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4q6uf9r4_400x400 「丸」さんの短い呟きで、
賃金とは何か読了。うーん相変わらずグロい。基本的に濱ちゃんセンセの本読むの嫌いなんだよな。グロすぎるから。ところどころぽつりと漏らす本音がもうね。。。
うーん、拙著は「グロ」いですか?
「相変わらず」と言われているので、過去の拙著もみんな「グロ」いということのようです。
「グロすぎる」から「濱ちゃんセンセの本読むの嫌い」とまで言われているんですが、さてはて、どこらへんがどのように「グロ」いのか、言われている本人が自省できるように、具体的にご教示いただけると幸いです。
いや、「ところどころぽつりと漏らす本音」がそうだということなんでしょうが、それは具体的にどこらへんなのか、著者としては、言ってることはすべて本音であって、本音を隠した建前論を書いたつもりはないですし、書いてあることはすべて歴史的根拠を示して書いているつもりで、根拠のない本音をぶちまけているつもりもないのですが。
12140_1745217270 例によって毎年恒例の岸健二編『業界と職種がわかる本 ’27年版』(成美堂出版)をお送りいただきました。2005年版から始まって、今回で23年目、第23版となったそうです。
https://www.seibidoshuppan.co.jp/product/9784415239873
これから就職活動をする学生のために、複雑な業界や職種を11業種・8職種にまとめて、業界の現状、仕事内容など詳しい情報を掲載し、具体的にどのような就職活動が効果的か紹介。
実際の就職活動に役立つ就職活動シミュレーションや、最新の採用動向をデータとともに掲載。
自分に合った業界・職種を見つけ、就職活動に臨む準備ができる。
例によって、岸さんが「労働あ・ら・かると」に寄稿した最近のエッセイを紹介しておきます。
テーマは、まさに本書の対象と重なる「まもなく企業人となる若いみなさんへ 就職先企業や業界の過去を冷静に見ておこう」というものです。
https://www.chosakai.co.jp/information/alacarte/33334/
〇たいへんな就職活動を経て内定を得、来月いよいよ企業に勤務する若い人材の方々に対しては、多くの場合、賛辞や祝福、激励のメッセージが送られます。
〇筆者は敢えて今、副題に記したとおり勤務先企業の過去の負の歴史を見ようと訴えたいと思います。〇「疑獄」と呼ばれたり、「戦後最大級の贈収賄」と報道される事件には、かかわった企業の名前や業界名が付されて何々事件というタイトルになることがありますが、同じようなことが最近次々と起こってきています。データや記録の改ざんをめぐる報道や、企業内の犯罪として横領やハラスメント(いじめ)が摘発されたとの記事も、現在進行中のもの含めて、後を絶ちません。
〇事件にその名がついた企業、不祥事が報道された企業でこれから働くみなさんは、その組織の未来をこれから担うわけですが、それには過去についての正確な知見が必要ではないでしょうか。
〇過去の疑獄事件や不祥事に関わった会社そのものに就職したのではなくても、同業界で起きた事件について、同じ業界だと同じ体質を持っている可能性があるとの視点で、自分の就職した会社ではその事件をどのように受け止めていたのか、「対岸の火事」(自社とは関係がないこととすること)、「他山の石」(自社とは関係がないようにみえても教訓とすること)のどちらだったのかを見ておくことは、これからの企業人としての人生に有益なことだと思います。〇悲しく情けない現実ではありますが、いつの世でも欲にかられて不正に手を染める人々がいます。なぜそのような社内犯罪、非違行為を防げなかったのかというのも重要な視点です。特定の立場を利用して、自分もしくは他者に便宜を図り、見返りの金銭収受という行為は汚職です。その事件が個人の行為であるだけでなく、刑事罰の対象になることを知りながら企業として関わっていたならば、「企業ぐるみの犯罪」といわれるのも当然でしょう。
〇また、調べてみると、案外基本的な知識が欠けていて、その無知ゆえに法に触れてしまった事実を見つけることもあると思います。例えば、上場を前にしてついつい親しい友人に情報を漏らしてしまい、インサイダー取引事件になってしまった場合など、「なんでこんなことを知らずに違法行為をしてしまったのか」と思うこともあるでしょう。〇そのような事例を発見した時には「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ということを思い出してください。企業・会社というものは、人間一人ではできない事業を、多くの人が集まって行うためにできた組織です。誰かひとりでも「それ、まずいのでは?」「念のために顧問弁護士さんに相談したら?」と主張実践出来たら、事件を起こさずにすむ(すんだ)のではないでしょうか。「耳の痛いことを進言する」人材を、排斥せずに組織の中に置くことの重要性を忘れていなかったでしょうか?
〇もっともこの「歴史に学ぶ」というのは原文では、自分の経験だけでなく「他者の経験に学ぶ」というニュアンスもあるようです。過去の歴史だけではなく、今、同業界で起きている不祥事について「人のふり見て我が振りなおせ」ということももちろん必要でしょう。〇過去不名誉な歴史を持つ企業に就職した新入社員の方と話すと、「それは昔の人がやったことで私は関係ない」「昔のことでしょ」という方が多数いらっしゃいます。
〇筆者が期待したいのは、その過去を教訓とし、そんなことを二度としない会社を自分たちが新たに作っていくのだという気概を持ってほしいと思うのです。
〇就職した企業の中でその残念な歴史がどのように記録され、再発防止策が実施されたかを知り、その再発防止策が今も有効に機能しているかどうかを見定めておくことは、今後のみなさんの人生で起きるであろう、様々な局面において「人として恥ずかしくない行動」をとれるかどうかにも、必ず役立つはずです。〇まずは社内報のバックナンバーを探して目を通してください。当時の新聞記事も簡単に探せる時代です。社内と社外の情報の落差を知ることもとても大事です。
〇また労働組合のある企業に入社したのであれば、その記録も見てください。働く立場からの記事を社内報と比べるのも、興味深いことだと思います。
〇未来を本当に変えることができる一番の立場にいるのは自分たちであり 今の経営者ではないのかもしれないという発想で、社外(社会)で大きく報道された不祥事について、当時どのように受け止めたのか、その後どのように推移したのかを見てください。〇倫理喪失の時代という残念な指摘もありますが、氾濫する真偽不明の情報に溺れるのではなく、社内の情報と社会の情報、今の勤務先の現状と過去の歴史、そのバランスを見ながら考えることが大事ではないでしょうか。
〇新社会人の方々には、自分の仕事の後(あと)工程(こうてい)を見つめて、自分が生産する製品、自分が提供するサービスを利用する人々の姿を思い浮かべて、いつも「教訓化と改善」を忘れずに日々の仕事に精進されることを望んでいます。
B20250501 『労務事情』2025年5月1日号に「スキマバイト人口 452万人」を寄稿しました。
https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/romujijo/b20250501.html
◎にじゅうまる数字から読む 日本の雇用 濱口桂一郎 第35回 スキマバイト人口 452万人
Https___imgixproxyn8sjp_dsxzqo6303236023 日経新聞によると、そごう・西武は、西武池袋店長に売却反発のストを主導した労組委員長を充てることにしたようです。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC232J80T20C25A4000000/
そごう・西武は23日、旗艦店の西武池袋本店(東京・豊島)の店長に労働組合の寺岡泰博中央執行委員長(54)をあてる人事を発表した。久保田俊樹店長は顧問に就く。寺岡氏は2023年にセブン&アイ・ホールディングス(HD)によるそごう・西武の売却に反発してストライキを主導した経緯がある。従業員の信頼が厚い寺岡氏を店長に据えて年内に予定する西武池袋本店の改装開業に備える。 ・・・・
労組幹部経験者が経営陣に入っていくのは、戦後日本ではよく見られる光景ですが、つい先日ストライキを敢行した組合の委員長をそのまま持ってくるというのは、あまり聞いたことはありませんね。
778_05 というニュースに合わせたわけではないのでしょうが、先週末に発行された『日本労働研究雑誌』の5月号は、「ストライキ」を特集していて、禹宗杬、島西智輝、齋藤隆志、新川敏光、井川志郎といった方々の論文に並んで、なんとこの寺岡委員長らへのインタビューが載っています。
インタビュー
企業の組織再編と労働運動─そごう・西武労働組合のストライキをめぐって
寺岡 泰博(そごう・西武労働組合中央執行委員長)
西嶋 秀樹(髙島屋労働組合中央執行委員長,UA ゼンセン流通部門百貨店部会長)
首藤 若菜(立教大学教授)
西村 純(中央大学准教授)
鈴木 恭子(中央大学准教授)
Iwmd_web_1000xe03be 本ブログでは毎年告知しておりますが、本日は世界的に労働者祈念日(労働安全衛生国際デー)です。
https://www.ituc-csi.org/International-Workers-Memorial-Day-2025
The ITUC is using this year’s International Workers’ Memorial Day, 28 April, to call for urgent action to safeguard workers’ lives and rights in the age of digitalisation and artificial intelligence (AI).
日本では既におとといの4月26日に早くも、連合がメーデーをやっちゃってますので、なんだか変な感じですが、でも今日は労働者祈念日なんです。
ちなみに、今国会にはフリーランスの安全衛生措置が盛り込まれる労働安全衛生法の改正案が提出されていますが、それと合わせて、ILO第155号条約の批准案件も提出され、既に先週木曜日の4月24日に衆議院で承認されて、現在参議院で審議されているということをご存じでしたでしょうか?
職業上の安全及び健康並びに作業環境に関する条約(第百五十五号)の締結について承認を求めるの件(条約第一二号)概要
本件は、標記の条約の締結について、国会の承認を求めるものである。
この条約は、作業に関連した事故及び健康に対する危害を防止することを目的として、職業上の安全及び健康並びに作業環境についてこの条約を批准する加盟国が一貫した政策を定めることを規定するとともに、国の段階、企業の段階それぞれにおいてとるべき措置等を定めるものであり、その主な内容は次のとおりである。
一 加盟国は、職業上の安全及び健康並びに作業環境に関する一貫した国内政策を定め、実施し、及び定期的に検討すること。
二 加盟国は、法律若しくは規則又は国内事情及び国内慣行に適合するその他の方法により、関係のある代表的な使用者団体及び労働者団体と協議した上で、一を実施するために必要な手段をとること。
三 使用者は、合理的に実行可能な限り、その管理の下にある職場、機械、設備及び工程が、安全かつ健康に対する危険がないものであることを確保することを要求されること。
四 二以上の企業が同一の職場において同時に業務に従事する場合には、これらの企業は、この条約の適用に当たり協力すること。
五 事業場における労働者代表は、職業上の安全及び健康の分野において使用者と協力すること。
本日、東大の判例研究会で、評釈してきました。羽衣学園といえば、大学任期法の5年10年で有名ですが、その事件のアナザーストーリーがこちらです。厳密には労働判例ですらなく民事判例なのですが、この高裁判決があまりにも問題てんこ盛りで、いろいろと文句をつけました。
労働判例研究会 2025年04月25日 濱口桂一郎雇止めされた講師による大学研究室の占有回収の訴え学校法人羽衣学園ほか(占有回収)事件(大阪高判令和5年1月26日)(判例時報2606号72頁)I 事実1 当事者X:Y1との有期労働契約に基づき、A大学の専任講師として勤務し、雇止めされた者Y1:A大学を運営する学校法人Y2:A大学の学長Y3:A大学の事務局長Y4:別件(地位確認)訴訟におけるY1の訴訟代理人を務める弁護士2 事案の経過・Xは、平成22年4月1日、Y1との間で、期間を2年間として、A大学人間生活学部人間生活学科生活福祉コース(以下「本件コース」)の非常勤講師として雇用する旨の有期労働契約を締結。・Xは、平成25年4月1日、Y1との間で、期間を3年間として、本件コースの専任講師として雇用する旨の有期労働契約を締結。・Xは、平成28年4月、Y1との間で、期間を3年間として、本件コースの専任講師として雇用する旨の有期労働契約(以下「本件労働契約」)を締結。・平成30年9月25日、Y2はXに対し、平成31年3月31日をもって契約期間満了により、本件労働契約を終了する旨(以下「本件雇止め」)を通知。・Xは平成25年3月31日から平成31年3月31日まで、A大学内で、人間生活第14研究室をパーティションで3つに区切った個室の一部屋を単独でX研究室として利用していた。本研究室は独立施錠でき、XはY1から鍵の貸与を受け、本研究室を占有して書籍、資料等の動産の保管、学生との面談、執筆等の業務に用いていた。Y1も合鍵を管理していた。・Xは令和元年5月31日、Y1を相手取って、本件雇止めを無効と主張して別件地位確認請求を提起(羽衣学園(地位確認)事件)。・Y2・Y3は、平成31年3月30日、Xに対し、同月31日付で雇用関係が終了し、同年4月1日以降、A大学の施設は許可を受けた場合以外使用できないことを文書で通知するとともに、同月12日までに本件研究室の私物を整理するよう依頼。・これに対し、X訴訟代理人は、内容証明郵便をもって、Y1に対し、本件雇止めは無効であり、本件研究室の明渡しには応じられない旨を回答。・Y2、Y3は、本件研究室内にある物品の撤去を検討。・Y1は、Xに対し、令和3年3月23日差出しの同月20日付通知文をもって、本研究室にX所有の物品が残されていること、同月27日午後5時までに引取りに来るか又は送付先を指定するよう依頼するとともに、本件研究室の鍵の返却を求めた。・Xが加入するA大学教職員組合のB執行委員長は、Xの依頼を受けて、A大学総合企画室の担当者Cに対し、令和3年3月25日午前0時3分付メールをもって、Xは地位保全を係争中で本件研究室の退去は拒否していることを伝えるとともに、強制退去は自己救済という不法行為であり、鍵の掛替えや本研究室中の物品をXの承諾なしに勝手に保全などを行えば、場合によっては窃盗罪になり得ると警告。・X訴訟代理人らは、令和3年3月20日付Y1からの通知文を受けて、同月25日、別件訴訟のY1の訴訟代理人ら(Y4を含む)に対し、Y1に対し、Xの同意なく研究室の鍵の付替えやXの荷物を強制撤去することは自力救済として許されるものではなく、不法行為に該当するので控えるよう指導するよう求める旨の書面をファックス送信。・これに対してY4は、令和3年3月29日午前10時38分、X訴訟代理人らに対し、XはY1の施設を利用する権原を有しないことなどを伝えるとともに、本件研究室は別の用途で使用する必要もあるとして、Xの私物については本件研究室から移動させ、Y1において保管する旨、Xの私物を可及的速やかに引き取るよう記載した回答書をファックス送信した。・Y3は、令和3年3月29日午後0時33分付メールをもって、B執行委員長に対し、Xに対し、研究室としてA大学の施設を利用することを認めたことはない旨、現実に授業のないXが研究室を使用することはあり得ないことであり、実際、Xからの施設の使用願は、すべて組合活動、執行委員会などが目的として提出されていること、施設を管理する立場として、授業担当のない方が研究室を持つことはあり得ないことであり、そのために研究室に入れない先生が出てくるのを看過することはできないことを伝えた。・Y1の職員は、令和3年3月29日、合鍵を用いて本件研究室を開錠し、本件研究室内からX所有の動産を撤去するとともに、本件研究室の鍵(錠)を取り替えた。・令和4年1月18日、大阪地裁で原判決。・Y1はその後、本件研究室以外のA大学内において本件動産を保管し、令和4年8月31日に、双方代理人弁護士立会いの上、本件動産の確認作業が行われ、介護福祉士資格証明書や現金、色紙等をXに返還したほか、現在も減縮後本件動産を所持している。・令和5年1月26日、大阪高裁で本判決。・Y側は上告したが、上告は棄却、不受理となった。・なお別件訴訟において、大阪地裁令和4年1月31日判決は雇止めを有効としたが、大阪高裁令和5年1月18日判決は雇止めを無効とし、最高裁令和6年10月31日判決はこれを破棄差戻しした(労働法的関心はこちらに集中)。3 地裁判決イ 占有の有無「Xは、本件動産を撤去した令和3年3月29日当時、Y1(A大学の職員)から貸与された本件研究室の鍵を管理しており、施錠した本件研究室内にX所有の本件動産を置いていたこと・・・、Y1(A大学の職員)は、本件研究室内にX所有の動産が残置されていることを認識し、その引取り及び本件研究室の鍵の返却を求めていたこと・・・が認められる。また、Xは、令和2年4月3日以降、A大学学長宛てに、本件研究室を使用する都度、使用目的を執行委員会又は組合活動等とした施設使用願いを提出して本件研究室を使用していたことが認められる・・・ものの、本件研究室は、Xが、本件労働契約の期間中にY1から、鍵の貸与を受けてその個人使用が許されていた場所であり、上記の占有態様からして、本件雇止め後、XがY1に対し、本件研究室を明け渡したとは認められず、その占有を完全に失ったものとは認められない。以上によれば、Xは、本件動産を撤去した令和3年3月29日当時、本件研究室内にX所有の本件動産を置いて本件研究室を占有していたものと認められる。また、上記の占有態様に照らし、Xが、同年4月12日以降、本件研究室の占有意思を失ったものとは認められない。」ロ Y1の行為の違法性「私力の行使は、原則として法の禁止するところであるが、法律に定める手続によったのでは、権利に対する違法な侵害に対抗して現状を維持することが不可能又は著しく困難であると認められる緊急やむを得ない特別の事情が存する場合においてのみ、その必要の限度を超えない範囲内で、例外的に許されるものと解される(最高裁昭和40年12月7日第三小法廷判決・民集19巻9号2101頁参照)。これを本件についてみると、・・・Xは、平成31年3月31日の満了により本件雇止めをされ、本件労働契約に基づくA大学の本件コースの専任教員としての地位を失ったものであるから、少なくともその明渡しを猶予された同年4月12日を経過した以後は、本件研究室の利用権限を失ったものといえる(本件において、Xは、本件雇止め後も本件研究室の利用権限を有することにつき立証していない)。もっとも、・・・Xは、本件研究室に本件動産を残置して本件研究室を占有していたものと認められるから、Y1による本件研究室の錠を開錠して、本件動産の撤去及び本件研究室の錠の取替えを行った行為・・・は、自力救済に当たり違法なものであると認められる。なお、Yらから、上記特別の事情についての主張立証はない。」ハ Yらの責任「Y1は、違法な本件動産の撤去行為等によりXに生じた損害につき、不法行為責任を負うというべきである。・・・本件動産の撤去行為等の決定は、Y1の理事会又は大学執行部という組織体の判断によりされたものであると認められるところ、Y2、Y3及びY4が、共謀又は共同実行により、上記Y1の職員又はY1による不法行為に関与したことについての立証があるとはいえない。」ニ Xの損害「Xは、慰謝料をもって慰謝すべき程度の精神的苦痛を受けたものと認められる。もっとも、・・・Y1は、本件動産を別の場所において保管しているものであって、本件動産の引取り自体が妨げられているものとは認められないことからすると、上記Y1の不法行為による、Xの占有権の侵害の程度はそれほど大きいものとは認められないことなど、本件に現れた一切の事情を考慮すると、Xの慰謝料は、5万円と認めるのが相当である。」ホ 研究室と動産の引渡請求権の有無「Y1は、本件動産の撤去行為等を行い、Xの占有を侵奪して、本件動産を保管していることが認められるから、XのY1に対する本件動産の引渡請求は理由がある。他方、・・・本件研究室は、現在、他の教員が利用していることが認められるから、XのY1に対する本件研究室の引渡請求は理由がない。」へ 結論損害賠償請求を別にすると、1本件動産の引渡請求を認容する一方、2本件研究室の明渡し請求は棄却した。II 判旨 控訴一部認容1 占有の有無「Xは、本件動産を撤去した令和3年3月29日当時、Y1(A大学の職員)から貸与された本件研究室の鍵を管理しており、施錠した本件研究室内にダンボール箱等41箱分に及ぶ本件動産を置いていたこと・・・、Y1(A大学の職員)は、本件研究室内にX所有の動産が残置されていることを認識し、その引取り及び本件研究室の鍵の返却を求めていたこと・・・が認められる。また、Xは、平成31年4月5日に本件研究室内の動産の一部を大学内共有スペースに移したほか、令和2年4月3日以降、A大学学長宛てに、本件研究室を使用する都度、使用目的を執行委員会又は組合活動等とした施設使用願いを提出して本件研究室を使用していたことが認められる・・・ものの、本件研究室は、Xが、本件労働契約の期間中にY1から、鍵の貸与を受けて「X研究室」として単独使用が許されていた場所であり、Y1から本件雇止め通知をもって本件労働契約が終了するとされた平成31年3月31日の後も、本件雇止めの効力を争い、Y1を相手方として労働契約上の権利を有する地位にあることの確認等を求めて別件訴訟を提起する一方、本件雇止め通知がされる以前同様に本件研究室の鍵を引き続き管理し、上記のとおり大量の本件動産を本件研究室内に置いて単独で本件研究室を支配していたことからして、本件雇止め後、XがY1に対し、本件研究室を明け渡したとは認められない。
確かに、Xは、Y1との本件労働契約に基づき、Y1の運営するA大学内の本件研究室において講師としての上記業務を行っていた者であるから、本件研究室を客観的に支配していた事実があったとしても、原則として、Y1のために占有補助者として本件研究室を所持しているものであって自己のためにする占有意思がある(民法180条)とは認められず、これによる占有者はY1とみるべきであるが、XがY1の占有補助者として物を所持するにとどまらず、X個人のためにもこれを所持するものと認めるべき特別の事情がある場合には、その物についてXが個人としての占有をも有することになると解すべきである(最高裁昭和35年4月7日第一小法廷判決・民集14巻5号751頁、最高裁平成12年1月31日第二小法廷判決・裁判集民事196号427頁参照)。
これを本件についてみると、Xは、当初はY1の占有補助者として本件研究室の所持を開始したものといえるが、Y1から本件雇止め通知をもって本件労働契約が終了するとされた平成31年3月31日の後も、本件雇止めの効力を争い、Y1を相手方として労働契約上の権利を有する地位にあることの確認等を求めて別件訴訟を提起し、本件研究室の鍵を引き続き管理して単独で本件研究室を事実支配していたのであり、令和3年3月20日付け通知文によりY1から本件研究室の鍵の返却及び室内の物品撤去を求められたことに対しても、同月25日、Xが加入する本件組合を通じて、Y1に対し、Xは地位保全を係争中で本件研究室の退去は拒否している旨伝え、強制退去は自力救済という不法行為であり、本件研究室の鍵の取替えや室内の物品撤去を無断で行えば、場合によっては窃盗罪になり得る旨警告し、別件訴訟におけるX代理人弁護士らを通じてもY1の代理人弁護士らに対して同様の通知をした・・・のであるから、これらによれば、Xは、本件動産の撤去等がされた同月29日当時、X自身のためにも本件研究室を所持する意思を有し、現にこれを所持していたということができるのであって、前記特別の事情がある場合に当たると解するのが相当である。
したがって、Xは、上記同日当時、本件研究室を占有していたと認めることができる。」2 Y1の行為の違法性「私力の行使は、原則として法の禁止するところであるが、法律に定める手続によったのでは、権利に対する違法な侵害に対抗して現状を維持することが不可能又は著しく困難であると認められる緊急やむを得ない特別の事情が存する場合においてのみ、その必要の限度を超えない範囲内で、例外的に許されるものと解される(最高裁昭和40年12月7日第三小法廷判決・民集19巻9号2101頁参照)。これを本件についてみると、・・・Xは、本件研究室に本件動産を残置して本件研究室を占有するとともに同所において本件動産を所持していたと認められるから、Y1による本件研究室の錠を開錠して、本件動産の撤去及び本件研究室の錠の取替えを行った行為・・・は、自力救済に当たり違法なものであると認められる。なお、Yらから、上記特別の事情についての主張立証はない。なお、Xは、Yらの行為の違法性につき、Xの本件研究室に対する利用権原の侵害をも主張するが、Xは、本件労働契約から独立して本件研究所に対する利用権原を有していたものではないところ、本件雇止めが無効であることが本件訴訟で立証されているとまではいえない。もっとも、Xが本件雇止めの効力を争って本件研究所(ママ)に対する事実支配を継続していた事実は、前記3でXによる本件研究室の占有を認めるに当たって考慮されているし、占有権侵害となる行為の違法性の有無は占有被侵奪者の占有権原の有無に関わらないから、本件動産の撤去行為等に違法性が認められることは上記のとおりである。また、Xが本件雇止めの効力を争って訴訟継続中であったにもかかわらず自力救済による占有侵奪がされたことは慰謝料の額を定める上で斟酌されるべきである。」3 Yらの責任イ Y1関係者「本件動産の撤去行為等が違法な自力救済に当たることは前記4のとおりであるところ、・・・Y2及びY3は、共謀して本件動産の撤去行為等を行ったことにつき少なくとも過失があり、民法709条、719条1項に基づき、共同不法行為者としてXに対し連帯してその損害を賠償する責任を負うものというべきである。また、Y1は、Y2及びY3の使用者として、民法715条1項に基づき、同様に連帯して損害賠償責任を負う。・・・Y2及びY3において、弁護士であるY4と相談の上適法であるとの見解が得られたというのみでは、過失がなかったということはできない。」ロ 弁護士「Y4は、上記のとおりY3らから相談を受け、Y1をして本件動産の撤去行為等が適法である旨の見解を採ることに根拠付けを与え、さらに自らもY1の代理人として自力救済の実行を予告する回答書・・・をX代理人弁護士らに送信するなどして、Y3らによる自力救済である本件動産の撤去行為等の実行を容易にして幇助したと認められる。
そして、Y4が、法律専門家である弁護士としてY1による違法な自力救済の実行を容易にした点につき過失があったことは、・・・明らかというべきである。なお、Y4が、Y1において本件研究室使用の必要性が高い状況にあり、自力救済も許されるとの誤った判断に至ったものであるとしても、対立するX代理人弁護士らから既に自力救済の違法性を強く警告されていた状況に照らせば、少なくとも、法的手段として、いわゆる明渡断行の仮処分命令の申立て(民事保全法23条2項)が検討対象となるべきであったと考えられるが、Y4が、Y1に対して、そのような提案をしたことがないことはもとより、検討を行ったことを窺わせる事情すらない。
したがって、Y4が、弁護士として代理人の立場で関わったにとどまるとしても、Y4もまた、本件動産の撤去行為等を幇助したものとして、民法719条2項に基づき、共同不法行為者とみなされ、他のYら3名と連帯してXに対する損害賠償責任を負うというべきである。」4 Xの損害「本件動産には、多数の書籍、講義資料及び研究資料が含まれており・・・、Xの他校における教育活動や研究活動に支障を与えたと認められるほか、原判決言渡し後の令和4年8月31日にY1から返還されたとはいえ,本件動産の撤去行為等の際には、Xの介護福祉士、保育士及び介護支援専門員の資格証明書、現金約10万円並びに卒業生から贈呈された色紙や記念品、集合写真といった重要な財物や愛着のある動産の占有も奪われていたことが認められる。
他方、Y1が、Xに対し、原判決言渡し後の令和4年1月19日に本件動産の返還を申し出て(・・・なお、原判決では本件動産引渡請求が認容されたが、同認容部分につき仮執行宣言は付されていない。)、上記のとおり一部についてはXに返還がされたこと、Xは、本件動産の撤去行為等により本件研究室及び本件動産の占有が侵害されたことの損害賠償を求めるものであって、所有権その他本権の侵害についての損害賠償を求めるものではないこと等を考慮すると、本件研究室の占有侵奪及び本件動産の撤去行為によりXが被った精神的苦痛を慰謝するには20万円が相当であると判断する(なお、Xは、本件動産の一部の返還を受けたものの、その余の減縮後本件動産の受領を拒んだ経緯があるが、この事情を考慮しても、別件訴訟係属中にX代理人弁護士らからの警告を受けたにもかかわらず敢行した自力救済である本件動産の撤去行為等の違法性は容易に看過できるものではない。)。」5 研究室と動産の引渡請求権の有無「Y1は、その職員らをして本件動産の撤去行為等を行い、Xの本件研究室及び本件動産の占有を侵奪し、本件研究室及び減縮後本件動産を現在も占有していること・・・が認められる。
なお、Y1は、本件研究室は、現在、他の教員がこれを利用している旨主張し、Y1が占有していることを否認するが、ここにいう他の教員はY1の被用者であると認められ、・・・かかる被用者はY1のために占有補助者として本件研究室を所持しているにすぎず、これによる占有者はY1とみるべきであり、上記他の教員が自己個人のためにもこれを所持するものと認めるべき特別の事情があるとは認められない。したがって、Y1の主張を前提としても、Y1が本件研究室の占有を失ったとは認められない。
したがって、占有回収の訴えとして本件研究室及び減縮後本件動産の引渡しを求めるXの請求には理由がある。」6 結論損害賠償額が5万円から20万円になったほか、1本件動産の引渡請求を認容するとともに、2本件研究室の明渡し請求をも認容した。III 評釈 疑問あり1 占有の有無Xの所有物である本件動産は別として、そもそも、Xは本件研究室を「占有」していたのか。既に原審において、Y側は「大学教員の研究室の利用は、占有ではなく、物品の保管や学生との面談、執筆などの大学教員の業務上必要な限りでの一時利用であり、在職中であっても、大学教員による研究室の利用については占有は認められない」と主張しており、控訴審においてもさらに「大学教員は研究、教育のために研究室を使用するが、あくまで物品の保管、学生との面談、執筆等の日常業務に必要な限りで一時使用しているにすぎず、大学教員が研究室を占有しているものではない。また、Xは、本件研究室を本件雇止め後の平成31年4月5日にY1に返還しており、同日以降、Xからの要望により労働組合に個別に許可をして本件研究室を一時使用させたことはあっても、X個人による占有はない」と主張している。ところが原審は、「その占有を完全に失ったものとは認められない」と述べるだけで、そもそもXが占有権を有していることをきちんと論じていない。これに対して本判決は「Xは、Y1との本件労働契約に基づき、Y1の運営するA大学内の本件研究室において講師としての上記業務を行っていた者であるから、本件研究室を客観的に支配していた事実があったとしても、原則として、Y1のために占有補助者として本件研究室を所持しているものであって自己のためにする占有意思がある(民法180条)とは認められず、これによる占有者はY1とみるべきである」と、明確にXに占有権はなかったことを認めている。ちなみに民法学では、「占有補助者とは、一定の団体的関係の成員が物に対して直接的支配を行っているにもかかわらず、その団体法的な地位に基づき、団体外との関係で物に対して独立の所持を有するものと認められない者をいう。物に対して独立の所持を有せず、したがって直接占有者であり得ない点で、占有代理人と異なる。・・・営業主と使用人、法人と理事、家族生活の中心にある者とその他の成員などの関係において、後者は前者の占有補助者とされる」(川島武宜編集『注釈民法(7)物権(2)占有権・所有権・用益物権』有斐閣(1968年)p16)とされている。ところが本判決は、雇止め前のXには認められない占有権を、雇止めされて訴訟を提起したことをもって認めるという議論を展開する。「XがY1の占有補助者として物を所持するにとどまらず、X個人のためにもこれを所持するものと認めるべき特別の事情がある場合には、その物についてXが個人としての占有をも有することになると解すべき」という最高裁判決を根拠に、「Xは、当初はY1の占有補助者として本件研究室の所持を開始したものといえるが、・・・Xは、本件動産の撤去等がされた同月29日当時、X自身のためにも本件研究室を所持する意思を有し、現にこれを所持していたということができるのであって、前記特別の事情がある場合に当たると解するのが相当である」と述べる。ここで引用されている最高裁判決は、1昭和35年4月7日最一小判民集14巻5号751頁、2平成12年1月31日最二小判民集196号427頁であるが、1は「使用人が雇主と対等の地位において、共同してその居住家屋を占有しているものというのには、他に特段の事情があることを要し、ただ単に使用人としてその家屋に居住するに過ぎない場合においては、その占有は雇主の占有の範囲内で行われているものと解するのが相当であり、反証がないからといつて、雇主と共同し、独立の占有をなすものと解すべきではない」と、特段の事情を否定した判決であり、2は「上告人は、当初は被上告人の代表者として旧寺院の所持を開始し、旧寺院建物から新寺院建物へ転居した後も旧寺院の管理を継続して、これを所持していたのであり、別件訴訟の係属中及びその終了後においても、新田、笠江及び湯谷を通じ、あるいは自ら直接旧寺院を所持していたところ、その間に日蓮正宗管長から擯斥処分を受けたものの、これに承服せず新寺院への居住を続けていた。そして、上告人は、被上告人から新寺院の占有権原を喪失したとしてその明渡しを求める訴えを提起されたときにも、右擯斥処分の効力を否定し、上告人が被上告人の代表役員等の地位にあることの確認を求める訴えを提起するなどして争っていただけでなく、別件訴訟終了後にされた國井との間での旧寺院建物の撤去についての話合いの際にも、上告人が旧寺院を管理、所持していることを前提として、建物撤去後の敷地の占有継続を主張するなどしていたのである。右によれば、上告人は、平成九年一月一二日当時、上告人自身のためにも旧寺院を所持する意思を有し、現にこれを所持していたということができるのであって、前記特別の事情がある場合に当たると解するのが相当である」と、特段の事情を肯定した判決である。本判決はおそらくこの2判決になぞらえて判断したものと思われるが、この事案は宗教団体(日蓮正宗)の住職であった者が異説を唱えたとして日蓮正宗の僧籍を剥奪(擯斥処分)され、寺院の明渡しを求められた事案であり、寺院という独立の土地建物から構成される不動産を上告人が管理していた事案である。ところが、本判決によれば、現に雇用されている者は占有補助者に過ぎないから、現に雇用されていない者の、かつて占有補助者として利用していたという過去の事実に基づく「自己のためにする意思」による一人前の占有権に劣後するということになる。それゆえ、現にY1に雇用され、A大学の他の教員が利用している本件研究室を、Xのために明け渡せという判決になるのである。原審が基本的な理屈は曖昧ながら、「本件研究室は、現在、他の教員が利用していることが認められるから、XのY1に対する本件研究室の引渡請求は理由がない」と、常識的な判断をしていたのに比べると、結論が奇矯な方向に走っているように思われる。このロジックを前提とすると、この現に本件研究室を利用している別の教員は、Y1に解雇され、それを不当として提訴して本件研究室の明渡しを拒否すれば、ただの占有補助者から昇格し、Xと同レベルの占有権を手に入れられるので、Xに明け渡す必要はなくなるということになるはずである。そのような帰結を生むロジックは、どこかおかしいのではなかろうか。引用判例は宗教団体の住職に係る事案であり、一般企業における被用者が解雇・雇止め等をされて、企業内の執務室ないし執務机からの退去を求められた際に、当該個人のために執務室ないし執務机を所持する意思があったとして、当該執務室ないし執務机への占有権を主張したというような事例は見当たらない。大学教員は一般被用者よりは僧職に近いのであろうか。なお、本件では雇止めが行われた平成31年3月末から、実際に開錠、動産の撤去、鍵の取替えを行った令和3年3月末までの3年間、Y側がXによる事実上の占有を認めているかのような状態が続いていたことが、「自己のためにする意思」を認定されてしまった一つの原因ではなかろうか。もちろん、Y側が主張するように、それは「Xは、本件組合のD書記長とA大学を訪れ、組合活動のためにA大学への立入りと本件研究室の利用を認めてほしいと依頼したため、A大学側は組合活動目的に限り、かつ、使用の都度、事前に使用願を出すことを前提としてその利用を認めた」ものであるが、とはいえ、3年間既に雇用関係が終了しているはずのXに本件研究室の事実上の利用を許し続けてきたことが、Xに占有補助者よりも強い権利があるかのような判断を招き寄せた原因がないとはいえまい。1-2 大学教授と研究室の関係に関する別論なお、大学教員はそもそも他の被用者と異なり、研究室に対して単なる占有補助者ではなく、一人前の占有権を有するという議論もあり得るかも知れない。というのは、解説文で引用されている工学院大学事件(東京地判平成元年7月10日労判543号40頁)では、被告側も原告大学教授の占有権の存在を前提としつつ、大学院生との共同占有であったと主張しており、そもそも占有補助者であって占有権はないという主張をしていなかったためでもあろうが、「他人の占有している部屋から、その私物を無断で搬出し、部屋の鍵を取り替えて、他人の占有を奪うことは、いわゆる自力救済が許される場合を除き、当該占有者に対する不法行為となる」と判示している。この事案の裁判官が、被用者は占有補助者であるという民法理論を知らなかったのでないとすれば(そう願いたいが)、明文には現れていないが、大学教授と研究室の関係は単なる被用者とその執務室の関係とは異なり、大学教授に「自己のためにする意思」が認められる特殊な占有権が発生すると考えていた可能性がある。その根拠として考えられるのは、研究・教育内容に関する指揮命令の程度が低く、裁量性が極めて高いこと、研究論文が職務著作とされないこと等といったことになるであろうが、それを突き詰めていくと、そもそも大学教授の労働者性に疑問が生じてくる(ボワソナード旧民法では「学芸教師は雇傭人とならず」)。2 Y1の行為の違法性自力救済に関する引用最高裁判例(最高裁昭和40年12月7日第三小法廷判決・民集19巻9号2101頁)は、被上告人から一時使用を認められた土地上で仮店舗を出して営業していた上告人が、被上告人からの約定による撤去要求に応じないでいたおり、付近からの出火で当該仮店舗が類焼被害を受け全焼した後、被上告人が当該土地を板囲して立入を禁止していたところ、上告人が無断で板囲を取毀し占有を奪取したとして、被上告人が上告人に対し、占有回収の訴えを提起した事案であり、上告人が実力を持って板囲を撤去破壊したことは、自力救済として許される限界を超えており、不法行為責任を認めたのは相当であると判示したものである。上告人と被上告人の関係は土地使用貸借関係であり、上告人は占有補助者ではなく代理占有(間接占有)に当たる。いわば両者に占有権が存在する中での実力行使であって、占有補助者たる被用者のケースとは若干異なる。一般原則としての「私力の行使は、原則として法の禁止するところであるが、法律に定める手続によったのでは、権利に対する違法な侵害に対抗して現状を維持することが不可能又は著しく困難であると認められる緊急やむを得ない特別の事情が存する場合においてのみ、その必要の限度を超えない範囲内で、例外的に許される」という点は確かであるが、原審が「本件研究室の利用権限を失った」と述べるだけでなく、本判決においても、X側のXの本件研究室に対する利用権原の侵害という主張に対して、「Xは、本件労働契約から独立して本件研究所に対する利用権原を有していたものではない」と認めており、Y側が自力救済が許される「特別の事情」があったと判断したことに理由がないとはいえないのではなかろうか。ただし、次節で本判決が述べるように、慎重に考えれば「少なくとも、法的手段として、いわゆる明渡断行の仮処分命令の申立て(民事保全法23条2項)が検討対象となるべきであった」ことは間違いないであろう。何よりも、この自力救済行為が、本件雇止めの3年後になって思い出したように行われていることが、その違法性の印象を高めていると思われる。3年間、Xに研究室の事実上の占有を認めていたことにはY側の事情があるのであろうが、本件開錠、動産の撤去、錠の取替え行為が雇止め直後に行われていた場合、占有補助者(の地位を失った者)に対する処置として容認された可能性が高いようにも思われる。3 Yらの責任原審が組織体としてのY1の責任のみを認めたのに対し、本判決はY2、Y3、Y4の個人の責任をも認めている。このうち、Y4は別件(地位確認)訴訟においてY1の訴訟代理人を務める弁護士であるが、「法律専門家である弁護士としてY1による違法な自力救済の実行を容易にした点につき過失があったことは、・・・明らか」とその責任を追及している。しかしながら、前節で述べたように、原審が「本件研究室の利用権限を失った」と述べるだけでなく、本判決においても、X側のXの本件研究室に対する利用権原の侵害という主張に対して、「Xは、本件労働契約から独立して本件研究所に対する利用権原を有していたものではない」と認めており、Y側が自力救済が許される「特別の事情」があったと判断したことに理由がないとはいえないのではなかろうか。少なくとも、判断が分かれうる事態に対して、弁護士の責任までも認めた判断には疑問が残る。4 Xの損害X側の100万円の損害という訴えに対して、原審は「Y1は、本件動産を別の場所において保管しているものであって、本件動産の引取り自体が妨げられているものとは認められない」ことを理由に5万円と、本判決は「Xの他校における教育活動や研究活動に支障を与えた」ことや「重要な財物や愛着のある動産の占有も奪われていた」ことを理由に20万円と判断している。原審のいう「本件動産の引取り自体が妨げられているものとは認められない」点は、本判決でより詳しく「Xは、本件動産の一部の返還を受けたものの、その余の減縮後本件動産の受領を拒んだ経緯がある」と書かれており、自分で受領を拒んでおいて相手がやむなく保管していることをとらえてそれを損害だと主張することが正当であるのか、かなり疑問を感じざるを得ない。5 研究室と動産の引渡請求権の有無本件研究室については、既に見たように、原審が「本件研究室は、現在、他の教員が利用していることが認められるから、XのY1に対する本件研究室の引渡請求は理由がない」と引渡請求権を否定したのに対し、本判決は「ここにいう他の教員はY1の被用者であると認められ、・・・かかる被用者はY1のために占有補助者として本件研究室を所持しているにすぎず、これによる占有者はY1とみるべきであり、上記他の教員が自己個人のためにもこれを所持するものと認めるべき特別の事情があるとは認められない」と、引渡請求権を認めている。この結果、現にY1に雇用され、本件研究室を利用しているA大学の他の教員が、自分には何の落ち度もないのに本件研究室をXのために明け渡さざるを得ないことになり、それを拒もうとしても、「現に雇用されている者は占有補助者に過ぎない」と言われてしまうことになる。このような事態は、XのY側との関係のみに注意が集中したため、Xとこの他の教員との公平性という点がおろそかになっているように思われる。占有補助者ですらなくなった者のために、自分が本件研究室を明け渡すことを断固拒否した場合、「特別の事情」のあるXの方が権利が強いのだから、この他の教員は文句を言わずにとっとと出て行けというのであろうか。この他の教員が労働組合に加入しているかどうかは定かでないが、仮に労働組合に加入して、「強制退去は自己救済という不当行為だ」と主張したら、現に雇用されている者に対する強制退去は自己救済に当たらないというのであろうか。この高裁判決には大いに問題があるように思われる。本件動産については、そもそもXに所有権があることは明らかなので、引渡請求権があることは当然に見えるが、前節で見たように、そもそも「Xは、本件動産の一部の返還を受けたものの、その余の減縮後本件動産の受領を拒んだ経緯がある」と書かれており、自分で受領を拒んでおいて相手がやむなく保管しているにもかかわらず、その引渡請求権を論じること自体に、Y側のいうように疑問を感じないのであろうか。Y側の「Y1は、本件動産の返還を拒絶したことは一度もなく、原判決言渡し後も令和4年1月19日にX代理人宛てに引取方法等を提示いただければ返還する旨連絡したが、Xがこれに応じなかったものであるから、Xの減縮後本件動産引渡請求にはそもそも訴えの利益がない」という主張に対し、本判決が真摯に向き合っているようには見えない。6 結論以上のように、本判決にはその全ての面にわたって疑問を感じるが、評者は40年以上前に法学部で民法の講義を受講して以来、民法についての知識はほとんど欠けており、基本的に民法事案である本事案について、どこまで正鵠を得た議論になっているか自信が持てない。識者のご批判をいただければ幸いである。
『労基旬報』2025年4月25日号に「ILOのプラットフォーム労働条約(勧告)案」を寄稿しました。
本紙昨年5月25日号の「ILOがプラットフォーム労働条約(勧告)に向けて動き出す?」で紹介したように、国際労働機関(ILO)は今年と来年(2025年と2026年)の総会で、プラットフォーム労働に関する新たな国際基準を設定する方向で動いています。今年6月の第113回総会はもう目前ですが、そこに出される「プラットフォーム経済におけるディーセントワークの実現(Realizing Decent Work in the Platform Economy)」という200ページ近い報告書は、昨年1月の報告書についていた加盟国の政労使向けのアンケート票に対する回答を示しつつ、具体的な条約・勧告案の文言を提示しています。ざっと見た限りでは、昨年10月に最終的に採択されたEUのプラットフォーム労働指令とよく似た内容になっているようです。今回は、報告書の最後につけられている「提案される結論」のうち、条約の本則部分の邦訳を紹介しておきます。もちろんこれがこのまま条約になるというわけではないにしても、その可能性が高いことは間違いないからです。適用範囲7.本条約は(a)全てのデジタル労働プラットフォーム(b)全てのデジタルプラットフォーム労働者に適用する。8.実質的な性質の特別の問題が生じた場合には、各加盟国は労使を代表する団体及び、もしあればデジタル労働プラットフォームとデジタルプラットフォーム労働者を代表する団体に協議して、本条約の全部又は一部を適用除外することができる。(a)デジタル労働プラットフォームの限定されたカテゴリー(b)デジタルプラットフォーム労働者の限定されたカテゴリー9.第8項による適用除外の場合、加盟国は関係するデジタル労働プラットフォームとデジタルプラットフォーム労働者のカテゴリーへの条約の適用を段階的に拡大する措置をとるものとする。10.第8項により適用除外を可能とした各加盟国は、ILO憲章第22条に基づき本条約の適用に関する最初の報告において、(a)第8項で適用除外されたデジタル労働プラットフォーム又はデジタルプラットフォーム労働者の限定されたカテゴリーを示し、(b)第8項にいう団体のそれぞれの立場を示しつつ、かかる適用除外の理由と適用除外されたカテゴリーに関する法と慣行の立場を示すものとする。11.憲章第22条に基づく本条約のその後の適用状況報告において、加盟国は本条約を関係するデジタル労働プラットフォームとデジタルプラットフォーム労働者のカテゴリーへ拡大する観点でとられたいかなる措置をも特定するものとする。職場の基本原則と権利12.各加盟国は、デジタルプラットフォーム労働者が次の職場の基本原則と権利を享受することを確保する措置をとるものとする。(a)結社の自由と団体交渉権の効果的な認知(b)あらゆる形態の強制労働の廃絶(c)児童労働の効果的な廃止(d)雇用と職業における差別の廃絶(e)安全で健康的な労働環境13.デジタル労働プラットフォームとデジタルプラットフォーム労働者が結社の自由と団体交渉権を効果的に享受できることを確保する措置をとるに当たり、各加盟国はデジタル労働プラットフォームとデジタルプラットフォーム労働者が、関係する組織の規則にのみ従い、事前の許可なしに自らの選択により組織を設立し加入する権利を保護するものとする。労働安全衛生14.各加盟国は、労働の遂行から又はその過程で生じる労働災害、職業病及び他のいかなる健康被害をも防止するために、合理的に実施可能である限り、適切な措置をとるようデジタル労働プラットフォームに求めるものとする。15.第14項により加盟国がとる措置は、長時間労働及び不十分な休息期間に関連する労働災害、職業病及び他のいかなる健康被害を防止するものとする。16.各加盟国は、デジタル労働プラットフォームに対し、(a)デジタルプラットフォーム労働者が労働安全衛生に関する情報及び、適当であれば訓練を受けること、(b)デジタル労働プラットフォームを通じて労働を遂行するのに用いるいかなる装備も、合理的に実施可能である限り、デジタルプラットフォーム労働者の安全衛生に危険をもたらさないこと、(c)デジタルプラットフォーム労働者が労働災害、職業病及び他のいかなる健康被害を防止するために、合理的に実施可能である限り、十分な個人別の防護服及び装備を有するように、求めるものとする。17.各加盟国は、デジタルプラットフォーム労働者がその労働を遂行する過程において、(a)不当な帰結を被ることなく、その生命又は健康に緊急かつ深刻な危険を与えると信ずるに足る合理的な理由がある場合に労働の状況から退避する権利を有し、(b)遅滞なくデジタル労働プラットフォームに連絡する義務を負うことを確保する措置をとるものとする。18.各加盟国は、デジタルプラットフォーム労働者が労働安全衛生措置を遵守し、自身と他者の安全を配慮し、その労働安全衛生上の義務を果たす上で、可能な限り密接にデジタル労働プラットフォームと協力することを確保する措置をとるものとする。暴力とハラスメント19.各加盟国は、デジタルプラットフォーム労働者が、2019年の暴力とハラスメント条約(第190号)で認識されている暴力とハラスメントのない仕事の世界への誰もの権利と整合的に、性に基づく暴力とハラスメントを含め、仕事の世界における暴力とハラスメントから効果的に保護されるよう適切な措置をとるものとする。適当であれば、かかる措置はオンラインでなされる暴力とハラスメントや、顧客のような第三者からの暴力とハラスメントを扱うものとする。雇用の促進20.各加盟国は、国内状況に従い、各国の政策において、1964年の雇用政策条約(第122号)にいう生産的で自由に選択した雇用の目標を考慮しつつ、プラットフォーム経済におけるディーセントな仕事の創設を促進し、キャリア開発と技能向上を奨励する措置をとるものとする。雇用関係21.各加盟国は、雇用関係の存在に関して、2006年の雇用関係勧告(第198号)を考慮し、デジタル労働プラットフォームを通じた労働の特殊性を勘案して、デジタルプラットフォーム労働者の労働の遂行と報酬に関係する事実を第一に指針として、デジタルプラットフォーム労働者の正しい分類を確保する措置をとるものとする。22.第21項にいう措置は、真の民事及び商事契約を妨げることなく、同時に雇用関係にあるデジタルプラットフォーム労働者があるべき保護を受けることを確保するものとする。報酬23.各加盟国は、出来高払いのものを含め、国内法、規則、労働協約又は契約上の義務に基づくデジタルプラットフォーム労働者の報酬が、(a)十分で、(b)法定通貨で、又は国内法、規則又は労働協約で認められる限りで現物で、(c)全額を期日どおりに支払われることを確保するものとする。24.各加盟国は、デジタル労働プラットフォームがデジタルプラットフォーム労働者の報酬から控除をすることは、国内法、規則又は労働協約で認められる限りでのみ許されることを確保するものとする。25.各加盟国は、デジタル労働プラットフォームが定期的にデジタルプラットフォーム労働者に、その報酬と控除に関して正確で理解しやすい情報を提供するよう求めるものとする。社会保障26.各加盟国は、デジタルプラットフォーム労働者が比較可能な状況において他の労働者に適用されるよりも不利でない条件で社会保障の保護を享受することを確保する措置をとるものとする。自動的システムの利用の影響27.各加盟国は、デジタル労働プラットフォームがデジタルプラットフォーム労働者に対し、その雇用又は就業が開始する前に、その代表若しくは代表的労働者団体又はデジタルプラットフォーム労働者を代表する団体に、(a)労働を監視若しくは評価し、又は労働に関係する意思決定を生成するためにアルゴリズム又は同様の方法に基づく自動的システムの利用、(b)かかる自動的システムの利用がデジタルプラットフォーム労働者の労働条件又は労働へのアクセスに影響を与える程度について、情報提供するよう求めるものとする。28.各加盟国は、デジタル労働プラットフォームが第27項でいう自動的システムの利用が職場の基本原則と権利を侵害しないことを確保するよう求めるものとする。とりわけ、かかる利用は、(a)報酬又は労働へのアクセスを含め、デジタルプラットフォーム労働者に対するいかなる間接差別をも引き起こさず、(b)作業関連災害及び心理社会的危害の危険を増大させることを含め、デジタルプラットフォーム労働者の安全衛生への有害な影響をもたらすべきでない。29.各加盟国は、意思決定が自動的システムによって生成されている場合、デジタルプラットフォーム労働者が不当な遅滞なく、(a)いかなる意思決定が労働条件又は労働へのアクセスに影響を与えるかについての書面による説明、(b)報酬支払いの拒絶又はアカウントの停止若しくは解除又はデジタル労働プラットフォームとの雇用若しくは就業の終了に帰結するいかなる意思決定も、人間による再検討がされることを確保するものとする。デジタルプラットフォーム労働者の個人データとプライバシーの保護30.各加盟国は、国際規範に従い、デジタルプラットフォーム労働者の個人データの収集、貯蔵、利用及び通信に関し効果的で適切な防護措置を講ずるものとする。31.各加盟国は、デジタルプラットフォーム労働者の個人データが、その雇用又は就業の目的に厳格に必要な限りにおいてのみ収集、貯蔵、処理及び利用されることを確保するものとする。とりわけ、各加盟国は、(a)労働者代表との意見交換を含め私的な会話に関わる、(b)労働者団体への加入方はその活動への参加に関わる、(c)デジタルプラットフォーム労働者が労働を提供又は遂行していない時に得られた、(d)生命又は健康への深刻かつ緊急の脅威を防止するために必要な場合を除き、又は国内法及び規則下で求められる場合を除き、身体及び精神の健康並びに他のセンシティブなデータに関わる、個人データの収集、貯蔵、処理及び利用を禁止するものとする。アカウントの停止又は解除及び雇用又は就業の終了32.各加盟国は、デジタルプラットフォーム労働者のアカウントの停止若しくは解除又はデジタル労働プラットフォームとの雇用若しくは就業の終了を、差別的又は他の正当でない根拠に基づいている場合には、禁止する措置をとるものとする。雇用又は就業の条件33.各加盟国は、デジタルプラットフォーム労働者がその雇用又は就業の条件について、適切、検証可能かつ容易に理解できるやり方で、可能なら書面の契約により、情報提供されることを確保する措置をとるものとする。34.デジタルプラットフォーム労働者の雇用又は就業の条件は、関係する国際規範又は多国間若しくは二国間の協定が異なる定めをしない限り、労働が遂行される国の法律及び規則が適用されるものとする。移民及び難民の保護35.各加盟国は、移民及び難民がデジタルプラットフォーム労働者としての採用又は労働の過程において虐待を防止し、十分な保護を与える必要かつ適切な措置をとるものとする。紛争解決及び救済36.各加盟国は、デジタルプラットフォーム労働者が安全で構成で効果的な紛争解決機構と適切で効果的な救済に容易にアクセスできることを確保する措置をとるものとする。遵守及び執行37.各加盟国は、この機構が関係する国内法、規則及び労働協約の遵守と執行を確保するように確保する措置をとるものとする。不利益な取扱いの禁止38.各加盟国は、本条約の実施に当たり、デジタルプラットフォーム労働者が比較可能な状況にある他の労働者が享受しているよりも不利でない保護を享受するよう確保する措置をとるものとする。実施39.各加盟国は、その領域内において運営するデジタル労働プラットフォーム及び仲介業者並びに労働するデジタルプラットフォーム労働者に関して、本条約の規定を実施するものとする。40.仲介業者の利用が認められる場合には、加盟国はデジタル労働プラットフォームと仲介業者の本条約の規定の遵守を確保する上でのそれぞれの責任を決定し分配するものとする。41.本条約の規定を実施する際に、各加盟国は代表的な使用者及び労働者の団体、もしあればデジタル労働プラットフォームとデジタルプラットフォーム労働者を代表する団体に協議し、その積極的な参加を促進するものとする。42.本条約は法律、規則、労働協約、裁判所の判決、これら手段の組み合わせ又は国内慣行に従いこれら以外の方法により適用されるものとする。必要であれば、これには既存の措置を拡大することやデジタル労働プラットフォームとデジタルプラットフォーム労働者をカバーする新たな措置を開発することも含まれる。
9784309229430_200in01 9784309229447 月イチのはずの『労働新聞』書評ですが、諸事情のため、今月またまた掲載が回ってきました。今回はグローバルヒストリーの大御所ユヴァル・ノア・ハラリの新著です。
【書方箋 この本、効キマス】第109回 『NEXUS 情報の人類史』 ユヴァル・ノア・ハラリ 著、柴田 裕之 訳/濱口 桂一郎
世界中がおかしい。とりわけアメリカがおかしい。おかしいトランプ大統領が世界を振り回している。日本もおかしい。とりわけ大統領型で選ばれる知事や市長がおかしい。これは一体何が起こっているのか? 著者は、その近い原因をAI(人工知能)に、遠い原因を人類が生み出した共同主観に求める。だから本書は、アクチュアルな現代社会論であると同時にグローバルヒストリーでもあるのだ。
情報とは、多くの人が誤解するように真実を映し出すものではなく、人々を共同主観的な虚構によって秩序付けるものだ。後から考えれば何の根拠もない虚構に踊らされて、多くの人の命を奪った事例は人類史に山のように見付けられる。近世初期のヨーロッパで『魔女への鉄槌』というデマ文書によって多くの人々が魔女として焼き殺された事例や、社会主義に敵対するクラーク(富農)という名のもとにスターリン体制下のソビエトで莫大な人々の命が奪われた事例は、共同主観的虚構の恐ろしさを物語る。
だが、そういう蒙昧な時代は終わった、今や自由民主主義の天下が始まった、と、ソ連崩壊後の知識人は傲慢にも考えた。とんでもない。共同主観的な虚構の暴政は、人間が作る(紙や電波といった)メディアに頼って人間が意思決定する段階から、意思決定そのものを非有機的な存在――AIが担う段階に進みつつあるのだ。ここで注意しなければならないのは、知能は意識ではない点だ。AIは通俗SFで描かれるような意識はもたないが、決まったアルゴリズムに基づいて意思決定をする。真に恐るべきは、「ロボットの反乱」ではなく「魔法使いの弟子」なのだ。
ミャンマーでロヒンギャの虐殺が行われた最大の原因は、フェイスブック上で、ロヒンギャへの憎悪を掻き立てる事実無根のヘイト動画が繰り返し閲覧され、拡散したことだという。なぜそうなったのか。フェイスブックの経営陣は、多くの閲覧数を獲得するようなコンテンツを優先して表示するアルゴリズムを組んでいた。ミャンマーで一番人気を博したコンテンツはロヒンギャ憎悪もので、AIは素直にヘイト動画ばかりを推奨した。検索するとヘイトコンテンツが並び、見る気のなかった人々も繰り返し見るうちにロヒンギャはとんでもない連中だと思うようになっていく。新興印刷術によって膨大な部数がまき散らされた『魔女への鉄槌』を読んだ近世人のように。事実に即してロヒンギャを擁護する投稿は、ずっと下位に位置付けられ、ほとんど見られなかった。かくして、ミャンマー人の共同主観は、フェイスブックのAIの意思決定によって、ロヒンギャ憎悪へ、虐殺へと動かされていった。これはアメリカ大統領選で、そして日本の昨今の知事選などで見られた現象を予告していたように見える。
著者は希望を失わない。人類は自己修正メカニズムによって正道を保ってきた。しかし、それは人間が真実を認識し得る限りのことだ。AIにおいては、意思決定の理由が外から見えない。我われが直面しているのは、そういう時代なのだ。
661206 旬報社から『労働六法2025』が送られてきました。本書も2004年版の創刊から22回目になりますが、わたくしはこの間ずっとEU法について協力してきました。
https://www.junposha.com/book/b661206.html
今回は、昨年10月に正式に採択されたプラットフォーム労働指令を収録しています。昨年版では、まだ正式採択前であったので、刊行直前の3月に欧州議会と閣僚理事会が合意した案文を「指令案」として掲載していましたが、細かく読むと分かるように、かなりの部分で微修正が入っていますので、今後お使いの際は今回の正式条文に基づくものを使っていただければと思います。
ちなみに、本書は1261ページまでありますが、EU法はそのうち53ページを占めていまして、それなりの勢力になっているようです。
収録されているのは次のような条約と指令です。
欧州連合条約
欧州連合運営条約
男女均等待遇指令
賃金透明性指令
一般雇用均等指令
人種・民族均等指令
集団整理解雇指令
企業譲渡指令
労働時間指令
一般労使協議指令
ワークライフバランス指令
パートタイム労働指令
有期労働契約指令
派遣労働指令
透明で予見可能な労働条件指令
プラットフォーム労働指令
EU法違反通報者保護指令
最低賃金指令
09504 岡村優希さんより『従業員代表を通じた経営関与法制 労使自治の多様性に着目した日・EU比較法研究』(日本評論社)を送りいただきました。
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/9504.html
経営上の意思決定に対する労働者の手続的関与を、法的にどのように保障すべきか。EU法を比較対象とし、日本法への示唆を得る。
EUの情報提供・協議・参加法制は、私も長年にわたって追いかけてきたテーマですが、岡村さんはこれを明確に日本法との比較法、そして日本法への示唆の源泉として研究しています。
日本では、実定法レベルではもっぱら団体交渉型の労働組合法制のみが確立され、西欧諸国のような労使協議制ないし経営関与制はほとんど存在しないにもかかわらず、その団体交渉型のはずの労働組合がほとんどもっぱら企業内組合として(あくまでも労働協約に基づき)労使協議型の労使関係を形作ってきたという経緯があるので、この手の話はなかなか単純ではなく、論じれば論じるほど複雑怪奇な罠に陥っていくことになるのですが、岡村さんはEU法を深掘りすることで、示唆を得ようと努めています。
正直日本の現状からすると、本書で取り上げている正面玄関からの道はなかなか困難で、解雇法制や労働時間法制、非正規労働者等といった個別の実体法領域に絡ませる形でないと、難しいと思いますが、でもそういう議論の前提として、本書で詳しく論じているような正面玄関からの仕組みをきちんと論じておく必要があるのは間違いありません。
第1編 序論
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第1章 問題の所在
第2章 我が国における経営関与をめぐる法的な議論状況
第3章 本書の課題と構成
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第2編 EU労働法分野における被用者の経営関与制度
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第1章 情報提供・協議制度の総説
第2章 基本権としての経営関与
第3章 特別法(1)――EU集団的整理解雇指令における被用者関与制度
第4章 特別法(2)――EU企業譲渡指令における被用者関与制度
第5章 一般法――欧州労使協議会指令
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第3編 EU会社法分野における被用者の経営関与制度
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第1章 欧州会社制度の概要
第2章 欧州会社における被用者関与制度
第3章 欧州会社制度に関する小括
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第4編 日本法への示唆
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第1章 本書の問題意識と検討課題
第2章 EU法上の諸制度の比較分析と我が国に対する示唆
おわりに
WEB労政時報に「ジョブ型公務員制度をジョブ型に造り変える苦労」を寄稿しました。
https://www.rosei.jp/readers/article/88941
去る3月24日、人事院に設置された人事行政諮問会議(学識者5名、座長:森田 朗氏)が最終提言を出しました。公務志望者の減少や若手職員の離職増加といった危機的状況にある公務の人材確保に対して、「公務の危機は国民の危機」として、"使命感を持って意欲的に働ける公務""働きやすく成長を実感できる公務""年次に関係なく実力本位で活躍できる公務""優秀な人材を惹(ひ)惹(ひ)きつけ、選ばれる公務"といった、口当たりのいいスローガンが並んでいますが、新時代の人事管理を実現するための具体的施策の項を見ていくと、「職務基準の給与制度・運用」というのが今回の提言の柱になっていることが分かります。具体的には「等級・報酬・評価」の一体的な改革と称して、まず「職務の難易度・責任が厳格に対応した等級制度」を、特定の職務・職域を対象に5年以内をめどに実現すべきと述べています。これはさらに具体的には、「職務分析・評価の手法による給与等級の見直し」と「職務基準の給与を実現するための制度・運用の見直し」から成ります。この文言を見て、皮肉な思いを感じざるを得ないのは私だけではないと思います。ここで提言されているのは、今はやりの言葉で言えば「ジョブ型」給与制度の導入です。それが求められるのは、言うまでもなく現行の公務員制度がジョブ型の対極にあり、民間企業以上のメンバーシップ型で動いているからです。それは間違いありません。ところが、日本国の六法全書に載っている国家公務員法を読めば、それが実は徹底したジョブ型原理で作られていることもまた確かな事実なのです。つまり、この提言は"ジョブ型で作られている公務員制度をジョブ型に造り変えろ"という無理難題を求めているのです。皮肉以外の何物でもありません。・・・・・
81fzbhcjml_ac_ul375_sr375375_ 三柴丈典『生きた労働安全衛生法』(法律文化社)をお送りいただきました。
https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-04361-0
『コンメンタール労働安全衛生法』の姉妹書。同書より、主要な裁判例、行政官による監督指導状況、事業場での実施状況を抽出。さらに、主要な事件には、安全衛生の専門家による「判決への賛否」「未然防止策」の2点を掲載した。
先日、大著『コンメンタール労働安全衛生法』をお送りいただいた三柴さんから、今度は同じ判型ながら200ページほどの本です。
パラパラとめくっていたら、安衛法第62条(中高年齢者等の配慮)の関係判例として、綾瀬市シルバー人材センター事件が出てきたので、懐かしくて読みふけってしまいました。
これ実は、わたしが東大法学部に客員としてお世話になっていたとき、労働判例研究会で初めて報告した裁判例なんですね。
2025425 『先見労務管理』2025年4月25日号に「"スキマバイト"を取り巻く法規制と今後の展望」を寄稿しました。
https://senken.chosakai.ne.jp/
1 はじめに2 現時点での法的位置付け雇用関係成立の仲介や賃金支払い代行も3 日雇派遣の原則禁止と日々紹介への移行"格差是正のため"派遣労働の規制強化給与計算代行手数料を請求する日々紹介4 スポットワークと賃金支払い代行サービス労基法の直接払いの原則に反しない5 スポットワークと日雇派遣の規制の関係性直接雇用が故に労働者保護に欠く事態に両者の規制をどうするかは裏腹の関係6 おわりにアルゴリズムの諸問題から考える必要
なお、拙論の後には、連合のスポットワーク調査2015、スポットワーク協会のガイドライン、EUのプラットフォーム労働指令、2024年職発1218第1号、2025年職発0217第5号等々、多くの資料が添付されています。
9784785731335 西村あさひ法律事務所・外国法共同事業編『サステナビリティ大全』(商事法務)をお送りいただきました。これはまた大変分厚い本です。
多角的視点からサステナビリティ(持続可能性)に関する各種の規範を分析し、紹介する。
サステナビリティ(持続可能性)の概念が唱えられて久しいが、その意味は多義的で、それらを巡るルールも数多く形成されている。本書は、日々新たに生じうるサステナビリティ課題を把握し、それが企業活動にどのような影響を与えるかについての視座を提示することを目指し、サステナビリティに関する各種の規範を分析し、紹介する。
目次は下記にありますが、サステナビリティというのが実に広範な範囲に及ぶ概念であることが、わかります。
トランプ大統領がDE&Iに猛攻撃を加えつつある今日ですが、世界の大きな流れとしてサステナビリティが消えることはないでしょう。
座右において時々コンサルトするにふさわしい重厚な本でしょう。
第 1 部 総 論
第 1 章 サステナビリティの概念(沿革・関連概念等)
第 2 章 サステナビリティをめぐる規範を読み解く
第 3 章 ESG
第 1 節 ESG の概念
第 2 節 ESG 要素の考慮と取締役の善管注意義務
第 3 節 マテリアリティ第 2 部 コーポレート
第 1 章 総 論
第 2 章 サステナビリティ・ガバナンス
第 1 節 サステナビリティ経営を支える体制
第 2 節 役員報酬
第 3 節 サステナビリティ情報開示
第 3 章 ソーシャル ・ エンタープライズ
第 1 節 ベネフィットコーポレーション
第 2 節 B Corp 認証制度
第 3 節 公益法人
第4章 M&A と ESG
第 1 節 ESG デューデリジェンス
第 2 節 M&A 契約と ESG
第 3 節 PMI と ESG第 3 部 ファイナンス
第 1 章 総 論
第 1 節 金融・金融機関とサステナビリティ
第 2 節 わが国の制度整備の動向
第 2 章 ESG 投資
第 1 節 ESG 投資の意義と背景
第 2 節 ESG 投資の視点・手法
第 3 節 ESG 投資と日本法における受託者責任──「科学的」な議論へ向けて
第 3 章 サステナブル・ファイナンスと金融商品
第 1 節 サステナブル・ファイナンス商品の類型
第 2 節 サステナブル・ファイナンスの経済的メリット
第 3 節 サステナブル・ファイナンスに用いられる発行条件/契約条件
第 4 節 サステナビリティ・リンク・デリバティブ(Sustainability-linked Derivatives)
第 4 章 サステナブル・ファイナンスとしてのプロジェクト・ファイナンス
第 5 章 インパクト投資第 4 部 ソーシャル
第 1 章 Diversity, Equity & Inclusion
第 1 節 はじめに
第 2 節 多様な労働者に対応する人事労務と法政策
第 3 節 ジェンダー投資
第 2 章 ビジネスと人権
第 1 節 ビジネスと人権をめぐる規範
第 2 節 近時の海外法制の動向
第 3 節 個別の人権イシュー
第 4 節 人権尊重責任と契約
第 3 章 労働法
第 1 節 サステナビリティと労働分野
第 2 節 労務:フリーランス
第 3 節 同一労働同一賃金
第 4 節 人的資本経営
第 4 章 地方再生・地方創生とサステナブル・ファイナンス
第 5 章 アグリ・フード
第 1 節 アグリ・フード分野における日本のサステナビリティ政策の概要
第 2 節 農林漁業資産と食品のサステナビリティ:フードテック
第 3 節 漁業分野におけるサステナビリティ
第 4 節 農業と再生エネルギー(営農型太陽光発電)
第 5 節 農業従事者のサステナビリティ
第 6 章 消費者保護と SDGs ウォッシュ
第 1 節 消費者向け商品・サービスの表示とサステナビリティ
第 2 節 ウォッシング
第 3 節 消費者向けの表示とウォッシング規制第 5 部 環 境
第 1 章 気候変動
第 2 章 自然資本
第 3 章 サーキュラーエコノミー第 6 部 独禁・通商
第 1 章 通商・投資法
第 1 節 人権問題と通商規制
第 2 節 気候変動問題と通商規制
第 2 章 競争法
第 1 節 総論(協調が必要になっている背景、競争法との緊張関係、
各国競争法の判断枠組み、各国競争当局の動向)
第 2 節 各国競争法の判断枠組み
第 3 節 行為類型ごとの考慮事項
労働法の感覚に慣れた目からすると、目次の立て方がなかなか新鮮です。労働関係は第5部の「ソーシャル」に含まれるのですが、女性、LGBT、シニア、障害者、外国人、疾病、ハラスメントは「多様な労働者」に含まれ、国際労働基準やバリューチェーンは「ビジネスと人権」で、フリーランス、同一労働同一賃金、人的資本経営が「労働法」だというのは、ふーん、そうなのかぁ、と思ってしまいました。
Mext なんだかすごくデジャビュな記事が垣間見えたので、
一部私大「義務教育のような授業」 財務省が指摘 文科省幹部は異論
大学なのに義務教育のような授業だ――。財務省が15日の有識者らによる審議会で、一部の私大の教育内容を厳しく指摘し、私学助成の見直しを提唱した。教育の質の評価が必要という考えを示したが、文部科学省からは「粗い考えだ」との指摘もある。
例によって昔々のエントリをサルベージして再掲しておきますね。
居神さんは本田由紀流の「レリバンス」論に対して、
>現在「マージナル大学」の教育現場を覆っているのは、教育内容のレリバンス性を根本的に無意味化する構造的圧力である。・・・「マージナル大学」におけるそれは想像の範囲をはるかに超えるものがある。
と述べ、続く「ノンエリート大学生の実態の本質」というところでは、それは「学力低下」論とも「ゆとり教育の弊害」とも関わりなく、
>同一年齢集団の半分を高等教育が吸収するということは、必然的にその内部に従来では考えられなかったような多様性を生じさせるという点が重要である。
と述べ、その多様性を「認識と関係の発達の「おくれ」」と捉えて、
>もう少し具体的にいうと。認識の遅れは例えば公共的な職業訓練を受けるのに最低限必要な学力水準に到達していないレベルにある。・・・学校を卒業しても改めて何か具体的な技能を身につけようとしても、公共の職業訓練さえも受けられなければ、それは社会生活上の自立にとって大きなハードルになるだろう。
>関係のおくれも深刻である。こちらはもっと卑近な例で、コンビニのアルバイトの面接で落とされてしまうレベルといえばわかりやすいか。要は非正規雇用でも対人接触を伴う業務の遂行は困難なほどの社会性やコミュニケーションの問題が見られるということである。
こういう記述を読むと、田中萬年さんの非「教育」論、職業訓練こそ真の学びという論すらも、職業能力開発総合大学校というそれなりに優秀な若者たちを集めたターシャリー教育機関の経験に基づくバイアスがあったのではないかという気がしてきます。
居神さんの「マージナル大学」はそんな生やさしいものではない、と。
では、そういうノンエリート大学生に何を伝えるべきなのか?
>ブラック企業の劣悪な労働環境をこれでもかと例示することによって、ノンエリート大学生がついつい陥ってしまう「楽勝就職」(事前の準備ゼロ、1回の面接で即内定)の末路が何らの仕事能力も身につかず「使い捨て」にされることを何となくでも分かってもらえば、さしあたりは成功である。
そして、ではブラックじゃない「まっとうな企業」に「雇用されうる能力」とは何か?
>まずは「初等教育レベルの教科書」を完璧にマスターしておくことをどうしても伝えておきたい。・・・要するに、「読み・書き・計算能力」こそが職業能力の土台であり、本当に「雇用されうる能力」を高めたければ、まずはそこからスタートしなければならない・・・
これは、まさしくヨーロッパの「エンプロイアビリティ」論が念頭に置いていたレベルです。日本はそうではない、ということを前提に今まで論じられてきたことが、なんだか全部ひっくり返る感じです。日本だって同じや。初等教育レベルのリテラシーとヌメラシーが大事や。まともなスキルはその先や。
世の「コミュニケーション能力」論は、実はやたらに高度な、並みの大人だってできないほどの、そのなんや、「はいぱあめりとくらしい」とやらの話と、こういうまさに小学生並みの、つまり2ちゃん用語でいえば「厨房」以下の話とが、相互に違うことを喋っているという認識すらないままごちゃごちゃになっていたのかもしれません。
それと同時に、彼らの就職先は総じてブラック職場だが、
>そこにとどまることで少しでも職業能力の成長が期待できるならば、とるべき方策は「退出」ではなく、自らの職場を改善・変革するための「異議申し立て」であろう。そのためには、労働者としての権利に関する知識が不可欠である。
と、「ボイス」の必要性と、そのための労働法教育の必要性を強調しています。ノンエリート大学生だからこそ、必要なのです。居神さんはこの点について、近く『もう一つのキャリア教育試論』(法律文化社)を出されるようです。
「大学がマージナルを抱えている」のが「マージナル大学」となる理由
>今は昔ほど偏差値があんまり学力の能力分布の代理指標になってくれない。ノビシロはあるけど、そこそこしか勉強してこなかったという優秀な子たちはちゃんと方向付けされると「へぇ勉強ってこんなに面白いんだ」とそれなりに勉強します。ついでに上の学校みたいにプライドが高くないから、鼻もちならないなんてこともないですし、気持ちもいいです。そういう子たちが底辺の子たちと一緒にいるんですね。だからね、正確に表現すなら、中堅以下の、定員を集めるのに困っている大学は、マージナルな層を抱えていると見るべきではないでしょうか。そもそも、そんな数字を大学が出してくれるわけないですし、境界線上は判定が難しいですから、実証なんて望むべくもありませんよ。
それはまったくその通りだろうと思います。すくなくとも、現に高等教育機関で学生たちに対している方々にとっては、極めて重要な認識であることは確か。
ただ、その正しい「大学がマージナルを抱えている」というミクロ的認識が、マクロ的には「マージナル大学」という認識枠組みで認識されてしまう不可避性というのもまた、統計的差別などという手垢のついた議論を持ち出すまでもなく、社会学的必然性であるわけです。
おっしゃるとおりなのだが、だからそういう(「マージナル大学」というような入れ物で判断するのではなく)本人をきちんと見てくれ、というときの、その見るべき「本人」の能力の判断基準が、「人間力」ということになると、具体的な職務能力といったものに比べて大変深みを要求する手間のかかるものとなり、それゆえに丁寧に選抜するためには、それに値しない者が多く含まれると考えられる集団をあらかじめ足切りすることが統計的に合理的であり得てしまうようなものとなってしまうために、本人は決してここでいわれるような意味での「マージナル」ではない学生たちが、人間力をじっくり判定してもらうところにまで行き着けないという意味において、彼らにとって非常に過酷なものになってしまうというのが、(金子さんが口を極めて批判する)本田由紀説の、わたくしが理解するところの一つのコアであるように思われます。
「マージナル大学」(に限りませんが)という思考経済的レッテルが、あまり有効性を持たないようなやり方はないのか、というのが、(必ずしも表には現れていないにしても)現在の就職問題を論ずる上での一つの軸でありましょう。
始めに申し上げておくと、今までも何回か金子さんから指摘されたような気がしますが、
>私の理解では濱口先生は現実がそんなに劇的に変わらないことを織り込み済みで、それでも多少ベクトルを変えるために極端なことを主張する必要があるという極めてブラグマティックな立場なのだと思っています。
というのは、ある意味でその通りです。わたしが本田先生のレリバンス論を繰り返し「活用」するのも、社会全体の方向付けと言うよりも、ある部分に関心を引きつけたいからであり、そここそ、まさに言葉の正確な意味での「マージナル」と呼ばれるような部分であるからです。
実をいうと、日本の大学は普通に考えられているよりもかなり多様であり、特に最近は文部科学省の自由放任主義的政策のお蔭で、専門学校の大学成りが急速に進み、言葉の正確な意味において専門学校に毛が生えたような(毛も生えていない?)大学がいっぱい出てきています。こういう大学は、偏差値的にはまさに「マージナル」ですが、実態はまさしく専門学校ですので、勉強はできないにしてもとっかかりはあるのです。そういうところは、うまくいくにせよ、いかないにせよ、いくいかないの操作可能性の支点が明確です。つまりそれが、わたしが本田先生の議論で役に立つと思っている「レリバンス」なるものです。
問題のある「マージナル」大学とは、むしろ高校レベルにおける「普通科底辺校」に相当するところです。勉強したことになっている範囲は開成や日比谷と正確に同じであるような普通科底辺校の卒業生が、その同じであるはずの学習内容をAO入試で「ウリ」にできるのか、というはなしです。勉強したことになっている範囲は東大や慶応の経済学部と正確に同じであるような偏差値底辺級のマージナル大学の学生が、その同じであるはずの学習内容を「ウリ」にできるのでしょうか、と翻訳すればわかりやすいでしょう。そう、大変むくつけなはなしであり、大学人は露骨に言いたくないでしょうね。しかし、その労働市場の入口における「ウリ」という観点から、せめてなにがしかとっかかりになるレリバンスを、という点において、わたしは本田先生の議論を評価しているのであってみれば、彼女の議論が今までの社会政策や人事労務管理論をきちんと踏まえていないというのは(それが正しいとしても)戦略的には顧慮すべき必要は感じません。
本ブログでずっと昔に指摘したように、本田先生には(自分自身が所属する東京大学教育学部のような高度な研究者養成を主たる目的とする組織も含め)一般的な形における職業レリバンス論を適用できないあるいは適用すべきでない領域にまであまり深く考えずに適用してしまおうとする傾向があります。そこは、それが弊害をもたらしかねなくなった時点で指摘すればよいと、(プラグマティックに)わたしは考えています。
なお、景気が最も重要なファクターであることはおそらく誰も反論しない基本事項ですが、(それも分からずに脳天気なことを言っている「ヘタレ人文系」(?)な人々に対してであれば格別)それを前提にして議論がされているところに、あえて他の議論の重要性を削減するために景気問題を持ち出すことは、議論それ自体の正当性とは別次元において言説としての不適切性があると考えています。これは金子さんではなく、もっと別の土俵で述べられるべきことですが。
(追記)
ちなみに、金子さんや森さんは同時代的には読まれてないと思いますが、今から4年以上前に本ブログ上で時ならぬレリバンス論議が交わされたことがあり、その時のエントリを読んでいただくと、わたくしの変わらぬ問題意識はご理解いただけるものと思われます。
たとえば、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c586.html(専門高校のレリバンス)
>これを逆にいえば、へたな普通科底辺高校などに行くと、就職の場面で専門高校生よりもハンディがつき、かえってフリーターやニート(って言っちゃいけないんですね)になりやすいということになるわけで、本田先生の発言の意義は、そういう普通科のリスクにあまり気がついていないで、職業高校なんて行ったら成績悪い馬鹿と思われるんじゃないかというリスクにばかり気が行く親御さんにこそ聞かせる意味があるのでしょう(同じリスクは、いたずらに膨れあがった文科系大学底辺校にも言えるでしょう)。
日本の場合、様々な事情から、企業内教育訓練を中心とする雇用システムが形成され、そのために企業外部の公的人材養成システムが落ちこぼれ扱いされるというやや不幸な歴史をたどってきた経緯があります。学校教育は企業内人材養成に耐えうる優秀な素材さえ提供してくれればよいのであって、余計な教育などつけてくれるな(つまり「官能」主義)、というのが企業側のスタンスであったために、職業高校が落ちこぼれ扱いされ、その反射的利益として、(普通科教育自体にも、企業は別になんにも期待なんかしていないにもかかわらず)あたかも普通科で高邁なお勉強をすること自体に企業がプレミアムをつけてくれているかの如き幻想を抱いた、というのがこれまでの経緯ですから、普通科が膨れあがればその底辺校は職業科よりも始末に負えなくなるのは宜なるかなでもあります。
およそ具体的な職能については企業内訓練に優るものはないのですが、とは言え、企業行動自体が徐々にシフトしてきつつあることも確かであって、とりわけ初期教育訓練コストを今までのように全面的に企業が負担するというこれまでのやり方は、全面的に維持されるとは必ずしも言い難いでしょう。大学院が研究者及び研究者になれないフリーター・ニート製造所であるだけでなく、実務的職業人養成機能を積極的に持とうとし始めているのも、この企業行動の変化と対応していると言えましょう。
本田先生の言われていることは、詰まるところ、そういう世の中の流れをもっと進めましょう、と言うことに尽きるように思われます。専門高校で優秀な生徒が推薦枠で大学に入れてしまうという事態に対して、「成績悪い人が・・・」という反応をしてしまうというところに、この辺の意識のずれが顔を覗かせているように思われます。
コメント欄:
>マクロ社会的には、必ずしも優秀でない素材までが、かつて優秀であるシグナルとして機能した(と思いこんでいる)基礎的な専門教育の欠如というシグナリングを求めて普通科になだれ込んできたために、シグナリング機能が消滅したことがあります。
そうすると、こういう連中は、優秀でない上にへたに雇ったら初期教育訓練コストもかさむ存在になりますから、労働市場で一番周辺に追いやられてしまいます。
これは格差の原因ではないにしても、それをある程度増幅する機能は果たしているように思われます。いずれにしても、専門高校であっても、所詮高校レベルで教えることのできる専門性なんて、それほど大したものではないのですから、「普通高校で教えることの可能な広義の意味での専門性」にそんなに悩む必要もないように思います。
高校レベルで何らかの職業教育を全員が受けた上で、その能力に応じてさらに進学するという仕組みになることのメリットは、進学しない場合のリスクを最小限にすることができることで、これはかなり重要ではないかと思います。>職業教育の拡大というのは、別に「うまい話」なんかではなく、何にもないまま労働市場に投げ出される若者に、せめてなけなしの装備を提供してやろうという、はなはだみみっちい話に過ぎません。
>全くその通りでしょう、私は初めから、日比谷だの戸山だのへいって東大や京大を目指す連中のことは念頭に置いてません。書店に行けば、高校進学ガイドなる冊子がおいてあって、ごく少数の職業科を押しやって山のように名前も聞いたことのないような普通科高校があることがわかります。しかも結構就職しているんですね。入試偏差値でシグナリング機能が代替されてしまい、普通科に進学した意味が全くない彼らをどう救えるのか、ってところに主たる関心があるものですから。(最初に断っているように、私は教育の専門家ではなく、教育の高邁な理念なるものには何の思い入れもないものですから、何がどう役立つか、という関心からのみものを言っています)
(再追記)
ついでに、当時のいくつかのエントリも紹介しておきます。
まず「一般的な形における職業レリバンス論を適用できないあるいは適用すべきでない領域にまであまり深く考えずに適用してしまおうとする傾向」の実例。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html(哲学・文学の職業レリバンス)
>「通りすがり」氏が「私は大学で哲学を専攻しました。その場合、「教育のレリバンス」はどのようなものになるんでしょうか?あと国文とか。」という皮肉に満ちた発言をされたのです。
私だったら、「ああそう、職業レリバンスのないお勉強をされたのねえ」といってすますところですが、まじめな本田先生はまじめすぎる反応をされてしまいます。曰く、・・・・・・
>好きで好きでたまらないからやらずには居られないという人間以外の人間が哲学なんぞをやっていいはずがない。「職業レリバンス」なんて糞食らえ、俺は私は世界の真理を究めたいんだという人間が哲学をやらずに誰がやるんですか、「職業レリバンス」論ごときの及ぶ範囲ではないのです。
一方で、冷徹に労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学や文学の教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要と労働供給は本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学や文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源や機会費用を提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。
職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問を勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)
>歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。
一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが・・・
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html(大学教育の職業レリバンス)
>大学文学部哲学科というのはなぜ存在するかといえば、世の中に哲学者という存在を生かしておくためであって、哲学の先生に給料を払って研究していただくために、授業料その他の直接コストやほかに使えたであろう貴重な青春の時間を費やした機会費用を哲学科の学生ないしその親に負担させているわけです。その学生たちをみんな哲学者にできるほど世の中は余裕はありませんから、その中のごく一部だけを職業哲学者として選抜し、ネズミ講の幹部に引き上げる。それ以外の学生たちは、貴重なコストを負担して貰えればそれでいいので、あとは適当に世の中で生きていってね、ということになります。ただ、細かくいうと、この仕組み自体が階層化されていて、東大とか京大みたいなところは職業哲学者になる比率が極めて高く、その意味で受ける教育の職業レリバンスが高い。そういう大学を卒業した研究者の卵は、地方国立大学や中堅以下の私立大学に就職して、哲学者として社会的に生かして貰えるようになる。ということは、そういう下流大学で哲学なんぞを勉強している学生というのは、職業レリバンスなんぞ全くないことに貴重なコストや機会費用を費やしているということになります。
これは一見残酷なシステムに見えますが、ほかにどういうやりようがありうるのか、と考えれば、ある意味でやむを得ないシステムだろうなあ、と思うわけです。
これらレリバンスを論ずべきではそもそもないものに対し、まさにレリバンスを問うべきではないかと論じているのが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)
>哲学者や文学者を社会的に養うためのシステムとしての大衆化された大学文学部システムというものの存在意義は認めますよ、と。これからは大学院がそうなりそうですね。しかし、経済学者や経営学者を社会的に養うために、膨大な数の大学生に(一見職業レリバンスがあるようなふりをして実は)職業レリバンスのない教育を与えるというのは、正当化することはできないんじゃないか、ということなんですけどね。
なんちゅことをいうんや、わしらのやっとることが職業レリバンスがないやて、こんなに役にたっとるやないか、という風に反論がくることを、実は大いに期待したいのです。それが出発点のはず。
で、職業レリバンスのある教育をしているということになれば、それがどういうレベルのものであるかによって、採用側からスクリーニングされるのは当然のことでしょう。
>経済学や経営学部も所詮職業レリバンスなんぞないんやから、「官能」でええやないか、と言うのなら、それはそれで一つの立場です。しかし、それなら初めからそういって学生を入れろよな、ということ。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html(経済学部の職業的レリバンス)
>「大学で学んできたことは全部忘れろ、一から企業が教えてやる」的な雇用システムを全面的に前提にしていたからこそ、「忘れていい」いやそれどころか「勉強してこなくてもいい」経済学を教えるという名目で大量の経済学者の雇用機会が人為的に創出されていたというこの皮肉な構造を、エコノミスト自身がみごとに摘出したエッセイです。
何かにつけて人様に市場の洗礼を受けることを強要する経済学者自身が、市場の洗礼をまともに受けたら真っ先にイチコロであるというこの構造ほど皮肉なものがあるでしょうか。
こういうのを読まれると、このhamachanという奴のレリバンス論というのは、なんというむくつけでむきだしでいやらしいものかと感想をお持ちの方もおられるでしょう。その通りです。そういう本音を隠したきれい事で教育論を済ませようとするから、話がことごとくおかしな方向にいくのです。
そして、少なくともわたくしの考えるところでは、社会科学的思考とは物事をこういう風に見て、こういう風に考えることであるはずです。むき出しの事実をありのままに見るところからしか、理想も何も出発のしようはないのです。
Logo_20250417131001 日本の最低賃金の歴史を知る人は、経営側は長らく産別最賃なんか要らない廃止しろと言い続けてきたと知っているだけに、今回のこの経済同友会の提言に驚くかも知れません。
政策提言 企業と人材の流動化により中堅・中小企業の付加価値の創造と日本経済の復活を
企業と人材の流動化により 中堅・中小企業の付加価値の創造と日本経済の復活を(本文)
この提言の中で、経済同友会は明確にこう言っています。
1職種別最低賃金制度の導入
デスクワーク領域からエッセンシャルワーク領域への労働移動にあたっては、給与ギャップが生じることが課題となる。その縮小を図るため、従来の施策に加えて、「1.成長を加速させる支援」に記載した提言を踏まえた施策を着実に実行し、生産性を向上させる一方、エッセンシャルワーク領域については、より高水準の最低賃金の設定を可能にすべきである。
具体的には、中央最低賃金審議会において、エッセンシャルワーク領域の特定最低賃金8についても改定額の「目安」9を示し、これを参考に、地方最低賃金審議会において、地域の事情を踏まえて審議を行い、都道府県ごとに必要職種の最低賃金を上げていくことが必要と考えられる。
Kishimoto 和歌山県知事の岸本周平さんが急逝されたとの報を聴き、
和歌山県の岸本周平知事(68)が15日、敗血症性ショックで死去した。14日に知事公舎の寝室で倒れているのが見つかり、病院の集中治療室で治療を受けていた。
岸本知事は和歌山市出身で東大法学部卒。旧大蔵省に入省し、財務省国庫課長などを経て2009年の衆院選に和歌山1区から民主党公認で立候補し、初当選した。民主党政権で経済産業政務官などを歴任。国民民主党の幹事長代行を務めた。
岸本さんが和歌山県知事になる前の、民主党の国会議員であったころに、そのブログで拙著『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)を取り上げていただいたことがあります。
この本は、拙新書の中では例外的に重版がかからなかった「売れない本」だったのですが、岸本さんの心のこもった書評にはとてもありがたい思いをした記憶が蘇ってきます。
(濱口桂一郎著、「日本の雇用と中高年」、ちくま新書、2014年5月)
「ホワイトカラー・エクゼンプション」とは、何か?
これは、管理職でない、ある一定のサラリーマンに残業代を払わない制度のことです。
労働省出身の濱口桂一郎先生の説明では、中高年の人件費対策としての残業代カットのことです。
つまり、ある時期までは、日本の企業は管理職手当ありで残業代ゼロの本来の「管理職」になれない中高年を「スタッフ職」として管理職手当を出して処遇できていました。
しかし、90年代以降、そのようなゆとりが無くなったものですから、スタッフ職も管理職待遇ではなく、残業代支給の対象になってきました。この残業代の負担を減らすことが、企業の課題になってきたのです。
ところが、2007年に、「ホワイトカラー・エクゼンプション」の法案を政府が提案した時に、本来、中高年の残業代を減らす話からスタートしたのに、政府の説明が、「自立的な働き方」だとか、「ワークライフバランスが良くなる」などと実態を反映していなかったので、つぶれたわけです。
安倍内閣の政策は、いつでも、説明の仕方や表現と中身が大きくかけ離れています。「ホワイトカラーエクゼンプション」も、その典型的な例です。私も、秋の臨時国会では、しっかりと追及します。
一方、濱口桂一郎先生の「日本の雇用と中高年」(ちくま新書、2014年5月)を読むと、戦後の日本の労働政策の変化が判りやすく書かれています。
1960年代までは、欧米型の「ジョブ型(職務給)社会」を目指していたのですが、石油危機の70年代以降、「職務の限定のない雇用契約」を特色とする「日本型雇用」が肯定されるようになりました。
その中で、「同一価値労働、同一賃金」の原則は放棄され、年功序列賃金や家族手当など、中高年になれば支出が増える家計を企業がサポートするようになりました。
80年代以降、「ジャパン・アズ・ナンバー1」などと、日本型の経営方法がほめそやされる中、「日本型雇用」も反省されること無く続きました。
ヨーローッパでは、あくまでも「同一価値労働、同一賃金」を原則に、家計支出の増加には子ども手当など社会保障で政府が手当しています。
正規の職員間ですら「同一価値労働、同一賃金」の哲学が無かった日本に、非正規雇用に対して「同一価値労働、同一賃金」を適用するのは難しいのかもしれません。
また、今、企業が家計を支援できなくなっているにもかかわらず、政府の社会保障施策が遅れていることが、いろんなところで「貧困」問題を生んでいるように思います。
また、日本でも一時期、定年制は年齢による差別なので廃止すべきだという動きがありましたが、その後、定年制延長、継続雇用などによる方向に動いています。これが、本当に中高年の雇用の保障になるのかは疑問です。
多くの先進国では、定年制は、年齢による差別なので違法だとされています。
一律の規制よりも、個人の多様性に基づく柔軟な制度が望まれます。
もう一度、「同一価値労働、同一賃金」のジョブ型(職務給)社会を目指し、非正規雇用や中高年の雇用改善への挑戦をすべきではないでしょうか。そのためにも、社会保障改革は避けては通れない考えます。
最近スポットワーク(スキマバイト)が話題ですが、どうも日本の文脈では職業紹介なのか労働者供給なのかといった労働市場規制問題の枠組みでばかり議論されがちですが、世界的な労働問題の文脈でいえば、むしろプラットフォーム労働のアルゴリズム問題が表出している領域ではないかと思われます。
プラットフォーム労働というと、これまたウーバーやウーバーイーツが想起され、ほとんどもっぱら労働者なのか自営業者なのかという労働者性問題の文脈でのみ議論される傾向にありますが、昨年成立したEUプラットフォーム労働指令にせよ、この6月にILO総会で議論される条約勧告案にせよ、非常に大きな部分がアルゴリズムによる意思決定の問題に充てられていて、その問題はプラットフォーム労働者が法的に雇用労働者であるかそれとも自営業者であるかに関わりなく、共通の問題として提起されています。
残念ながら日本では、この問題をつなげて論じようという感覚が極めて弱く、そもそもスポットワークがプラットフォーム労働であるという認識もほとんど持たれていないようです。
この点については先日「WEB労政時報」に「スポットワークと日雇派遣」を書いたときに、その末尾にちょびっと書き記しておきましたが、
・・・・さて、スポットワークについては、これとは別の観点から考察する必要もあります。スマートフォンアプリによる単発の就労といえば、近年世界的に拡大し、日本でもコロナ禍で急拡大したウーバーイーツのようなプラットフォーム労働が思い浮かびます。実を言えば、スポットワークも広い意味でのプラットフォーム労働の一種です。プラットフォーム労働には非雇用型と雇用型があり、前者の労働者性が世界的に大きな問題となっていますが、スポットワークはそもそも雇用型なのでその問題はクリアしています。しかし、プラットフォームのアルゴリズムによる諸問題は共通です。特に、2024年10月14日付の朝日新聞記事「スポットワーク、アプリに違法規則 マッチした仕事、『無断欠勤』したら無期限利用停止 厚労省が指導」で報じられた問題は、同省が職業安定法5条の7(求職受理原則)の趣旨に反するという指導を行ったとのことですが、これは2024年10月23日に成立したEUのプラットフォーム労働指令でいう「自動的な意思決定システム」のうちの「プラットフォーム労働遂行者のアカウントを制限、停止又は解除(中略)する意思決定」に当たると思われます。労働過程におけるAIの利用に関する問題は世界的に注目され始めていますが、スポットワークをそういう観点から考えていく必要は今後ますます高まっていくと思われます。
焦げすーもさんの疑問にストレートに答えると、
業者間協定方式(静岡の缶詰業者が起源)と、現行の特定最賃は、わずかながら関連性があると言っていいのか否か。 hamachan本を掘り起こしたら、わかるか。
わずかながらどころではなく、むしろ特定最賃は業者間協定の直系の子孫とすら言えます。
静岡県労働基準局長が地元の缶詰業界にやらせたところから始まり、1959年最賃法で立法化された業者間協定方式は、まさに産業別地域別の最低賃金でした。
それがILO条約違反だと叩かれて、1968年改正で業者間協定方式が廃止されて審議会方式となったのですが、とりあえずは既存の業者間協定の業種や地域を拡大しつつ対応したので、このときの最賃は審議会方式の産別最賃でした。
このころ、労働側は全国一律最賃ばかりを主張し、一方経営側は産別最賃の維持を主張していましたが、労働省は産別だけでは漏れる業種があるので、既存の細別最賃とは別に都道府県ごとの地域最賃を全国に広げることを目指し、これが実現したのが1976年です。
これにより、それまで主流であった産別最賃は傍流化し、それまで地賃に否定的であった経営側が、地賃があるんだから産別最賃はいらないと主張し始めて、産別最賃の日陰の身の流浪の旅が始まるわけです。自分たちに身近なはずの産別最賃をほったらかして表層的に全国一律最賃ばかり叫んでいた労働側は、慌てて今更のように産別最賃は大事だと言い出しましたが、実力が伴わないためになかなか広がりません。過去半世紀以上にわたって、産別最賃無用論に叩かれながら何とか生き延びてきたのが、2007年改正でややごまかしのような手口で産別最賃は廃止するけれども代わりに特定最賃を作りますと称して命をつないだのが現在の特定最賃というわけです。
という波乱万丈の人生行路ですが、とはいえ特定最賃の元をたどると業者間協定方式であることは確かでしょう。
Asahishinsho_20250410231501 詳細は『賃金とは何か』の第3部に書いてあります。
同書の259〜260頁に、やや皮肉な口調でこんなことを書いております。
今日では、業者間協定は最低賃金の黒(くろ)歴(れき)史(し)としてのみ記憶されているでしょう。しかしこの制度は、ある地域のある業界の経営者団体を、自分たちの雇う労働者の最低賃金を決めさせるという土俵に引っ張り出して、責任を持たせていたということもできます。当時の労働組合は全国一律最低賃金を唱えるばかりで、自分たちの力である地域やある業種の最低賃金を協定の形で勝ち取る力量などほとんどありませんでした。後述するように、当時地域別最低賃金にすら反対し、業者間協定方式に固執していた経営側は、七〇年代前半に全都道府県で地域別最低賃金ができてしまったら、今度は産業別最低賃金など不要だと言い出しました。それをかいくぐって、一九八六年には新産業別最低賃金、二〇〇七年には特定最低賃金としてなんとか生き延びさせてきたのです。企業別組合の枠を超えられない日本の労働組合には、自分たちで産業別最低賃金を作り出す力量が乏しいということを立証しています。
今になって考えれば、当時あれだけ「ニセ最賃」と罵倒していた業者間協定をうまく使って、それに関係労組をうまく載っける形でのソフトランディングはありえなかったのだろうか、という思いもします。業界団体という土俵はあったのです。企業を超えた賃金設定システムという生まれつつあった土俵を叩き潰して、もはやその夢のあとすら残っていません。改めて業者間協定という黒歴史を、偏見なしに考え直してみるべきかも知れません。
817owjuk5pl_uf10001000_ql80_ 『労働新聞』の書評ですが、今回はJ.D.ヴァンス『ヒルビリー・エレジー』です。
https://www.rodo.co.jp/column/196246/
今年2月、ホワイトハウスに招かれたウクライナのゼレンスキー大統領はアメリカのトランプ大統領と口論を繰り広げて合意が破談になったが、そのきっかけはヴァンス副大統領の「失礼だ」「感謝しないのか」という発言であった。トランプに輪をかけた暴れん坊っぷりを世界に示したヴァンス副大統領とはどういう人物なのか? それを語る彼自身による半生記が本書だ。2017年に第一次トランプ政権が発足したときに単行本として刊行され、その後文庫化された。その内容はすさまじいの一言に尽きる。
彼の故郷オハイオ州ミドルタウンはかつて鉄鋼メーカーの本拠地だったが、その衰退とともにいわゆるラストベルトとなり、失業、貧困、離婚、家庭内暴力、ドラッグが蔓延する地域となっていた。彼の両親は物心のついたときから離婚しており、看護師の母親は、新しい恋人を作っては別れ、そのたびに鬱やドラッグ依存症を繰り返す。そして、ドラッグの抜き打ち尿検査で困ると、息子に尿を要求する。登場人物表には、「筆者の父親、および父親候補(母親の彼氏)たち」という項目があり、実父を始め6人の名前が列挙されている。おおむねろくでなしばかりだ。
母親代わりの祖母ボニーが、彼の唯一のよりどころであり、窮地に陥った彼を助けてくれる全編を通しての天使役だが、彼女自身も十代で妊娠してケンタッキーから駆け落ちしてきた女性であり、貧困、家庭内暴力、アルコール依存症といった環境しか知らない。彼の育った環境を彼はこう描写する。
「どこの家庭も混沌を極めている。まるでフットボールの観客のように、父親と母親が互いに叫び声を上げ、罵り合う。家族の少なくとも一人はドラッグをやっている。父親の時もあれば母親の時もあり、両方のこともあった。特にストレスが溜まっているときには、殴り合いが始まる。それも、小さな子どもも含めたみんなが見ているところで始まるのだ」。「子どもは勉強しない。親も子どもに勉強を求めない。だから子どもの成績は悪い。親が子どもを叱りつけることもあるが、平和で静かな環境を整えることで成績が上がるよう協力することはまずあり得ない。成績がトップクラスの一番賢い子たちですら、仮に家庭内の戦場で生き残ることができたとしても、進学するのはせいぜいが自宅近くのカレッジだ」。
そんな環境で育ったヴァンスが、一念発起して海兵隊に入隊し、イラクに派兵され、帰国後オハイオ州立大学に入学し、さらにエリート校中のエリート校であるイェール大学ロースクールに進学するというのだから、絵に描いたようなサクセスストーリーともいえる。だが、彼はイェールで居心地の悪さを禁じ得ない。恋人ウシャに対して突発的にとってしまう暴言や乱暴な振る舞いの中に、彼は母親の姿を見てしまう。逆境的児童体験によるトラウマから脱却しようと試みる。とはいえ、彼は祖母の生き方に息づいているヒルビリー(田舎者)の精神が大好きだ。上流階級の匂いをプンプンさせている民主党が大嫌いなのだ。
L24383 今一番イキのいい若手労働法学者4人組による判例集です。
https://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641243835
事案を読む際に着目すべき点を《読み解きポイント》で,判決文・決定文の示した要点を《この判決/決定が示したこと》で明確に示して,事案と判旨だけでは難解な事例もしっかり理解できる。体系的な理解を促すIntroductionや《解説》で着実な理解に導く。
百選でも200でもなく、たった50の超重要判例に絞って、懇切丁寧に解説しています。
でも、本書を開いて驚愕したのは、その中身ではありません。
冒頭の「はしがき」で、著者4人とおぼしき人々が、「労働法教科書私の推し本発表会!」てのをやっていて、
F氏は、O先生らによる『ストディア労働法』を、
O氏は、M先生の『プレップ労働法』を、
S氏は、M先生の『労働法』を、
それぞれ推していて、ふむふむ、なるほどと、思っていたら、その次に地雷が仕掛けられていました。
U氏:H先生による『ジョブ型雇用社会とは何か』は新書ですが教科書としても使えます。・・・・
いやいや使えませんって。新書で使えるのはM先生のでしょ。
つか、拙著を労働法の教科書に使おうというのは無謀にもほどがあると思いますよ。
ちなみに、「はしがき」の最後には、「以上の会話は著者の一人である大木の創作です。実在の人物や団体などとは関係ありません」という断り書きがあります。いやいや、実在の人物じゃないと言われても・・・・・
B0a77b8849a7457cbf238b992c4f60bc 川口美貴『労働法〔第9版〕』(信山社)をお送りいただきました。
https://www.shinzansha.co.jp/book/b10133435.html
毎年改訂の最新2025年版。要件と効果、証明責任を明確化。新たな法改正・施行と、最新判例・裁判例や立法動向(2025年2月分まで)、学説の展開状況に対応。長年の講義と研究活動の蓄積を凝縮し、講義のための体系的基本書として、広く深い視野から丁寧な講義を試みる。全体を見通すことができる細目次を配し、学習はもとより実務にも役立つ労働法のスタンダードテキスト第9版。
昨年の今頃も言いましたが、まさに完全に年鑑と化している川口労働法です。
そして、川口さんと言えばその独自の労働者概念で有名ですが、その膨大な労働者概念に関する記述の中に、職業安定法上の労働者概念はやはり出てきません。
というか、この1100ページに及ぶ大冊の中に、労働市場法制は全く出てこないのです。そこは見事に割り切っているようです。
ただ、その結果、膨大な判例の中でおそらく唯一川口さんの労働者概念とほぼ同一の徹底した経済的従属性基準を貫いている昭和29年の最高裁の判例(「[職安法]5条にいわゆる雇用関係とは、必ずしも厳格に民法623条の意義に解すべきものではなく、広く社会通念上被用者が有形無形の経済的利益を得て一定の条件の下に使用者に対し肉体的、精神的労務を供給する関係にあれば足りるものと解するを相当とする」 )が、本書に収められている膨大な判例の中に顔を出さないという大変皮肉な事態になっています。