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もう定期刊行物ですが、我が大日本国においては、
政府を大きくしたくて仕方がなくてそのための税金を死守するぞと叫ぶのがなぜか豊かな経営者の支持する右派政党で、
政府を小さくしたくて仕方がなくてそのために税金を極小化するぞと叫ぶのがなぜか貧しい労働者の支持する左派政党です、
と西欧人に説明する時のやりきれなさに、誰か名前をつけてほしい
61ktymrbl_sy522__20250626103401 本日の朝日新聞の「論壇時評」に、『Voice』7月号に載せた拙稿「日本の賃上げはなぜ難しいのか?」が、吉弘憲介さんによって取り上げられています。
https://www.asahi.com/articles/AST6T2S37T6TUCVL039M.html
吉弘憲介 経済・財政
▷濱口桂一郎「日本の賃上げはなぜ難しいのか」(Voice7月号)
〈評〉政府や経団連によると、日本の賃金は毎年約2%増とされてきた。しかし個々の労働者の賃金=ミクロは上がりながらも、全体の賃上げ=マクロにはつながっていない。これはミクロの数字が定期昇給を含んでいるからだ。定期昇給は、上の年代を退職させて途中を順々に引き上げる「ゼロサム的賃上げ」を意味する。個人の賃金が上がっても、企業の人件費に回す分はゼロサムとなり、1人あたりの賃金に直すと上昇していないというからくりである。今年の春闘では大企業を中心にベアアップに満額回答が相次いだ。しかし日本の給与決定メカニズムを踏まえると、この傾向が確定的なものではないことが分かる。
▷田中賢治「日本企業は資金をため込んでいるのか?」(経済セミナー6・7月号)
▷梶谷懐「米中対立はグローバルな自由貿易体制をどう変えるのか」(世界7月号)
ありがたやまでございます。
ちなみに、ベアというのはベースアップの略なので、ベアアップという言い方はしないと思います。
Photo_20250625085001 東洋経済オンラインの「80年目の戦争経済総決算」という特集シリーズの一環として、「みんなが出世競争する「日本型雇用システム」を生んだのは戦時・戦後の「社内平等革命」だった...差別をなくしたら非正規化が進むパラドクス」を寄稿しました。
https://toyokeizai.net/articles/-/885204
現代日本の労働問題といえば、安倍政権の「働き方改革」で二大課題とされた正社員と非正規労働者の格差の問題と長時間労働の問題が真っ先に挙げられる。
これらに加え、なかなか進まない男女格差の是正など、さまざまな労働問題の原因と指摘されるのが、かつては日本企業の競争力の源泉ともてはやされた日本型雇用システムだ。
だが、かつての礼賛派も今日の批判派も共通して見落としていることがある。
それは、いまや正社員と非正規労働者を堂々と差別する仕組みになってしまったこのシステムが、もともとはブルーカラーとホワイトカラーの間の、そしてホワイトカラーの中でもノンエリートとエリートの間の、差別をなくそうとする社内平等革命によって生み出されたものであったということだ。
平等を求めて作り出されたシステムが差別を生み出したというこの逆説こそ、80年目の総決算として改めて噛み締めるに値する。・・・・
『労基旬報』2025年6月25日号に「労災保険のメリット制」を寄稿しました。
労災保険制度には「メリット制」という仕組みがあり、その扱いをめぐって現在、厚生労働省労働基準局の「労災保険制度の在り方に関する研究会」(学識者9名、座長:小畑史子)で議論が行われています。同研究会の論点は広範に及びますが、そのうち近年あんしん財団事件をめぐって話題になったメリット制については、その歴史的経緯を改めてたどり直してみたいと思います。日本の労働者災害補償保険法は終戦直後の1947年4月7日に公布され、同年9月1日に労働基準法と同時に施行されました。その最初の段階から、保険料徴収におけるメリット制が規定されていました。第二十七条 常時三百人以上の労働者を使用する個々の事業についての過去五年間の災害率が、同種の事業について前条の規定による災害率に比し著しく高率又は低率であるときは、政府は、その事業について、同条の規定による保険料率と異なる保険料率を定めることができる。その趣旨について、制定当時の担当課長であった池辺道隆はその著書(『最新労災保険法釈義』三信書房、1953年)において、「メリツト制は保険的性格を損うことなく、しかも・・・公平の観念に合致し、且つ、災害の減少を期すことができるもの」と述べていました。もっとも、法律に「過去五年間」とあるように、この規定が動き出すには施行後5年の経過が必要のはずでした。ところが、労災保険財政は火の車で補償費すら満足に支払えない状態が続き、保険料率の改定だけでは不十分で、災害の発生率を減少させることが必要との判断から、急遽1951年3月にメリット制の実施時期を2年早める改正を行い、同年4月から施行されました。この時、メリット制の適用事業を労働者300人以上から100人以上に拡大しています。また、保険料率の増減の基準を収支率85%超えで引き上げ、収支率75%以下で引き下げとしました。次の改正は建設事業への適用拡大です。メリット制は前述のように過去3〜5年間の収支率で保険料を上下するので、建設事業のような有期事業は適用除外されていました(労災保険則第23条の2第3項)。池辺によれば「有期事業は、元来一般に期間が短く、しかも、その作業環境が個々の作業と作業の進捗状況によつて異るものであり、また事業の性質上移動性に富み、メリツト制の対象とするには適応性と実益に乏しいから」です。しかし、建設事業における災害が年々増加する実情に鑑み、建設事業にもメリット制を適用して災害防止を行うべきとの考えが強くなってきました。こうして、1955年8月に法改正が行われました。有期事業としての特殊性から、その適用要件を労働者数ではなく確定保険料20万円以上とし、保険料は事業が終了してから精算するという仕組みになっているので、保険料率ではなくその精算するべき確定保険料の額を増減するという仕組みです。なお、1960年6月の法改正(給付の年金化や特別加入の創設で有名ですが)により、立木の伐採の事業及び一括有期事業にも適用拡大されました。その後、1971年12月に労働保険徴収法が成立し、適用徴収関係の規定は同法に移されました。その後も徴収法上でメリット制に係る改正は相次ぎ、中小規模事業場のうち災害度係数が高いものにも適用拡大するとか、メリット増減幅を30%から35%へ、さらに40%に拡大するといった改正が行われています。また1980年12月の改正では、日雇または短期間雇用で事業場を転々する労働者が遅発性の職業性疾病に罹患した場合には、当該疾病の発生の責任を最終事業場の事業主にのみ帰属させるのは不合理なので、これら特定疾病に係る給付額はメリット収支率の算定基礎から除外しました。この時点では林業の振動障害、建設事業のじん肺と振動障害、港湾運送業の非災害性腰痛です。その後2006年に石綿、2012年に騒音性難聴が追加されました。その他の改正は省略します。労災保険制度が複雑化するのにつれて規定ぶりも複雑になっていますが、大筋は変わっていません。このように展開してきたメリット制が思いがけない形で世間の注目を浴びたのは、一般財団法人あんしん財団事件によってです。同事件の東京地裁判決(令和4年4月15日)は、労災支給処分の取り消しによって回復すべき法律上の利益を有しないとして却下しつつ、保険料認定処分の取消訴訟でその違法性を取り消し事由として主張できると判示したのに対し、その控訴審である東京高裁判決(令和4年11月29日)は労災支給処分の取消訴訟の原告適格を認める考え方に立って事件を東京地裁に差し戻したのです。これに対して厚生労働省は2022年10月に「労働保険徴収法第12条第3項の適用事業主の不服の取扱いに関する検討会」(学識者5名、座長:荒木尚志)を設置し、同年12月に報告書を取りまとめ、労災支給処分の取消訴訟の原告適格は認めないが、保険料認定処分の取消訴訟で労災支給処分の違法性を主張することは認めることとし、翌2023年1月に通達「メリット制の対象となる特定事業主の労働保険料に関する訴訟における今後の対応について」(基発0131第2号)を発出しました。この考え方はその後最高裁により承認されましたが、こういう事態が起こるのもそもそもメリット制などというものがあるせいではないかという批判が沸き起こってきたのです。例えば、日本労働弁護団は2023年2月に出した幹事長声明で次のように述べています。・・・かかる判決が出た原因は、メリット制によって、直接、使用者の保険料が増大する可能性が生じることにある。そもそも、メリット制は、労災保険料徴収法12条3項に「できる」とある通り、任意的適用となっており、一部疾病等については、通達によってメリット制の対象外となっている。その上、労災事故の防止という観点からは、業務起因性のある傷病が発生したことと、保険料増大を直接結び付けるべき理由はない。これに加え、現在のメリット制の在り方によって前記のような判決が出て、種々の被災労働者・遺族に対する負の影響があるため、メリット制のあり方について議論を速やかに開始し、迅速な補償を行うことで安心して労働者を療養させるという労基法第8章及び労働者災害補償保険法の趣旨を真に達成できる制度とすべきである。また、過労死弁護団全国連絡協議会メリット制検討チームが2022年12月に出した意見書は次のように述べています。そもそも、メリット制は、無過失責任を前提とする労災保険制度の下で適切かどうかとの議論が従前より存在し、加えて、今日においては、メリット制の導入当時と比べて、明白な災害性事故ではない労災、すなわち過労性疾患のような形態の労災が増加している状況の下で現行のメリット制がそのまま維持されることについては疑問があり、厚労省内においては、メリット制の存続の可否、ないし内容の変更の可否を検討していくことが必要な情勢になっていると思料する。こういった状況を踏まえ、冒頭に述べた労災保険制度の在り方に関する研究会においても、メリット制について次のような論点が示され、議論されているのです。【論点1】メリットの趣旨目的に照らして、メリット制は今日でも意義・効果があるといえるか。?メリット制の適用対象は妥当か?メリット制が災害防止に効果があるのか。【論点2】メリットの算定対象は妥当か。?特定の疾病をメリット収支率の算定対象外とすることについてどのように考えるか。?高齢者や外国人をメリット収支率の算定対象外とすることについてどのように考えるか。議事録を見る限り、委員の間でも意見はさまざまでまだまとまる段階にはなさそうですが、今後どのような方向に議論が進んでいくことになるのか、注目して見ていきたいと思います。
メディアで少し前から話題になっていたオリンパスの降格事件ですが、ついに訴訟を提起したようです。
「後付け」の理由で降格し給料が大幅ダウン、2度の自殺未遂も... 「ジョブ型人事」に基づく処分は不当として、オリンパス株式会社を社員が提訴
まあ、労働事件としてよく見かけるタイプの事件なので、普通だったらわざわざ取り上げることもないのですが、気になるのが、この「新人事制度」を
オリンパスの人事制度は「ジョブ型人事」の模範例として、2023年12月に内閣が開催した分科会で取り上げられた。しかし、当時開かれた記者会見で、A氏は「ジョブ型人事制度を口実に人事権が濫用されており、大変多数の社員が、苦汁を飲みながら辞めていった」と告発。
会社側が、この労働者の意に反して勝手に配転できる完璧にメンバーシップ型の制度を「ジョブ型」と勝手に呼んでいるからと言って、この事件を「オリンパスジョブ型事件」なんて呼んでほしくないのですよ。
百万回繰り返しても、全然伝わらないのですが、「ジョブ型」というのは200年以上前にイギリスで原型が誕生し、100年前にアメリカでほぼ完成した、古臭くて、硬直的で、柔軟性がなくて、契約で定めたことしかやらせられなくて、勝手に配転するなんて馬鹿なことはできなくて、日本の人事担当者だったら三日で悲鳴を上げてしまうようなガッチガチの代物なんですが、なぜかその正反対の、柔軟極まる日本的なメンバーシップ型よりもさらにはるかに柔軟を極めつくしたような未来型の夢の制度だと思い込んでいる日本国民のなんと多いことか。
Gt2ithqw8aaakos 『旬刊経理情報』2025年7月1日号の巻頭エッセイ「談・論」に、「月給制と時給制」を寄稿しました。
2018年の働き方改革により、「通常の労働者」(=正社員)と非正規労働者の均等待遇が「同一労働同一賃金」という看板のもとで施行されている。だが、現実の労務管理の世界で両者を分かつ賃金制度上の最大の違いは、前者が月給制であり、後者が時給制であるという点にある。・・・・・
Dio4091 連合総研の機関誌『DIO』のNo.409に、「日本型賃上げ方式の本質と課題」を寄稿しました。
https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio409.pdf
「賃上げは今後も続くのか?〜持続的な賃上げと経済好循環の実現に向けた課題〜 」という特集の中の一本です。
解 題
2025春季生活闘争の評価と賃上げの持続性向上のための課題 太田 哲生 ............ 4
寄 稿
持続的な賃上げをどうすすめるか 脇田 成 ............ 8
持続的な賃上げ実現のための生産性向上策について 滝澤 美帆 ............13
中小企業・地域への持続的賃上げの波及に向けた課題太田 哲生 ............18
日本型賃上げ方式の本質と課題濱口 桂一郎 ............27
Ui8weewm_400x400 今騒ぎになっている例の件について、猪原透さんがこんな風に推測しているのですが、
まあでも、ふだんYoutubeやtiktokで陰謀論を自由に話している人が、校閲に嫌悪感を覚えるのは自然なことかもしれない。
恐らくそんなところなんでしょうが、逆にいうと、五月書房の校閲は極めてまっとうに、あまりにもまともに仕事をし過ぎたので、嘘八百ばかり書き飛ばしても今まで何にも言われてこなかったこらえ性のない著者の逆鱗に触れてしまったのでしょうか。
言うまでもなく校閲というのは極めて大事な仕事であって、単なる書き間違いや表現のミスだけでなく、著者が思い違いをして事実に反することを書いたりしているのをちゃんと正すというのも重要な役割です。
そういう機能がちゃんと働いていないと、どういう本が出来上がってしまうかといういい実例を、かつて本ブログで紹介したことがあります。
こういう本を出すのは、もちろん著者はどうせそういうたぐいの人なんだからどうでもいいのですが、名の通った出版社がそういう本を出したというのは、やはり恥ずかしいことになるはずです。
9784569826783たまたま宇田川敬介著『ほんとうは共産党が嫌いな中国人』(PHP新書)という本を見つけて読み出したのですが、冒頭の数ページにして既に、
・・・また、満州事変の時に日本に協力して満州を束ねた「張作霖」も、いずれも軍閥の一つでしかない。・・・
え?張作霖が満州事変で日本に協力した?そのすぐあとに
・・・実際に、北洋軍閥奉天派の首領張作霖は、中華民国に抵抗し、旧皇帝の血統である愛親覚羅溥儀を立てて満州国を建国することを夢見るようになり、そのまま中華民国の対抗勢力として日本と手を組むことになるし・・・
ここまで書いているところを見ると、書き間違いではなさそうです。でもそうすると、息子の張学良はどういう立場?
さらにこんなのも、
清帝国を滅ぼした辛亥革命は1911年に発生する。この革命によって清帝国が倒されたため、モンゴルのボグド・ハーンも、清帝国から独立する。背景にはスターリンの支援があった。またチベットも、このときに独立している。
ボグド・ハーンというなかなか玄人的な知識が出てくるのに感心したのもつかの間、1911年にスターリンが支援している!確かこの頃、コバこと同志ヨシフ・ジュガシビリは流刑地にいたはずだが。
第1章のほんの数ページの間にこれだけの世界史をひっくり返す新知見が展開されると、さすがにそれ以上先を読む気が失せかけますが、そこをぐっとこらえて次の章に移ると、あとは、
著者はかつて破たん前のマイカルに勤め、中国随一のデパートとなったマイカル大連の責任者であった人物。ゆえに、共産党上層部から、店の従業員や取引業者まで、あらゆる階層の中国人と懇意となり、今もその独自の人脈を生かして取材活動を行っている。大国の実像を知り、今後の行方を占うために、彼らの生の声に是非触れてもらいたい。
という惹き文句の通り、著者が中国で経験したいろんな階層の人々の話が繰り出されて、それはそれなりに興味深いものがあります。
それにしても、この第1章の潜在的読者に対する破壊的効果はかなり大きなものがあるのではないかと想像され、出版の前にせめて高校の世界史の教科書くらいはざっと読んで直せるものは直しておいた方が良かったのではないかと愚考するところです。
WEB労政時報に「管理職、専門職、事務職」を寄稿しました。
https://www.rosei.jp/readers/article/89212
「ジョブ型」という言葉を私が作ってから20年近くたちましたが、依然として職務給という賃金制度の問題としてしか理解されていない傾向が強く、企業が、ひいては社会がジョブ(職務)という概念を中核として構築されているのがジョブ型雇用社会であるという認識は希薄なようです。日本でいかにジョブの観念が希薄であるかを物語るのが、管理職、専門職、事務職が一つながりの存在と思われていることです・・・・・
昨日、最高裁判所が風営法の特殊営業事業者に持続化給付金を支給しないのはOKだよという判決を下したということで、改めてこれを掘り返してみましょう。
朝日の夕刊に「性風俗業は「不健全」か コロナ給付金巡り、国「道徳観念に反し対象外」」という記事が載っていて、この問題自体は本ブログでも厚生労働省の雇用助成金と経済産業省の持続化給付金の取り扱いの違いについて論じてみたことがありますが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-b631f8.html(新型コロナと風俗営業という象徴)
・・・雇用助成金の時には、風俗営業だからと言って排除するのは職業差別だとあれほど騒いだ人々が、岡村発言の直後にはだれも文句を言わなくなってしまっているというあたりに、その時々の空気にいかに左右される我々の社会であるのかがくっきりと浮かび上がっているかのようです。
本日はその件ではありません。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14941351.html(性風俗業は「不健全」か コロナ給付金巡り、国「道徳観念に反し対象外」)
何の話かというと、政府が性風俗業を持続化給付金の対象から外した論拠として、スナックや料亭といった(性風俗ではない)風俗営業は公安委員会の「許可」制にしているのに対し、性風俗業は公安委員会への届出制にしていることを挙げているという点に、ものすごい違和感を感じたからです。曰く、
・・・性風俗業を「性を売り物にする本質的に不健全な営業」「許可という形で公認するのは不適当」としている。
国はこれらをもとに、性風俗業は「不健全で許可制が相当でない業務とされてきた」・・・
性風俗業がいかなるものであるかについてはここでは論じませんし、持続化給付金の対象にすべきかどうかもとりあえずここでの論点ではありません。
しかし、「本質的に不健全」であるがゆえに許可制ではなく届出制とするのだ、というこの政府が裁判所で論じたてているらしい論理というのは、どう考えてもひっくり返っているように思われます。
そもそも、行政法の教科書を引っ張り出すまでもなく、許可制というのは、一般的禁止を特定の相手方に対して解除するという行政行為です。なぜ一般的に禁止しているかといえば、それはほっとくと問題が発生する恐れがあるからであり、何か問題が起きたら許可の取り消しという形で対処するためなのではないでしょうか。
それに対して、届出制というのは一般的には禁止していないこと、つまりほっといても(許可制の事業に比べて)それほど問題は発生しないであろう事業について、でもやっぱり気になるから、念のために届出させて、何かあったら(届出受理の取り消しなとということは本来的にありえないけれども)これなりにちゃんと対応するようにしておこうという仕組みのはずです。
そして、労働法政策においても、たとえば有料職業紹介事業は許可制ですが、学校や公益法人等の無料職業紹介事業は届出制ですし、派遣も今は許可制に統一されましたが、かつては登録型派遣は許可制で、常用型派遣は届出制でした。これらはどう考えても、前者の方が問題を起こしやすく、いざというときに許可の取り消しができるように、後者はあんまり問題がないだろうから、届出でええやろ、という制度設計であったはずです。
それが常識だと思い込んでいたもんですから、このデリバリーヘルス運営会社の起こした持続化給付金訴訟において、政府が上述のような全くひっくり返った議論を展開しているらしいということを知って、正直仰天しています。
※(注記) ま、どっちがノーマルでどっちがアブノーマルかは人類史の解釈次第でしょうけど、それよりも私が驚愕したのは、持続化給付金を所管する経済産業省なのか、風俗営業法を所管する警察庁なのかはともかく、大学の法学部で一通り行政法を勉強し、公務員試験でも行政法で受験した法律職の公務員がいっぱいいるはず(警察庁であれば大多数)の霞が関の役人たちが、そういうイロハのイをすっからかんに忘れた風情で、前近代の「お目こぼし」思想全開の議論を、裁判所で並べ立てているらしいことでした。
大学の法学部で一通り行政法を勉強したはずの霞が関の役人だけではなく、日本国の法律のエキスパート中のエキスパートであるはずの最高裁判所の裁判官たちが揃いも揃って、
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/179/094179_hanrei.pdf
そして、本件特殊営業については、風営法において種々の規制がされているところ(第4章第1節第2款)、これは、本件特殊営業が上記の特徴を有することに鑑み、このような規制をしなければ、善良の風俗や清浄な風俗環境を保持し、少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止することができないと考えられたからにほかならない(同法1条参照)。また、風営法が本件特殊営業を届出制の対象としているのは(31条の2)、本件特殊営業については、その健全化を観念することができず、風俗営業(同法2条1項)に対するものと同様の許可制をとること、すなわち、一定の水準を要求して健全化を図ることを前提とした規律の下に置くことは適当でないと考えられたことによるものと解される。
などという訳の分からない屁理屈を並べて満足しているように見えるさまは、些か唖然とせざるをえません。
類似の事業を営む者に対して、一方には許可制をとり、他方には届出制をとるという立法政策を説明するにあたって、行政法には統一的な基準というものはかけらも存在せず、そのときそのときに勝手にやっているのだ、それでいいのだ、と嘯くならともかく、日本国の行政について一般的に通用する許可制と届出制についての共通判断基準というのがあるのであれば、それはここで最高裁が堂々と謳い上げたこの基準ということになるはずですが、それでいいのですかね。
そうすると、最高裁の法理からすると、有料職業紹介事業は「一定の水準を要求して健全化を図ることを前提とした規律の下に置く」ために許可制にしているけれども、学校や公益法人等の無料職業紹介事業は「その健全化を観念することができ」ないから届出制にしているんですかね。思わず、「なるほど!」と言ってしまいそうですが。
これは立憲民主党もその傾向があるんだけど、国民民主党は所帯が小さいだけに余計目立つんだが、まっとうだけど地味な労働組合系の議員や候補者と、派手だけどいかがわしさ全開のメディア芸人系の議員や候補者との落差が大きすぎるんだな。
たぶん、連合の中の人は、「なんでこんないかがわしい連中に引っ掻き回されて、我々の大事な組織内議員や候補者が振り回されるんだ」という声が喉元まで出かかってるはず。
289_h1768x1095_20250616124001 先日予告した『季刊労働法』288号(2025年夏季号)が届きました。
わたくしの連載「労働法の立法学」は、「年次有給休暇の法政策」です。
はじめに
労働法の世界における重要なトピックでありながら、これまでこの連載で取り上げてこなかったテーマに年次有給休暇があります。終戦直後の1947年に労働基準法に規定されてから80年近い年月が流れましたが、その歴史は本来の趣旨とはかけ離れた形に進化(退化?)し続けた過程であり、今日もなおその矛盾の中にあります。
1 労働基準法における「年次有給休暇」の成立
2 労働基準法施行規則における時季聴取義務とその削除
3 1987年改正
4 1993年改正と1998年改正
5 2008年改正
6 2018年改正
7 年次有給休暇取得率の推移
8 近年の動き
ちなみに今号で面白かったのは、一番最後の判例解説でした。
条件付採用の地方公務員に対する分限免職処分(本採用拒否)の適法性 宇城市(職員・分限免職)事件(福岡高判令5・11・30労判1310号29頁) 全国市長会副参事 戸谷 雅治
判決では、「B係長及びC主査はXに自らの指導が伝わらないことについて特段の工夫をしていないし、・・・業務以外の話をするなどXとのコミュニケーションを積極的に取ろうとしたとは窺われない」等として、分限免職を違法として取消しを命じていますが、評釈で戸谷さんは、「B係長やC主査が業務以外の話をするなど、Xとのコミュニケーションを積極的に取ろうとしていたとは窺われないとしたことについては、そうした業務以外の話は、現代社会においては私生活への干渉、ひいてはハラスメントなどと受取られるおそれがあり、上司には難しい判断が求められる。始動をする立場にある職員に対して、積極的なコミュニケーションとして業務以外の話までも求めるのは酷に過ぎるように思われる」と批判しています。
拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』でも述べたように、ジョブのスキルではなく潜在能力で採用された日本型新入社員は、上司や先輩があたかも教師が生徒を教導するかの如く教え導くのが当然とされ、それもしないでスキルが足りないなどといって解雇することは断固認めないのですが、それこそが「職場の暴力とハラスメント」はどの国にも山のようにありながら、日本では「教育指導とパワハラはどこで線引きするのですか」という他に類を見ない質問ばかりがパワハラ講習会で続出する原因であるわけです。
日本の裁判官は、本事案のような局面では、プライベートにずかずか踏み込んで旧来の日本型メンバーシップで以て部下を指導しろ、それをしないのはけしからんと言っておきながら、また別の局面では、上司といえども部下のプライベートにずかずか踏み込むのは許しがたいと、日本型メンバーシップを批判するものだから、現場の上司は困るんだよね・・・・・というぼやきが聞こえてくるような評釈です。
Borothstein150x150 久しぶりにソーシャル・ヨーロッパから、ボー・ロトステインのエッセイを。題して「トランプの学術攻撃:大学自身にも責めがある?」
Trump’s Attacks on Academia: Is the U.S. University System Itself to Blame?
冒頭はトランプのやってるあれやこれやのひどさの話ですが、そこから話が大学自身に向かいます。
However, there is reason to question whether American universities themselves bear some responsibility for this dreadful situation.
しかし、アメリカの大学自身がこの悲惨な状況に何らかの責任があるのではないかと問うべき理由がある。
アメリカの大学には傑出した政治学者や経済学者が山のようにいるけれども、
Given these facts, it is obvious that both economists and political scientists in the United States have failed miserably in conveying their fundamental insights to a very large segment of the electorate. To put it bluntly, the country with the world’s best political scientists and economists has not only elected its "worst" president, from the perspective of what constitutes quality of government, but also a president who pursues the "worst" trade policy economists can imagine. What are the reasons for this calamity? One answer is that American economists and political scientists have not taken sufficient responsibility for communicating their fundamental insights to the public.
とすると、アメリカの経済学者も政治学者も彼らの基本的な洞察を選挙民の最大多数に送り込むことに惨めに失敗したことは明らかだ。露骨に言えば、世界最高の政治学者と経済学者を有する国は、政府の質を構成する観点から「最悪」の大統領を選んだだけではなく、想像しうる「最悪」の通商政策を追求する大統領を選んだのだ。この惨禍の理由は何か?一つの答えは、アメリカの経済学者や政治学者が彼らの基本的洞察を公衆にコミュニケートすることに十分な責任を果たしてこなかったことだ。
The Scottish-American economist Angus Deaton, who has been at Princeton University since 1983 and received the Nobel Memorial Prize in Economic Sciences in 2015, has argued that despite their strong position, "the great American universities are not blameless. They have long been dangerously isolated from the society in which they are located and which ultimately supports them." He pointed out that this isolation has led many with lower education to view universities as serving only an economic and social elite, while their relative economic and social situation has deteriorated significantly.
ノーベル経済学賞受賞者のアンガス・ディートンは、「偉大なアメリカの大学には責めがないわけではない。彼らは長らく危険なまでに、彼らがそこに位置し、究極的には彼らを支える社会から孤立してきた」と論じた。彼が指摘するように、この孤立は多くの低学歴者たちに、彼らの経済社会状況が著しく悪化している一方で、大学を経済的社会的エリートと見るように導いた。
Another prominent figure who has highlighted this problem is the leading liberal writer Nicholas Kristof. In an article in The New York Times, he emphatically called for increased participation in the public debate by the American research community. He contended that career conditions for younger researchers only reward publication in the highest-ranking but most inaccessible academic journals, while informing the public debate about research results does not count. He argued that too many researchers had marginalised themselves and concluded his article by stating that "my onetime love, political science, is a particular offender and seems to be trying, in terms of practical impact, to commit suicide."
この問題を強調するもう一人の著名人はニコラス・クリストフだ。ニューヨークタイムズ紙の記事で彼は熱心にアメリカの学者共同体が公衆の議論に参加することを呼びかけている。彼が言うには、若い研究者のキャリア条件は最高レベルだがほとんどアクセス不可能なアカデミックジャーナルへの公刊のみに報酬を与え、研究結果を公衆の議論に提供することはなんら評価されない。彼は、あまりにも多くの研究者たちが彼ら自身をマージナル化してきたと論じ、「私のかつての恋人だった政治学は、とりわけ犯罪的で、実際の効果という意味では、自殺にコミットしているように見える」と結論付けている。
いやいや、ポール・クルーグマンとか活躍してるじゃん、とか思うけれども、でもアカデミズムの圧倒的大部分はそういうことなんでしょうね。
大衆から乖離したインテリの悲劇、というと月並みな感じですが、でも、ハーバード大学への補助金をやめて訓練校に金を回すというのに喝采する大衆にこそ、メッセージが届かなければ、大学自体が成り立たないのだよ、というのは確かでしょう。
289_h1768x1095 『季刊労働法』288号(2025年夏季号)の予告が労働開発研究会のHPにアップされたようなので、こちらでも紹介しておきます。
https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/13057/
特集 カスタマーハラスメントの法規制
カスタマーハラスメントに対する規制の動向(条例制定と法改正の動向) 成蹊大学教授 原 昌登
カスタマーハラスメントに係る裁判例の動向と法的論点 大東文化大学准教授 滝原 啓允
「カスタマーハラスメント」に関する海外の法的議論―フランス及びカナダ・ケベック州を素材に― 東京大学社会科学研究所准教授 日原 雪恵
UA ゼンセンからみたカスハラ対策の課題 UAゼンセン流通部門執行委員 佐藤 宏太
【第2特集】競業避止特約をめぐる労働法と競争法―イギリスと日本
本特集の趣旨 早稲田大学名誉教授 石田 眞
労働市場の買手独占と競業避止特約:労働法を活かせるか? エディンバラ大学教授 デイヴィッド・カブレリ (訳:慶應義塾大学講師 林 健太郎)
David Cabrelli 教授の報告に対するコメント 専修大学教授 石田 信平
石田信平教授のコメントへの応答 エディンバラ大学教授 デイヴィッド・カブレリ (訳:慶應義塾大学講師 林 健太郎)
契約終了後の競業避止契約に対する法規制 ―独禁法と公序規制との関係に関する一考察 専修大学教授 石田 信平
■しかく論 説■しかく
労働者等の動員体制と国家緊急権 九州大学名誉教授 野田 進
ドイツ法における性的アイデンティティを理由とする差別の禁止 立正大学教授 高橋 賢司
イギリスにおける労働分野の契約の義務の相互性とコントロール概念の展開 ―Uber 事件最高裁判決のその後のその後 九州大学准教授 新屋敷 恵美子
問題提起―猛暑と労働 岐阜大学教授 河合 塁
労働紛争の調整的解決と強行規定 ―公的紛争解決機関の行為規範に関する一試論― 神戸大学教授 大内 伸哉
■しかく集中連載■しかく 比較法研究・職場における健康と男女の性差(第2回)
ドイツにおける妊娠に関連する労働不能と賃金継続支払法 ―セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツに着目して 北九州市立大学准教授 岡本 舞子
■しかく要件事実で読む労働判例―主張立証のポイント 第12回■しかく
異動命令の有効性と職種限定の合意に関する要件事実 ―社会福祉法人滋賀県社会福祉協議会事件(最二小判令和6・4・26労判1308号5頁)を素材に 弁護士 鈴木 みなみ
■しかくイギリス労働法研究会 第47回■しかく
イギリス個別労働紛争処理における調整的解決と判定的解決の連携 ―ACAS 早期あっせんによる調整的解決の意義― 同志社大学大学院法学研究科 谷川 葉純
■しかくアジアの労働法と労働問題 第58回■しかく
マレーシアにおける複数組合併存問題 神戸大学名誉教授 香川孝三
■しかく労働法の立法学 第74回■しかく
年次有給休暇の法政策 労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎
■しかく重要労働判例解説■しかく
職種限定範囲を超える当該職種廃止に伴う違法な職種変更命令の法的責任 社会福祉法人滋賀県社会福祉協議会(差戻審)事件(大阪高判令7・1・23労判1326号5頁) 専修大学教授 長谷川 聡
条件付採用の地方公務員に対する分限免職処分(本採用拒否)の適法性 宇城市(職員・分限免職)事件(福岡高判令5・11・30労判1310号29頁) 全国市長会副参事 戸谷 雅治
わたくしの連載は、今回は「年次有給休暇の法政策」です。
拙稿「日本の賃上げはなぜ難しいのか?」が掲載されている『Voice』2025年7月号は6月6日(金)発売予定です。
本日、参議院本会議で労働施策総合推進法等の改正案(カスハラ関係等)が成立しましたが、同時に公益通報者保護法改正案も成立しました。
で、参議院のホームページで投票結果を見ると、前者は賛成216票、反対18票で、反対しているのは日本共産党、れいわ新選組、NHKから国民を守る党、及び無所属の神谷宗幣議員(参政党)で、まあそんなところだろうな、というところです。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/touhyoulist/217/217-0604-v003.htm
面白いのは、後者(公益通報者保護法改正案)への賛否で、賛成232票、反対2票と、前者に反対した党もこちらでは賛成に回っているのが多いのですが、そういう大勢に反して、断固反対を貫いているのは、NHKから国民を守る党の二人ですね。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/touhyoulist/217/217-0604-v002.htm
そこはやっぱりそうなるか、と思いました。
Bengoshi 弁護士ドットコムニュースに「労働基準法の「労働者性」、40年ぶり見直しで何が変わるか」というインタビュー記事が掲載されました。インタビュワーは有馬知子さんです。
労働基準法の「労働者性」、40年ぶり見直しで何が変わるか 濱口桂一郎氏に聞く
人間ではなく、アルゴリズムが提示したルートに基づいて、飲食物などを配達するウーバーイーツ配達員のように、プラットフォームワーカーと呼ばれる人たちが世界的に増えている。
彼らは、労働法で保護される労働者なのか、それとも、自営業者なのか。労働基準法の「労働者性」については、40年前に厚労省の研究会で議論されたものが今でもベースとなっているが、再検討のタイミングを迎えており、厚労省は今年5月、「労働者性」について議論するための研究会「労働基準法における『労働者』に関する研究会」を立ち上げた。
今回の研究会の意義や、「労働者性」の再検討が働き手にどのような影響を及ぼし得るのか、労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎研究所長に聞いた。(ライター・有馬知子)
1061a49c12884ef787c2b4d1f0eba857 昨日、日本記者クラブで、「戦後80年を問う」というシリーズの題8回目として、「戦後日本型雇用システムの諸問題」というタイトルでお話をしてきました。
https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/36979/report
早速、YOUTUBEに動画がアップされているようなので、毎度おなじみの話ではありますが、関心のある方はどうぞ。
1時間ほど私が喋った後、多くの方が次々に質問をされたので、50分くらい質疑応答が続きます。
427a7005d8fb4e3cbd0a2d91188217b3 水島治郎編『アウトサイダー・ポリティクス ポピュリズム時代の民主主義』(岩波書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。
https://www.iwanami.co.jp/book/b10134164.html
トランプ再選、欧州右翼政党の主流化、「れいわ」躍進......。既成政治を批判し、その周縁から躍進するアウトサイダーの政治家たち。日米欧にとどまらず、ラテンアメリカ、東南アジアにも視野を広げ、世界を揺るがすアウトサイダー政治の「見取り図」を、各国政治研究の第一人者たちが描く、現代政治を理解するための必読書。
ポピュリズムの比較政治ですが、本書の特徴はヨーロッパ諸国に加えてアメリカ、中南米、フィリピン、日本まで視野を広げて分析しているところです。
はじめに アウトサイダーの時代なのか...............水島治郎
第I部 現代政治をどう見るか
第一章 欧州ポピュリスト政党の多様性――概念設定と比較分析
...............古賀光生
第二章 西ヨーロッパにおける自由化・市場化の進展と
反移民急進右翼政党の「主流化」
――世紀転換期の民衆層急進化の政治史に向けて
...............中山洋平
第三章 「アウトサイダー」時代のメディアと政治
――脱正統化される「二〇世紀の主流派連合」
...............水島治郎
第II部 転回するヨーロッパ政治――既成政治の融解
第四章 英国における左右のポピュリズムの明暗
――問われる統治力と応答力
...............今井貴子
第五章 右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の「主流化」
――若者と旧東ドイツにおける支持とその背景
............... 野田 昌吾
第六章 アウトサイダーのジレンマ
――イタリアにおける五つ星運動の政治路線
...............伊藤 武
第七章 フランスから見た
「ヨーロッパの極右・ポピュリスト政党」
...............土倉莞爾
第八章 鼎立するベルギーのポピュリズム
...............柴田拓海
第九章 福祉の代替か、アートの拠点か、犯罪か
――オランダにおける空き家占拠運動の六〇年
...............作内由子
第III部 環太平洋世界はいま――交錯する新旧の政治
第一〇章 トランプ派の「メインストリーム化」と民主党の「過激化」?
――二〇二四年アメリカ大統領選挙の分析
...............西山隆行
第一一章 なぜラテンアメリカの人びとは「異端者」を選ぶのか?
...............上谷直克
第一二章 フィリピン――食いものにされる「変革」への希望
...............日下 渉
第一三章 れいわ新選組を阻む壁
――日本の左派ポピュリズム政党の限界
...............中北浩爾
第一四章 ポピュリズムへの防波堤としての参議院
――郵政民営化・日本維新の会・希望の党と第二院
...............高宮秀典
おわりに...............水島治郎
各国編の中では、やはりかつて暮らしたベルギーの章が面白かったですね。ワロンとフランデレンの対立図式の中でポピュリズムの三つ巴が生み出されるというのは、なるほどと思います。
最後に二つ並んでいる日本の考察が結構面白いです。特に、参議院がポピュリズムの防波堤になる例として、旧民主党系における労組系議員の集まる参議院の役割が提示されているのもなるほどという感じでした。
本日ちょうど韓国で大統領選が行われているからというわけでもないですが、この第III部の諸国に入っていてもおかしくないのが、韓国だったようにも思います。
Tokyo 公益社団法人東京自治研究センターが出している『とうきょうの自治』136号(2025年春号)に、拙著『賃金とは何か』の書評が載っています。
評者の乙幡洋一さんは、「公務員のためいき」というブログを書かれている方で、そこでも今年の二月に丁寧な書評を書いていただいておりました。
今回もその最後に、このように深読みしていただいています。
・・・ジョブ型とは何か、定期昇給の本質的な仕組みなど、少しでも正しく理解した上で今後の賃金制度論議につなげて欲しい。このような著者の思いを感じ取っていた。また、直接的な言葉は見受けられないが、日本の労働組合に対する叱咤激励が込められた内容だったようにも思っている。
なぜか、この昔のエントリが人気記事ランキングの1位になっていたので、たぶんここで私が語ったことになにがしか意味があったのだろうと思って、再三になりますが再掲しておきたいと思います。
As20220524001471_comm昨日の朝日新聞の15面に、「逆張りの引力」という耕論で3人が登場し、そのうち田野大輔さんが「ナチスは良いこともした」という逆張り論を批判しています。
https://www.asahi.com/articles/ASQ5S4HFPQ5SUPQJ001.html
私が専門とするナチズムの領域には、「ナチスは良いこともした」という逆張りがかねてより存在します。絶対悪とされるナチスを、なぜそんな風に言うのか。私はそこに、ナチスへの関心とは別の、いくつかの欲求があると感じています。
ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、書籍も出版されています。研究者の世界ではすでに否定されている見方で、著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。かつては一部の「トンデモ本」に限られていましたが、今はSNSで広く可視化されるようになっています。・・・正直、いくつも分けて論じられなければならないことがややごっちゃにされてしまっている感があります。
まずもってナチスドイツのやった国内的な弾圧や虐殺、対外的な侵略や虐殺といったことは道徳的に否定すべき悪だという価値判断と、その経済政策がその同時代的に何らかの意味で有効であったかどうかというのは別のことです。
田野さんが想定する「トンデモ本」やSNSでの議論には、ナチスの経済政策が良いものであったことをネタにして、その虐殺や侵略に対する非難を弱めたりあわよくば賞賛したいというような気持が隠されているのかもしれませんが、いうまでもなくナチスのある時期の経済政策が同時代的に有効であったことがその虐殺や侵略の正当性にいささかでも寄与するものではありません。
それらが「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります。たとえば、アウトバーン建設で減った失業者は全体のごく一部で、実際には軍需産業 の雇用の方が大きかった。女性や若者の失業者はカウントしないという統計上のからくりもありました。でも、こうやって丁寧に説明しようとしても、「ナチスは良いこともした」という分かりやすい強い言葉にはかなわない。・・・
ナチスの経済政策が中長期的には持続可能でないものであったというのは近年の研究でよく指摘されることですが、そのことと同時代的に、つまりナチスが政権をとるかとらないかという時期に短期的に、国民にアピールするような政策であったか否かという話もやや別のことでしょう。
田野さんは、おそらく目の前にわんさか湧いてくる、ナチスの悪行をできるだけ否定したがる連中による、厳密に論理的には何らつながらないはずの経済政策は良かった(からナチスは道徳的に批判されることはなく良かったのだ)という議論を、あまりにもうざったらしいがゆえに全否定しようとして、こういう言い方をしようとしているのだろうと思われますが、その気持ちは正直分からないではないものの、いささか論理がほころびている感があります。
これでは、ナチスの経済政策が何らかでも短期的に有効性があったと認めてしまうと、道徳的にナチにもいいところがあったと認めなければならないことになりましょう。こういう迂闊な議論の仕方はしない方がいいと思われます。
実をいうと、私はこの問題についてその裏側から、つまりナチスにみすみす権力を奪われて、叩き潰されたワイマールドイツの社会民主党や労働組合運動の視点から書かれた本を紹介したことがあります。
Sturmthal_2-2連合総研の『DIO』2014年1月号に寄稿した「シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』からの教訓」です。
https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio289.pdf
・・・著者は戦前ヨーロッパ国際労働運動の最前線で活躍した記者で、ファシズムに追われてアメリカに亡命し、戦後は労使関係の研究者として活躍してきた。本書は大戦中の1942年にアメリカで原著が刊行され(1951年に増補した第2版)、1958年に邦訳が岩波書店から刊行されている。そのメッセージを一言でいうならば、パールマンに代表されるアメリカ型労使関係論のイデオロギーに真っ向から逆らい、ドイツ労働運動(=社会主義運動)の悲劇は「あまりにも政治に頭を突っ込みすぎた」からではなく、反対に「政治的意識において不十分」であり「政治的責任を引き受けようとしなかった」ことにあるという主張である。
アメリカから見れば「政治行動に深入りしているように見える」ヨーロッパ労働運動は、しかしシュトゥルムタールに言わせれば、アメリカ労働運動と同様の圧力団体的行動にとどまり、「真剣で責任ある政治的行動」をとれなかった。それこそが、戦間期ヨーロッパの民主主義を破滅に導いた要因である、というのだ。彼が示すのはこういうことである(p165〜167)。・・・社会民主党と労働組合は、政府のデフレイション政策を変えさせる努力は全然行わず、ただそれが賃金と失業手当を脅かす限りにおいてそれに反対したのである。・・・
・・・しかし彼らは失業の根源を攻撃しなかったのである。彼らはデフレイションを拒否した。しかし彼らはまた、どのようなものであれ平価切り下げを含むところのインフレイション的措置にも反対した。「反インフレイション、反デフレイション」、公式の政策声明にはこう述べられていた。どのようなものであれ、通貨の操作は公式に拒否されたのである。
・・・このようにして、ドイツ社会民主党は、ブリューニングの賃金切り下げには反対したにもかかわらず、それに代わるべき現実的な代案を何一つ提示することができなかったのであった。・・・
社会民主党と労働組合は賃金切り下げに反対した。しかし彼らの反対も、彼らの政策が、ナチの参加する政府を作り出しそうな政治的危機に対する恐怖によって主として動かされていたゆえに、有効なものとはなりえなかった。・・・原著が出された1942年のアメリカの文脈では、これはケインジアン政策と社会政策を組み合わせたニュー・ディール連合を作れなかったことが失敗の根源であると言っているに等しい。ここで対比の軸がずれていることがわかる。「悲劇」的なドイツと無意識的に対比されているのは、自覚的に圧力団体的行動をとる(AFLに代表される)アメリカ労働運動ではなく、むしろそれとは距離を置いてマクロ的な経済社会改革を遂行したルーズベルト政権なのである。例外的に成功したと評価されているスウェーデンの労働運動についての次のような記述は、それを確信させる(p198〜199)。
・・・しかし、とスウェーデンの労働指導者は言うのであるが、代わりの経済政策も提案しないでおいて、デフレ政策の社会的影響にのみ反対するばかりでは十分ではない。不況は、低下した私的消費とそれに伴う流通購買力の減少となって現れたのであるから、政府が、私企業の不振を公共支出の増加によって補足してやらなければならないのである。・・・
それゆえに、スウェーデンの労働指導者は、救済事業としてだけでなく、巨大な緊急投資として公共事業の拡大を主張したのである。・・・ここで(ドイツ社会民主党と対比的に)賞賛されているのは、スウェーデン社会民主党であり、そのイデオローグであったミュルダールたちである。原著の文脈はあまりにも明らかであろう。・・・
田野さんからすれば「「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります」の一言で片づけられてしまうナチスの経済政策は、しかし社会民主党やその支持基盤であった労働運動からすれば、本来自分たちがやるべきであった「あるべき社会民主主義的政策」であったのにみすみすナチスに取られてしまい、結果的に民主的勢力を破滅に導いてしまった痛恨の一手であったのであり、その痛切な反省の上に戦後の様々な経済社会制度が構築されたことを考えれば、目の前のおかしなトンデモ本を叩くために、「逆張り」と決めつけてしまうのは、かえって危険ではないかとすら感じます。
悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。
いやむしろ、その政策の本丸は許しがたいような非道な政治勢力であっても、その国民に向けて掲げる政策は、その限りではまことにまっとうで支持したくなるようなものであることも少なくありません。
悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。田野さんの議論には、そういう危険性があるのではないでしょうか。
まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。
繰り返します。
悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。
まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。
悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。