょう。

ビンチキン以上に素行が悪かったのがこいつ。英語名はSilver Gullで、和名はそのままギンカモメ。
ギンカモメ
クチバシと足が赤いので一瞬ユリカモメかと思った(『伊勢物語』九段参照)のですが、ユリカモメよりははるかに目つきが悪い。この写真も僕たちの昼食を狙っている目です。
カキ
幸いこのときは一羽だけだったので、奇声を発したり変な踊りを踊ったりして撃退しましたが、街中のカフェではヒッチコックの『鳥』さながら、集団で襲いかかっているところも見られました。襲われたのは右のお姉さんです。
ヒッチコック風
そして、ここにもあいつが・・・。
ギンカモメにまざるビンチキン
お口直しにもう一羽ご紹介します。
キバタン
和名をキバタン(黄芭旦)といいます。英語名はSulphur-crested cockatoo。オウムの一種で、写真で見ると小さく見えますが、けっこうでかいです。街中では見かけなかったので、どこにでもいるというわけではないようですが、郊外には多いようです。
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『水滸伝』の続編『水滸後伝』を読みました。

東洋文庫『水滸後伝 1』(鳥居 久靖訳):amazon

『水滸後伝』は『水滸伝』の成立後100年以上後になって書かれた続編なので、二次創作とも言えます。ストーリーをものすごくざっくりいうと、かつて梁山泊に集った百八星の生き残りが紆余曲折を経て再び集い、これでもかっていうぐらいのハッピーエンドを迎えます。ちょっとざっくり過ぎましたかね。

『水滸伝』のエンディングは悲劇的なものですが、『忠臣蔵』みたいに全員滅亡するようなさっぱりした悲劇ではなく、108人のうち35人が生き残ります。清代には金聖嘆という人によって、梁山泊に好漢が集結したところで全員死んで終わる(ただし夢オチ)という70回本が作られ、中国ではそれが流布しました。勝手にぶった切っちゃうなんてむちゃくちゃですが、全員死んで終わりにしたい気持ちは分からないでもありません。

実際の『水滸伝』では梁山泊軍団崩壊後、生き残った人たちがその後どうなったかまで事細かに書かれています。そのうち、混江龍の李俊は暹羅(シャム)の島に渡ってそこで国王になったとあります。『水滸後伝』はこれをもとにして書かれました。ですから、梁山泊の生き残り+αが最終的に結集するのは暹羅ということになります。

登場する人物は李俊を中心とした百八星の生き残りですが、すでに亡くなっている好漢の子供や、生死不詳のかつてのライバル、さらにはモブキャラまで登場し、ストーリーにちゃんとかかわってきます。それぞれのキャラクターがうまく使われているのも、わざとらしく思い出話をするのも『水滸伝』ファンにはたまりません。

梁山泊崩壊の直後、史実では宋(北宋)は金に攻められ実質的に滅亡します。徽宗・欽宗と皇族そして梁山泊の宿敵だった官僚らは北方に連行され、欽宗の弟高宗によって現在の杭州に南宋が建てられます。『水滸後伝』では金とのからみや徽宗や奸臣との再会もあります。杭州といえば梁山泊軍団が最後に方臘と戦った地で、生き残った武松が六和寺で寺男をやっている土地ですが、この設定もちゃんと生かされています。

我々日本人にとって見逃せない話もあります。梁山泊の生き残りが集結する暹羅(シャム)は本来なら現在のタイですが、ここでは台湾付近を連想させる架空の島になっています。ここでの一悶着に日本の薩摩が関わってきます。軍を率いるのは、なぜか日本の最高権力者である〈関白〉です。そんな偉い人が軍隊を率いてくるわけないんですが、昔の外国映画に描かれる日本みたいな解像度の低さがたまりません。

これが梁山泊残党にとって最後の戦になるので、薩摩軍はいかにも強敵という感じで登場するのですが、なんとたった一人の好漢の手よって瞬殺されます。そんなことができる好漢は、『水滸伝』ファンならピンとくるでしょう。方臘戦には参加しなかったあの好漢に対して花をもたせてあげようというのでしょうか。

それにしてもこの終わり方はあまりにあんまりです。『水滸伝』で方臘が魯智深に捕まったときも瞬殺でしたから、あるいはそのオマージュかもしれません。その後、悲劇的なエンディングをむかえる『水滸伝』とは対照的に、梁山泊の残党は過剰なほどのハッピーエンドを迎えます。

というわけで、『水滸後伝』は『水滸伝』ファンには間違いなく楽しめる作品です。逆にいうと、『水滸後伝』から読むのはオススメしません。できれば『水滸伝』を最低3回ぐらい通読してから読むのがいいと思います。
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8月も今日で終わりになってしまいました。今日もむちゃくちゃ暑いですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今月の22日から26日まで、オーストラリアのシドニーに行ってきました。南半球ですからこちらが真夏ならあちらは真冬。さぞかし寒かろうと思っていたのですが、20度前後のちょうどいい気候です。

街を歩いている人を見ると、Tシャツ短パンの軽装からダウンジャケットで重装備の人まで様々で、なかなか不思議な光景です。私は夏用の薄手の長ズボンに長袖シャツ・ウィンドブレーカー、防寒のため厚手の下着とタイツを持っていったのですが、タイツの出番はありませんでした。

海外旅行は2019年4月にニュージーランドのオークランドに行って以来6年ぶりです。あまりに久しぶりなので不安もありましたが、まったく予想外のことに戸惑いました。それはハイテク化です。

まず、行く前にETA(電子渡航許可)という手続きをしなきゃいけません。これ、アメリカのESTAと違いスマホアプリでしかできません。日本語には対応していない上に、やれパスポートの写真を撮れ、やれ顔写真をとれ、光ってるからダメとかやたらと注文がうるさく、これだけで小一時間かかってしまいました。

空港のハイテク化にも驚きました。荷物を預けるのも自動、出国審査も入国審査も自動。人がいるのは荷物検査と検疫だけです。

今回、ネットを繋ぐために初めてeSIMを使いましたが、なぜか妻のはオーストラリアに到着しても使えません。いろいろ試してみましたが、結局最後まで使えませんでした。理由はいまだにわかりませんが、あるいはシドニーに着く直前にバッテリー切れになったのが原因じゃないかと思っています。

買い物と電車などの交通機関はVISAのタッチ決済を使いました。現金はほぼ必要ありません。とても便利なのですが、これも途中で妻のカードが決済できなくなりました。あやうく帰りの電車に乗れなくなるところでした。

幸いにも、偶然オプショナルツアーのガイドさんに町中で再会し、駅で片道切符が買えることを教えていただき、無事空港に行くことができました。
片道切符
スマホのおかげで、ガイドブックや地図・保険証券などのわずらわしいドキュメント類を持っていく必要がなくなりました。クレジットカードもスマホに入っているので、実物を出す必要はほとんどありません。便利な世の中になったものです。

しかし、イレギュラーなことが起きると途端に面倒なことになります。スマホを紛失したり盗まれたりしたらもっと大変なことになるでしょう。そこまでいかなくても、肝心なところで故障やバッテリー切れになる可能性はおおいにあります。これから海外旅行をするときには、ハイテク機器のバックアップを持っていく必要性を感じました。

さて、シドニーの話は9月に書こうと思っていますのでよろしくお願いします。

毎日暑い日が続きますね。そんな中、四年に一度恒例、銀座鳩居堂の伊藤忠綱個展に行ってきました。

伊藤先生(このブログでは葛的先生として登場)、いつもDMをくれるのですが、今年は来ませんでした。と思っていたのですが・・・、
伊藤忠綱展DM
これまでとずいぶん雰囲気が違います。どこかのブティックかヘアサロンの広告にも見えるので、もしかしたら私がポスティング広告と間違えて捨ててしまったのかもしれません。まあFaceBookで知ったので問題ありませんが、よもや伊藤先生の展覧会情報をネットで知る日が来るとは思ってもみませんでした。

会場はこんな感じ。
伊藤忠綱展.jpg
今回でなんと八回目だそうです。作品の傾向としては書だけよりも絵を含むもの、それも動物を描いたものが増えたようです。形式もバラエティに富んでいます。

伊藤先生といえば根付と瓢箪ですが、もちろん今回もあります。あえて写真には出しません。いや、実は撮り忘れただけなんですけど、とにかく根付がすごいです。どうやって作ったんだかさっぱり分からないものがいくつもあります。会場に行ったらどうやって作ったのか聞いてみてください。

伊藤忠綱個展は銀座鳩居堂画廊3階で8月10日(日)まで。また、4階では二松学舎大学書道会展を開催しています。

さて、ここからは余談になります。

鳩居堂といえば日本一地価が高い場所として知られますが、これはあくまで路線価で、実際に取引するとなると交差点に面した角地の方が高くなります。ということは、隣の三愛ビル(三愛ドリームセンター)の方が鳩居堂ビルよりも高いということになります。

三愛ビルは和光・三越・日産ギャラリーともに、長い間銀座四丁目交差点のランドマークとして親しまれてきましたが、現在は建て替えのため取り壊されて存在しません。ということは、鳩居堂ビルから銀座四丁目交差点が見えるということです。

途中でこれに気づいて、伊藤先生にお願いして非常階段から見せてもらいました。これが銀座のランドマーク揃い踏みと日本一値段の高い地面です。
銀座4丁目交差点
新三愛ビルは2027年に竣工予定だそうですが、おそらく来年にはこの風景は見られなくなるでしょう。期間限定の貴重な景色が撮れました。
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7月も今日が最後の日です。無事、今年のブログ強化月間を終えることができました。

それにしても、毎日暑い日が続きます。思えば6月の始め以降、ずっと異常としかいえない暑さが続いています。「今日は涼しいな」と思える日は記憶になく、雨もほとんど降っていません。あまりに長いので、なんだかもうすぐ秋になるんじゃないかとすら思えてきますが、まだ7月だったんですね。お米は大丈夫でしょうか。

今年のブログ強化月間は、初めからやたナビTEXTを話題の中心にしようと思っていたので、前半のネタ的には困りませんでした。レスポンスがあれば書こうと思っていたことがもういくつかあったのですが、聞かれもしないのに書く内容でもないのでやめておきました。まあ、レスポンスがあろうとなかろうとかまいません。私は粛々と続けていくだけです。

今月後半はなんといっても参院選の結果と、石破首相の進退問題が話題の中心になりました。参政党という奇怪な政党が驚異的な議席数を取ったこと、石破政権のピンチに特に野党支持者により「石破やめるなデモ」が行われたこと、常識では考えられないことばかり起きました。

政治についても書きたいことはいろいろあります。これでも以前はけっこう書いていたのですが、最近はほとんど書いていません。SNSなどで政治の常識が一つもない人がしたり顔でデタラメな発言しているのを見て、うんざりして書く気が失せてしまったのです。

さて、今年のブログ強化月間にはもう一つ決めていたことがありました。それは一人称を「私」にすることと敬体(です・ます体)で書くことです。慣れないことはするもんじゃないですね。なかなかストレスがたまりました。

明日からは・・・どうしようかな。

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traq

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