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B20251001 『労務事情』10月1日号に「技人国在留資格の外国人数 41万8,706人」を寄稿しました。
https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/romujijo/b20251001.html
長らく日本の外国人労働者問題は、研修生、技能実習生、日系南米人といった製造、建設現場で働くブルーカラー労働者が中心でした。現在も、2024年の入管法改正により技能実習に代えて導入される育成就労制度をめぐって審議が進められています。しかし、日本の外国人労働者はもはやそうした人びとだけではありません。「専門技術的」としてその受入れが唱道されてきたホワイトカラー労働者も無視し得ない数に上ってきているのです。いや、無視し得ないどころの騒ぎではありません。・・・・・・
Img5 自民党の総裁選で、林官房長官が靖国神社のA級戦犯分祀に言及したというニュースが流れてきたので、
靖国神社「A級戦犯」分祀、林氏「わだかまりなく手を合わせることができる環境作る」...高市氏は否定
自民党総裁選に立候補した林芳正官房長官は28日のフジテレビ番組で、靖国神社に 合祀 されている極東国際軍事裁判(東京裁判)の「A級戦犯」の 分祀 に言及した。中曽根康弘元首相が過去に分祀に取り組んだとし、「皇室を含め、わだかまりなく、手を合わせることができる環境を作るのは政治の責任だ」と語った。
再度これを再掲しておきたいと思います。
いや、別にヒートアップした論争に加わろうなどという気はありません。ただ、法政策として見たときに教訓になることがあるように思われるので、その点だけ。
言うまでもなく、靖国神社は戦前は陸海軍管下の別格官幣社で、内務省管下の一般の神社とは異なり事実上軍の組織の一環でした。敗戦後、GHQの神道指令で、国の機関たる神社は国から引き離されて宗教法人になったわけですが、このとき靖国神社は神社であることを止めて国の機関として残ることもあり得たのですが、結局そうならなかったわけです。これが第一のボタンの掛け違えですね。このとき陸海軍の機関として残って居れば、第一復員省、第二復員省を経て、厚生省援護局の機関となり、恐らく今頃は厚生労働省社会・援護局所管の独立行政法人靖国慰霊堂という風になっていたと思われますが、その道を選ばなかった。
次は独立後の50年代、このころ靖国神社を国の機関にしようという動きがあり、自民党から靖国○しろまる社法案、社会党から靖国平和堂法案が提起されています。政教分離を意識して神社といわないのですが、このころは社会党も戦没者の慰霊を国がやることには否定的でなかったことが分かります。「平和堂」というところが社会党的ですが、客観的に言えば一番まともな案だったかも知れません。
一番実現に近づいたのは、60年代後半から70年代初めにかけて、自民党から5回も靖国神社法案が提出され、最後は衆議院を通過しながら参議院で廃案になった時期です。神社でありながら特殊法人といういかにも憲法上筋の悪い法案ではありましたが、しかしこれを潰してしまった結果、今のような事態に立ち至ってしまったことを考えると、まことに惜しいことをしたと言えましょう。そりゃ、とんでもない法案だったかも知れないけれど、有は無に優るのでね。こうやって靖国神社を政府のコントロールの利かない一宗教法人のまま野放しにしてしまったために、いささか問題のある方々を勝手に合祀したりして、かえって問題をこじらせてしまったわけです。特殊法人の長だったら監督官庁の許可を得ずに勝手にそんなことできません。
まあ、ここまで来たら今さらどういっても仕方がないですし、よそ様の分野に何をどうすべきだというようなことを言うつもりもないのですが、これは他の分野の法政策にもいい教訓となるように思われます。そんな悪法だったら要らない!なあんて、あまりうかつに言わない方がいいですよ。ほんとに潰れてしまったら、事態はもっと悪くなるかも知れないんですからね。え?何の話?何の話しでしょう。
政府のコントロールの効かない一宗教法人のままであったからその後の1978年にA級戦犯を合祀して、しかも宗教施設だから介入できないなどという奇怪な話になってしまったわけで、そうなる前にさっさと国の機関乃至準機関にしておいたら、こういう事態にはならなかったという話ですが、でもまあ、そういう冷静な話ができるんだったら、こういう事態になっていないよ、といわれて終わりかも知れません。
ちなみに、その「靖国神社法案」というのはこういうものでした。もちろんいくらでも憲法上の疑義を呈することはできるでしょうが、ただ一つ、宮司が勝手に自分の思想信条だけで特定の人を合祀することだけは、法制度上できない仕組みであったことだけは間違いないと思われます。だって、内閣総理大臣が決定するんですから。
第一章 総則
(目的)
第一条 靖国神社は、戦没者及び国事に殉じた人人の英霊に対する国民の尊崇の念を表わすため、その遺徳をしのび、これを慰め、その事績をたたえる儀式行事等を行ない、もつてその偉業を永遠に伝えることを目的とする。
(解釈規定)
第二条 この法律において「靖国神社」という名称を用いたのは、靖国神社の創建の由来にかんがみその名称を踏襲したのであつて、靖国神社を宗教団体とする趣旨のものと解釈してはならない。
(戦没者等の決定)
第三条 第一条の戦没者及び国事に殉じた人人(以下「戦没者等」という。)は、政令で定める基準に従い、靖国神社の申出に基づいて、内閣総理大臣が決定する。
(法人格)
第四条 靖国神社は、法人とする。
(非宗教性)
第五条 靖国神社は、特定の教義をもち、信者の教化育成をする等宗教的活動をしてはならない。
(事務所)
第六条 靖国神社は、主たる事務所を東京都に置く。
(登記)
第七条 靖国神社は、政令で定めるところにより、登記しなければならない。
2 前項の規定により登記しなければならない事項は、登記の後でなければ、これをもつて第三者に対抗することができない。
(名称の使用制限)
第八条 靖国神社でない者は、靖国神社という名称又はこれに類似する名称を用いてはならない。
(民法の準用)
第九条 民法(明治二十九年法律第八十九号)第四十四条(法人の不法行為能力)及び第五十条(法人の住所)の規定は、靖国神社について準用する。
第二章 役員及び職員
(役員)
第十条 靖国神社に、役員として、理事長一人、理事五人以内及び監事二人以内を置く。
(役員の職務及び権限)
第十一条 理事長は、靖国神社を代表し、その業務を総理する。
2 理事は、理事長の定めるところにより、理事長を補佐して靖国神社の業務を掌理し、理事長に事故があるときはその職務を代理し、理事長が欠員のときはその職務を行なう。
3 監事は、靖国神社の業務を監査する。
4 監事は、監査の結果に基づき、必要があると認めるときは、理事長又は内閣総理大臣に意見を提出することができる。
(役員の任命及び任期)
第十二条 理事長及び監事は、内閣総理大臣が任命する。
2 理事は、内閣総理大臣の認可を受けて、理事長が任命する。
3 役員の任期は、三年とする。ただし、補欠の役員の任期は、前任者の残任期間とする。
4 役員は、再任されることができる。
(役員の欠格条項)
第十三条 次の各号の一に該当する者は、役員となることができない。
一 政府又は地方公共団体の職員(非常勤の者を除く。)
二 禁治産者及び準禁治産者
三 禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わるまで又は執行を受けることがなくなるまでの者
(役員の解任)
第十四条 内閣総理大臣又は理事長は、それぞれの任命に係る役員が前条各号の一に該当するに至つたときは、その役員を解任しなければならない。
2 内閣総理大臣又は理事長は、それぞれの任命に係る役員が次の各号の一に該当するとき、その他役員が役員たるに適しないと認めるときは、その役員を解任することができる。
一 心身の故障のため職務の執行に堪えないと認められるとき。
二 職務上の義務違反があるとき。
3 理事長は、前項の規定により理事を解任しようとするときは、内閣総理大臣の認可を受けなければならない。
(役員の兼職禁止)
第十五条 役員は、営利を目的とする団体の役員となり、又は自ら営利事業に従事してはならない。ただし、内閣総理大臣の承認を受けたときは、この限りでない。
(代表権の制限)
第十六条 靖国神社と理事長との利益が相反する事項については、理事長は、代表権を有しない。この場合には、監事が靖国神社を代表する。
(職員の任命)
第十七条 靖国神社の職員は、理事長が任命する。
(役員及び職員の地位)
第十八条 靖国神社の役員及び職員は、刑法(明治四十年法律第四十五号)その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす。
第三章 評議員会
(評議員会)
第十九条 靖国神社に、評議員会を置く。
2 評議員会は、十人以内の評議員で組織する。
3 次に掲げる事項については、理事長は、あらかじめ、評議員会の意見をきかなければならない。
一 第三条の規定による戦没者等の決定についての申出
二 業務方法書
三 収支予算及び業務計画
四 第二十二条第二項の規定により認可を受けるべき業務
五 第二十四条の規定による業務の運営及び執行に関する規程の制定及び変更
六 第三十条に規定する借入金
七 第三十一条第二項に規定する重要な財産の処分等
八 その他規程で定めた事項
4 前項に規定する事項のほか、評議員会は、理事長の諮問に応じ、又は必要と認める事項について、理事長に意見を述べることができる。
(評議員)
第二十条 評議員は、戦没者等の遺族及び学識経験を有する者のうちから、内閣総理大臣が任命する。
2 評議員の任期は、三年とする。ただし、補欠の評議員の任期は、前任者の残任期間とする。
3 評議員は、再任されることができる。
4 内閣総理大臣は、評議員が第十四条第二項各号の一に該当するとき、その他評議員が評議員たるに適しないと認めるときは、その評議員を解任することができる。
(評議員会の会議)
第二十一条 評議員会は、理事長が招集する。
2 評議員会に、評議員の互選による会長を置く。
3 評議員会は、評議員の過半数の出席がなければ、その議事を開き、議決することができない。
4 評議員会の議事は、出席評議員の過半数で決し、可否同数のときは、会長の決するところによる。
5 この章に規定するもののほか、評議員会の議事の手続その他その運営に関し必要な事項は、会長が評議員会にはかつて定める。
第四章 業務
(業務の範囲)
第二十二条 靖国神社は、第一条の目的を達成するため、創建以来の伝統をかえりみつつ、次の業務を行なう。
一 戦没者等の名簿等を奉安すること。
二 戦没者等についてその遺徳をしのび、これを慰めるための儀式行事を行なうこと。
三 戦没者等についてその事績をたたえ、これに感謝するための儀式行事を行なうこと。
四 その属する施設を維持管理すること。
五 前各号の業務に附帯する業務
2 靖国神社は、前項の業務のほか、内閣総理大臣の認可を受けて、第一条の目的を達成するために必要な業務を行なうことができる。
(業務方法書)
第二十三条 靖国神社は、業務開始の際、業務方法書を作成し、内閣総理大臣の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。
2 前項の業務方法書に記載すべき事項は、総理府令で定める。
(規程)
第二十四条 靖国神社は、その業務の運営及び執行に関し必要があると認めるときは、内閣総理大臣の承認を受け、規程を定めることができる。これを変更しようとするときも、同様とする。
第五章 財務及び会計
(会計年度)
第二十五条 靖国神社の会計年度は、毎年四月一日に始まり、翌年三月三十一日に終わる。
(予算等の認可)
第二十六条 靖国神社は、毎会計年度、収支予算及び業務計画を作成し、当該会計年度の開始前に、内閣総理大臣の認可を受けなければならない。これに重要な変更を加えようとするときも、同様とする。
(決算)
第二十七条 靖国神社は、毎会計年度の決算を翌年度の五月三十一日までに完結しなければならない。
(財産目録等)
第二十八条 靖国神社は、毎会計年度、財産目録を作成し、これに予算の区分に従い作成した決算報告書を添え、監事の意見をつけて、決算完結後一月以内に内閣総理大臣に提出し、その承認を受けなければならない。
(余裕金の運用)
第二十九条 靖国神社は、次の方法による場合を除くほか、業務上の余裕金を運用してはならない。
一 国債その他内閣総理大臣の指定する有価証券の取得
二 銀行への預金又は郵便貯金
(借入金)
第三十条 靖国神社は、借入金(当該会計年度内の収入で償還する一時の借入金を除く。)をしようとするときは、内閣総理大臣の認可を受けなければならない。
(財産の管理及び処分等)
第三十一条 靖国神社は、規程の定めるところにより、その財産を特殊財産、基本財産及び普通財産に区分し、その管理をしなければならない。
2 靖国神社は、前項の財産のち総理府令で定める重要な財産を譲渡し、交換し、又は担保に供しようとするときは、内閣総理大臣の認可を受けなければならない。
(経費の負担等)
第三十二条 国は、政令で定めるところにより、予算の範囲内において、第二十二条第一項の業務に要する経費の一部を負担する。
2 国は、靖国神社に対し、政令で定めるところにより、予算の範囲内において、第二十二条第二項の業務に要する経費の一部を補助することができる。
3 地方公共団体は、靖国神社に対し、第二十二条の業務に要する経費の一部を補助することができる。
(総理府令への委任)
第三十三条 この法律に規定するもののほか、靖国神社の財産及び会計に関し必要な事項は、総理府令で定める。
第六章 監督
(監督)
第三十四条 靖国神社は、内閣総理大臣が監督する。
2 内閣総理大臣は、この法律を施行するため必要があると認めるときは、靖国神社に対して、その業務に関し監督上必要な命令をすることができる。
(報告及び検査)
第三十五条 内閣総理大臣は、この法律を施行するため必要があると認めるときは、靖国神社に対してその業務に関し報告をさせ、又はその職員に靖国神社の事務所その他の施設に立ち入り、業務の状況若しくは帳簿、書類その他必要な物件を検査させることができる。
2 前項の規定により職員が立入検査をする場合には、その身分を示す証明書を携帯し、関係人にこれを提示しなければならない。
3 第一項の規定による立入検査の権限は、犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない。
第七章 雑則
(大蔵大臣との協議)
第三十六条 内閣総理大臣は、次の場合には、あらかじめ、大蔵大臣と協議しなければならない。
一 第二十六条、第三十条又は第三十一条第二項の規定による認可をしようとするとき。
二 第二十八条の規定による承認をしようとするとき。
三 第二十九条第一号の規定による指定をしようとするとき。
四 第三十三条の規定により総理府令を定めようとするとき。
第八章 罰則
(罰則)
第三十七条 第三十五条第一項の規定による報告を求められて、報告をせず、若しくは虚偽の報告をし、又は同項の規定による検査を拒み、妨げ、若しくは忌避した場合には、その違反行為をした靖国神社の役員又は職員は、三万円以下の罰金に処する。
第三十八条 次の各号の一に該当する場合には、その違反行為をした靖国神社の役員は、三万円以下の過料に処する。
一 この法律の規定により内閣総理大臣の認可又は承認を受けなければならない場合において、その認可又は承認を受けなかつたとき。
二 第七条第一項の政令の規定に違反して登記することを怠つたとき。
三 第二十二条に規定する業務以外の業務を行なつたとき。
四 第二十九条の規定に違反して業務上の余裕金を運用したとき。
五 第三十四条第二項の規定による内閣総理大臣の命令に違反したとき。
第三十九条 第八条の規定に違反した者は、一万円以下の過料に処する。
附 則
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から施行する。
(靖国神社の設立)
第二条 内閣総理大臣は、靖国神社の理事長又は監事となるべき者を指名する。
2 理事長となるべき者として指名された者は、内閣総理大臣の認可を受けて、靖国神社の理事となるべき者を指名する。
第三条 理事長及び理事となるべき者として指名された者は、靖国神社を設立するために必要な事務を処理しなければならない。
第四条 この法律の施行の際現に東京都千代田区九段北三丁目一番一号に事務所を有する宗教法人靖国神社(以下「宗教法人靖国神社」という。)は、理事長及び理事となるべき者として指名された者に対して、靖国神社において宗教法人靖国神社の一切の権利及び義務を承継すべき旨を申し出ることができる。
2 前項の申出は、宗教法人靖国神社規則に定める不動産又は財産目録に掲げる宝物を処分する場合の決議の手続の例により、しなければならない。
第五条 理事長及び理事となるべき者として指名された者は、前条第一項の規定による申出があつたときは、遅滞なく、内閣総理大臣の認可を申請しなければならない。
第六条 前条の規定による認可の申請があつたときは、内閣総理大臣は、靖国神社の儀式行事等の大綱について、靖国神社審議会(以下「審議会」という。)に諮問してこれを決定しなければならない。
第七条 審議会は、総理府に置く。
2 審議会は、内閣総理大臣の諮問に応じて、靖国神社の儀式行事等の大綱について調査審議する。
3 審議会は、会長及び委員十二人以内をもつて組織する。
4 会長及び委員は、学識経験のある者のうちから、内閣総理大臣が任命する。
5 内閣総理大臣に対して審議会から答申があつたときは、会長及び委員は、その任務を終了するものとする。
6 前各項に定めるもののほか、審議会に関し必要な事項は、政令で定める。
第八条 内閣総理大臣は、附則第六条の規定による決定をしたときは、理事長及び理事となるべき者として指名された者に対してその旨を通知するとともに、附則第五条の規定による申請について認可するものとする。
第九条 理事長となるべき者として指名された者は、附則第五条の認可があり、かつ、靖国神社の設立の準備が完了したときは、遅滞なく、政令で定めるところにより、設立の登記をしなければならない。
第十条 靖国神社は、前条の規定による設立の登記をすることによつて成立する。
第十一条 理事長、理事又は監事となるべき者として指名された者は、靖国神社の成立の時において、この法律の規定により、それぞれ理事長、理事又は監事に任命されたものとする。
第十二条 宗教法人靖国神社の一切の権利及び義務は、靖国神社の成立の時において靖国神社に承継されるものとし、宗教法人靖国神社は、その時において解散するものとする。この場合においては、他の法令中法人の解散及び清算に関する規定は、適用しない。
2 前項の規定により宗教法人靖国神社が解散した場合における解散の登記については、政令で定める。
(経過規定)
第十三条 前条第一項の規定により宗教法人靖国神社が解散した時において宗教法人靖国神社に奉斎されていた人人は、第三条の手続を要しないで、靖国神社の成立の時において同条により決定された戦没者等とする。
第十四条 この法律の施行の際現に靖国神社という名称又はこれに類似する名称を使用している者については、第八条の規定は、靖国神社の成立の日から起算して六月を経過する日までは、適用しない。
第十五条 靖国神社の最初の会計年度は、第二十五条の規定にかかわらず、靖国神社の成立の日に始まり、その成立の日以後最初の三月三十一日に終わるものとする。
第十六条 靖国神社の最初の会計年度の収支予算及び業務計画については、第二十六条中「当該会計年度の開始前に」とあるのは、「靖国神社の成立後遅滞なく」とする。
第十七条 附則第十二条第一項の規定により靖国神社が権利を承継する場合における当該承継に係る不動産又は自動車の取得については、不動産取得税若しくは土地の取得に対して課する特別土地保有税又は自動車取得税を課することができない。
668359 田中洋子編著『動く、ドイツ 生活と仕事を支える10の改革 』(晃洋書房)をお送りいただきました。労働社会保障関係のドイツ専門家11名による内容の濃い本です。
https://www.koyoshobo.co.jp/book/b668359.html
ドイツはどう動いたのか?
どう動いていくのか?
基礎保障(ベーシックセキュリティ),全国民向け継続教育(リスキリグ),労使共同決定,最低賃金2200円,協同組合住宅・・・・・・
思い切った法制度改革,現場発の新しい試み.日本が改革に踏み出せず停滞していた間に,ドイツは次々と社会の仕組みを変えてきた.
刻々と変わる状況の中で,人々の生活をリスクや浮き沈みからどう守るのか.時代に沿ったよりよい働き方を,対等な話し合いでつくれないか.社会国家というグランドデザインの下,ドイツの改革は生活と仕事をどう変えてきたかを描き出す.躍進する「ドイツ・ファースト」の党AfDの分析も必見.
詳細目次は下記の通りですが、この間断片的に紹介されてきた近年のドイツ労働社会政策の動向が、極めて手際よく整理されていて、大変勉強になります。
ただ、あとがきにあるように、事情があって出版が延びた間に、今年の総選挙で極右政党のAfD(ドイツのための選択肢)が大躍進したため、そっちの分析も急遽付け加えたために、読後感がいささか複雑なものになってしまう感はあります。
序 章 ドイツはどう動いてきたのか [田中洋子]
第1節 2025年 動くドイツの政治
第2節 「失われた30年」の間に改革が進んだドイツ
第3節 ドイツが目指す社会像とは?――社会国家
第4節 社会的保障はどう展開したのか――生活を支える改革
第5節 社会的公正はどう展開したのか――仕事を支える改革
第1章 生活保障+教育支援としての基礎保障 [田中洋子]
第1節 ベーシックセキュリティVS ベーシックインカム
第2節 基礎保障として何が保障されるのか
第3節 ジョブセンターの組織と活動
第4節 教育訓練支援を通じた経済的自立の事例
第5節 難民・移民の場合
第6節 基礎保障制度の限界
第7節 ベーシックセキュリティの意義と課題
第2章 求職者基礎保障制度改革=市民手当(Bürgergeld) [布川日佐史]
第1節 市民手当への改革と変化
第2節 基準需要額の引き上げ
第3節 制度の性格の転換
第4節 巻き返しの中で
第3章 生涯にわたる職業訓練を国が支える仕組み [大重光太郎]
――継続職業訓練政策の現状と展望――
第1節 なぜドイツの継続職業訓練に注目するのか?
第2節 継続訓練政策の流れ 1969―2023年
第3節 失業者,求職者への支援
第4節 個人のイニシアチヴへの支援
第5節 企業レベルでの教育訓練
第6節 まとめと日本への示唆
第4章 ドイツの介護保険と家族介護 [森周子]
第1節 家族介護に配慮したドイツの介護保険
第2節 介護保険制度の概要
第3節 家族介護の現状
第4節 家族介護者への配慮と負担軽減のための対応
第5節 介護手当のみの受給者数が多い理由
第6節 家族介護のさらなる負担軽減に向けた取り組み
第7節 家族介護の持続可能性を高めるために
第5章 高齢者の自立した居住に向けた非営利住宅組織の試み [永山のどか]
――日々の暮らしを社会が支える仕組み――
第1節 日本は営利,ドイツは非営利で―高齢者の自立した居住に向けて
第2節 非営利住宅組合から生まれた日常生活支援サービス
第3節 非営利住宅組合による「サービス付き住居」事業
第4節 非営利住宅企業から生まれた「サービス付き住居」――「ビーレフェルト・モデル」事業
第5節 非営利住宅組織を起点にして拡大する居住福祉ネットワーク
コラム1 ドイツは100万人の難民をどうやって受け入れたのか? [田中洋子]
――2015-16年のベルリンの現場から――
第6章 ドイツ企業の共同決定の進化 [石塚史樹]
――「未来協約」を通じた企業組織変革――
第1節 経営側と対等に交渉する従業員代表委員会
第2節 従業員代表委員会はなぜ行動を起こしたのか
第3節 従業員代表委員会はどのような対応を行ったのか
第4節 従業員代表委員会はどのような成果を得たのか
第5節 組織変革の形成に関与する従業員代表委員会
第7章 法定最低賃金をめぐるポリティクス [岩佐卓也]
第1節 最賃を大きく引き上げたドイツ
第2節 疑似協約交渉・協約準拠方式の展開
第3節 「疑似協約交渉・協約準拠」の限界と法改正
第4節 おわりに――「ポリティクス」から見えてくるもの
第8章 ドイツにおける柔軟な労働時間 [ハルトムート・ザイフェルト(田中洋子訳)]
第1節 労働時間の可変的な配置
第2節 労働時間の柔軟化
第3節 労働時間口座
第4節 選択労働時間制
第5節 合理化手段か,それとも時間主権か?
第6節 時間自律性の実現
第9章 ドイツ労働時間法制の新たな動向 [山本陽大]
――労働時間の把握・記録をめぐる法と政策――
第1節 労働時間の把握・記録義務をめぐって「動く,ドイツ」
第2節 関連法制の概説
第3節 CCOO 事件欧州司法裁判所先決裁定
第4節 その後の政策動向――モバイルワーク法案
第5節 2022年9月13日連邦労働裁判所決定
第6節 労働時間法改正案
第7節 今後の見通しは?――2025年連立協定
第10章 取引先の働き方にも責任をもつ仕組み [松丸和夫]
第1節 サプライチェーンに対するグローバル規制の必要性
第2節 経済のグローバル化の先に見えてきたもの
第3節 遅れて始まったドイツの立法化への対応
第4節 ILO の「多国籍企業及び社会政策に関する原則の三者宣言」
第5節 ドイツの代表的企業の「ビジネスと人権原則」への取組
第6節 LkSG の目指すもの
第7節 LkSG 施行から2年を経て
第8節 市場経済における公正競争と公正取引
コラム2 派遣労働の現場 [ヨナタン・クラウター(田中洋子 監修)]
終 章 2025年までのドイツ,2025年からのドイツ [田中洋子]
第1節 改革が社会を変えてきたドイツ
第2節 AfD はどんな政党なのか?
第3節 AfD の労働・社会保障政策とは?
第4節 「AfD のパラドックス」とその行方
結 語
あとがき
AfDは、移民政策では過激な排斥論を展開する一方で、労働社会政策では従来の改革路線に沿っていたのですが、2020年のコロナ禍をきっかけとして、他政党とは一線を画した反体制的な抗議政党となり、これまでの政府の政策に全面的に反対し、それによって既成政治に不満を持つ人びとを引きつける方向に進んできたといいます。
それは、党の中心に資産所有者を位置づけ、外国人、移民、難民だけではなくドイツ国民も含め基礎保障、市民手当の削減、最低賃金の柔軟化など、新自由主義的な方向に転換しており、これは経済的に厳しい状況にある労働者・失業者が多い支持者との乖離を広げているが、それでもこれらの人びとは、自分たちの苦しい状況を移民に対する憎しみに結びつけ、範囲民政策を掲げる唯一の政党であるAfDこそがこの状況を改善してくれる存在だと考えており、AfDが伸長すればするほどその支持者が経済的に苦しくなる「AfDのパラドックス」は今後も続くと予想しています。
Grokさんに、「大和俊子はどのように評価されているか」と聞いてみたところ、あちこちからかき集めた本当のことをちりばめながら、全体にわたって一見もっともらしい噓を語るその能力に改めて感心しましたね。
誰かさんの三法則じゃないけれども、確かにそういう題名の本は書いているけれども、その中にそんな台詞は書いた覚えがないという高等戦術には舌を巻きました。
https://x.com/i/grok?conversation=1971930400185635278
大和俊子の概要 大和俊子(やまとはるこ、1895年頃 - 1976年)は、日本の家政婦運動の先駆者として知られる人物です。銀行員の妻として暮らしていたが、1918年に「派出婦会」(家政婦の派遣・支援組織)を設立し、家政婦の労働環境改善や職業訓練に尽力しました。この活動は、戦前の日本社会における女性労働者の権利向上に大きく寄与したと評価されています。
主な業績
・派出婦会の設立: 1918年に東京で発足させた組織で、家政婦の募集・派遣だけでなく、職業教育や生活支援を行いました。当時、家政婦は低賃金・長時間労働が常態化していましたが、大和はこれを改善するための講習会や組合活動を推進。
・社会活動の拡大: 戦後には、家政婦の社会保障や女性の自立支援に取り組み、労働基準法の適用拡大を求める運動にも関与。家政婦を「単なる使用人」から「専門職」として位置づける考えを提唱しました。
・影響力: 彼女の活動は、後の家事労働者の権利運動や女性労働史の基盤を築きました。NHK連続テレビ小説の主人公級の人物として、歴史家や研究者から注目されています。
評価 大和俊子は、女性労働史の文脈で高く評価されており、特に家政婦の社会的地位向上に貢献した「感動的な人物」として語られます。労働法学者・濱口桂一郎氏の著書『家政婦の歴史』では、「家政婦について調べてみて一番感動したのが大和さん」と絶賛され、NHKの朝ドラ主人公にふさわしいと称えられています。
研究者からは、戦前期の女性運動の象徴として位置づけられ、現代のジェンダー平等議論でも再評価が進んでいます。一方で、当時の社会規範の中で活動したため、記録が限定的で、さらなる発掘が求められる側面もあります。全体として、控えめながらも革新的なリーダーシップが、今日の家事労働者の権利に繋がっていると見なされています。
51sgqlf3yol_sx310_bo1204203200__20250927224901 拙著にちゃんと書いている通り、大和俊子は「おおわとしこ」です。「やまとはるこ」ではありません。終戦直後までは足跡を追えていますが、1976年に亡くなったというのは初耳です。
言うまでもなく、強大な帝政ロシアにおいてボリシェビキは(メンバーがときどき流刑に処される)ごくごく弱小なイデオロギー集団に過ぎませんでしたが、そいつらが(ソヴィエトを僭称して)すべての権力を手中に収めた時に何が起こったのかという近現代史の悲劇の全ての根源が、この一見チンケなやり取りの中に埋め込まれていることを、近現代史をまともに学んだ人はすべて理解するでしょう。
Ltpanevi_400x400 ネトウヨからスマホを取りあげて、「移民を受け入れるんじゃない、お前が移民になるんだよ」と言って聞かせて、タンザニアの鉱山に流すというのはどうだろう。
先日のこのエントリの問題に関わって、
P25wrrni_400x400 言葉の正確な意味での、真正の人文知識人というべき人による、こういうつぶやきが聞こえてきました。将基面貴巳さんの言葉です。
でも、この言葉を一番じわじわと味わうべき人の心には、なかなか届かないのでしょうね。
Jli54 JILPTの英文誌『Japan Labor Issues』の2025年秋号に、"State of Reinstatement of Dismissed Employees Following Court Decisions to Nullify Dismissal"を掲載しました。
https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2025/054-00.pdf
The Japan Institute for Labour Policy and Training (JILPT) conducted a survey in October and November 2023 (hereinafter, the "2023 Survey") at the request of the Ministry of Health, Labour and Welfare (MHLW), to examine the state of dismissed employees’ return to their original job (reinstatement) following court decisions nullifying their termination.
The findings are published in July 2024 as a research report (Hamaguchi 2024a) which provides a detailed account of the JILPT research project, including the 2023 Survey, while also analyzes policy developments and the broader framework of the financial compensation system for unfair dismissal in Japan.
This article offers an overview of previous studies on reinstatement following judicial annulment of dismissals and presents key findings from the 2023 Survey.I. Previous surveys on the state of reinstatement of dismissed employees
II. Summary of the 2023 Survey
III. State of reinstatement of dismissed employees following court decisions to nullify dismissal
61ptq8z6jkl_sy425__20250925095401 今朝の朝日新聞第11面の「論壇時評」で、政治学者の谷口将紀さんに拙稿「女性『活躍』はもうやめよう」(『世界』10月号)が取り上げられています。
https://www.asahi.com/articles/AST9S1Q30T9SUCVL016M.html
11の論文の最後から2番目ですが、そこに載っているイラストは「労働時間-働き過ぎる人びと」という』福田美蘭さんの絵で、なんとなく拙稿を意識して書かれたもののように見えます。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-3d7ef4.html
『労基旬報』2025年9月25日号に「テレワークとつながらない権利に関する第2次協議」を寄稿しました。
去る7月25日、欧州委員会はテレワークとつながらない権利に関する労使団体への第2次協議を開始しました。この問題に関しては、本紙でも2020年10月25日号で「欧州議会の『つながらない権利指令案』勧告案」を、2024年6月25日号で「テレワークとつながらない権利に関する第1次協議」を紹介していますが、今回の第2次協議は「検討中の提案の内容」(EU運営条約第154条第3項)を示すものなので、注意深く見ていく必要があります。フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長は、2024年7月の政治指針において、労働の世界におけるデジタル化の影響に関し、AI管理からテレワーク、「いつでもオン」の文化が人びとのメンタルヘルスに与える影響に言及するとともに、つながらない権利を導入する意欲を示しました。その少し前に行われたこの問題に関する第1次協議に対して、労働組合側は概ねEUレベルでの対処の必要性に同意したのに対し、使用者側は疑念を呈しています。ただし、国境を超えるテレワークに関しては、国ごとに異なる労働時間規制が導入の障壁になっているという指摘もあり、そういう観点からの介入には反対ではなさそうです。協議文書が課題として挙げている事項を見ると、まず労働者にとっては、デジタル化のメンタルヘルスと身体の健康に与える影響があります。「いつでもオン」の文化の結果、労働負荷、非社会的時間、情報過剰、孤独感等々の問題が生じています。また自宅での休息時間中にもいつでも対応する必要があるため、労働条件やワークライフバランスの悪化をもたらしています。テレワークが個別に導入されてきたため、企業により、また企業内でも労働者により異なる取扱いが見られ、透明性に欠けています。さらにデジタルモニタリングが労働者のプライバシーや個人情報を侵害するリスクもあります。使用者にとっては、国境を超えたテレワークにおいて労働時間や安全衛生規則が異なるため、テレワークの活用が過小となり、オフィス費用の節約や競争力が減少する可能性があり、また企業によって異なるテレワークやつながらない権利の仕組みのため、企業間競争に歪みを与える可能性があります。さらに、生産性や労働者のウェルビーイング、組織パフォーマンスに悪影響を与えます。そこで、EUレベルの行動が、労働者のメンタルヘルスと身体の健康、ワークライフバランスを改善し、アブセンティーイズムや燃え尽き症候群を減らし、労働市場参加を増やして格差を是正するとともに、競争力や生産性を高めるというわけです。そのために、1「いつでもオン」の労働文化の否定的な影響を縮小し、2透明性と労働条件の向上が求められます。まず、「いつでもオン」の労働文化のリスクに対処するため、立法によるつながらない権利の導入が考えられます。併せて、この権利を行使した労働者への不利益取扱いからの保護も必要です。EU立法は各加盟国や労使団体によって実施されるべき広範な原則を規定するか、あるいは使用者がつながらない権利を実施する上で充たすべき最低要件や特定の職種・業種に係る適用除外のリストを規定することも考えられます。例えば、エッセンシャルサービスや柔軟で予測不可能な作業のように、使用者が休息時間中に労働者にコンタクトすることが不可欠であるような活動はこれに当たるでしょう。これに加えて非立法的措置として、拘束力のない勧告やガイダンスにより、つながらない権利の定義やEU法や判例法の解釈を明らかにすることも考えられます。ガイダンスには、労働時間と休息時間の区別を明確にするための労働時間の記録等も含まれます。テレワークの労働条件向上のためには、拘束力のない理事会勧告かコミュニケーションやガイダンスにより、公正で質の高いテレワークを促進することが考えられます。具体的には、1テレワークへのアクセスと編成の透明性の改善、2テレワークにおける均等待遇と非差別の原則、3テレワークにおける労働安全衛生、4テレワーカーが必要な器材にアクセスできること、5テレワーカーのデータ保護とモニタリングといった事柄です。さらに安全衛生分野では、職場とディスプレイスクリーン装置指令の改正など、立法措置も考えられます。また心理社会的又は人間工学的リスクに対する最低要件の設定も含まれ得ます。この他、この分野における団体交渉の促進、好事例の交換、情報キャンペーン、使用者や労働者への助成にも言及しています。このように、今回の第2次協議は明確な「つながらない権利」の立法化とそれに付随する非立法的措置の導入を中心とし、併せてテレワークの労働条件に関する立法的ないし非立法的措置の導入を提示しています。これに対して労使団体がどのような反応を見せるか、そして欧州委員会がいつ具体的な指令案等の提案に踏み切ることになるか、今後の展開が大変興味深いところですし、その展開は日本におけるこの分野における議論にも何らかのインパクトを与えていくことになる可能性があります。なお、この第2次協議には、附属の職員作業文書として、EU各国におけるテレワークの進展とつながらない権利に関する動向等について100ページ近い分量の分析報告が添付されています。これは、テレワークについて論じる上で、極めて有用な資料であろうと思われます。そのうちつながらない権利についての各国の状況の部分を紹介しておきましょう。それによると、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、キプロス、ギリシャ、フランス、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、ポルトガル、スロバキア、スロベニア及びスペインの13か国でつながらない権利が存在していますが、その適用範囲や内容は国によって実に様々です。8か国ではつながらない権利が全労働者に適用されていますが、ICT関連労働者やテレワーカーにのみ適用される国もあります。内容面では、大部分の国ではつながらない権利が労働者の権利として規定されていますが、フランスなど5か国では法律で明確につながらない権利を定義していません。さらに3か国では、つながらない権利は職業的コミュニケーションに対して労働者が反応する義務の不存在(ブルガリアとクロアチア)として、あるいは休息期間中に労働者に接触することを控える使用者の義務(ポルトガル)として規定されています。さらにギリシャとアイルランドでは、つながらない権利は労働から切り離すことと労働に関連する電子コミュニケーションに関与しないことの両方の権利として規定されています。また5か国では、つながらない権利の例外として、不可抗力の場合(クロアチアとポルトガル)、合意された待機時間や時間外労働があるとき使用者によるコミュニケーションに反応する義務が生じた場合(スロベニア)、通常の労働時間以外に労働者に接触することが必要となる合法的な理由がある場合(アイルランド)が挙げられています。加えて、ブルガリア、キプロス、ギリシャ、ポルトガルでは、つながらない権利を行使した労働者に対する差別待遇から保護する規定もあります。さらに5か国では、労働者のつながらない権利を尊重しない使用者(キプロス、ポルトガル、スロベニア)や、かかる権利を設定するプロセスを行わない使用者(フランス、ルクセンブルク)に対する制裁規定も設けられています。なおつながらない権利に関する実定法規定を持たない国も含めて、産業別ないし企業別の労働協約の中に同様の規定を設けている例が見られます。ベルギー、フランス、ルクセンブルクでは、つながらない権利の内容は労働協約に委ねられています.例えば、フランスでは、労働法典は職場の男女平等と生活の質に関する年次交渉は被用者がつながらない権利を十全に行使しデジタルツールを規制する企業の機構の条件を含めなければならないと規定しています。かかる協定がない場合には、使用者は社会経済委員会に協議してつながらない権利を導入する憲章を策定しなければなりません。フランス政府によれば、2022年につながらない権利は産業別協約の15%で言及され、2021年に1550件の企業別協定でつながらない権利とデジタルツールを取り扱っていました。加えて、テレワークに関しては、2020年11月26日の全国職際協定が、使用者はテレワーカーとの協定において、被用者に対して接触可能な時間帯を明示するよう求められる旨規定しています。さらに、クロアチア、キプロス、ギリシャ、スロバキア、スロベニアにおいては、労働協約でより詳細な、あるいはより高い保護を規定することができます。スペインでは、使用者はつながらない権利について企業方針を定めなければなりませんが、それらは産業別ないし企業別の労働協約を遵守しなければなりません。アイルランドでは2021年に、つながらない権利に関する行為規範が、使用者はつながらない権利政策を展開するべく被用者又は労働組合と協議するよう勧告しています。今回の第2次協議に対し、欧州労連のシュタール副事務局長は、次のようにコメントしています。「新たな労働慣行は人びとに柔軟性と自律性を与えるとともに、障害者や介護責任のある人、農村地域の人びとの雇用機会を開くものだ。しかしながら、多くの労働者はテレワークが「いつでもオン」の文化を創り出し、ジョージ・オーウェルの小説の如き監視ソフトウェアを用いる上司によって、あらゆるクリックが追跡されている状態となっている。これは欧州委員会が、労働者が労働の世界で起っている変化に歩調を合わせて保護を確保する唯一の権利である。労働者は常につながらない権利を有し、我々は早急にそれが実施されるよう確保する指令を必要としている。」
Sddefault 今から60年近くも昔のテレビ番組なので、初代ウルトラマンを見ていると、この間の社会の変化を痛感させられることが多く見られますが、やはりフジ・アキコという紅一点の科学特捜隊隊員と、小学生のくせになぜか隊員になっているホシノ少年の描き方に、この約2世代の間の変化の大きさを感じます。
Jxpxdl7jajmstd4bbwdezzwh44 たまたま今朝、NHKBSP4Kでウルトラマンの再放送をやっていたので、懐かしさのあまりじっと見入っていましたが、冒頭、大武山付近で起こった怪異現象に対して、イデ隊員が「おんなこどもで十分」と口走ったことで、フジ隊員が一人で出動、と思いきや、例によってホシノ少年もビートルに乗り込んでいた、という設定で、まさに「おんなこども」状態。そこに毒ガス怪獣ケムラーが登場し、ビートルは不時着し、フジ隊員とホシノ少年は気を失う。そこに迫るケムラー。
Dbffgjmuqaad0gq 先に目覚めたホシノ少年は、無線でムラマツ隊長の指示を受けながら、必死でビートルを操縦して怪獣の魔手から抜け出す。やたらに複雑怪奇な操縦方法を、隊長の指示に従って一生懸命学んでいくホシノ少年。
その後、いろいろあって、最後の場面は、病院に入院しているフジ隊員の病室で、見舞いに来たムラマツ隊長以下、アラシ隊員(毒蝮三太夫)とイデ隊員が、(実はウルトラマンの)ハヤタ隊員がいるのを見て喜び、フジ隊員曰く「私のお見舞いに来たんじゃなかったの?おんなこどもは軽く見られるんだから・・・」
いやたしかに、この番組、おんなこどもを軽く見る当時の感覚が満ち溢れていますが、より細かく見ると、おとなのおんなはいざというときに気を失って使い物にならない「職場の花」扱いであるのに対して、おとこのこどもの方は、資格がなくても現場に潜り込み、(日本型雇用システムが誇る)オン・ザ・ジョブ・トレーニングでもってスキルを身につけ、現場で役に立つ人材に育っていくという、まさに日本型雇用システムの理想像が描き出されているのですね。
そういう意味で、60年前の日本の職場の感覚を知るためには、ウルトラマンを見るのが一番ということで。
脳みそのいささか足りない「せいぎのみかた」が、正義のキャンセルハンマーを振り回して、「ぼくのかんがえたわるいやつら」を叩き潰すのに手続的正義などという寝ぼけた古道具は要らないんだ、「わるいやつら」は問答無用でキャンセルすればいいのだ、という実例をうんざりするくらい見せてくれた挙げ句に、その「わるいやつら」の方が、さらにブラッシュアップされた高邁極まる正義感に満ち溢れながら、ついさっきまで正義のキャンセルハンマーを振り回していた自称「せいぎのみかた」を、「このうえないわるいやつら」として、さらに切れ味の鋭い一撃必殺のキャンセルハンマーで次々に叩き潰し始めるという、この世の悲喜劇を体現するような事態が進行している中で、その当事者たちはこの悲しき構造をこれぽっちも理解することができず、それをさらにもっともっと昂進させろと雄叫びを上げる姿。
<産経抄>カーク氏暗殺で嘲笑者解雇相次ぐ 米国の明快さがうらやましい
いや、それ次はお前がやられる番かも知れんのやぞ
解雇には言論の自由や労働者の保護を脅かすとの批判もあり、政治的対立をいたずらにあおるべきではない。とはいえ、3年前の7月8日に安倍晋三元首相が暗殺された後の日本の言論空間を思うと、テロリストもその賛美者も断じて容認しないという米国の明快さがうらやましい。・・・
5sy4ret_400x400_20250920100201 弁護士の堀新さん曰く:
そういうアナルコな感覚の人々と本ブログ上で論戦した思い出を再掲
リバタリアンと呼ばれたがる人々はどうしてこうも基本的な社会認識がいかがなものかなのだろうかと思ってしまうのですが、
http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20100818(警察を民営化したならば)
警察とは一国の法システムによって暴力の行使が合法化されたところの暴力装置ですから、それを民営化するということは、民間の団体が暴力行使しても良いということを意味するだけです。つまり、やくざの全面的合法化です。
といいますか、警察機構とやくざを区別するのは法システムによる暴力行使の合法化以外には何一つないのです。
こんなことは、ホッブス以来の社会理論をまっとうに勉強すれば当たり前ではあるのですが、そういう大事なところをスルーしたまま局部的な勉強だけしてきた人には却って難しいのかも知れません。最近では萱野さんが大変わかりやすく説明してますから、それ以上述べませんが。
子どもの虐待専門のNPOと称する得体の知れない団体が、侵害する人権が家宅侵入だけだなどと、どうして素朴に信じてしまえるのか、リバタリアンを称する人々の(表面的にはリアリストのような振りをしながら)その実は信じがたいほど幼稚な理想主義にいささか驚かされます。そもそも、NPOという言葉を使うことで善意の固まりみたいに思えてしまうところが信じがたいです。
警察の民営化というのは、民主国家においてはかかっている暴力装置に対する国民のコントロールの権限が、(当該団体が株式会社であればその株主のみに、非営利団体であればそれぞれのステークホルダーのみに)付与されるということですから、その子どもの虐待専門NPOと称する暴力集団のタニマチがやってよいと判断することは、当然合法的に行うことになるのでしょうね。
国家権力が弱体化すると、それに比例して民間暴力装置が作動するようになります。古代国家が崩れていくにつれ、武士団という暴力団が跋扈するようになったのもその例です。それは少なくとも人間社会の理想像として積極的に推奨するようなものではないというのが最低限の常識であると思うのですが、リバタリアンの方々は違う発想をお持ちのようです。
(追記)
日本国の法システムに通暁していない方が、うかつにコメントするとやけどするという実例。
http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-143d.html
>thesecret3 えええ、、実際暴力装置としての治安維持活動は日本では民間の警備会社の方が大きくないですか?現金輸送車を守ってるのは警察でもやくざでもありませんよ。
いうまでもなく、警備業者は警察と異なり「暴力装置」ではありませんし、刑事法規に該当する行為を行う「殺しのライセンス」を頂いているわけでもありません。
警備業法の規定:
>(警備業務実施の基本原則)
第十五条 警備業者及び警備員は、警備業務を行うに当たつては、この法律により特別に権限を与えられているものでないことに留意するとともに、他人の権利及び自由を侵害し、又は個人若しくは団体の正当な活動に干渉してはならない。
松尾隆佑さんが、
http://twitter.com/ryusukematsuo/status/23919131166
>「警察を民営化したらやくざ」との言にはミスリードな部分があって,それは無政府資本主義社会における「やくざ」を政府が存在・機能している社会における「やくざ」とは一緒にできない点.民営化はやくざの「全面的合法化」ではなく,そもそも合法性を独占的に担保する暴力機構の解体を意味する.
http://twitter.com/ryusukematsuo/status/23919469693
>他方,民間保護機関や警備会社同士なら「やくざ」ではないから金銭交渉などで何でも平和的に解決できるかと言えば,そういうわけでもなかろう.やくざだって経済合理性に無縁でなく,無駄な争いはすまい.行為を駆動する合理性の中身は多少違っても,本質的に違いがあるわけではない.やくざはやくざ.
言わずもがなではありますが、それは「やくざ」の定義次第。
国家のみが正当な暴力行使権を独占していることを前提として、国家以外(=国家からその権限を付与されのではない独立の存在)が暴力を行使するのを「やくざ」と定義するなら、アナルコキャピタリズムの世界は、そもそも国家のみが正当な暴力行使権を独占していないので、暴力を行使している組織を「やくざ」と呼べない。
より正確に言うと、世の中に交換の原理に基づく経済活動と脅迫の原理に基づく暴力活動を同時に遂行する多数の主体が同一政治体系内に存在するということであり、その典型例は、前のエントリで書いたように封建社会です。
そういう社会とは、荘園経営者が同時に山賊の親分であり、商船の船主が同時に海賊の親玉である社会です。ヨーロッパ人と日本人にとっては、歴史小説によって大変なじみのある世界です。
こういう「強盗男爵」に満ちた社会から、脅迫原理を集中する国家と交換原理に専念する「市民」を分離するところから近代社会なるものは始まったのであって、それをどう評価するかは社会哲学上の大問題ですし、ある種の反近代主義者がそれを批判する立場をとることは極めて整合的ではあります。
しかしながら、わたくしの理解するところ、リバタリアンなる人々は、初期近代における古典的自由主義を奉じ、その後のリベラリズムの堕落を非難するところから出発しているはずなので、(もしそうではなく、封建社会こそ理想と、呉智英氏みたいなことを言うのなら別ですが)、それと強盗男爵社会を褒め称えることとはいささか矛盾するでしょう、といっているだけです。
多分、サヨクの極地は反国家主義が高じて一種の反近代主義に到達すると思われますので(辺境最深部に向かって退却せよ!)、むしろそういう主張をすることは良く理解できるのですが(すべての犯罪は革命的である! )。
http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-143d.html
>tari-G いかにも元官僚,単純素朴,相変わらず,頭が悪い 国家の強制力を現在の検警察組織に独占させないという発想自体は、検警察入管等のひどさを考えれば極めて真っ当。
TypeAさんが、「民間警察は暴力団にあらず 」というタイトルで、わたくしの小論について論じておられます。
http://c4lj.com/archives/773366.html
いろいろとご説明されたあとで、
>しかし、これでも濱口氏は納得しないに違いない。何故なら、蔵氏やanacap氏の説明は、無政府資本主義社会が既に成立し、安定的に運用されていることが前提であるからだ。
と述べ、
>だが、「安定期に入った無政府資本主義社会が安定的である」というのは、殆どトートロジーである。
>現在の警察を即廃止したとしても、忽ちに「安定期に入った無政府資本主義社会」が出現するわけではないからである。これまでの無政府資本主義者は、(他の政治思想も大抵そうであるが)その主張を受け入れてもらうために、己の描く世界の安定性のみを強調し、「ここ」から「そこ」への道のり、現行の制度からその安定した社会に至るためのプロセスを充分に説明していない。「国家権力が弱体化すると、それに比例して民間暴力装置が作動するようにな」るというのは、成程確かにその通りであると認めざるを得ないだろう。
と認められます。
ところが、そのあと、こういう風にその理想社会に到達するという図式を描かれるのです。
>これまでの多くの政府機関の民営化がそうであったように、恐らく警察においても最初は特殊法人という形を採ることになるだろう。法制度の改定により、民間の警備会社にもそれなりの権限は許可されるが、重大な治安維持活動は特殊法人・警察会社に委ねられる。それでも、今よりは民間警備会社に出来る範囲は広くなる。
>特殊法人・警察会社は徐々に独占している権限を手放す。民間警備会社が新たに手に入れた権限を巧く使うことが出来ることを証明できたならば、それは更なる民営化を遂行してよいという証拠になる。最終的に、元々公的機関であった警察は、完全に民営化される。(勿論テストに失敗した場合はこの限りではない。)恐らく数年〜十数年は、元々公的機関であった"元"警察を信頼して契約を結ぶだろう。ノウハウの蓄積は圧倒的に"元"警察株式会社にあるだろうからだ。しかし、市場が機能する限り、"元"警察株式会社がその優位な地位に胡坐をかく状態が続けば、契約者は他の民間警備会社に切り替えることを検討することになるだろう。
こういうのを読むと、いったいアナルコキャピタルな方々は、国家の暴力というものを、せいぜい(警備業法が規定する程度の)警備業務にとどまるとでも思っておられるのだろうか、と不思議になります。
社会は交換原理だけではなく脅迫原理でもできているのだという事実を、理解しているのだろうか、と不思議になります。
先のエントリでも述べたように、国家権力の国家権力たるゆえんは、法に基づいて一般市民には許されない刑事法上に規定する犯罪行為(住居侵入から始まって、逮捕監禁、暴行傷害、場合によっては殺人すらも)を正当な業務行為として行うことができるということなのであって、それらに該当しない(従って現在でも営業行為として行える)警備行為などではありません。「民間の警備会社」なんて今でも山のようにあります。問うべきは「民間の警察会社」でしょう。
大事なのは、その民間警察会社は、刑法上の犯罪行為をどこまでどの程度正当な業務行為として行うことができることにするのか、そして、それが正当であるかどうかは誰がどのように判断するのか、それが正当でないということになったときに誰がどのように当該もはや正当業務行為ではなくなった犯罪行為を摘発し、逮捕し、刑罰を加えるのか、といったことです。アナルコキャピタリズムの理念からすれば、そういう「メタ警察」はない、としなければなりませんが、それがまさに各暴力団が自分たち(ないしその金の出所)のみを正当性の源泉として、お互いに刑事法上の犯罪行為を振るい合う世界ということになるのではないのでしょうか。
その社会において、「刑事法」というものが現在の社会におけるような形で存在しているかどうかはよく分かりません。刑事法とはまさに国家権力の存在を何よりも前提とするものですから、ある意味では民間警察会社の数だけ刑事法があるということになるのかも知れませんし、一般刑事法はそれを直接施行する暴力部隊を有さない、ちょうど現代における国際法のようなものとして存在するのかも知れません。これはまさに中世封建社会における法の存在態様に近いものでしょう。
この、およそ「警察の民営化」とか唱えるのであれば真っ先に論ずべき点がすっぽり抜け押してしまっているので、正直言って、なにをどう論じたらいいのか、途方に暮れてしまいます。
ちなみに、最後でわたくしに問われている蔵研也氏の第2のアイディアというのは、必ずしもその趣旨がよく理解できないのですが、
>むしろ公的な警察機構に期待するなら、警察を分割して「児童虐待警察」をつくるというのも、面白い。これなら、捜索令状もでるし、憲法の適正手続条項も満たしている。
というところだけ見ると、要するに、一般の警察とは別に麻薬取締官という別立ての正当な国家暴力機構をつくるのと同じように、児童虐待専門の警察をつくるというだけのはなしにも思えるので、それは政府全体のコスト管理上の問題でしょうとしかお答えのしようがないのですが、どうもその次を読むと必ずしもそういう常識的な話でもなさそうなので、
>さて、それぞれの警察部隊の資金は有権者の投票によって決まる。
はあ?これはその蔵氏のいう第2のアイディアなんですか。全然第2でも何でもなく、第1の民営化論そのものではないですか。
アイディア2というのが警察民営化論なのか、国家機構内部での警察機能分割論なのか、判断しかねるので、「濱口氏は如何お考えであるのか、ご意見を伺いたく思う。」と問われても、まずはどっちなのかお伺いした上でなければ。
(追記)
法システムの全体構造を考えれば、国家の暴力装置を警察だけで考えていてはいけません。警察というのはいわば下部装置であって、国家の暴力の本質は司法機関にあります。人に対して、監禁罪、恐喝罪、果ては殺人罪に相当する行為を刑罰という名の下に行使するよう決定するのは裁判所なのですから。
したがって、アナルコキャピタルな善意に満ちた人々は、何よりもまず裁判所という法執行機関を民間営利企業として運営することについての具体的なイメージを提示していただかなければなりません。
例えばあなたが奥さんを殺されたとしましょう。あなたは桜上水裁判株式会社に電話して、犯人を捕まえて死刑にしてくれと依頼します。同社は系列企業の下高井戸警察株式会社に捜査を依頼し、同社が逮捕してきた犯人を会社の会議場で裁判にかけ、死刑を言い渡す。死刑執行はやはり系列会社の松原葬祭株式会社に依頼する、と。
ところが、その犯人曰く、俺は殺していない、犯人は実は彼女の夫、俺を捕まえろといったヤツだ。彼も豪徳寺裁判株式会社に依頼し、真犯人を捕まえて死刑にしてくれと依頼する。関連会社の三軒茶屋警察株式会社は早速活動開始・・・。
何ともアナーキーですが、そもそもアナルコキャピタルな世界なのですから、それも当然かも。
そして、このアナーキーは人類の歴史上それほど異例のことでもありません。アナルコキャピタリズムというのは空想上の代物に過ぎませんが、近代社会では国家権力に集中した暴力行使権を社会のさまざまな主体が行使するというのは、前近代社会ではごく普通の現象でした。モンタギュー家とキュピレット家はどちらもある意味で「主権」を行使していたわけです。ただ、それを純粋市場原理に載っけられるかについては、わたくしは人間性というものからして不可能だとは思っていますが。
ちなみに、こういう法システム的な意味では、国際社会というのは原理的にアナーキーです。これは国際関係論の教科書の一番最初に書いてあることです。(アナルコキャピタリズムではなく)純粋のアナーキズムというのは、一言で言うと国内社会を国際社会なみにしようということになるのでしょう。ボーダーレス社会にふさわしい進歩的思想とでも評せますか。
typeAさんとの一連のやりとりについて、ご本人がご自分のブログで感想を書かれています。
http://d.hatena.ne.jp/typeA/20100911/1284167085(負け犬の遠吠え-無政府資本主義者の反省-。 )
いえ、勝ったとか負けたとかではなくて、議論の前提を明確にしましょうよ、というだけなのです。
おそらく、そこに引用されている「平凡助教授」氏のこの言葉が、アナルコキャピタリズムにまで至るリバタリアンな感覚をよく描写していると思うのですが、
>無政府資本主義の考え方にしたがえば,「問題の多い政府の領域をなくして市場の領域だけにしてしまえばいい」ということになるだろう.経済学でいうところの「政府の失敗」は政府が存在するがゆえの失敗だが,「市場の失敗」は (大胆にいえば) 市場が存在しないがゆえの失敗だからだ.
政府とか市場という「モノ」の言葉で議論することの問題点は、そういう「モノ」の背後にある人間行為としての「脅迫」や「交換」という「コト」の次元に思いが至らず、あたかもそういう「モノ」を人間の意思で廃止したりすることができるかのように思う点にあるのでしょう。
人間という生き物にとって「交換」という行為をなくすことができるかどうかを考えれば、そんなことはあり得ないと分かるはずですが、こんなにけしからぬ「市場」を廃止するといえば、できそうな気がする、というのが共産主義の誤りだったわけであって、いや「市場」を廃止したら、ちゃんとしたまともな透明な市場は失われてしまいますが、その代わりにぐちゃぐちゃのわけわかめのまことに不透明な「市場まがい」で様々な交換が行われることになるだけです。アメリカのたばこが一般的価値形態になったりとかね。
「問題の多い市場の領域をなくして政府の領域だけにする」という理想は、人間性に根ざした「交換」という契機によって失敗が運命づけられていたと言えるでしょう。
善意で敷き詰められているのは共産主義への道だけではなく、アナルコキャピタリズムへの道もまったく同じですよ、というのが前のエントリのタイトルの趣旨であったのですが、はたしてちゃんと伝わっていたでしょうか。
こんなにけしからぬ「政府」を廃止するといえば、できそうな気がするのですが、どっこい、「政府」という「モノ」は廃止できても、人間性に深く根ざした「脅迫」という行為は廃止できやしません(できるというなら、ぜひそういう実例を示していただきたいものです)。そして、「脅迫」する人間が集まって生きていながら「政府」がないということは、ぐちゃぐちゃのわけわかめのまことに不透明な「政府まがい」が様々な脅迫を行うということになるわけです。それを「やくざ」と呼ぶかどうかは言葉の問題に過ぎません。
「政府の領域をなくして市場の領域だけにする」という「モノ」に着目した言い方をしている限り、できそうに感じられることも、「人間から脅迫行為をなくして交換行為だけにする」という言い方をすれば、学級内部の政治力学に日々敏感に対応しながら暮らしている多くの小学生たちですら、その幼児的理想主義を嗤うでしょう。
ここで論じられたことの本質は、結局そういうことなのです。
(注)
本エントリでは議論を簡略化するため、あえて「協同」の契機は外して論じております。人類史的には「協同「「脅迫」「交換」の3つの契機の組み合わせで論じられなければなりません。ただ、共産主義とアナルコキャピタリズムという2種類の一次元的人間観に基づいた論法を批判するためだけであれば、それらを噛み合わせるために必要な2つの契機だけで十分ですのでそうしたまでです。
ちなみに「協同」の契機だけでマクロ社会が動かせるというたぐいの、第3種の幼児的理想主義についてもまったく同様の批判が可能ですが、それについてもここでは触れません。
本ブログで少し前に取り上げて論じた「警察の民営化」あるいはむしろ「国家の暴力装置の民営化」に関する議論について、その発端となった蔵研也さんが、ある意味で「省察」されています。いろんな意味で大変興味深いので、紹介しておきます。
http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20100921(無政府は安定的たり得るか?)
>僕は自称、無政府資本主義者であり、実際そういったスタンスで本も書いてきた。
>しかし、slumlordさんの「なぜ私は無政府主義者ではないのか」
http://d.hatena.ne.jp/slumlord/20100917/1285076558
を読んで、遠い昔に考えていた懸念が確かに僕の中に蘇り、僕は自分の立場に十分な確信を持てなくなった。
>僕はあまりに長い間文字だけの抽象的な世界に住んできたため、無政府社会が論理的にもつだろうと考えられる美徳に魅せられたため、人間の他人への支配欲やレイプへの欲望、さらにもっとブラックでサディスティックな欲望を軽視するというオメデタい野郎になってしまっていたのだろうか??
>大学時代までの自分は、空想主義的、牧歌主義にはむしろ積極的な軽蔑、侮蔑を与えていたことは、間違いない。
>警察や軍隊が、それぞれのライバル会社の活動を許容し、ビジネス倫理にしたがって競争するというのは、この意味では、共産主義社会の空想と同じくらいに、オメデタい空想なのかも知れない。そういった意味では、僕は自分の考えを再思三考する必要があるだろう。
今この問題は、なるほど現時点では僕にとってのopen question としか言いようがない。
蔵さんご自身が「open question」と言われている以上、ここでへたに答えを出す必要もありませんし、それこぞリバタリアンの皆さんがさまざまに議論されればよいことだと思います。
ただ、かつて若い頃にいくつかリバタリアンに属するであろう竹内靖雄氏のものを読んだ感想を思い出してみると、社会主義的ないし社会民主主義的発想を批判する際には、まさしく「空想主義的、牧歌主義にはむしろ積極的な軽蔑、侮蔑」が横溢していて、正直言うとその点については大変共感するところがあったのです。(なぜか菅首相と同じく)永井陽之助氏のリアリズム感覚あふれる政治学に傾倒していたわたくしからすると、当時の日本の「さよく」な方々にしばしば見られた「空想主義的、牧歌主義」は大変いらだたせるようなものでありました。
その「リアリズム感覚」からすると、空想主義的「さよく」を批判するときにはあれほど切れ味のよい人が、どうして同じくらい空想的なアナルコキャピタルな議論を展開できるのかは不思議な感じもしたのですが、ある意味で言論の商人として相手を見て使い分けしていたのかな?という気もしています。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-143d.html(警察を民営化したらやくざである)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-2b5c.html(それは「やくざ」の定義次第)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-037c.html(アナルコキャピタリズムへの道は善意で敷き詰められている?)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-48c2.html(人間という生き物から脅迫の契機をなくせるか?)
7c8ce0b404e843af8a2c98f19be4faf4 石山恒貴『人が集まる企業は何が違うのか』(光文社新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。
https://books.kobunsha.com/book/b10146600.html
日本企業の仕組みは、なぜ変わりにくいのか――。本書ではその理由を「三位一体の地位規範信仰」にあると分析する。三位一体の地位規範とは、無限定性(正社員総合職という働き方に代表される)、標準労働者、マッチョイズムを意味する。日本企業の仕組みと日本的雇用の在り方を変えるには、何が必要なのか。組織行動論、越境学習、キャリア形成の研究者が示す、人口減少・労働力不足の時代に必要な「10の提言」。
このメインタイトルからすると、企業に人が集まるようにするにはこうしなさいというハウツーもののように見えますが、中身はむしろ、日本型雇用システムの歴史をひもとき、現在それが露呈している様々な矛盾を指摘して、その解決の方向性を指し示すという骨太な本です。
オビの「強大な人事権を縮小せよ!」というのが、その一部を示してはいますが、メインタイトルとちょっとずれがあるように感じました。
目次は以下の通りですが、ここでいう「三位一体の地位規範信仰」とは、(正社員総合職の)無限定性、標準労働者、マッチョイズムを指しており、わたしのいうメンバーシップ型規範とほぼ同じです。
その意味ではその主張はそれほど目新しいものではないのですが、その歴史を細かくたどり、とりわけあまり他の人が注目しない1955年の生産性3原則をその地位規範信仰が確立した出発点ととらえているところが、興味深い点です。
はじめに
【1章】生産性三原則という神話の誕生
【2章】三位一体の地位規範信仰
【3章】三位一体の地位規範信仰はなぜ時代に合わないのか
【4章】三位一体の地位規範信仰成立の歴史
【5章】三位一体の地位規範信仰はなぜ変わりにくいのか
【6章】従来の処方箋の限界
【7章】変革の処方箋ーー無限定/限定中立社会へ
[提言1]グランドデザインの明確化
[提言2][企業に対して]本人同意原則の導入ーー企業が自ら強大な人事権を放棄する
[提言3][企業に対して]無限定/限定の処遇中立化
[提言4][企業に対して]ライフキャリア最優先企業の実現
[提言5][企業に対して]企業のあり方の再定義と日本企業的パターナリズムの放棄
[提言6][企業に対して]ICTを活用して「社員の平等」の強みを活かす
[提言7][企業に対して]入口改革ーー構成する人材の多様化とオンボーディングの強化
[提言8][企業に対して]出口改革—定年の見直し、オフボーディングの強化
[提言9][労働組合に対して]無限定/限定の中立化と多様な働き手の包摂
[提言10][国・社会に対して]グランドデザイン(無限定/限定中立社会)の実現
おわりに
最後の第7章で提示される10の提言は上記の通りですが、「無限定/限定中立社会」がその根幹に位置するものです。
Jigazou_400x400_20250919103001 いうまでもなく、労働者性の問題は労働法の世界で焦点の一つとなっている最重要課題ですが、そこに今までどの研究者も唱えたことがないと思われる独自の見解を投げ込んできた非営利法人があるようです。既に本ブログでも取り上げてきている当該非営利法人に雇用されていた職員の解雇事案をめぐる裁判に、当該非営利法人が提出してきた被告準備書面のなかに、その独自の見解が明記されています。
当該非営利法人に解雇された職員であった神谷貴行さんのブログに引用されているその見解とは:
「ぼくがかんがえた さいきょうの ろうどうほう」は社会では通用しない
原告は、『被告らは、被告準備書面(1)2頁(1)アにおいて、原告の労働者性を正面から認めた』などと主張する。しかし、被告らが被告準備書面(1)2頁(1)アで認否したのは、形式上「雇用契約の締結」を認めたに過ぎず、それをもって、ストレートに原告の「労働者性を正面から認めた」ことにはならない。すなわち、再三述べているとおり、被告県委員会の勤務員は党員でなければならないところ、当該勤務員の活動は、一般私企業のような利潤追求のために指揮命令を受けて労働力を提供するという関係にはない。この点について、原告は知悉しているはずであろうに、これをあえて無視しようとするところに、原告の欺瞞性を感じざるを得ない。
まともに労働法を勉強してきてしまった脳みそにはいささか理解しがたいことが書かれているようですが、この主張からすると、形式的に雇用契約を締結していても、それが労働者性を有するためには「一般私企業のような利潤追求のために指揮命令を受けて労働力を提供するという関係」になければならないようです。
いうまでもなく、現代の世界には、利潤追求のための営利法人ではない非営利法人が山のようにあり、そういう非営利法人と雇用契約を締結して働いている人びとが山のようにいますが、そういう人びとは形式的に雇用契約を締結しているだけで労働者ではないのでしょうか。これはなかなかすさまじい独自の見解といえましょう。
現代の労働法学で問題となっているのは、形式的に雇用契約ではない請負契約等であっても、就労の実態が労働者であれば、労働者性を認めるべきという話なのですが、この独自の見解によれば、全く逆に、形式的に雇用契約であっても、雇用主が営利活動ではない非営利法人であれば、労働者性は認められないということのようです。
そうすると、例えば医療関係者はことごとく労働者性はないことになりますので、医労連も違法の存在になるのでしょうか。それはあんまりというものでしょう。
41l7kw6agpl_sl500_ なお、リンク先の神谷さんのブログのエントリでは、さすが(除名されたとはいえ)元共産党員らしく、かつて学習指定文献として勉強したのであろうある本の一節が引用されています。
その志位和夫『Q&Aいま「資本論」がおもしろい 』(新日本出版社)にはこういう極めてまっとうなことが書かれていたのだそうです。
労働者とは何か? とても大事な質問です。労働者というと肉体労働に従事する人という見方があるかもしれませんが、それは違います。はるかに広い人々が労働者のなかに入ります。労働基準法では、「労働者とは、職業の種類を問わず、事業又は事業所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう」と定義されています。つまり、企業または事業所に労働を提供して賃金を支払われている人は、すべて労働者になります。(p.56-57)
現行法では労働者として扱われていない働き方をさせられている人も、すべて経済学の上では労働者です。(p.57)
どうしたのでしょう。文句の付け所がないのですが・・・。
290_h1347x500_20250918085701 先週予告していた『季刊労働法』2025年秋号(290号)は、「非正規公務員制度を問う」が特集で、日本労働弁護団の弁護士たち(城塚健之、岡田俊宏、市橋耕太、平井康太、青柳拓真)による立法提言の解説に、行政法学者の下井康史さん、ご存じ非正規公務員問題の伝道者上林陽治さん、人事院から京都大学に移った嶋田博子さんによる論説という充実した特集になっています。
特集 非正規公務員制度を問う―立法提言を基点とした横断的考察
非正規公務員をめぐる議論の推移と本特集の趣旨 金沢大学准教授 早津 裕貴
日本労働弁護団 非正規公務員制度立法提言について―公務員法研究会を受けて― 弁護士 城塚 健之 弁護士 岡田 俊宏 弁護士 市橋 耕太 弁護士 平井 康太 弁護士 青柳 拓真
日本労働弁護団「非正規公務員制度立法提言」における行政法上の問題点 千葉大学教授 下井 康史
非正規公務員制度改革の実効性評価 ―日本労働弁護団提言の検討を通じて 立教大学コミュニティ福祉学部特任教授 上林 陽治
政策実務から見た「非正規公務員制度立法提言」の将来像―「従前の例」を乗り越える道筋が示せるか― 京都大学教授 嶋田 博子
上林さんの論は既に何回も紹介してきているので、ここでは嶋田さんの論文を読んで、今更ながら日本の公務員法制のねじれっぷりをしみじみと感じました。
嶋田さんは、まず初めに「1 官吏身分の付与(戦前)vs.仕事に人を充てる(戦後)」というタイトルの節から始めます。そう、戦前の官吏は「まず身分付与、その後ポストに就ける」という(私の用語法でいえば)純粋メンバーシップ型であり、その一部の官吏以外の大勢は私法上の雇傭契約であったのにたいし、戦後アメリカ型の「まず仕事・職があり、そこに人を充てる」という(私の用語法でいえば)純粋ジョブ型にがらりと変わったはずでした。
ところが、次の節では「2 職階制を骨抜きにした『従前の例』」で、法律の条文は純粋ジョブ型のままで、上から下まで公務員はみんな身分化してしまったのですね。
その矛盾のはけ口が「3 『常勤的非常勤』を生み出したもの」で描かれる官吏身分のない者を日々雇用という建前で使い続けるという仕組みであり、その挙げ句が「4 平成期における『人・身分による別』の顕在化」であったわけです。
というような話は、私も時折論じてきましたが、やはり公務員人事のプロフェッショナル中のプロフェッショナルの言葉として語られると、重みが違いますね。
非正規公務員問題の原点(『地方公務員月報』2013年12月号)
近年、「非正規公務員」問題に対する関心が再び高まってきている。二〇〇七年一一月二八日の中野区非常勤保育士再任用拒否事件をはじめとして、非常勤という名のもとに事実上長期間就労していた職員の雇止めに対して、民間の有期雇用労働者と同様の解雇権濫用法理の類推適用はできないとしつつも、それに代わる損害賠償を命ずる判決が続出している。本稿では、そういった近年の動向自体は取り扱わない。上林陽治『非正規公務員』(日本評論社)はじめ、非正規公務員の現状と裁判例、政策の動きを詳細に分析した本は少なくない。ここで考えてみたいのは、なぜ非正規公務員などという現象が発生するのかという根本問題を、公務員制度の基本に立ち返って、歴史的に振り返ってみることである。1 「公務員」概念のねじれ2 公務員は現在でも労働契約である3 国家公務員法の原点の発想4 非正規公務員の発生と拡大5 公務員制度調査会の提案6 非正規労働者と非正規公務員7 ジョブ型公務員
公務員とジョブ型のねじれにねじれた関係(『試験と研修』64号)
2020年には突如として「ジョブ型」という言葉が流行し、2年後の今になっても「ジョブ型」を売り込もうとする経営コンサルたちの駄文が紙媒体でも電子媒体でも続々と湧いてきている。十数年前に日本とそれ以外の諸国との雇用システムの違いを表す学術的概念として筆者が作ったこの言葉が、インチキな成果主義を売り込む薄っぺらな商売ネタにされているのを見るのは、いささか辛いものがある。本来の「ジョブ型」がいかなるものであり、そしていかなるものではないのかは、昨年9月に上梓した『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)に詳述したので、是非そちらを見ていただきたい。本稿はそれを前提にして、公務員制度とジョブ型雇用とのねじれにねじれた関係について述べていく。本誌の主たる読者層は公務員人事にかかわる人々であろうから、思い当たる節は山のようにあるはずである。1 純粋ジョブ型で作られた(はずの)公務員制度2 「能力主義」を掲げてジョブ型制度を廃止した2007年改正3 公務員定年延長のパラドックス4 非正規公務員というねじれの極み今日、「ジョブ型雇用を日本、特に公務に導入する際の課題」を論じる必要があると考える人々が一体いかなる「ジョブ型」を想定しているのかは、なかなか興味深い論点である。「ジョブ型」を本来の意味で理解している限り、上述のような議論以外にはあり得ないはずであるが、上記拙著で批判した経営コンサル流のインチキ「ジョブ型」を真に受けていると、またぞろ「成果主義」を掲げて本来ジョブ型の公務員制度を叩くという意味不明の「改革」を繰り返す虞なしとしない。読者諸氏がそのような落とし穴に嵌まらないよう、本稿が一服の清涼剤の役割を果たせるならば、これに過ぎる喜びはない。
職階制-ジョブ型公務員制度の挑戦と挫折(『季刊労働法』2020年春号(268号))
日本の公務員制度についての労働法からのアプローチは、長らく集団的労使関係制度の特殊性(労働基本権の制約)とその是正に集中してきました。それが国政の重要課題から消え去った後は、非常勤職員という非正規形態の公務員が議論の焦点となってきています。しかし、正規の公務員については、終身雇用で年功序列という日本型雇用システムのもっとも典型的な在り方を体現しているというのが一般的な認識でしょう。最近話題となった小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社現代新書)では、日本型雇用の起源を明治期の官庁制度に求め、その任官補職原則が戦後日本の職能資格制度という形に残ったと指摘しています。日本社会の大きな流れとしては、この認識は全く正しいと言えます。ただ、まことに皮肉なことですが、立法政策史の観点からすると、それとは正反対の徹頭徹尾ジョブに基づく人事管理システムを法令上に書き込んだのが、戦後日本の公務員法制であったのです。「職階制」と呼ばれたこの制度は、驚くべきことに、1947年の国家公務員法制定時から2007年の同法改正(2009年施行)に至るまで、60年間も戦後日本の公務員制度の基本的オペレーティングシステムとして六法全書に存在し続けてきました。しかし、それが現実の公務員制度として動かされたことは一度もなかったのです。今回は、究極のジョブ型公務員制度というべきこの職階制の歴史をたどります。1 1947年国家公務員法2 1948年改正国家公務員法3 職階法4 S-1試験5 職種・職級の設定6 格付作業7 間に合わせの任用制度8 間に合わせの給与制度9 職階制の挫折10 その後の推移11 職階制の廃止今日、非正規公務員問題を始めとして、公務員制度をめぐる諸問題の根源には、さまざまな公務需要に対応すべき公務員のモデルとして、徹底的にメンバーシップ型の「何でもできるが、何もできない」総合職モデルしか用意されていないことがありますが、それを見直す際の基盤となり得るはずであった徹底的にジョブ型に立脚した職階制を、半世紀間の脳死状態の挙げ句に21世紀になってからわざわざ成仏させてしまった日本政府の公務員制度改革には、二重三重四重くらいの皮肉が渦巻いているようです。
キャンセル狂騒曲が荒れ狂う今日、こたつぬこ(木下ちがや)さんが一昨年のツイート-『世界』誌に載った桐野夏生さんの文章の紹介ーを再掲していました。
【注記】この論文については、「人は自らがそうありたい性や性関係でありうる社会を目指す」という「方向性」(「正しさ」ではない)は前提にして読んでほしい。問題の焦点は言論空間そのものにあります。
桐野「分断が激しくなれば、お互いの誹謗中傷も激化する。わかりやすい正義感が形成されれば、そこから外れた他人をいとも簡単に誹謗中傷するようになるだろう...わかりやすい正義感の発露である」
【すべての表現は自由である】 桐野「日本では、福島での原発事故以後、人々の同調圧力が強まり、政治も国民の自由を制限するほうに向かった。またネットによる「正義」感の醸成と発露も恐ろしかった」
桐野「まるで私の書いた『日没』と同じようなことが、現実で起き始めている。国家ではなく、読者による告発である。世界でも同じような問題が起きている、ととある国の出版社が語ってくれた」
桐野「すべての表現は自由であるべきだ。作家も、そして出版社も、表現の自由を守るために、今まで以上に、強い絆を求めて闘っていかなければならないと思う」 桐野夏生(作家)
恐らく、自らの正義を掲げたキャンセルに熱狂している人々の耳に、こういう静かなしかし重い言葉が届くことはないのでしょう。
81umrbhpsll_sy522_ でも、もし可能なら、ここに出てきた桐野夏生さんの『日没』(岩波現代文庫)という小説だけは読んでみてほしい。キャンセルされる側になった人にひたひたと迫る正義のディストピアのぞわぞわする感覚を、ぜひとも味わってほしいと願う。本書は広い意味でのSFに含まれるのでしょうが、それを超えて21世紀に書かれた傑作のひとつです。
380cdfa0e4e44917ba18293d575e6311 水町勇一郎『詳解労働法[第4版]』(東京大学出版会)をお送りいただきました。ありがとうございます。ますます分厚くなって、全1632ページです。
https://www.utp.or.jp/book/b10140193.html
働き方のルールを定めた労働法制のすべてが分かる概説書。法令や告示・通達など制度の枠組みを分かりやすく解説するとともに、裁判など実際の紛争事例を数多く採り上げ現在の基準を鮮やかに示す。外国人育成就労法の制定(2024年)や労働安全衛生法の改正(2025年)など法令の新たな動向や、事業場外みなし労働時間制の適用をめぐる判決(協同組合グローブ事件)や職種限定合意と配転命令の可否をめぐる判決(滋賀県社会福祉協議会事件)など近時の裁判例を踏まえた待望の改訂版。
こちらも、2019年、2021年、2023年、そして今年2025年と、極めて正確に2年刻みで大著を更新し続けていますね。
本書がいかに微に入り細を穿っているかを示すのが、わたくしが例のアダルトビデオ女優の労働者性の評釈で引用したはるか昔の最高裁判例(最一小判昭和29年3月11日刑集8巻3号240頁)が、29ページの「職業安定法上の『雇用関係』」という項でちゃんと取り上げられ、「ここでは『有形無形の経済的利益』を得て『肉体的、精神的な労務を供給』する関係を『雇用関係』と捉えており、厳密な意味での『使用』(労基法9条参照)が問われていない分、労基法上の労働者や労契法上の労働者(雇用契約上の労働者)よりも広い概念が採られているといえる」と論じられていることでしょう。この判例、菅野・山川の緑本にも載っていません。
アダルトビデオ女優の労働者性とアダルトビデオプロダクションの労働者供給事業該当性-アダルトビデオプロダクション労働者供給事件
大学入試を受験して合格して入学を辞退しても高額な入学金を払わされるのは日本だけだ、という批判の声があるようです。
まことにもっともではありますが、でもなぜそんなことになっているかといえば、そもそも圧倒的に多くの日本人が、すなわちその大学受験生もその親も、なにより彼らが将来就職するであろう会社の人々も、そしてそれを当然の前提としている大学の経営者たちも、みんな揃って、大学に関して意味があるのは入学した後で学んで身につける個別分野の具体的な知識技能などではなく、入学試験に合格することによって証明されるところの一般的な「能力」(頑張れるチカラ)であると考えているからでしょう。
大学という産業の最大の売り物が何であるかというと、ジョブ型雇用社会においては、個別分野の具体的な知識技能を付与すること、より正確にいえば卒業証書という形で「こいつにはこれこれのスキルがあります」と証明してやることであり、大学が学生から徴収する金は、究極的にはその証明書を発行することの対価なので、その入口に入りかけただけの奴から金をとる筋合いはない。
それに対して、日本のメンバーシップ型雇用社会においては。個別分野の具体的な知識技能などというのは会社に入ってから上司や先輩がビシバシ鍛えて教えてくれるのだから、大事なのはどれくらい難しい入学試験に合格したかしてないかということなので、そもそも大学の最大の存在意義が入試に合格した頭のいい奴であるという証明書を出すことに尽きていて、それ故、そのもっとも重大無比な証明書の対価をとることが最大の売り物なのであってみれば、入学辞退したからと言って入学金をとらない筋合いはないということになるんでしょう。
入学しようが入学辞退しようが、入学後の勉強なんてどうせ会社に入ったら上司や先輩から「全部忘れてきていい」と言われてしまうようなものなのだから、関係ないというのは、それはそれなりに筋が通っています。その証拠に、かつて明治大学法学部で、法学部で最も重要な必修科目である民法で大量に不可を出したために、内定していた学生が大量に留年したために大騒ぎになったことがあります。なぜ大騒ぎになるかといえば、。法学部の中では一番大事な科目かも知らんが、会社に入ったら別に要りもしないたかが民法如きの単位のせいで内定した学生が入社できずに留年せざるを得ないなどというのが、一番ふざけた話だと、新聞記者を始めとした社会のほぼ全員がそう思っていたからでしょう。
そういうメンバーシップ型社会に最もうまく適応した大学の行動様式が、入学しようがしまいが合格したことをことを証明してやることの対価をとることなんであってみれば、それを批判するのは日本社会の在り方そのものを批判する覚悟が要るはずですが、さてそこまでの覚悟があっていってるのでしょうか。
アメリカでこんなことが起こっているようですが、
「チャーリー・カーク氏暗殺」を嘲笑した者たちが相次ぎ解雇...深まる米国の分断
英紙ガーディアンは13日(現地時間)、SNSでチャーリー・カーク氏の銃撃事件を蔑視し嘲笑した人々が相次いで解雇されていると報じた。教師や公務員、消防士だけでなく、大統領の警護を担当する大統領警護隊(シークレットサービス)の職員も、カーク氏の死を嘲笑する投稿をした後に解雇された。「カーク氏の死は神の贈り物」「カーク氏の訃報が私の人生を輝かせた」「自業自得」などの投稿をしたことが理由だった。
民間企業もカーク氏を嘲笑した社員を懲戒したり解雇したりし始めた。アメリカン航空とデルタ航空はこの日X(旧ツイッター)に「いかなる種類の暴力にも反対する」とし、カーク氏の死を嘲笑したパイロットと乗務員に停職処分を下したと明らかにした。北米で最高の人気を誇るスポーツ、米プロフットボールリーグ(NFL)のカロライナ・パンサーズの広報担当は、SNSにカーク氏の写真と共に「なぜ悲しむのか。(銃器所持を擁護した)あなたにはその価値がある」と投稿したが、11日に職を失った。
気に食わない発言をしたことを理由にその発言者をキャンセルしたがるこういう風潮はもちろん批判されるべきですが、そこには当然知的誠実性が必要でしょう。
かつて呉座勇一さんがSNS上での不適切発言をしたことを理由に雇止め(解雇?)されたときにそれをきちんと批判した人だけが、このアメリカの醜悪な動きに批判の言葉を投げかける資格があるというべきでしょう。少なくとも、オープンレターに付和雷同した人々が、知らんぷりして批判していい案件ではないように思われます。
Frvyyr9 WEB版ではすでに9月8日(月)に出ていましたが、本日の朝日新聞(紙版)の「新卒一括採用、変わる? 即戦力求め、増やす中途社員」にも、最後のところでちょびっとだけ登場しております。
(けいざい+)新卒一括採用、変わる? 即戦力求め、増やす中途社員
電機大手が相次いで採用方法を見直している。富士通は2025年度から新卒一括採用をやめると宣言。日立製作所やNEC、三菱電機は中途採用を大幅に増やしている。日本の大企業では多くの新卒者を一括で採り、一から育てるのが主流だった。なぜ今、変化しているのか。・・・
・・・・・・労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎労働政策研究所長は、採用についての大学や学生側の意識は従来と比べて大きくは変わっていないとみており、「企業側が急進的に採用施策を変えれば、あつれきが生じる恐れはある」と指摘する。「電機大手の採用スタイルが広がるのか、元に戻るのか、ここ数年が見極めのポイント」と話す。
Koizumi 本日、小泉進次郎氏が自民党総裁選への出馬の意向を固めたと報じられています。
小泉進次郎氏、自民総裁選に立候補の意向固める 来週会見で調整
小泉進次郎農林水産相(44)は12日、自民党総裁選(22日告示、10月4日投開票)に立候補する意向を固め、周囲に伝えた。13日に地元の神奈川県横須賀市で支援者と意見交換し、来週中に記者会見を開く方向で調整している。
61lvdan9yul_sy466__20250912122301 こうなると、昨年の総裁選で失速した原因ともいわれている「解雇規制」問題について、総裁選直後に『中央公論』12月号にわたくしが寄稿した文章をじっくりと読んでいただくことが重要なことではないかと愚考し、一年近く経った文章ではありますが、ご披露申し上げておきたいと思います。
政治家もメディアも解雇規制を誤解している-問題は法ではなく雇用システム@『中央公論』2024年12月号
去る9月27日に自由民主党の総裁選挙で石破茂氏が総裁に選出され、10月1日の臨時国会で内閣総理大臣に指名されて石破茂内閣が発足した。石破首相は臨時国会会期末の9日に衆議院を解散し、27日投開票の衆議院議員選挙で自民党は連立政権を組む公明党と合わせても過半数を割る大敗を喫したが、比較第一党には留まり、連立の組み替えなどを模索している。今回の自民党総裁選ではさまざまな論点が議論の俎上に載せられたが、その中でも政治家やマスメディアの関心を惹いたものの一つに、解雇規制をめぐる問題があった。とりわけ総裁選が始まった当初は最有力候補と目されていた小泉進次郎氏が、結果的に石破、高市早苗両氏の後塵を拝して3位に終わった原因の一つとして、彼が立候補表明時に「労働市場改革の本丸である解雇規制の見直し」を掲げたことが指摘されている。小泉氏は「現在の解雇規制は、昭和の高度成長期に確立した裁判所の判例を労働法に明記したもので、大企業については解雇を容易に許さず、企業の中での配置転換を促進してきた」と述べ、「人員整理が認められにくい状況を変えていく」と訴えたことで、多くの批判を浴びた。また、結果的に候補者9人中8位と惨敗した河野太郎氏も、解雇規制の緩和や解雇の金銭解決を主張していた。この間、マスメディアではやや通り一遍の解説がいくつか掲載されはしたが、この問題の本質を雇用システム論を踏まえて論じたものは少なかったように思われる。本稿は、この問題を考えるうえで必要最小限の論点を提示し、世上にはびこる「解雇規制をめぐる誤解」を解きほぐそうとするものである。法規定上の「解雇規制」は強くないまずもって、政治家もマスメディアも「解雇規制」という言葉を何の疑いもなく使っているが、そもそも日本の実定法上に解雇を規制する法律は存在しているのだろうか。小泉氏が言うような「大企業については解雇を容易に許さず、企業の中での配置転換を促進」するような法規定があるのだろうか。実定法上、特定の解雇を規制する規定は存在している。労働基準法は30日前の解雇予告を義務付けるとともに、産前産後休業中と労災休業中の解雇を禁止しているし、労働組合法は組合員であることを理由とする解雇を禁止、男女雇用機会均等法、育児・介護休業法等々、特定の解雇を規制する法規定は結構ある。しかし、小泉氏が想定しているような法規定は存在しない。というと、いやいや、労働契約法第16条が解雇を一般的に規制しているではないかという声が出てくるだろう。しかし同条は「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と述べているだけである。これこそが解雇を困難にしている元凶であり、速やかに削除すべきだと主張する人もいる。ではこの条文を削除したらどうなるだろうか。何も変わらないのである。本条は2007年に労働契約法が制定されたときに労働基準法第18条の2が平行移動したものだが、同規定は03年の改正で書き込まれたもので、それまでは存在しなかった。では03年改正まで解雇は原則として自由だったのかといえばむしろ逆で、六法全書のどこにも書かれていない解雇権濫用法理によって、現在と同様に裁判所では多くの解雇事案が権利濫用ゆえに無効と判断されていた。権利濫用法理とは民法第1条第3項に「権利の濫用は、これを許さない」と書かれている一般原則で、法律上行使できる権利であっても濫用してはならないという当然の理路に過ぎない。問題は何が権利の濫用に当たるかだが、労働契約法第16条は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」という、それ自体としては何ら特定性のない一般的な文言を示しているだけである。従って、いかなる解雇がこれに該当するかは、1950年代以来蓄積されてきた判例によってしか判断できない。小泉氏が想定しているのはおそらく、整理解雇4要件と呼ばれるものの第2要件「解雇回避努力義務」であろうが、これは最高裁判例ですらなく、1979年の東洋酸素事件という東京高等裁判所の下級審裁判例があるに過ぎないのだ。しかしながらそれ以来、圧倒的に多くの裁判例において、裁判所はこの枠組みに従って判断してきた。日本型雇用特有の「職務無限定」性ではなぜかくも茫漠とした一般的な解雇権濫用法理が、小泉氏の言う「人員整理が認められにくい状況」を生み出してきたのだろうか。それは、社会の現実に国家が介入するという意味での法規制のゆえではなく、社会の現実が無効とすべき権利濫用の中身を決定づけてきたからである。社会の現実とは何か。それは、企業と労働者の間の雇用契約関係の在り方であり、近年流行の用語法でいえば、欧米アジア諸国で普遍的なジョブ型雇用契約ではなく、日本独特のメンバーシップ型雇用契約である。産業革命以来、日本を除く世界の雇用契約のスタンダードは、まず職(ジョブ)があり、そこに人をはめ込むというものである。借家契約が家主と借主が特定の住宅について設定する賃貸借契約であるのと同様、雇用契約も使用者と労働者が特定の職務について設定する労務の賃貸借契約である。募集採用もすべて特定の職務をめぐる欠員補充であるし、社内昇進も公募への応募という形をとる。これを言葉の正しい意味での就「職」と呼ぶならば、日本に就「職」はほとんど存在しない。では日本で「しゅうしょく」と呼ばれているものの内実は何かといえば、共同体の一員として会社に入ること(入社)を意味している。使用者と労働者は特定されるが、具体的にいかなる職務を遂行するかという、日本以外であれば最も重要であるはずの要素が、日本の雇用契約では限定されていない。それゆえ原理的には、社員にとっては会社の中に存在する全ての職務が、会社の命令によって従事する義務の対象となりうる。実際、日本の最高裁判例によれば、契約上絶対に他の職務には回さないと言っていない限りは、配置転換を受け入れる義務がある(1989年の日産自動車村山工場事件判決)。ごく最近になって、将来就く職務についての明示義務が省令に規定されたり、職種限定の労働者を会社が一方的に配置転換するすることができないという最高裁判例が出たりして、若干の動揺はあるとはいえ、今日でもなお職務無限定性こそが日本の雇用契約の特徴である。これを筆者は欧米アジア諸国の「ジョブ型」に対して、日本独特の「メンバーシップ型」として定式化してきた(『ジョブ型雇用社会とは何か』岩波新書)。強大な人事権に伴う解雇回避の義務会社側がそれだけ強大な人事権を持っているので、逆に社内で配置転換が可能な限り、解雇は正当とされにくくなる。これは規制ではない。雇用契約で職務が特定されていれば、その職務が消滅するのであれば、他の職務に配置転換することが許されない以上、配置転換によって解雇を回避する努力義務などいうものはありえない。しかし、社内のいかなる職務にも配置転換する権利を会社が有しているのであれば、いざというときには当然その権利を行使すべきであって、幾らでもできるはずの配置転換をあえてやらずに「君の仕事はなくなった」などと言って整理解雇することが許されないのは当然であろう。多くのジョブ型社会には解雇規制立法が存在し、不当な解雇を禁止している。特にヨーロッパ諸国には事細かな解雇の手続規制も存在するが、職務がなくなるがゆえに解雇するという整理解雇は、それが真実である限りあらゆる解雇類型の中で最も正当な解雇理由である。これに対して能力不足解雇や労働者個人の問題を理由とする解雇は厳しく制限されることになる。これと対照的に、社内のあらゆる職務に従事しうる日本のメンバーシップ型社員の場合、経営危機で会社自体が収縮し、社内に配置転換可能な職務が存在しないという状況に追い込まれない限り、整理解雇が正当と認められにくくなる。この現状を「人員整理が認められにくい状況」と表現するのは正しいが、それはいかなる意味でも、実定法の規定が会社の意図に反して上から押しつけている規制ではない。会社が行使できる強大な人事権が、いざというときに自らを拘束しているに過ぎない。なお、日本では整理解雇だけでなく能力不足解雇も認められにくいとよく言われる。確かにそうだが、その理由も雇用契約の職務無限定性にある。社内のどんな仕事にも就けられるのだから、ある仕事ができなくても探せばやれる仕事があるだろう、というわけだ。欧米アジア諸国のジョブ型社会では、具体的な職務に関して雇用契約を結ぶのであるから、当該職務を遂行する能力が著しく劣る者を解雇することは、それをきちんと証明することを条件として正当と認められる。とはいえ、それは「私はその仕事ができます」と言っていたのに、採用して実際にやらせてみたら全然できないというような場合に限られる。長年その仕事をやらせて、言い換えればその仕事のスキルに文句をつけずに労務を受領し続けておいて、5年も10年も経ってから能力不足だと言いがかりをつけて解雇することが認められるわけではない。法改正では「解雇規制緩和」は困難さてこのように見てくると、小泉氏が言う「大企業については解雇を容易に許さず、企業の中での配置転換を促進」したり「人員整理が認められにくい状況」を生み出してきたのは、会社の意思に反して上から押し付けられる法規制ではなく、労働者を会社内のいかなる仕事にも就けることが可能な強大な人事権にあることが分かるだろう。この人事権も、別に実定法のどこかに規定されているわけではなく、現実の日本企業の姿に対応して、過去の判例が積み上げてきた配置転換法理として存在しているに過ぎない。日本の労働法制というのは、肝心かなめの部分というのは法規制ではなく、会社の現実の姿を映し出した判例法理という形で存在しているのである。では、それを変えるためにはどうしたらいいのだろうか、法律の規定改正でそれが可能になるのだろうか。筆者がかつて政府の規制改革会議雇用ワーキンググループに呼ばれて意見を述べた時、「労働契約法第16条が問題ではないか」と問われたことがあるが、同条は権利を濫用してはいけないという当たり前のことしか述べていないので、改正することは不可能だ。まさか「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合であっても、その権利を濫用したものとはみなさず、有効とする」などとは改正できまい。面倒くさいとばかりに同条を削除してみても、2003年改正以前に戻るだけである。1990年代末に規制改革会議で八代尚宏氏らが解雇規制の緩和を主張し始めたときには、六法全書上には解雇権濫用法理の規定などまったく存在していなかったのだ。筆者がかつて2013年に当時の産業競争力会議雇用・人材分科会に有識者として呼ばれたとき、一つの案として提示したのは、未だに法規制としては存在していない解雇に係るルールを、法律上明確に法規制として書き込んでしまうというものであった。皮肉な言い方だが、欧州並みに解雇規制を設ければ、その例外(解雇できる場合)も明確化するだという理路である。具体的には、次のような条文が考えられる。第○しろまる条 使用者は次の各号の場合を除き労働者を解雇してはならない。一 労働者が重大な非行を行った場合。二 労働者が労働契約に定める職務を遂行する能力に欠ける場合。三 企業経営上の理由により労働契約に定める職務が消滅または縮小する場合。ただし職務が縮小する場合には、解雇対象者は公正に選定しなければならない。2 前項第三号の場合、過半数労働組合または従業員を代表する者に誠実に協議をしなければならない。「労働契約に定める職務」というのが明確に限定されている場合、この条文は意味を持つ。また、今回小泉氏が強く主張していた整理解雇時にリスキリングや再就職支援を義務付けるというのも、第2項に追加して「前項第三号の場合、・・・解雇対象者に対する能力再開発訓練を実施するとともに、他の企業への再就職を支援しなければならない」との規定を設ければ実現できる。ただし言うまでもないが、この条文はあくまでも「労働契約に定める職務」が限定的に存在することを前提にしたジョブ型の法規定である。いつでもどこでもなんでもやる無限定正社員と企業の強大な人事権をそのままに維持しておきたいのであれば、これはほとんど解雇禁止規定になってしまうであろう。従って、なお圧倒的に多くの日本企業がメンバーシップ型であり続けようとしている今日、このような提案が実現する見込みはほとんどない。現実が先行する「解雇の金銭解決」解雇についてはもう一点、河野太郎氏が言及した金銭解決という問題がある。これは実際に、2003年以来20年以上にわたって労働政策において検討が続けられ、現在は労働政策審議会労働条件分科会で審議対象となっている案件である。筆者自身も、政府の要請に応じて実際に行われている解雇の金銭解決の実情を調査し、報告書にまとめ、その内容は政府の検討会や審議会に報告されており、この問題の当事者でもある。しかしここでは、そもそも解雇の金銭解決制度の創設という問題設定そのものの問題点を指摘しておきたい。解雇の金銭解決制度が必要だという前提で政策が動いてきている以上、日本では解雇は金銭解決できないと思っている人がいるかもしれないが、日本の実定法上で解雇を金銭解決してはならないなどという法律はどこにもない。むしろ、現実には解雇の圧倒的大部分は金銭解決されているのである。金銭解決ができない、正確に言うと金銭解決の判決が出せないのは、裁判所で解雇無効の判決が出た場合のみである。判決に至るまでに裁判所で和解すれば、解雇事案の大部分は金銭解決しているし、あるいは同じ裁判所でも労働審判という手続きをとれば、やはり解雇事案のほとんど金銭解決している。行政機関である労働局の個別労働関係紛争のあっせんであれば、金銭解決しているのが3割で、残りはいわば泣き寝入りの方が多い。そこまで行かないものも山のようにあるだろうから、現実に日本で行われている解雇のうち、そもそも金銭解決ができなくて問題となっているというのは、氷山の一角というのも言い過ぎで、本当に上澄みの一部だけである。筆者は労働局のあっせん事案を千数百件ほど分析したが、むしろ問題は3割しか金銭解決していないことに加えて、金銭解決している事案についても、例えば解決金の中央値は16万円程度に過ぎないという金額の低さにある。労働審判における金銭解決水準の中央値は概ね150万円であり、裁判上の和解であれば300万円程度であることを考えると、金銭解決の基準が明確になっていないために、非常に低額の解決をもたらしているか、あるいは解決すらしていないことになる。大企業の正社員でお金のある人ほど裁判ができるが、そうではない中小零細企業や、あるいは非正規の人になればなるほど裁判はできない。弁護士を頼むということもできず、低額の解決あるいは未解決になっていることに着目をして、まさに中小零細企業や非正規の労働者の保護という観点から、解雇の金銭解決を法律に定めていくことには意味があるのではないかと考えられる。ところが、現在政府の審議会で議論されている解雇の金銭救済制度案というものは、あくまでも裁判において解雇が無効である場合に原職復帰の代わりに金銭救済を労働者が請求できるという極めて限定的な制度設計になっている。そのようになった経緯はいろいろあるのだが、現実社会に存在する事実上の金銭解決とは切り離された議論になってしまっている感が強い。現実社会の解雇は大部分が金銭解決しており、むしろ低額の解決が問題になっているにもかかわらず、なぜこの問題はここまで込み入った話になってしまったのだろうか。詳細な解雇規制立法を有するヨーロッパ諸国でも、ドイツやフランスのように解雇は金銭解決が一般的なのに、なぜ日本ではそれが難しい話になるのだろうか。その最大の理由は、例外的な状況に対して最後の手段として持ち出してくるべき権利濫用法理を、よほどのことがない限り常に適用される原則的な法理として確立してしまったことにある。権利濫用法理と言いながら解雇に正当事由がなければ権利濫用になってしまうという、原則と例外が逆転した法理になっているのだ。的外れではなかった河野氏の主張皮肉な話であるが、ヨーロッパ諸国のように解雇を正面から規制する立法をしておけば、その例外としての金銭解決を法律上に規定することも簡単であったろう。実際、日本労働弁護団は2002年に、解雇の原則禁止規定に加えて金銭賠償規定も盛り込んだ「解雇等労働契約終了に関する立法提言」を公表していた。こうしてみると、河野氏の「会社都合で一方的に解雇されたときに金銭補償のルールがあることが大事だ」という主張はそれほどおかしなものではないし、その論拠として「中小零細企業の従業員は、会社都合で解雇されたのに金銭の補償がなされない場合が少なくありません」というのも、(多くのマスメディアの報道に反して)むしろ現実を見据えたものであったといえよう。小泉氏の議論と同列に批判されたのは、やや気の毒な話ではあった。今後の解雇規制に関する議論は、せめてこの水準から始めてもらいたい。
日本大学文理学部社会学科の『社会学論叢』誌に、立道信吾さんが「恋人関係は大学生の就職活動にどのような影響を与えるか」という論文を書いています。
データや分析手法は飛ばして,結論だけ見ますと、
学外の恋人がいる場合は,選考の全ての段階で、学内の恋人がいる場合は、ESによる選考より上の選考段階の全てで選考上有利な効果が見られた。恋人の存在が何らかの形で,選考を有利にする状況を作り出していると考えることができる。
とのことです。
も少し細かく見ると、
1学内の恋人がいる場合には,筆記試験を突破して面接に進む段階で、2学外の恋人がいる場合は、通常は数次にわたって行われる面接を突破して最終面接に進む段階で、選考上有利な結果が見られた。恋人が学内外のどちらにいるかの違いで,効果の現れ方が一部異なる結果となっていることは、何らかの意味がある可能性がある。
なぜこういうことになるのかについては、
学内の恋人同士の場合は、相手の欠点を指摘したり、欠点の補正に対する動機づけを行いやすいため、筆記試験を通過するパフォーマンスが向上するのである。しかし、この点はマイナスに作用する場合もある。同じ立場にいるために、欠点が見えにくくなったり、異なった視点からの観察ができなくなる可能性があるからだ。
・・・面接選考では、学生の視点を超えた,社会人の視点からの評価が行われる。学外の恋人が仮に社会人であった場合は、こうした社会人の視点からの面接選考へのアドバイスが可能となる。これが面接の結果に学外の恋人が影響を与えるメカニズムである。
と分析しています。
そうだろうな、というのと、ほんまかいな、というのが入り交じった読後感ですが、いずれにしても目の付け所のユニークな面白い研究です。
71ttguu0eal_20250911102101 拙著『ジョブ型雇用社会』について、こんな短評が目に入ったのですが、
https://suchowan.seesaa.net/article/202509article_11.html
びっくりしたのが、
なぜか読んだことが頭に残りにくい
対照的なのが、日経MIX history 会議の議長だった hamachan さんの標題の本[1]。
事例が比較的身近に存在して、かつ、それらが上手く概念整理されているのが頭に残る理由でしょうか?
いやいや、わたくしのことを「日経MIX history 会議の議長だった hamachan」と呼ぶとは、これはもうインターネット古代史以前のパソコン通信旧石器時代の生き残りではないですか。
日経MIXとは何か?Wikipediaによると、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B5%8CMIX
日経MIX(にっけいミックス)は、かつて日本の日経マグロウヒル(現 日経BP)が運営していたパソコン通信サービス。1987年9月に商用サービスを開始したが、パソコン通信の衰退にともなって1997年10月31日午前11時にサービスを終了し・・・
38年前から28年前までの超古代史がいきなり蘇ってきたような思いがしますね。
昔語りをしますと、このhistory会議、today、study、salonの3分科会からなり、初めは同僚のmolが議長をしていたのですが、私がその後を引き継いだ形です。
私が議長を引き継いで、sakon分科会を作ったときの第1号メッセージ:
標題: salon de histoire
生まれて半年足らずのhistory会議ですが、MIXENの皆様のおかげで着実に成長してまいりました。mol前議長からバトンタッチされた私としては、より一層気を引き締めて会議の運営に当たってまいりたいと存じております。
とはいえ世の中、引締めだけではうまくいくはずがありません。真摯な議論と軽い会話があって初めて「対話」が成り立つもの。そんな気軽な会話の場が欲しいところです。というわけで、このhistory会議にも「歴史」の話題とつかず離れず気の利いた軽いやりとりを楽しむtry風味の分科会history/salonが誕生しました。
salonをhistoricalにみれば、絶対王朝時代のヨーロッパで、上流階級の貴婦人たちが応接間を開放して群れ集う男たちと気の利いた会話を交わしたところ。hamachanがhostでは気が進まないかも知れないけれど、まぁ気楽に遊びにおいでヨ。ウーロン茶の一杯もサービスするからさ。それともMIXの貴婦人たちを強制joinしちゃおうかな。
そうだ。new.conf会議でharuaki師がfamily会議を提唱していたから、その準備会議をここでやってもらってもいいや。MIXの貴婦人たちがここにお喋りしにやってくる。そのフェロモンを追って♂たちが寄ってくる。うん、これぞsalonだ。
しかし、早速first messageから逸脱気味だな。段落を追って文体が崩れていってる。やはり前議長の心配の通り、新議長は人格面に問題がありそう。.........と行方に不安を抱かせつつ、history/salonはtake off.
history会議議長の初仕事 hamachan
2025年9月11日 (木) ジョブ型雇用社会とは何か | 固定リンク | コメント (0)
71ze8uoht9l_uf10001000_ql80_ 恒例の『労働新聞』書評、今回はティモシー・スナイダー『ブラッドランド』(上・下)(ちくま学芸文庫)です。
https://www.rodo.co.jp/column/205235/
1933〜45年までの10年余の間に、スターリンのソ連とヒトラーのドイツに挟まれた流血地帯――ウクライナ、ベラルーシ、ポーランドおよびバルト三国――では1400万人が殺害された。ただしこの数字には、独ソ戦で戦死した膨大な兵士たちは含まれない。20世紀でもっとも凄惨と言われる独ソ戦の傍らで、戦闘行為としてではなく、階級や民族といったあるカテゴリーに属する人びとを、そのことを理由として、殺すために殺した数を積み上げると1400万人になるのだ。
もちろんその一部は我われにホロコーストやスターリンの大テロルとして知られている。だが本書を読むと、我われの知識がいかに局部的であったかを思い知らされる。ホロコーストというと、アウシュビッツ収容所のガス室が思い起こされるが、それはそのうちもっとも「近代的」な氷山の一角に過ぎない。アウシュビッツのガス室が嘘だというデマが繰り返されるのは、みんなそれしか知らないからだ。
だが、東欧のユダヤ人の圧倒的大部分は収容所でガスで殺されたのではなく、各集落で裸に剥かれ、穴の上で銃殺され、そのまま埋められたのだ。その多くは戦後ソ連領となったベラルーシとウクライナであり、膨大な死者はソ連人としてカウントされてきた。偉大な大祖国戦争の語りに、米帝の手先のユダヤ人の悲劇はそぐわないからだ。
スターリンの大テロルというと、ジノヴィエフをはじめとする見せしめ裁判や軍人の粛清が思い起こされるが、それはそのうちもっともエリート層の氷山の一角に過ぎない。クラーク(富農)というでっち上げの階級に属することを理由に、多くの真面目な農民たちが収容所に送られ銃殺されたのだ。だがそれはまだ専門家の間ではそれなりに知られている。階級の敵の撲滅はマルクス・レーニン主義の真骨頂であり、栄光の歴史として語られたからだ。
本書で初めて知ったのは、独ソ戦が始まる前に、ソ連当局がポーランド人をその民族的帰属を理由に、組織的に大量虐殺していたことだ。スターリンはポーランドと日本による挟み撃ちを恐れていたからだという。ジェノサイドはナチスの登録商標ではない。それより先にスターリンがポーランド人相手に大々的に行っていたにもかかわらず、戦後長らくタブー視されてきた。ポーランドの軍人が2万人以上銃殺されたカティンの森事件はその氷山の一角に過ぎない。
本書を読み進むのはとてもつらい。ページをめくるごとにこれでもかこれでもかと殺害の記述が続く。そのなかにときどき、殺される直前の少女のあどけない言葉が挟まれる。
著者スナイダーは、ソ連崩壊以後、この流血地帯の文書館を渉猟し、入手可能になった膨大な殺人の記録を拾い集めて、本書に結実させた。ああ、ホロコーストね、大テロルね、知ってるよ、と済ませずに、是非全巻読み通してほしい。プーチンのロシアが、自国の虐殺行為に言及することを刑罰で禁止する今日だからこそ、それが必要だ。
51qhgauxbl_sy445_sx342_ 労務屋さんが『ビジネスガイド』10月号の紹介の中で、
https://roumuya.hatenablog.com/entry/2025/09/10/115737
・・・大内伸哉先生のロングラン連載「キーワードからみた労働法」は「労働施策総合推進法」をテーマに、その変遷の概要と政策的意義を解説しておられます。冒頭いきなり「つかみどころのない法律」と総括されていて思わず「おっ」と声が出ましたがまさにそのとおりで、私が労働法・労働政策を勉強し始めた頃の雇対法はまあ雇用政策(労働市場政策)の基本法という性格がかなり明瞭だったと思うのですが、その後徐々にウィングを広げ、名称が労推法に変わる前後からはむしろ個別的労使関係政策のあれこれが次々押し込まれていて、まさに「つかみどころ」がなくなっている感があります(なにやら「労働施策総合推進法は別名「パワハラ防止法」と呼ばれ」ていると主張する業者もあるようで)。まあそれが悪いたあ言いませんが、なんとかならんかとも思うなあ。
とぼやいていますが、いやこの労働施策総合推進法については、もう6年前になりますが『労基旬報』にこんな文章を寄稿したことがあります。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-a71819.html
『労基旬報』2019年5月25日号に「労働施策総合推進法の数奇な半世紀」を寄稿しました。
現在国会で審議中の女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律案の目玉はいうまでもなくパワーハラスメントに対する措置義務の導入ですが、それが盛り込まれている法律は何かご存じでしょうか。セクハラとマタハラは男女雇用機会均等法、育児・介護ハラスメントは育児・介護休業法であるのに対して、パワハラは労働施策総合推進法なのです。これは多くの人にとっていささか意外だったのではないでしょうか。
そもそもこの法律、正式には「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」といい、法律番号は昭和41年法律第132号です。なんと半世紀以上も昔に作られた法律なのですが、そんな法律知らなかったよという人が多いでしょう。というのも、このやたら長ったらしい名前になったのは昨年の働き方改革推進法によってであって、それまでは雇用対策法というシンプルな名前だったのです。ただ、それにしても、雇用対策法とは一体どういう法律だったのか、きちんと説明できる人はそれほど多くないのではないでしょうか。今回は、パワハラ規制の受け皿になったこの法律がたどってきた数奇な半世紀をたどってみたいと思います。
雇用対策法が制定されたのは1966年7月。時代の精神はジョブ型真っ盛りでした。私は1950年代後半から1970年代前半までのほぼ20年間を「近代主義の時代」と呼んでいます。たとえば1960年の国民所得倍増計画は、終身雇用制と年功賃金制を解消し、同一労働同一賃金原則に基づき労働力を流動化し、労働組合も産業別化することを展望していました。これを受けた1965年の雇用審議会答申も「近代的労働市場の形成」を掲げ、その中心課題は「職業能力、職種を中心とした労働市場」でした。
こういう思想状況の中で、雇用に関する基本法を作ろうという意気込みで作られたのが雇用対策法なのです。個々の政策は個別法に規定されるのですが、それらを統括する基本法という位置づけでした。制定時の「国の施策」(第3条)には次のような項目が並んでいました。まさに外部労働市場型の雇用政策のカタログです。一 各人がその有する能力に適合する職業につくことをあつせんするため、及び産業の必要とする労働力を充足するため、職業指導及び職業紹介の事業を充実すること。
二 各人がその有する能力に適し、かつ、技術の進歩、産業構造の変動等に即応した技能を習得し、これにふさわしい評価を受けることを促進するため、及び産業の必要とする技能労働者を養成確保するため、技能に関する訓練及び検定の事業を充実すること。
三 労働者の雇用の促進とその職業の安定とを図るため、住居を移転して就職する労働者等のための住宅その他労働者の福祉の増進に必要な施設を充実すること。
四 就職が困難な者の就職を容易にし、かつ、労働力の需給の不均衡を是正するため、労働者の職業の転換、地域間の移動、職場への適応等を援助するために必要な措置を充実すること。
五 不安定な雇用状態の是正を図るため、雇用形態の改善等を促進するために必要な施策を充実すること。
六 その他労働者がその有する能力を有効に発揮することができるようにするために必要な施策を充実すること。実際には、経済計画の向こうを張って閣議決定される雇用対策基本計画の根拠法であり、政策思想はその雇用対策基本計画に詳しく書かれます。1967年3月に策定された第1次雇用対策基本計画は、上記各項目ごとに詳しく施策内容を記述していました。この雇用対策基本計画はその後、1999年の第9次雇用対策基本計画まで数年おきに策定されました。
制定時の雇用対策法で目に付くのは、「第五章 職業転換給付金」と、労働移動のための給付金制度にわざわざ1章を充てていることです。その後の日本の雇用政策を象徴する雇用調整助成金ですら、雇用保険法の中のある1条のある1項のある1号でしかないのに比べると、その扱いの破格さは驚くばかりです。この規定は、その後の政策方向の有為転変にもかかわらずほとんど手つかずのまま今日に至っています。
制定時の実体規定として興味深いのは、雑則におかれた第21条(大量の雇用変動の場合の届出等)です。(大量の雇用変動の場合の届出等)
第二十一条 事業主は、生産設備の新設又は増設、事業規模の縮小その他の理由による雇用量の変動であつて、労働省令で定める場合に該当するものについては、労働省令で定めるところにより、公共職業安定所長に届け出なければならない。
2 国又は地方公共団体の任命権者(委任を受けて任命権を行なう者を含む。)は、前項に規定する雇用量の変動については、政令で定めるところにより、公共職業安定所長に通知するものとする。
3 第一項の届出又は前項の通知があつたときは、職業安定機関は、相互に連絡を緊密にし、広範囲にわたり、求人又は求職を開拓し、及び職業紹介を行なうこと等の措置により、一定の地域における労働力の需給に著しい不均衡が生じないように離職者の就職の促進又は当該事業における労働力の確保に努めるものとする。見てわかるように、これは外部労働市場における円滑な労働力移動を進めるためのものであって、後の時代のような雇用維持を目的とするものではありませんでした。しかし、雇用維持を至上命題とする企業主義の時代(1970年代後半から1990年代前半)においても、この規定は慇懃なる無視状態のまま維持され続けました。
企業主義の時代には雇用対策法はいかなる意味でも雇用政策の基本理念を謳う法律ではなくなり、雇用対策基本計画の根拠法という以上の意味は失われました。この時代の雇用対策基本計画は、1976年の第3次計画から1992年の第7次計画に至るまで、雇用維持が常に主旋律を奏で続けていたのです。雇用対策法には流動的労働市場を理想とする規定が化石のように残っていましたが、実質的な意味での雇用の基本法は雇用保険法であったと言えます。
1990年代半ば以降、雇用対策基本計画や雇用助成金においては「失業なき労働移動の促進」という新たな政策理念が打ち出されてきましたが、これが事業主の再就職援助措置という形で雇用対策法上に書き込まれたのは、2001年4月の改正によってです。これにより「事業主は、事業規模若しくは事業活動の縮小又は事業の転換若しくは廃止・・・に伴い離職を余儀なくされる労働者について、当該労働者が行う求職活動に対する援助その他の再就職の援助を行うことにより、その職業の安定を図るように努めなければならない」(第6条)とともに、再就職援助計画の作成義務が規定されました。そして(化石化した職業転換給付金には手を触れず)そのための助成金は雇用保険法に基づく労働移動支援助成金とされました。なお、制定時以来の大量雇用変動届出義務も、この時離職者の発生に限定され、再就職援助措置の一環として位置付けられました。これは新設の基本的理念にも「労働者は、その職業生活の設計が適切に行われ、並びにその設計に即した能力の開発及び向上並びに転職に当たつての円滑な再就職の促進その他の措置が効果的に実施されることにより、職業生活の全期間を通じて、その職業の安定が図られるように配慮されるものとする」(第3条)と、明記されました。
2001年改正はこのように内部市場政策から外部市場政策への転換点を刻していますが、そのもう一つの現れが年齢差別禁止の努力義務規定です。これが2007年改正では法的な義務規定に発展していきます。第七条 事業主は、労働者がその有する能力を有効に発揮するために必要であると認められるときは、労働者の募集及び採用について、その年齢にかかわりなく均等な機会を与えるように努めなければならない。
さて、雇用対策法の根幹を揺るがすような改正が2007年に行われました。長らく雇用対策基本計画の根拠法として存在し続けてきたこの法律の主軸が消えてしまったのです。これは向こうを張っていた経済計画が、1999年の「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」を最後に廃止されたことに対応したものです。細かく言うと、法律上では姿を消しましたが、省令で「雇用政策基本方針」を策定することとされています。ただ、格落ちであることは間違いありません。
この2007年改正は雇用政策のカタログに、女性、若者、障害者、外国人、地域雇用等を追加するとともに、事業主の責務として青少年の雇用確保と外国人の雇用管理措置を規定しました。前者は2015年の青少年雇用促進法に展開していきます。一方外国人に関しては、さらに第6章として「外国人の雇用管理の改善、再就職の促進等の措置」が設けられ、外国人雇用状況の届出義務(第28条)が規定されるなど、これまで枠組みをすべて出入国管理法に牛耳られていた外国人雇用政策について、一定の進出を図っています。(外国人雇用状況の届出等)
第二十八条 事業主は、新たに外国人を雇い入れた場合又はその雇用する外国人が離職した場合には、厚生労働省令で定めるところにより、その者の氏名、在留資格(出入国管理及び難民認定法第二条の二第一項に規定する在留資格をいう。次項において同じ。)、在留期間(同条第三項に規定する在留期間をいう。)その他厚生労働省令で定める事項について確認し、当該事項を厚生労働大臣に届け出なければならない。
2 前項の規定による届出があつたときは、国は、次に掲げる措置を講ずることにより、当該届出に係る外国人の雇用管理の改善の促進又は再就職の促進に努めるものとする。
一 職業安定機関において、事業主に対して、当該外国人の有する在留資格、知識経験等に応じた適正な雇用管理を行うことについて必要な指導及び助言を行うこと。
二 職業安定機関において、事業主に対して、その求めに応じて、当該外国人に対する再就職の援助を行うことについて必要な指導及び助言を行うこと。
三 職業安定機関において、当該外国人の有する能力、在留資格等に応じて、当該外国人に対する雇用情報の提供並びに求人の開拓及び職業紹介を行うこと。
四 公共職業能力開発施設において必 要な職業訓練を行うこと。また上述のように、この改正で募集・採用における年齢差別が原則的に禁止されましたが、現実の日本の労働社会は依然として年齢に基づく人事管理が続いています。
第十条 事業主は、労働者がその有する能力を有効に発揮するために必要であると認められるときとして厚生労働省令で定めるときは、労働者の募集及び採用について、厚生労働省令で定めるところにより、その年齢にかかわりなく均等な機会を与えなければならない。
ここまではカタログの項目が増殖したとはいえ、労働市場政策の範囲内の法律でしたが、その性格を一変させたのが2018年の働き方改革推進法による改正です。これにより法律の名称が「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」となりました。この改正により、労働条件政策や労働人権政策に係る項目も大量にカタログに追加され、まさに労働施策総合推進法となりました。そう名乗れないのは、職業転換給付金を始め随時追加されてきた個別政策分野の具体的措置規定も含まれているからです。
この改正によりまず第3条の基本的理念に第2項として「労働者は、職務の内容及び職務に必要な能力、経験その他の職務遂行上必要な事項・・・の内容が明らかにされ、並びにこれらに即した評価方法により能力等を公正に評価され、当該評価に基づく処遇を受けることその他の適切な処遇を確保するための措置が効果的に実施されることにより、その職業の安定が図られるように配慮されるものとする」と、同一労働同一賃金政策の理念を謳う規定が設けられました。また第4条の施策カタログに、労働時間・賃金処遇に係る第1号と治療と仕事の両立に係る第9条が追加されました。一 各人が生活との調和を保ちつつその意欲及び能力に応じて就業することを促進するため、労働時間の短縮その他の労働条件の改善、多様な就業形態の普及及び雇用形態又は就業形態の異なる労働者の間の均衡のとれた待遇の確保に関する施策を充実すること。
九 疾病、負傷その他の理由により治療を受ける者の職業の安定を図るため、雇用の継続、離職を余儀なくされる労働者の円滑な再就職の促進その他の治療の状況に応じた就業を促進するために必要な施策を充実すること。さらに第6条の事業主の責務にも「事業主は、その雇用する労働者の労働時間の短縮その他の労働条件の改善その他の労働者が生活との調和を保ちつつその意欲及び能力に応じて就業することができる環境の整備に努めなければならない」という規定が加えられ、働き方改革のフラッグシップ法としての性格を誇っています。なお、こうした個別規定には顔を出していませんが、第1条の目的に、さりげなく「労働者の多様な事情に応じた雇用の安定及び職業生活の充実並びに労働生産性の向上」と、生産性向上という文言が入り込んでいる点も注目です。
こうした改正点とともに、この2018年改正は2007年改正で法律上から消えた雇用対策基本計画を、「労働者がその有する能力を有効に発揮することができるようにするために必要な労働に関する施策の総合的な推進に関する基本的な方針」(基本方針)として法律上に復活させました。何しろ閣議決定される方針ですから、「厚生労働大臣は、必要があると認めるときは、関係行政機関の長に対し、基本方針において定められた施策で、関係行政機関の所管に係るものの実施について、必要な要請をすることができる」(第10条の2)のです。
この基本方針は2019年1月に告示されましたが、そこには長時間労働の是正から過労死の防止、非正規労働者の待遇改善、治療と仕事の両立支援など労働政策のほぼ全分野にわたる施策が羅列されています。その中に、その段階ではまだ法律上に規定が存在しないにもかかわらず「職場のハラスメント対策及び多様性を受け入れる環境整備」という項目が含まれていることが注目されます。なぜなら、これこそが今回の法改正により初めて盛り込まれる規定を受けたものだからです。そこでは「職場におけるハラスメントは、労働者の尊厳や人格を傷つけ、職場環境を悪化させる、あってはならないものである」という宣言も盛り込まれています。
これをいわば露払いとして、今回の法改正により労働施策総合推進法に第8章として「職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して事業主の講ずべき措置等」が、第30条の2から第30条の8までに盛り込まれました。第4条のカタログにも1号追加されています。十四 職場における労働者の就業環境を害する言動に起因する問題の解決を促進するために必要な施策を充実すること。
半世紀前に雇用対策法が制定されたときから考えると、「思えば遠くへ来たもんだ」という感慨がじわじわと湧いてきますが、この半世紀の歴史の中に、日本の労働政策が歩んできた有為転変が刻み込まれているといってもいいのかも知れません。
このように、もともと60年近く前にできた時から目次+α法ではあったのですが、その目次の範囲が拡大するとともに、+αの部分がまたやたらにかつほとんど無秩序に膨れ上がっていったため、「つかみどころがない」法律になり果ててしまったわけですが、でもここはやはり「思えば遠くへ来たもんだ」という感慨にふけるのが正しい反応の仕方と言えましょう。
ちょうど絶好の二つの考え方が出ていたので、
はい、ここには、最も典型的なメンバーシップ型の発想と、最も典型的なジョブ型の発想とがよく現れているのですが、さて、どちらがメンバーシップ型で、どちらがジョブ型でしょうか?
もちろん、物事をちゃんとわかっている人は、何の迷いもなく前者が、すなわち単なる労働者として民法の規定するように報酬と引き換えに労務を提供する「労働者」なんぞに安住するのではなく、株主でもないくせに「社員」すなわち会社のメンバーになったつもりで「所属するコミュニティー(会社や企業含む)に価値を提供」するやたらに「意識が高い」のが特殊日本的なメンバーシップ型であり、後者が、すなわち民法の規定するように定められた労務(ジョブディスクリプション)だけを提供して、その対価として食うに困らない報酬をもらえれば良いという「意識が低い」単なる労働者でどこが悪いと居直るのが、日本以外の普通の労働者に一般的なジョブ型であることは、あまりにも当然なのですが、
なぜかここ数年の日本では、得体のしれない人事コンサルタントやら訳の分からない評論家たちが、今までの日本的なメンバーシップ型では生ぬるくてダメなんだ、もっともっと意識を高く持って、「所属するコミュニティー(会社や企業含む)に価値を提供」しろ、それこそがスバラ式ジョブ型なんであるぞよ、と、完璧に180度ひっくり返った御託を並べ立てて、ただでさえメンバーシップ型に疲れ果てた日本のサラリーマン諸氏に、「これから超絶高邁に意識が高いジョブ型になるんだから、もっともっと頑張らなければならない」と、全く間違った印象を与え続けているんですね。
そりゃまあ、危機感を煽り立ててなんかもっともっとすごいことしなきゃいけないと思わせるのが、この手の商売の常套手段であることは重々承知してはいますが、それが商売になるからと、嘘八百の「ジョブ型」ばっかり売り歩いていると、そのうち閻魔様に舌を抜かれますよ。
近代国家というのは、国籍により扱いが異なることを大前提にしたシステムです。もちろん政策的に内外人無差別を採ることが望ましいことも多いのは確かですが,根幹にはやはり国民と外国人は異なるという大原則があります。外国人労働者問題にせよ、外国人による土地取得問題にせよ、単なる排外主義が経済合理性に反することは確かですが、そもそも論として入れるか入れないか認めるか認めないかは政策判断であるというのは、近代国家共通の大前提です。
ただし、近代国家である以上、それはあくまでも国籍の如何による扱いの違いであって、既に帰化して自国民になっているのに出自が外国人だったからといって異なる扱いをしてもよいというわけではないし、既に帰化して他国民になっているのに出自が自国民であったからといってあたかも自国民であるかのように扱ってよいわけでもありません。それは近代国家にあるまじき人種差別待遇であり、他国への内政干渉であるのは当然です。
その近代国家としてのいろはのいを、根本的に理解していなさそうな事例が,最近立て続けに起っているのは、いろんな意味で興味深いことです。
「日本国籍=日本人」ではない参政党「憲法草案」の国民要件〜「生まれ」「人種」を問うのは差別そのもの
アヘン戦争以来の「近代」を屈辱の時代ととらえる中国共産党が近代国家の大原則に無頓着なのは当然とも思えますが、参政党にとっても明治以降どんどん拡大して大日本帝国臣民を広げていった近代史は屈辱の歴史なのでしょうかね。まあ、石平さんが最初に選挙に出るといったときに、猛然と誹謗中傷していたネトウヨな方々は、中国共産党とほぼ共通の感覚の持ち主であったことは間違いなさそうです。
『WEB労政時報』に「労災保険のメリット制の経緯」を寄稿しました。
https://www.rosei.jp/readers/article/89622
前回は、7月30日に公表された「労災保険制度の在り方に関する研究会」中間報告書の中から、「遺族補償年金の男女格差」について取り上げましたが、今回は同じ中間報告書で2番目に分量が多く割かれている「メリット制」について、法制定時から今日に至るまでの長い経緯を見ていきたいと思います。・・・・・
290_h1347x500 『季刊労働法』2025年秋号の案内がアップされたので、こちらでも紹介しておきます。
https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/13341/
特集 非正規公務員制度を問う―立法提言を基点とした横断的考察
非正規公務員をめぐる議論の推移と本特集の趣旨 金沢大学准教授 早津 裕貴
日本労働弁護団 非正規公務員制度立法提言について―公務員法研究会を受けて― 弁護士 城塚 健之 弁護士 岡田 俊宏 弁護士 市橋 耕太 弁護士 平井 康太 弁護士 青柳 拓真
日本労働弁護団「非正規公務員制度立法提言」における行政法上の問題点 千葉大学教授 下井 康史
非正規公務員制度改革の実効性評価 ―日本労働弁護団提言の検討を通じて 立教大学コミュニティ福祉学部特任教授 上林 陽治
政策実務から見た「非正規公務員制度立法提言」の将来像―「従前の例」を乗り越える道筋が示せるか― 京都大学教授 嶋田 博子
【第2特集】スポットワークの実態と法律問題
スポットワーク事業の現状と展望 近畿大学働き方改革推進センター客員准教授 松原 哲也
スポットワーク仲介と職業安定法 東洋大学名誉教授 鎌田 耕一
スポットワークの労働契約・労務管理支援等をめぐる法的課題―労働契約の成立過程・就業開始前後の労働トラブルを中心に 東洋大学准教授 北岡 大介
【小特集】女性支援と安全確保をめぐる制度改正
2025年女性活躍推進法改正の意義と展望 専修大学教授 長谷川 聡
求職活動等におけるハラスメントの防止対策義務と法的課題 関西大学教授 川口 美貴
■しかく論 説■しかく
教員任期法再考―私立大学における教員任期制導入を中心に 名古屋大学名誉教授 和田 肇
労働契約における業務遂行費用の負担に関する考察―使用者負担原則と業務遂行費用負担義務を中心として― 同志社大学大学院博士前期課程修了 佐藤 蒼依 同志社大学教授 土田 道夫
「お祝い金禁止」の意義と労働市場への影響 成蹊大学教授 原 昌登
アメリカの組合組織化をめぐる法状況の暗転―新政権による制度破壊、予感される司法の追認― 獨協大学特任教授 中窪 裕也
■しかく集中連載■しかく AI・アルゴリズムの導入・展開と労働法
連載を終えて―研究成果と残された課題 九州大学准教授 新屋敷 恵美子
■しかく要件事実で読む労働判例―主張立証のポイント 第13回■しかく
無期転換を理由とする無期労働契約上の地位確認請求訴訟の要件事実―学校法人羽衣学園(羽衣国際大学)事件・最一小判令和6・10・31労判1322号5頁を素材に 弁護士 池邊 祐子
■しかくアジアの労働法と労働問題 第59回■しかく
台湾の企業別組合の変遷と現代における課題 沖縄国際大学准教授 松井 有美
■しかく労働法の立法学 第75回■しかく
公益通報者保護の法政策 労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎
■しかく判例研究■しかく
使用者の誠実交渉義務と労働組合の交渉態度 国・中労委(ジャパンビジネスラボ)事件(東京地判令6・12・25労経速2576号3頁) 弁護士 庄子 浩平
■しかく書 評■しかく
『大学生が伝えたい非正規公務員の真実―現場から見る課題と未来』 上林 陽治・立教大学上林ゼミナール編著 評者:武庫川女子大学教授 本田 一成
■しかく重要労働判例解説■しかく
会社合併後の定年後再雇用契約不更新の合理性 東光高岳事件(東京高判令6・10・17労判1323号5頁) 筑波大学大学院前期博士課程 川岸 誠治
外国人労働者のパスポート返還拒否に対する不法行為成立の判断 アドバンスコンサル行政書士事件(横浜地判令6・4・25労判1319号104頁) 特定社会保険労務士 安田 翔太
今号の最大の読みどころは非正規公務員問題の特集でしょう。
今号では、日本労働弁護団「非正規公務員制度立法提言」をベースに、訴訟手続きの観点や制度の実効性評価の観点から詳細に検討します。さらに、政策実務の現場から見た「提言」の意義や課題についても言及し、理論と実務の両面から多角的に分析します。
ちなみに、この問題をずっと訴え続けてこられた上林陽治さんの本の書評(本田一成)も載っています。
また、スポットワークの特集も見逃せません。
近年、スポットワークの広告を目にする機会が増えていますが、その実態や法的な位置づけについては、依然として不明確な点が多く残されています。第2特集では、その現状を明らかにし、個別的労働法および労働市場法の視点からその法的性格や課題を検討します
わたくしの連載「労働法の立法学」は、今回は「公益通報者保護の法政策」です。
全くどうでもいいことですが、判例評釈に出てくる「東光高岳」という会社の名前、ちゃんと「たかおか」と読めるようになったのは、大河ドラマ「べらぼう」のお陰だという人は結構いるんじゃなかろうか。
Asahi_20250908125501 今日、朝日新聞のネット版に、「新卒一括採用はもう古いのか 富士通、日立、NEC...人材確保に変化」という記事がアップされ、その最後のところにわたくしのコメントがちょびっとだけ載っております。
https://www.asahi.com/articles/AST9522NHT95ULFA015M.html
電機大手が相次いで採用方法を見直している。富士通は2025年度から新卒一括採用をやめると宣言。日立製作所やNEC、三菱電機は中途採用を大幅に増やしている。日本の大企業では長らく、多くの新卒者を一括で採り、一から育てるのが人事施策の主流だった。なぜ今、変化しているのか。 ・・・
・・・・・・労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎労働政策研究所長は、採用についての大学や学生側の意識は従来と比べて大きくは変わっていないとみており、「企業側が急進的に採用施策を変えれば、あつれきが生じる恐れはある」と指摘する。「電機大手の採用スタイルが広がるのか、元に戻るのか、ここ数年が見極めのポイント」と話す。
[画像:61ptq8z6jkl_sy425_]まだ書店に並んではいませんが、岩波書店の『世界』2025年10月号が届きました。
https://www.iwanami.co.jp/book/b10145462.html
【特集1】働き続ける私たち
もう働けない。いつまで働けるだろう。
自転車を漕ぎながら、実家と職場を行き来しながら、自分の体調と向き合いながら、日々感じている人がいる。
年金、また貯蓄が増えることが見込めないなかで、より長く働く時代はもうやってきている。
「普通」とされてきた労働のありかたをどのように変えれば、これ以上、すり減らずにいられるのだろう。
「働き続ける私たち」という特集に、玄田有史さんの「70歳でも働く社会」、田中洋子さんの「短時間正社員」等と並んで、わたくしは「女性「活躍」はもうやめよう」といういささか刺激的なタイトルの文章を寄稿しております。
これ、実は、最初は編集部の依頼にあったとおりに「女性が働き続けられる働き方とは」というタイトルだったんですが、編集長から文章中に出てくるこの台詞がいいということで、タイトルをこちらに変えようということになり、そういう風にしたんですね。ところが、その結果、校正で直すべきところがそのままになってしまいました。47ページ下段4行目から5行目にかけて、
・・・その時代には、女性が、(結婚や出産後も)働き続けるということ自体が想定外のことであり、本稿のタイトルのような問題意識自体がほとんど存在しなかったのである。・・・
という記述がありますが、いやいや「本稿のタイトル」ってなんやねん。いま、届いた雑誌のページをめくりながら、初めて気がつきましたがな。校正時には全く気がつきませんでしたね。
さてこの本稿、最後のところである方の最近のある本に難癖を付けています。誰のどういう本にどういう難癖を付けているのか、興味を持った方は是非書店で手に取ってみてください。
Etx4ehgo_400x400 いつも鋭い毒舌でいい加減な経済論を一刀両断しているシラカワスキーさんが、「日本経済論3大読んどけ」の一冊になぜか拙著を挙げていただいていたようです。
日本経済論3大読んどけ ・株高不況(藤代宏一) ・日本経済の見えない真実(門間一夫) ・ジョブ型雇用社会とは何か(濱口桂一郎)
2025年9月 1日 (月) ジョブ型雇用社会とは何か | 固定リンク | コメント (0)