61zcff2fuyl_ac_uf10001000_ql80_ 恒例の『労働新聞』書評。今回はシュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』です。
https://www.rodo.co.jp/column/208175/
2023年10月、ガザを支配するハマスがイスラエル領内を奇襲し、1,400人を殺害するとともに240人の人質を拉致した後、イスラエル軍はガザ全域に侵攻し、空襲で多くの建物は瓦礫となり、戦闘は未だに続いている。イスラエル政府はますます強硬になり、ヨルダン川西岸も含めパレスチナとの共存はますます遠のいている。
こういう絶望的な時期にこそ、改めて読み返されるべき大著がイスラエル在住の歴史家シュロモー・サンドによる『ユダヤ人の起源』だ。邦語タイトルは「起源」だが、表紙に書かれた英語タイトルは「The Invention of the Jewish People」である。以前似たようなタイトルの本を紹介したことをご記憶だろうか。本紙24年3月4日号掲載のビル・ヘイトン『「中国」という捏造』だが、その英語タイトルは「The Invention of China」である。つまり、本書は「ユダヤ人という捏造」とも訳せるわけだ。
彼によれば、現在のユダヤ人の祖先は別の地域でユダヤ教に改宗した人々であり、古代ユダヤ人の子孫は実は現在のパレスチナ人である。そもそも、ユダヤ人は民族や人種ではなく、宗教だけが共通点に過ぎない。第二次世界大戦中に約600万人のユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツが、ユダヤ人は民族や人種であるという誤解を広めたのであり、イスラエル政府が標榜する「ユダヤ人国家」には根拠がないという。シオニズム運動は欧州で迫害された19世紀末に起こり、「ユダヤ人国家の再建」を目指した。運動の根拠になったのは、ユダヤ人が紀元後2世紀までにローマ帝国に征服され、その地から追放されて放浪の民となったという「通説」だったが、彼は「追放を記録した信頼できる文献はない。19世紀ユダヤ人の歴史家たちが作った神話だった」と主張する。彼曰く、古代ユダヤ人は大部分追放されず農民として残り、その後キリスト教やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なっているのだ。
古代ユダヤで生み出された宗教に改宗した人びとの子孫が、ユダヤ人という人種・民族に属する者として憎まれ、迫害され、虐殺された挙げ句に、その虚構の「血」の論理を自らのアイデンティティとして民族国家を「再建」し、かつてその宗教を生み出した地に永年住み続けて、キリスト教やイスラム教に改宗した人びとの子孫を、異邦人として憎み、迫害し、虐殺するに及ぶ。何という皮肉極まる姿であろうか。殺す側も殺される側も、いずれもユダヤ人であり、いずれもユダヤ人ではないのだ。
最後の第5章には、もともと人種ではなかったユダヤ人の「種族化」を試みる現代イスラエルで流行のイデオロギーが紹介される。そこでは生物学的、遺伝学的なユダヤ人の「特徴」があれやこれやと「発明」されているのだ。そのロジックを振りかざしてユダヤ人の殲滅を図ったナチス・ドイツによってではなく、それによってほとんど殲滅されかけた人びとの子や孫であるイスラエルのユダヤ人自身によって。
71ze8uoht9l_uf10001000_ql80_ 恒例の『労働新聞』書評、今回はティモシー・スナイダー『ブラッドランド』(上・下)(ちくま学芸文庫)です。
https://www.rodo.co.jp/column/205235/
1933〜45年までの10年余の間に、スターリンのソ連とヒトラーのドイツに挟まれた流血地帯――ウクライナ、ベラルーシ、ポーランドおよびバルト三国――では1400万人が殺害された。ただしこの数字には、独ソ戦で戦死した膨大な兵士たちは含まれない。20世紀でもっとも凄惨と言われる独ソ戦の傍らで、戦闘行為としてではなく、階級や民族といったあるカテゴリーに属する人びとを、そのことを理由として、殺すために殺した数を積み上げると1400万人になるのだ。
もちろんその一部は我われにホロコーストやスターリンの大テロルとして知られている。だが本書を読むと、我われの知識がいかに局部的であったかを思い知らされる。ホロコーストというと、アウシュビッツ収容所のガス室が思い起こされるが、それはそのうちもっとも「近代的」な氷山の一角に過ぎない。アウシュビッツのガス室が嘘だというデマが繰り返されるのは、みんなそれしか知らないからだ。
だが、東欧のユダヤ人の圧倒的大部分は収容所でガスで殺されたのではなく、各集落で裸に剥かれ、穴の上で銃殺され、そのまま埋められたのだ。その多くは戦後ソ連領となったベラルーシとウクライナであり、膨大な死者はソ連人としてカウントされてきた。偉大な大祖国戦争の語りに、米帝の手先のユダヤ人の悲劇はそぐわないからだ。
スターリンの大テロルというと、ジノヴィエフをはじめとする見せしめ裁判や軍人の粛清が思い起こされるが、それはそのうちもっともエリート層の氷山の一角に過ぎない。クラーク(富農)というでっち上げの階級に属することを理由に、多くの真面目な農民たちが収容所に送られ銃殺されたのだ。だがそれはまだ専門家の間ではそれなりに知られている。階級の敵の撲滅はマルクス・レーニン主義の真骨頂であり、栄光の歴史として語られたからだ。
本書で初めて知ったのは、独ソ戦が始まる前に、ソ連当局がポーランド人をその民族的帰属を理由に、組織的に大量虐殺していたことだ。スターリンはポーランドと日本による挟み撃ちを恐れていたからだという。ジェノサイドはナチスの登録商標ではない。それより先にスターリンがポーランド人相手に大々的に行っていたにもかかわらず、戦後長らくタブー視されてきた。ポーランドの軍人が2万人以上銃殺されたカティンの森事件はその氷山の一角に過ぎない。
本書を読み進むのはとてもつらい。ページをめくるごとにこれでもかこれでもかと殺害の記述が続く。そのなかにときどき、殺される直前の少女のあどけない言葉が挟まれる。
著者スナイダーは、ソ連崩壊以後、この流血地帯の文書館を渉猟し、入手可能になった膨大な殺人の記録を拾い集めて、本書に結実させた。ああ、ホロコーストね、大テロルね、知ってるよ、と済ませずに、是非全巻読み通してほしい。プーチンのロシアが、自国の虐殺行為に言及することを刑罰で禁止する今日だからこそ、それが必要だ。
71mcy2cmphl240x400 『労働新聞』の書評、今回は内務省研究会編『内務省』(講談社現代新書)です。
https://www.rodo.co.jp/column/204674/
新書としては異例の550頁を超える分厚さで、オビの惹句に曰く、「なんだ?この『怪物』は...現在の警察庁+総務省+国土交通省+厚生労働省+都道府県知事+消防庁...」。戦前存在した巨大官庁を、総勢25人の研究者たちが、通史とテーマ別とコラムを分担執筆した本格的歴史書だ。比類ない巨大官庁でありながら、2度の被災に加えて敗戦前の資料焼却、戦後の解体といった事情から、内務省については資料的制約が大きいため、日本近代史には必ず出てくる登場人物なのに、主人公にした著作は極めて少ない。私も、戦前の労働行政史ではその主役は内務省社会局なのに、社会局以外の内務省のことはよく知らなかった。
内務省のコアに当たるのは地方行政と警察行政だ。前者は藩閥政府による選挙干渉から、政党内閣による局長や知事ポストの争奪戦など、まさに政治闘争そのものの世界であるし、後者は特高警察による左翼や右翼の取締りで有名だ。とりわけ後者は、それが理由で戦後GHQによって内務省が取り潰されたという都市伝説が広まっていた。しかし本書を読むと、内務省には神社行政、衛生行政、土木行政、社会政策、防災行政などなど、実に広範な領域が含まれていたことが分かる。
意外だったのは通史の第4章(米山忠寬)で、通念とは異なり、既に戦前から内務省の地位は低下していたのであり、占領期の突然の解体も「最後にとどめを刺したのがアメリカ・GHQというだけのことであって、すでに戦時日本の状況の下で弱体化が進んでいたというのが実態」とした。「内務省解体による民主化」という古典的構図から脱却すべきとの指摘は新鮮だ。
テーマ編第2章の神社行政(小川原正道)では、南方熊楠が批判した神社合祀政策が、欧米型田園都市構想に基づくものであったことを明らかにしている。「床次次官も、欧米で視察した荘厳なキリスト教会に比して、全国に散在する由緒のない小規模な村社や無格社を問題視したようで、一町村一社を原則として壮麗な社殿を備えた礼拝体系を整備するよう期待し、内務省は小規模の神社を中心に合併を進め」たという。
さて、本書は内務省の膨大な所管分野をほぼカバーしているが、そこから見事に脱落している領域がある。まことに残念ながら労働行政だ。テーマ編第6章の社会政策(松沢裕作)が取り上げているのは、恤救規則から救護法に至る社会福祉行政であって、内務省社会局の第二部の担当に限られる。第一部が所管していた工場法改正や労働組合法案など労働分野が本書で取り上げられていないのは、取り上げるに値しないと思われたためか、担当できる研究者がいなかったためか。いずれにせよ、そこを掘り下げてきた私としては、もう20ページほど増やしてでも書いてほしかったと思わざるを得ない。
実は正確にいうと、社会局第一部の話題はちらりと出てくる。日本女子大学校を卒業後雇員として働いた後、工場監督官補に任用され、連日工場を臨検したダンダリン第1号の谷野せつが、女性官僚の源流として紹介されている。
9784087370089_110 例によって、『労働新聞』に月イチ連載の書評ですが、今回はヤニス・バルファキスの『テクノ封建制』です。
https://www.rodo.co.jp/column/203132/
著者はギリシャの政治家・学者で、経済危機時に財務大臣になり、債務帳消しを主張したことで有名だ。本書の語り相手に設定されている父親譲りの左翼で、資本主義がやがて社会主義にとって代わられることを夢見ていた。ところがあに図らんや、確かに資本主義はとって代わられたのだが、とって代わったのは社会主義ではなくテクノ封建制であった。テクノ封建制とは何か。資本主義とどう違うのか?資本主義は、資本家が資源や労働力を活用(搾取)して生産活動を行い、利潤を生み出す。だから、資本家と労働者の対立が社会の基本対立図式になるし、生産活動の場で労働者が団結して資本家と対決し、労働者の利益を拡大する社会を目指すことも可能であった。ところが、テクノ封建制ではすべてがひっくり返ってしまう。テクノ封建制を支配するのは生産手段を所有する資本家ではなく、プラットフォームと呼ばれる需給をアルゴリズムでマッチングする「場」を独占するクラウド領主たちだ。GAFAMと呼ばれるごく少数の領主たちは、そこに商品を出品する封臣資本家に対しても、労務サービスを提供するクラウド農奴に対しても、絶対的な権力を持っている。プラットフォームへのアクセスをスイッチオフするだけで、彼らはあらゆる商品・サービス需要へのアクセスから遮断されてしまうのだから。売るためには領主さまに従わなければならないのだ。その絶対的権力を駆使して、クラウド領主たちは莫大な「利用料」を巻き上げる。これはもはや資本主義的な「利潤」ではなく、経済学的には「レント」(地代)に属する。「利潤」が(労働者を使った)資本家による生産活動によって生み出されるのに対し、「レント」は他人に生産活動を行わせて、その上がりを我がものにするだけだ。その姿は、かつて中世封建社会で、武力を振りかざして年貢を巻き上げていた領主たちと変わらないではないか、というわけだ。筋金入りの社会主義者のはずのバルファキスが、資本主義の大明神たるアダム・スミスを引っ張り出してこんな愚痴を語らせるというのが、何とも皮肉の極みであろう。曰く、「スミスがスコットランド訛りで嘆く声が聞こえてきそうな気がする。2008年以降、資本主義救済の名目で、中央銀行は資本主義のダイナミズムとその利点を抹殺した。有害な封建的地代まがいのものが蘇って、実り豊かな資本主義的利潤に対する歴史的な復讐を果たす機会を得たことに、スミスは落胆しているだろう。利潤の追求は哀れなプチ・ブルジョワに委ねられる一方で、本当の金持ちは、『負け犬が利潤を追い求めているぞ』と嬉しそうに囁き合っている。」いまや世界でクラウド領主がいるのはアメリカと中国だけだ。EUも日本も、利潤追求の資本主義時代にはアメリカを追いつめるほどに威勢が良かったが、現在は哀れな負け犬として、一生懸命生産活動で稼いだ利潤を領主さまに巻き上げられる一方だ。彼に言わせれば、米中対立の真の姿は、どちらのクラウド領主が世界を支配するかという死闘なのだ。
9784121101525_1_4274x400 ひさしぶりの『労働新聞』書評です。いろいろあって、4,5月に3本載ったので、6月はお休みで今回が7月分ということになります。
https://www.rodo.co.jp/column/202053/
インドといえば、我われ日本人には偉大なガンディーが作った国・・・というイメージが強い。「ガンディーが助走をつけて殴るレベル」というネットスラングも、非暴力主義でインドの独立を果たしたガンディーの高潔さを前提としている。そのガンディーを暗殺した右翼結社の民族奉仕団(RSS)で頭角を現し、グジャラート州知事として「実績」を挙げて、今日インドの首相として絶対的権力を振るっているのが、ナレンドラ・モディその人だ。ロシアや中国といった権威主義国家が近隣にある日本は、どうしても「世界最大の民主主義国家」という触れ込みのインドに点が甘くなりがちだ。だが、モディ政権の実態を細密な写実画のように描きだした本書を読み進んでいくと、ロシアや中国も顔負けの権威主義国家の姿が浮かび上がってくる。政権党であるインド人民党(BJP)は、RSSが母体となって作られたヒンドゥー至上主義の政党であり、少数派(といっても13億人中2億人弱だが)のイスラム教徒を目の敵にしている。貧家に生まれたモディはRSSで頭角を現し、グジャラート州の知事の座をつかむ。知事時代に同州で起こったのがグジャラート暴動といわれるイスラム教徒の虐殺事件だ。当時の英国政府の報告書から浮かび上がってくるのは、州政府が意図的にイスラム系住民の情報を流し、暴徒による虐殺を容易にしていたという疑惑だ。しかし、モディは制裁を受けるどころか「暴力の配当」としてその権力を強化する。そして、グジャラート経済を活性化した「モディノミクス」をひっさげて、2014年の総選挙で大勝し、インド首相の座についた。本書に溢れるモディのイスラム教徒に対するヘイトスピーチは、ヒンドゥー教徒の多数派によって支持されているのだ。もう一つ、我われが知らなかったモディの真実は、ロシアや中国並みの情報統制で、国民を知らしむべからず由らしむべしの状態に置いていることだ。膨大な予算をつぎ込んでモディを礼賛する映画や番組を流す一方で、マスメディアに対しては脅迫と妨害、時には権力による抑圧の限りが尽くされる。インド国内ではもはやモディ礼賛以外の報道は不可能だ。その力が及ばないBBCが23年、グジャラート暴動やイスラム教徒への差別・攻撃政策を描きだしたドキュメンタリーをイギリスで放送したとき、インド政府はBBCの現地支局に家宅捜査に入り携帯電話まで押収した。20年にインドを訪問したトランプ米大統領が「自由、解放、個人の権利、法の支配、そして、一人ひとりの尊厳を誇りを持って尊重する国、それがインドです」と褒め称えたとき、地元デリーでは与党系のヒンドゥー至上主義勢力がイスラム教徒を「国賊」と叫んで暴行を呼びかけ、暴動が起きていた。今年起こったカシミール州での事件も、イスラム教徒が多数を占める同州の自治権を19年に剥奪したことが原因だ。モディのインドは、我われが学んできたガンディーのインドとは正反対の存在になり果ててしまっているようだ。
9784309229430_200in01 9784309229447 月イチのはずの『労働新聞』書評ですが、諸事情のため、今月またまた掲載が回ってきました。今回はグローバルヒストリーの大御所ユヴァル・ノア・ハラリの新著です。
【書方箋 この本、効キマス】第109回 『NEXUS 情報の人類史』 ユヴァル・ノア・ハラリ 著、柴田 裕之 訳/濱口 桂一郎
世界中がおかしい。とりわけアメリカがおかしい。おかしいトランプ大統領が世界を振り回している。日本もおかしい。とりわけ大統領型で選ばれる知事や市長がおかしい。これは一体何が起こっているのか? 著者は、その近い原因をAI(人工知能)に、遠い原因を人類が生み出した共同主観に求める。だから本書は、アクチュアルな現代社会論であると同時にグローバルヒストリーでもあるのだ。
情報とは、多くの人が誤解するように真実を映し出すものではなく、人々を共同主観的な虚構によって秩序付けるものだ。後から考えれば何の根拠もない虚構に踊らされて、多くの人の命を奪った事例は人類史に山のように見付けられる。近世初期のヨーロッパで『魔女への鉄槌』というデマ文書によって多くの人々が魔女として焼き殺された事例や、社会主義に敵対するクラーク(富農)という名のもとにスターリン体制下のソビエトで莫大な人々の命が奪われた事例は、共同主観的虚構の恐ろしさを物語る。
だが、そういう蒙昧な時代は終わった、今や自由民主主義の天下が始まった、と、ソ連崩壊後の知識人は傲慢にも考えた。とんでもない。共同主観的な虚構の暴政は、人間が作る(紙や電波といった)メディアに頼って人間が意思決定する段階から、意思決定そのものを非有機的な存在――AIが担う段階に進みつつあるのだ。ここで注意しなければならないのは、知能は意識ではない点だ。AIは通俗SFで描かれるような意識はもたないが、決まったアルゴリズムに基づいて意思決定をする。真に恐るべきは、「ロボットの反乱」ではなく「魔法使いの弟子」なのだ。
ミャンマーでロヒンギャの虐殺が行われた最大の原因は、フェイスブック上で、ロヒンギャへの憎悪を掻き立てる事実無根のヘイト動画が繰り返し閲覧され、拡散したことだという。なぜそうなったのか。フェイスブックの経営陣は、多くの閲覧数を獲得するようなコンテンツを優先して表示するアルゴリズムを組んでいた。ミャンマーで一番人気を博したコンテンツはロヒンギャ憎悪もので、AIは素直にヘイト動画ばかりを推奨した。検索するとヘイトコンテンツが並び、見る気のなかった人々も繰り返し見るうちにロヒンギャはとんでもない連中だと思うようになっていく。新興印刷術によって膨大な部数がまき散らされた『魔女への鉄槌』を読んだ近世人のように。事実に即してロヒンギャを擁護する投稿は、ずっと下位に位置付けられ、ほとんど見られなかった。かくして、ミャンマー人の共同主観は、フェイスブックのAIの意思決定によって、ロヒンギャ憎悪へ、虐殺へと動かされていった。これはアメリカ大統領選で、そして日本の昨今の知事選などで見られた現象を予告していたように見える。
著者は希望を失わない。人類は自己修正メカニズムによって正道を保ってきた。しかし、それは人間が真実を認識し得る限りのことだ。AIにおいては、意思決定の理由が外から見えない。我われが直面しているのは、そういう時代なのだ。
817owjuk5pl_uf10001000_ql80_ 『労働新聞』の書評ですが、今回はJ.D.ヴァンス『ヒルビリー・エレジー』です。
https://www.rodo.co.jp/column/196246/
今年2月、ホワイトハウスに招かれたウクライナのゼレンスキー大統領はアメリカのトランプ大統領と口論を繰り広げて合意が破談になったが、そのきっかけはヴァンス副大統領の「失礼だ」「感謝しないのか」という発言であった。トランプに輪をかけた暴れん坊っぷりを世界に示したヴァンス副大統領とはどういう人物なのか? それを語る彼自身による半生記が本書だ。2017年に第一次トランプ政権が発足したときに単行本として刊行され、その後文庫化された。その内容はすさまじいの一言に尽きる。
彼の故郷オハイオ州ミドルタウンはかつて鉄鋼メーカーの本拠地だったが、その衰退とともにいわゆるラストベルトとなり、失業、貧困、離婚、家庭内暴力、ドラッグが蔓延する地域となっていた。彼の両親は物心のついたときから離婚しており、看護師の母親は、新しい恋人を作っては別れ、そのたびに鬱やドラッグ依存症を繰り返す。そして、ドラッグの抜き打ち尿検査で困ると、息子に尿を要求する。登場人物表には、「筆者の父親、および父親候補(母親の彼氏)たち」という項目があり、実父を始め6人の名前が列挙されている。おおむねろくでなしばかりだ。
母親代わりの祖母ボニーが、彼の唯一のよりどころであり、窮地に陥った彼を助けてくれる全編を通しての天使役だが、彼女自身も十代で妊娠してケンタッキーから駆け落ちしてきた女性であり、貧困、家庭内暴力、アルコール依存症といった環境しか知らない。彼の育った環境を彼はこう描写する。
「どこの家庭も混沌を極めている。まるでフットボールの観客のように、父親と母親が互いに叫び声を上げ、罵り合う。家族の少なくとも一人はドラッグをやっている。父親の時もあれば母親の時もあり、両方のこともあった。特にストレスが溜まっているときには、殴り合いが始まる。それも、小さな子どもも含めたみんなが見ているところで始まるのだ」。「子どもは勉強しない。親も子どもに勉強を求めない。だから子どもの成績は悪い。親が子どもを叱りつけることもあるが、平和で静かな環境を整えることで成績が上がるよう協力することはまずあり得ない。成績がトップクラスの一番賢い子たちですら、仮に家庭内の戦場で生き残ることができたとしても、進学するのはせいぜいが自宅近くのカレッジだ」。
そんな環境で育ったヴァンスが、一念発起して海兵隊に入隊し、イラクに派兵され、帰国後オハイオ州立大学に入学し、さらにエリート校中のエリート校であるイェール大学ロースクールに進学するというのだから、絵に描いたようなサクセスストーリーともいえる。だが、彼はイェールで居心地の悪さを禁じ得ない。恋人ウシャに対して突発的にとってしまう暴言や乱暴な振る舞いの中に、彼は母親の姿を見てしまう。逆境的児童体験によるトラウマから脱却しようと試みる。とはいえ、彼は祖母の生き方に息づいているヒルビリー(田舎者)の精神が大好きだ。上流階級の匂いをプンプンさせている民主党が大嫌いなのだ。
71bgexdemzl_ac_uf10001000_ql80_ 『労働新聞』の月イチ書評、今回取り上げたのは奥山俊宏『秘密解除 ロッキード事件』(岩波現代文庫)です。
https://www.rodo.co.jp/column/194923/
ロッキード事件と言っても、多くの読者にとっては歴史上の事件だろう。筆者は当時高校生であったが、田中角栄元首相が逮捕されるに至る日々のテレビや新聞の報道は今なお記憶に残っている。田中が逮捕された頃、『中央公論』に田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」というルポが載った。父が買ってきたその雑誌を読んで、ロッキード事件がアメリカの仕掛けた罠であり、独自の資源・エネルギー政策を試みた田中をアメリカが憎んだからだという見立てに感心したことを、半世紀後の今でも覚えている。
ロッキード事件の真実とは何なのか? 今日に至るまで繰り返しロッキード本が刊行されてきていることからしても、それは日本人が常に問い続けてきた問題であった。これに対して、アメリカ政府が秘密指定を解除して公開された文書を徹底的に読み込んで、アメリカ側からの視点でロッキード事件を再構成してみせたのが、原著が刊行された2016年当時、朝日新聞記者であった奥山俊宏による本書である。彼は、ワシントンDCの国立公文書館や全米各地に散らばる各大統領図書館などで、膨大な資料の密林に分け入り、当時のアメリカ政府の中枢で何がどのように行われていたのかをリアルに再現する。
その結果浮かび上がってきた姿は意外なものであった。アメリカ政府、とりわけニクソン、フォード政権で外交を担っていたキッシンジャーは田中角栄を嫌っていた。その嫌いっぷりは本書冒頭で繰り返し出てくる。ただし、それは田原の言う資源・エネルギー外交ゆえではなく、田中の粗野で粗雑なスタイルへの嫌悪感であった。とくに、日中国交回復に伴う日米安保条約の台湾条項問題で、「台湾条項は事実上消滅したということか」というメディアの問いに、勝手に「字句にこだわる必要もない」と答えたことに激怒したという。
しかし、ロッキード事件そのものに対しては、アメリカ外交の闇を暴こうとする上院外交委員会多国籍企業小委員会(とりわけジェローム・ロビンソン)と、それを抑えようとするキッシンジャーらアメリカ政府とのせめぎ合いが激烈であった。田原の「虎の尾」説が成立する余地はない。もっとも、田中の名前はあるが中曽根の名前がないことを知って、心置きなく文書を日本の検察に渡したという可能性は否定しきれない。
ところが、ロッキードで名前が出ながら無事だった他の政治家にとっては、「虎の尾」説はずっと心の中にわだかまっていたのではないか、というのが著者の見立てだ。とりわけ中曽根康弘は、三木武夫政権で自民党幹事長として真相解明を掲げながら、陰でアメリカ政府に対し「私は、合衆国政府がこの問題をもみ消すこと(MOMIKESU)を希望する」とのメッセージを送っていた。若き日には民族主義的であった中曽根が、アメリカ世界戦略の下で日本を「不沈空母」と呼ぶに至ったのは、アメリカの「虎の尾」を踏まないようにその行動に追従する道を選んだからではないか、というのだ。
1863183_20250226225001 月1回の『労働新聞』書評。今回はヴィリ・レードンヴィルタ『デジタルの皇帝たち』です。
【書方箋 この本、効キマス】第101回 『デジタルの皇帝たち』 ヴィリ・レートンヴィルタ 著/濱口 桂一郎|書評|労働新聞社
タイトルの「デジタルの皇帝たち」(原題は「クラウド・エンパイアズ」なので、正確には「クラウドの諸帝国」)とは、GAFAといわれるデジタル巨大企業だ。アマゾン、アップル、グーグル、ウーバーといったグローバルに展開するプラットフォーム企業によって、我われの生活は支配されている。本書はここ数十年のその展開の歴史を興味深いエピソードを交えながら語る。これら諸帝国の出発点は、しかしながら現実世界の権力を嫌い、サイバー空間に自由と互恵を求める草の根的な民主的電子マーケットにあった。第2章「互恵主義」のジョン・バーロウが思い描いたバーチャル理想社会は、デジタル巨人企業の急成長とともに、著者が「ソ連2.0」と呼ぶ中央計画自由市場へと変貌を遂げてゆく。かつてソ連型社会主義が失敗したのは、当時のコンピュータのデータ処理能力では到底間に合わなかったからだ。ところが今や、GAFAのアルゴリズムは独占企業による完全市場を創り出してしまった。「完全な市場を実現する夢を見ながら、アイン・ランド作品の愛読者であったシリコンバレーのリバタリアンが、結局はソ連2.0を生み出しているのだとしたら、皮肉以外の何物でもない」と著者は言う。だが、彼が「帝国」の語に込めた意味合いは、第II部「政治的制度」で明確になる。現在、各国の裁判所で処理される訴訟の件数よりも、デジタルプラットフォーム企業内部で処理される紛争の件数の方が多いのだ。そして、共産主義革命によって創り出された共産主義帝国と同様、デジタル革命によって生み出されたデジタル帝国は、かつて救済すると言っていた人民(プラットフォーム利用者)を搾取収奪の対象としていく。ジェフ・ベゾスの父ミゲルはカストロのキューバから逃げ出し、アメリカという新天地で活躍できたが、今世界中の電子マーケットを支配するアマゾンから逃げ出しても、顧客を奪われて無一文で放り出されるだけだ。されば、万国のインターネット労働者よ、団結せよ!「集合行為」と題された第9章と第10章は、帝国に反抗するデジタルプロレタリア階級(アマゾン・メカニカル・タークの就労者)とデジタル中産階級(アップル・ストアの出品者)の姿を描き出す。だが前者は絶望的だ。クリスティ・ミランドの訴えに呼応したターカーはほんの僅かだった。一方後者には希望がありそうだ。アップルはアンドリュー・ガズデッキーらの訴えを受けて、テンプレートやアプリ生成サービスを使って制作したアプリを却下するという方針を変えた著者は、「プラットフォーム独裁政治からプラットフォーム民主政治へと至る道」はブルジョワ革命だという。労働者と貴族の間に位置するアプリ開発者、オンライン販売業者、フリーランス専門家等々が、中世の市民と似た非公式の制度を生み出し、もちろんそんな「歴史の法則はない」が、もしかしたら民主化を実現するかもしれない、と。
81sk8qgzhkl_ac_uf10001000_ql80_ 5938613 『労働新聞』の月イチ書評コラム、今回は楊海英『墓標なき草原』(上・下)(岩波現代文庫)です。
【書方箋 この本、効キマス】第97回 『墓標なき草原(上・下)』 楊 海英 著/濱口 桂一郎
日本の相撲界にはモンゴル人がたくさんいるが、そのなかには中国国籍の内モンゴル人もいる。蒼国来(現・荒汐親方)や大青山がそうだ。彼ら内モンゴル人が、中国の文化大革命時に死者5万とも10万とも言われる大虐殺(ジェノサイド)を被ったことをご存じだろうか。口を開けば人権を叫ぶ戦後進歩主義者たちがだんまりを決め込んできた、戦後世界で最大規模の大虐殺の詳細な姿が本書で描き出される。
著者楊海英の両親をはじめとする親族の体験談から始まり、そのさまざまな縁者の経験が彼らへのインタビューを中心に展開されていく。これでもかこれでもかと繰り返される虐待、虐殺の描写はあまりにも凄惨なので、時々それ以上読み進められなくなる。たとえば下巻の第7章に登場する奇琳花は、モンゴル貴族の家系に生まれ、延安民族学院で学んだ筋金入りの中国共産党員であった雲北峰と結婚し、内モンゴル自治区政府直属機関の幹部となっていたのだが、自治区主席のウラーンフーの一味として激しい暴力にさらされた。
「駅で降りた瞬間、無数の漢人農民たちが洪水のように襲ってきました。私は下半身が完全に破壊されて、血だらけになって歩けなくなりました。漢人農民たちは磨いたことのない黄色の歯を見せて笑っていました」。「拷問が毎日のように続いたため、一九六六年になると奇琳花の子宮が脱落してしまった」。「モンゴル人というだけで、女性たちは言葉ではいいつくせない虐待を日常的に漢人たちから受けていました。世界でほかにこんな残忍非道な例がありますか」。
だが奇琳花はかろうじて生き残った。ほとんど全滅に近い虐殺が行われたのは下巻第10章以下で描かれるトゥク人民公社だ。何しろ生き残ったのは当時7歳の幼児だけなのだ。本書の章題にも「モンゴル人がいくら死んでも、埋める場所はある」とか「中国ではモンゴル人の命ほど軽いものはない」とか「モンゴル人が死ねば食糧の節約になる」といった漢人たちの捨て台詞が用いられている。
なぜこんな虐殺が行われたのか。当時の中国はソ連と激しく対立し、その侵攻を恐れていた。同族の国モンゴルはソ連の先兵として攻めてくるかもしれない。そのとき、独立を希求しながら中国に無理やり併合された内モンゴル人たちは中国を裏切って敵と結託するかもしれない。だから、先手を打って内モンゴル人、とりわけその指導者となり得るエリート層を叩き潰しておかねばならない。物理的に。かくして、偉大な領袖毛沢東の命令によって、20世紀後半最大の虐殺劇が繰り広げられたというわけだ。今日新疆ウイグルやチベットで行われていることの源流は、半世紀前に内モンゴルで予行演習済みだったわけである。
いまや、内モンゴル自治区人口2500万人のうち、モンゴル族は500万人と圧倒的少数派だ。本書から離れるが、最近の習近平政権下では、モンゴル語の授業を削減し、漢語教育を義務化する教育改革が行われ、抗議活動は徹底的に弾圧されたという。