41opqwqyq9l_sx304_bo1204203200_ なぜかAmazonの労働法部門で『日本の雇用と労働法』(日経文庫)が1位になっているので、どうしたのだろうと思ったら、ネット上にいくつか本書の書評というかコメントがアップされていたようです。
なかでも、ライナスさんという方の「子供の落書き帳 Renaissance」というブログに、こういうエントリがアップされてます。
https://linus-mk.hatenablog.com/entry/2020/01/04/150000
以前に読んだ「若者と労働」との違いはというと、本書の方が
労働法制のほうもかなり細かく説明している
歴史的経緯が多い(ので、昔のことはどうでも良いわという人には不向き)
判例の文章からの抜粋が多く出てくる(ので難しい言葉が使われがち)
という特徴がある。
判例に限らず、全体的に文体も硬い。もしも先に「若者と労働」を読んでなかったら、挫折していただろう。日本の労働社会についての本を初めて読もうという人には、絶対に「若者と労働」の方を勧める。
このエントリにも紹介されていますが、ところてんさんが本書の感想をツイッターに連投されています。
https://twitter.com/tokoroten/status/1213120516283719688
ここら辺の一連の流れは、「日本の雇用と労働法」という本を読みながら、ツラツラと考えた結果ですので、興味がある人はこちらをどうぞ。
おそらくこのタイムラインで興味をひかれた方のつぶやきも
https://twitter.com/toudou_U2plus/status/1213375263725113346
タイムラインで知ったこの本、目次だけで最高におもしろそう。採用や賃金体系だけでなく労使関係や解雇、就業規則、人事異動、男女格差と非正規労働についての法と歴史が並んでる。謎だと思っていた「身元保証」についての記述もある。
こういう流れの中で、本書に関心を持たれた方がかなりいたのでしょうね。
<追記>
と思ってたら、なんとAmazonの在庫が払底したようで、中古品が3,422円とか果ては13,414円とかクレイジーな値段がついていますな。いやいや、こういうときには絶対にAmazonでは買わないでください。書店に普通に売っていますから。
さて、上のライナスさんのエントリでこういう疑問が呈されていたのですが、
中途採用・転職活動に関しては、ガッチリ募集条件が書いてあって「ジョブ型」に近いと思うんだけど、その点はどう捉えれば良いのだろうか。 「日本の雇用と労働法」「若者と労働」のどちらにも、中途採用や転職の話はほとんど書いていないので、よく分からない。
そもそも「中途採用」てのは日本独自の概念であって、ジョブ型社会では「仕事」に「人」を当てはめる「採用」があるだけです。ただ、日本型雇用システムではそれが周縁化されてしまっています。
Chuko_20200105155201 ではその「周縁」的な部分はどこに書かれているかというと、ライナスさんも読まれた『若者と労働』の中で、法制度の解説という形でちらりと触れています。
第1章 「就職」型社会と「入社」型社会
3 日本の法律制度はジョブ型社会が原則
職業紹介は「職業」を紹介することになっている
以上二つに比べるとやや小さな領域ですが、労働者の失業問題に対処するために、職業紹介や職業訓練、失業保険といった労働市場に関わる法律群があり、これらに基づいてハローワークや職業訓練校などが設けられています。これらの法律が前提としている労働者や失業者は、当然のことながら会社のメンバーになろうというのではなく、上でみてきたようなジョブに基づいて働こうとしている人々です。そう、はっきりと、欧米のようなジョブ型社会を前提にした規定になっているのです。たとえば、職業安定法では「公共職業安定所及び職業紹介事業者は、求職者に対しては、その能力に適合する職業を紹介し、求人者に対しては、その雇用条件に適合する求職者を紹介するよう努めなければならない」(適格紹介の原則)と定めています。
あまりにも当たり前に聞こえるかもしれませんが、職業紹介というのは「職業」を紹介することです。「会社」を紹介するのではないのです。田中氏の説明を思い出してください。欧米の社会では、「仕事」が厳密に、明確に決められていると同時に、それにはりつけられる「人」についても、「仕事」によってその「人」が区別できるようになっていなければなりません。私は○しろまる○しろまるという「仕事」ができます、というレッテルをすべてのサラリーマンがぶら下げており、そのレッテルによって労働市場に自分を登録し、会社などに対して売り込みを行うということでしたね。これを田中氏は「『職業』というものが社会的に確立してい」ると表現しました。そう、日本の職業安定法も、まさにそういう意味での「職業」が社会的に確立していることを前提として作られているのです。6 周辺化されたジョブ型「就職」
ハローワークは誰のためのもの?
さて、以上のようなメンバーシップ型の仕組みが日本社会に確立してくればくるほど、法律が本来予定していたジョブ型の仕組みは社会の周辺部に追いやられていくことになります。そのもっとも典型的な例が、職業安定法が本来その中核に据えていたはずの公共職業安定所、愛称ハローワークです。
賃金センサスで、「標準労働者」を「学校卒業後直ちに企業に就職し、同一企業に継続勤務している労働者」と定義しているということは、そのまま定年退職するまで継続勤務すれば、その人はハローワークを直接利用する機会はないことになります。少なくともその職業紹介機能を使うことはないはずです。実際、現代日本社会では、大企業の正社員のような安定した仕事に就いている人であればあるほど、一生のうちハローワークのお世話になった経験が乏しくなると思われます。
新規学卒採用制の展開のところでお話ししたように、終戦直後から高度成長期半ばまでの中卒就職者が多かった時代には、彼らの就職を担当するのは職安でした。もっとも、中卒者に「私は○しろまる○しろまるという『仕事』ができます」というレッテルがぶらさがっているはずもありませんから、かれらの就職は職業安定法の本来予定する適格紹介の原則とはいささか異なるものにならざるを得ませんでした。
一九五〇年代に労働省職業安定局の協賛で刊行されていた『職業研究』という雑誌を見ると、毎号のように職業解説やとりわけ適性検査に関する記事が載っているのが目につきます。「できる仕事」というレッテルがまだ貼られていない中学生に、擬似的に「ふさわしい仕事」というレッテルを貼って、中卒用の求人と結びつけていくためのさまざまな仕組みが工夫されていたわけです。
ところが、高度成長期以降中卒就職者は激減し、多数を占める高卒就職はほとんどもっぱら学校自身の手によって行われるようになりました。細かくいうと、労働省は一九六〇年代半ば頃、高卒就職に対しても中卒就職と同様に職安の権限を強めようと職業安定法の改正も考えていたようですが、高校側は譲りませんでした。結果として、日本型高卒就職システムの特徴とされるいわゆる「実績関係」、つまり高校と企業の間の密接なつながりにもとづく「間断のない移動」が確立していったのです。
さらに大学進学率の上昇により、今では同世代人口の過半数が大卒者として就職するようになっています。中卒者や高卒者と異なり、就職時には既に成人に達していることからも、彼らの就職は国や学校によるパターナリズム的な保護下にはなく、基本的に個人ベースで求人と求職のマッチングが行われることになります。しかしながら、そこで行われているマッチングのための諸活動は、職業安定法が想定している「適格紹介の原則」とはまったく異なるものとなっていきます。
112483 拙著『日本の雇用と労働法』に対して、新空调硬座普快卧さん(なんとお読みすれば良いのでせう)が、短くも一言でこう評していただきました。
https://bookmeter.com/books/4017011
申し分のない良書。簡潔だが正確性を失わない筆者の文章は,筆者の研究の深さを雄弁に物語る。信頼できる筆者。
「申し分のない良書」という評語は、著者にとってはこの上ない言葉です。ありがとうございます。
2017年7月30日 (日) 日本の雇用と労働法 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
112483鋭い筆鋒で有名な若手経営法曹の倉重公太朗さんが、東洋経済onlineで「「解雇しやすい社会」にすれば正社員は増える」という文章を書かれていますが、その中で拙著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)をご紹介いただいています。
http://toyokeizai.net/articles/-/138536
当時の日本企業では、新卒採用で終身雇用、年功序列が当たり前であり、新卒で入社した企業に定年まで勤め上げるのは当然、という社会情勢でした。こうした「終身雇用が当たり前」という考え方は、単に労働契約を結ぶのではなく、「会社」という会員制組織のメンバーになるという意味で「メンバーシップ型雇用」<濱口桂一郎 著『日本の雇用と労働法 』(日経文庫)参照>などといわれるところです。
メンバーシップ型雇用の特徴は、終身雇用、無限定な仕事、広い職種転換、人事ローテーション、全国転勤、長時間労働など、いわば「昭和的働き方」といえるものです。・・・
倉重さんについては、本ブログでも過去に何回も取り上げさせていただいています。いくつか紹介しておきますと、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-c65e.html(倉重公太朗編『企業労働法実務入門』)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-6182.html(倉重公太朗さんの『日本の雇用終了』書評)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-cf48.html(倉重公太朗編集代表『民法を中心とする 人事六法入門』)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-89be.html(日本型雇用の終わりの始まり@倉重公太朗)
一度、都内某所で心ゆくまで呑みながら談論風発したこともあり、こういう言い方はむしろ失礼かも知れませんが、図抜けてブリリアントな方だと思いました。
2016年10月 6日 (木) 日本の雇用と労働法 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
112483『新しい労働社会』(岩波新書)に引き続き、「人と法と世の中:弁護士堀の随想」で『日本の雇用と労働法』(日経文庫)も書評いただきました。
http://arminius.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-b40f.html
さきに読んだ同じ著者の「新しい雇用社会」と共通する部分もあるが(特に日本の雇用システムの基本構造に関する部分)、そちらは執筆時点で話題となっていた問題を取り上げて一応の処方箋を示すことに重点が置かれていたのに対して、本書は、歴史的経緯や政策決定過程も踏まえつつ(前掲書でも触れているが、こちらの方が詳しい)、日本の労働法制と現場の実際の雇用システムのあり方との関係を論じている。労働法についての書籍はいくらでもあるし、逆に雇用システムについての書籍も数多く出ているが、その両者の関係を論じたものは珍しい。
と本書のビジョンをご説明いただいたあと、いかにも法律家らしい感想をいくつか寄せておられます。たとえば、
なお私なりの勝手な余談ではあるが、実際の紛争になった場合の当事者の法的主張という観点から見ると、ケースに応じて、ジョブ型的契約法理を主張した方が有利な場合と、メンバーシップ的な団体の発想に基づいた主張をした方が有利な場合がある。たとえば私生活の非行を理由として解雇された労働者が解雇無効・雇用契約上の地位確認を求めて訴訟を提起する場合は、契約法理を徹底させる方が有利であり、会社側はまさにその反対ということになる。整理解雇について労働者が争う場合は、まさにその逆で、メンバーシップ的な観点を全面に出すということになるのだろう。
そうなんですね。法律実務家としては、別段ジョブ型にもメンバーシップ型にも忠誠を尽くす義理はなく、その時のシチュエーションに応じて、都合のよい理屈を組み立てればいいわけですし、それが弁護士の職業倫理でもあるわけです。
ただし、法律学者として理論的整合性をとった議論をしようとするのであれば、そういうあっちではジョブ型全開、こっちではメンバーシップ型で一点突破みたいな議論でいいのかというのはあるわけですが。
中小企業はジョブ型かそうじゃないかというのも、とてもいい論点で、突っ込むとこれだけで小一時間くらいの話になり得ますが、とにかく目の付け所が光っている書評を久しぶりに読ませていただき感謝しております。
2016年10月 5日 (水) 日本の雇用と労働法 | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
112483 4月に『若者と労働』を書評していただいたグアルデリコさんの「世の中備忘録」というブログで、今度は『日本の雇用と労働法』を書評いただきました。
http://ameblo.jp/acdcrush/theme-10085976012.html
濱口氏の2冊目の本読了。
実に興味深い。日本の雇用問題の経緯は日露戦争から第一次世界大戦の頃に端を発しているというのも面白かった。
結局メンバーシップ型雇用(=いわゆる日本の正規雇用)からは当分日本の大企業は抜けられないのではと思う。・・・・
Chuko また、fktackさんの「意味をあたえる」というブログでは、『若者と労働』について、「こういうの待ってた」とコメントされています。
濱口桂一郎著「若者と労働(中公新書ラクレ)」を読んで、こういうの待ってた、という気になった。私は長い間組織に入ったらどうしてそこに忠誠を誓わなきゃいけないのか、会社のためにがんばらなきゃいけないのか、本当は社長や上司など見る角度によっては私よりもぜんぜん愚か者なのに、すべてのパラメーターが自分よりも上回っているような態度を取らなければならないのが疑問であったが、ある程度の答えを得ることができた。それまでは無能のふりをする罪の意識を、無気力、やるきゼロの態度でごまかしていたわけだが、著者の主張する世の中が実現するのなら、私はやる気を少しは出せるのかもしれない。・・・・・
2016年6月19日 (日) 日本の雇用と労働法 | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
112483『日本の雇用と労働法』(日経文庫)の第6刷が届きました。
こちらは時論というよりも大学生向けの平易なテキストブックですが、5年足らずの間に6刷目と、やはり着実に読まれ続けているようで、有り難い限りです。
日本型雇用の特徴や、労働法制とその運用の実態、労使関係や非正規労働者の問題など、人事・労務関連を中心に、働くすべての人が知っておきたい知識を解説。過去の経緯、実態、これからの課題をバランスよく説明。
著者は労働法や、人事労務の世界で、実務家・研究者から高い評価を受ける気鋭の論客です。
本書をめぐっては、刊行時に金子良事さんと大変深く突っ込んだやりとりをしたことがありますので、そのときのお互いのエントリをお蔵出ししておきましょう。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-217.html(『日本の雇用と労働法』に寄せて)
濱口さんの『日本の雇用と労働法』日経文庫を何度かざっと読みながら、何ともいいようのない違和感があったので、改めて『新しい労働社会』岩波新書と『労働法政策』ミネルヴァ書房を比較しつつ、水町先生の『労働法入門』や野川先生の『労働法』などを横目にみながら、改めて日本の雇用と労使関係ということを考えることにしましょう。結局、何が違和感を覚えるかといえば、私は徹頭徹尾チャート式が嫌い、テストもテスト勉強も嫌いということに行きつくことが分かりました。・・・
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-a44e.html(金子良事さんの拙著評)
・・・どこまでこうした「ねじれ」を腑分けして解説するかというのは難しい問題です。本書では、学部学生用の教科書という性格を私なりに理解して設定したレベルに留めていますが、それが専門家の目から見て違和感を醸し出すものであろうこともまた当然だと考えています。・・・
いずれにしても、学部生向けの本書の書評でありながら、社会政策の専門家でないと何を批判しているのかよく分からないくらい高度な書評をいただいたことに、感謝申し上げたいと思います。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-218.html(濱口先生への再リプライ)
私の書き方が悪かったのと、少し考えが足りなかったせいで、ちょっとした誤解を与えてしまいました。チャート式が嫌いというのは、それはそうなんですが、別に不要であるという意味ではありません。ただ、今回の社会政策・労働問題チャート式への不満は内容がやや古いということです。逆に言うと、これはこの分野が学問的にほとんど見るべき進展を見せずに、停滞していることを意味しているのでしょう。それならば、むしろ、その責任は濱口さんではなく、教科書を書くと言って書かない某S先生に全部押し付けたいところですが、私も含めて学会員は等しく少なくともその一端を担うべきでしょう。・・・
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-9e2c.html(金子良事さんの再リプライ)
それはまったくその通りです。大河内一男まではいきませんが、私が学生時代に聴いた社会政策の講義は兵藤釗先生。頭の中の基本枠組みは『日本における労資関係の展開』で、その上に最近の菅山真次さんなどが乗っかってるだけですから。
ただ、それこそ「教科書を書くと言って書かない某S先生」に責任を押しつけるんじゃなく、kousyouさんの「金子さんの労働史を整理した本読んでみたいなぁ」という励ましのお便りに是非応えていただきたいところです。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-219.html(濱口先生への再々リプライ)
多分、今回もそうですが、別に濱口先生と私の間には、こうやってやり取りする中で、いろんな刺激を受ける方が出てくれば、もうちょっと砕けて言えば「面白いじゃん」と思ってより多くの関心を持ってもらうというのが狙い、というより願いです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-d4cc.html(メンバーシップ型労働法規範理論)
・・・このあたり、規範理論としての理念型と、説明理論としての理念型がやや交錯してしまっていますが、それは、わたし自身が必ずしもメンバーシップ型の理念をあるべきものと考えているわけではないという前提で、現実社会を支配している理念の構造を説明しようとする以上、やむを得ない現象ではないかと思いますが、それと第1段階の現実そのものととりわけ第3段階の理念型としての規範理論の影響下で形成されてきた第2段階の判例法理という名の「現実」とが、すべて「現実」としてごっちゃに理解されてしまうことは危険ではないかという金子さんの指摘は、まさにその通りであろうと思います。
まあ、そこを単純化してしまっているところが、「社労士のテキスト」ではないにしても、「チャート式」である所以なのだ、と言ってしまうのは、盗っ人猛々しいと金子さんに批判されるかも知れませんが。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-220.html(労働法規範理論と社会科学としての法)
濱口さんは今回の本を労働法と労使関係論を繋ぎ合わせる必要があるという問題意識で書かれたわけですが、以上のような前提を踏まえて言えば、それも全部トータルで法学でやってください、と思わなくもない。法社会学をベースにした労働法をしっかり確立させるということでしょう(もちろん、末弘厳太郎以下、これが豊富な研究蓄積を残しているわけですが)。ただ、労働に関する法社会学が独立した成果を持っているかどうかというと、私の知る限りでは少し心許ないという気もするんです。・・・
濱口先生は私のことを社会政策学徒と呼んでくださって、私もそれが気に言っていたので、あえて言いませんでしたが、これまで議論してきたことは社会政策とか労働問題研究の枠組みで考えるよりも、繰り返しになりますが、全部法学内で何とかしてくれ的なことなわけです。産業社会学や労使関係研究から独立した分野として、労働の法社会学を確立させてくれ、ということなのです。そうして、我々隣接分野の人間はそうした分野の成果から痛切に新しい刺激を学びたいのです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-bd25.html(そーゆーことは法社会学でやってくれ(意訳)@金子良事)
実をいえば、それができるような状況ではないから、労使関係論や社会政策の蓄積をそのまま流用するような形でしか、この分野が書けないのです。
「心許ない」どころの話ではない。ある意味では驚くべきことですが、日本の法社会学というそれなりに確立した学問分野において、労働の世界はほとんどその対象として取り上げられておらず、事実上欠落してしまっているのです。・・・
その意味で、金子さんの「そーゆーことは法社会学でやってくれ(意訳)」という言葉は、まことに厳しいものであるとともに、この分野の者がこれから何をやらなければならないかを指し示してくれるものでもあります。
他の書評の類はこちらをどうぞ
2016年6月 2日 (木) 日本の雇用と労働法 | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
1124832011年に刊行した『日本の雇用と労働法』(日経文庫)が第6刷となるそうです。
https://twitter.com/nikkeipub/status/727065164256821248
【増刷のご案内】働く現実と法の関係をトータルに理解する。ロングセラーです!
日経文庫『日本の雇用と労働法』濱口桂一郎 著。6刷。増刷出来日5/16。
http://www.nikkeibook.com/book_detail/11248/
http://hamachan.on.coocan.jp/nikkeibookreview.html
日本型雇用の特徴や、労働法制とその運用の実態、労使関係や非正規労働者の問題など、人事・労務関連を中心に、働くすべての人が知っておきたい知識を解説。過去の経緯、実態、これからの課題をバランスよく説明。
著者は労働法や、人事労務の世界で、実務家・研究者から高い評価を受ける気鋭の論客です。
もともと法政大学社会学部で非常勤講師として教えることになり、そのためのテキストとして執筆したものですが、労働問題と労働法制の両方を手頃にかつ有機的に組み合わされた形で解説した本として、一般の方にも興味深く読める本になっていると思います。
2016年5月 2日 (月) 日本の雇用と労働法 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
112483 アズマ社会保険労務士事務所のブログで、拙著『日本の雇用と労働法』が取り上げられていました。
http://ameblo.jp/azumasr/entry-12077350703.html
今年の社労士試験の話題から、
大河内先生も触れていましたが、労働法学者の濱口桂一郎先生の著書からの出題もあったようですね。
僕も読みましたが、薄い本だし、労働常識の苦手な方は、通勤時に電車の中とか隙間時間に読むと良いかもしれません。
戦後からの雇用政策や社会的背景の流れが、イメージしやすいです。
と、評していただきました。
最後に、
受験生は、やることが多いから、あまりはまらないようにです、、、
と、受験生に警告(?)を発しているのは、極めて適切と言うべきでしょう。
その他、最近書き込まれた書評サイトから:
http://www.hmv.co.jp/en/userreview/bookreco/product/4208637/
今山 哲也 | 2015年06月26日
「日本の雇用システム」と「日本の労働法制」についての概略を両者の密接な関係を領域ごとに一つひとつ確認しながら解説している。欲張りな本なので密度は高い。電車の中で読むのはいささか難儀でありました。
Miyoshi Hirotaka | 2015年07月19日
海軍工廠が起源の年功型生活給は戦後も維持された。長期雇用とセットになることで、中高年に実績以上の賃金を払うために必要だったからだ。また、年齢とともに昇給しなければ、増加する生活、住宅、教育などの費用を社会保障として給付しなければならなくなる。つまり、これは政府にとってもメリットがあった。ところが、これは労働力を固定化し、同一労働同一賃金という原則から乖離する。雇用は複雑な社会システム。ある原則だけを強調すると常識外れの議論に陥り、現実に適合しない。時間的、空間的な広がりの中で労働社会を捉えることが必要。
2015年9月26日 (土) 日本の雇用と労働法 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
112483 2011年に出版した『日本の雇用と労働法』(日経文庫)に、今なおこうしてお褒めの言葉をいただき続けられるのは、とてもありがたいことです。
http://homepage1.nifty.com/msekine/top/book2015.html
経営学、経済学、社会学的な労働環境と、
労働法に基づく法制度の矛盾を説き起こし、
その矛盾の上に成り立つ日本の労働問題を、
他国の労働制度と比較し、綺麗に説明します。
優れた著作です。
このような著書を、
20年前に読んでいたら、
私の社会認識は異なっていたと思う。
いや、経験を積み重ね、
今の年齢になったから、
この書の良さが読み取れるのか。
いや、いや、そのように自分を慰める以外にない。
法律実務的には、
理屈も、正義も、合理性も存在せず、
イデオロギーと主張だけが存在する不毛の泥沼ですが、
社会学的に観察すると、労働問題ほど面白いモノはない。
働く人達の80%はサラリーマンなのだから、
まさに、彼らの置かれた立場の昆虫観察のような面白さがある。
このような制度の下にしか生きることができないのが社会なのか。
蟻か、蜜蜂のコロニーの階層構造と造りを観察するようで面白い。
著者は、
メンバーシップに加入できた正社員と、
雇用契約に基づく非正規社員を二重構造と定義している。
しかし、正規社員でも、
本店採用総合職、支店採用総合職、一般職の3層構造になる。
人間は、このような制度の下にしか生きることができないのか。
2015年3月29日 (日) 日本の雇用と労働法 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ネット上には書評サイトがいくつかありますが、拙著がいくつかそれらの上で書評されていましたので、ご紹介。
その中でもとりわけこの「ランビアン」さんによるブクレコ上の書評は、大変詳細かつ深く分け入って拙著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)を読み込み、現下の労働問題に引きつけて論じていただいている、すばらしい書評です。
http://bookrepo.com/book_report/show/372757 (二十四時間戦えますか?)
112483 日本人、ことに男性の長時間労働があらためて問題となっている。解消が進まない待機児童の存在と並び、女性の社会進出を妨げる要因として、その解消が強く叫ばれているのである。
これが重大な問題であることに異論はないが、私が違和感を覚えるのは、一部のフェミニストによる主張、すなわち長時間労働が解消しないのは「男は職場、女は家庭」という性別役割分業意識のせいだという言説である。
仮にこの主張が正しいとするなら、日本の男たちが明日からでも心を入れ替えて、超過勤務をせず定時に退社するよう努めれば、諸般の問題はすべて解決ということになってしまう。
そんなバカなことがあるはずがない。日本の男性がみな仕事中毒だなどというのは真っ赤な嘘で、私のように残業が大嫌い(読書時間が減るから当然だ)な男も多いはずである。その私ですら、在京時には日々深夜どころか朝方までという長時間勤務に耐えねばならなかったのである。
男女を問わず、日本の企業で正社員として働いたことのある人ならわかるはずだ。そこではいわゆる付き合い残業でさえ、否応なく引き受けねばならない業務の一環なのである。それは総合職の女性たちにとっても同じことであって、現に私の職場でも、女性がほぼ男性同様に残業をこなしている。
だが、なぜ日本でだけ一向に超過勤務縮減が進まないのか。終身雇用制は理由にならない。終身雇用であろうがあるまいが、自分の仕事を片付ければ帰宅して構わないはずではないか。冒頭に述べた怪しげな見解も含めて様々な分析がなされているが、案外見落とされているのが根本の部分、すなわち企業と労働者との間で締結される労働契約のあり方だ。
実は、日本の労働契約は世界に類を見ない異様な代物なのだが、その事実を知っているサラリーマンは案外少ないように思われるのである。
日本以外の先進国においては、労働契約とはすなわちジョブ契約である。これこれの仕事をするから、これこれの給与を支払うという、きわめて具体的な取り決めが契約上で行われる。各人がなすべき業務の範囲は明確に決められており、それ以外の仕事をする必要はなく、やったところで評価もされない。
そして、企業の業績不振や事業分野からの撤退によってやるべき仕事がなくなれば、その業務に従事していた社員は解雇される。当の社員は特定の範囲のジョブとセットになっているのだから、しごく当然の話である。
対する日本でも、むろん各自の仕事の範囲は一応決まってはいる。だが、それは労働契約で規定されているのではなく、使用者の命令によっているにすぎない。つまり契約上日本の労働者は、その企業の中のすべての種類の業務に従事する義務があり、会社にはそれを要求する権利があるのだ。
だから日本では、各自がそれぞれの仕事をやっているのではなく、いわば社員全員で一つの仕事をやっているのである。同僚の多忙は他人事ではなく、付き合い残業という奇怪な現象が発生し、業務の繁忙期における相互応援が当然視されるのはこのためだ。
一方、その代償として、企業側には各社員をギリギリまで解雇しない努力が求められる。ジョブがないから社員も不要、というわけにはいかないのだ。ある工場を閉鎖したり、ある分野から撤退しても、別の工場や新たな分野への配置転換によって、企業は社員に新たな仕事を与える義務がある。
翻って労働者の側も、望まない仕事や遠隔地への転勤を甘受せねばならないことになる。勢い各人が辿るキャリアパスは多様となり、結果として特定分野のスペシャリストよりも、多様な分野への適応力を備えたゼネラリストが重んじられる傾向が生まれてくる。
要するに、日本の労働契約とは、社員が従事すべき業務とその対価を取り決めるジョブ契約ではなく、単に彼がその会社のメンバーに加わることを確認するにすぎない「メンバーシップ契約」なのである。新卒一括の採用方式も、特定のジョブの担い手を探すというより、その会社共同体に相応しい新メンバーを選定するための「通過儀礼」だと考えればわかりやすい。
かかる特異な労働契約のあり方から、長期労働慣行、年功賃金制度、企業別労働組合という、日本の労働法制における〝三種の神器〟が発生してくる。
しかし、社員全体で一つの仕事を、というメンバーシップ契約の建前を文字通りに適用した日には、とてもではないが各社員の身がもたないから、これをあたかもジョブ契約であるかのごとく運営していくための実務上のルールが必要となり、それが労働裁判において確立してきた判例法理ということになる。
以上、見てのとおり、日本の労働法制は現実と建前、契約と法と慣行とが絡み合った、複雑怪奇というほかない内容を有しているのだが、本書『日本の雇用と労働法』は、その構造と実態を簡明に解き明かしてくれる好著である。
著者の濱口桂一郎は、労働法制の実務に精通した元厚生労働官僚であり、現在大きな課題となっている雇用制度改革にも活発な提言を行っている注目の論客だ。
濱口は上述した日本の労働法制の構造を解説するにとどまらず、このユニークな制度が形成されてきた歴史的経緯も詳説しており、現下の労働問題に関心を持つ人ならば、最低限読んでおくべき基本書として推奨したい。
殊に現代日本人が知っておくべきは、この日本型雇用システムが確立するに際して、先の戦争が大きな役割を果たしたという事実である。国家総動員体制の中で、従業員の事実上の解雇禁止や年功賃金が企業に強制され、戦後の労働運動がこれを引き継いだ。
当時の日本国民の経済的平等への強烈な志向が戦争の遠因になったことは、坂野潤治や井上寿一ら政治史家も指摘している。終戦後に日本の高度成長のエンジンとなったのは、雇用制度の安定と戦中・戦後に味わった貧困への恐怖という、戦争の置き土産だったのかもしれない。
ここまでお読みいただければわかるとおり、実は日本人の長時間労働問題を解決するのは難しくないのである。ただ日本型の雇用制度を欧米流のジョブ型に変えさえすればいいのだ。そうすれば付き合い残業も転勤もなくなり、「社畜」問題も雲散霧消するだろう。
恐らく、多くの経営者や政治家がこうした欧米型労働システムへの転換を考えているはずである。新自由主義政党である日本維新の会はもちろんだが、日立による年功賃金見直しを安倍首相が好意的に評価してみせたことも、かかる潮流の強さを示しているといえる。
この転換が実現すれば、時短により家族とのゆとりのある生活が実現する反面、自社の業績が悪化すれば職を失うことになり、少数のエリートを除くほとんどの労働者が昇進や昇給と無縁になる結果、賃金水準は大幅に低下するだろう。
これは共働きの事実上の強制化によって対処するほかないだろうから、女性も絶対に仕事を止められない時代がやってくるが、働きたいという女性がこれだけ多いのだから、大きな問題とはなるまい。いずれにせよ、こうしたシステムの転換が日本の社会や文化にいかなる影響を与えるかをこれ以上推測することは、私の乏しい知的能力を超えている。
その他、読書メーターでは「Maho」さんによる『日本の雇用と中高年』の書評と、
http://bookmeter.com/cmt/42289903
26184472_1 日本はバブル崩壊までずっと年功序列型の雇用形態が叫ばれていると思っていたため、1960年代にジョブ型に移行しようとする動きがあったことを知って驚きました。また、管理職への昇進の仕方も日本は欧米からすると独特なのだろうなと感じました。年齢が上がって子育てや教育にお金がかかるようになったら社会全体で支えられるようになればいいなと感じました。例えば児童手当の他に、就学援助の拡大や住宅購入費や家賃の補助などもあればと思います。
「みい」さんによる『若者と労働』の書評がアップされています。
http://bookmeter.com/cmt/42415911
Chuko 日本の雇用システムはメンバーシップ型。非正規雇用者の不安定さ、正規労働者の働きすぎ、いろいろな問題を解決する方法として、ジョブ型正社員という働きかたの提案。なるほど。現実に即して、より働きやすく生活しやすく会社にとってもメリットを、ってことね。
2014年11月 2日 (日) 日本の雇用と労働法 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)