【写真】日系工場でストライキ=「やる気がなければやめろ」熱血上司の一言がきっかけか―中国:kinbricksnow
上のページはたまたま目に入ったから紹介しただけで、中国であろうがなかろうが関係ない。
僕は以前から、多くの日本企業は学校の劣化コピーだと思ってきた(日本の会社は学校の劣化コピーである(仮説):2010年05月14日)。これが「やる気がなければやめろ」という言葉に表れていると思ったのである。
「やる気がなければやめろ」という言葉はいかにも学校の先生が言いそうな言葉である。実際にはそう言ってしまえばおしまいなので、まず言わないが、言いたくなることはしょっちゅうだ。
学校は勉強をしに行くところである。勉強する気がないなら、学校にいる意味がない。だからそう言いたくなるのである。しかし、先生としては勉強しないからといって辞めさせるわけにはいかない。だから「やる気がなければやめろ」なのである。
しかし、会社は学校とは違う。働いて対価をもらうところであって、〈働く〉ことよりも〈対価をもらう〉方が主な目的だ。金さえもらえれば、できれば働かなくてすませたいのが当然で、言葉を換えて言えば、やる気がないのがあたりまえなのである。
やる気の有無と、仕事をするかしないかは別問題である。だから、「仕事をしなければクビにする」とは言えても、「やる気がない」から「やめろ」とは言えないのである。
仕事をしているかどうかは簡単に分かるが、やる気の有無なんかは本人がどう感じているかだけで、第三者が分かるものではない。
「やめさせる」のは会社に責任がかかってくるが、「やめる」のは本人の責任だ。会社がやめさせた場合、その理由が争点になり、下手すると訴訟沙汰になりうるが、社員自らやめた場合は基本的に自己責任だ。
要するに「やる気がなければやめろ」という言葉は、すべての責任を部下に投げる、とてつもなく無責任な言葉なのである。
件の「熱血上司」はそんなことまでは考えていないだろう。なにしろ熱血だから、やる気があって当たり前なのだ。たぶん、熱血上司は給料をもらえなくってもやる気が出せるのだろう。
でもね、会社は学校や部活じゃないんだよ。ホント、熱血って迷惑だよな。 (追記) (追記ここまで)
上のページはたまたま目に入ったから紹介しただけで、中国であろうがなかろうが関係ない。
僕は以前から、多くの日本企業は学校の劣化コピーだと思ってきた(日本の会社は学校の劣化コピーである(仮説):2010年05月14日)。これが「やる気がなければやめろ」という言葉に表れていると思ったのである。
「やる気がなければやめろ」という言葉はいかにも学校の先生が言いそうな言葉である。実際にはそう言ってしまえばおしまいなので、まず言わないが、言いたくなることはしょっちゅうだ。
学校は勉強をしに行くところである。勉強する気がないなら、学校にいる意味がない。だからそう言いたくなるのである。しかし、先生としては勉強しないからといって辞めさせるわけにはいかない。だから「やる気がなければやめろ」なのである。
しかし、会社は学校とは違う。働いて対価をもらうところであって、〈働く〉ことよりも〈対価をもらう〉方が主な目的だ。金さえもらえれば、できれば働かなくてすませたいのが当然で、言葉を換えて言えば、やる気がないのがあたりまえなのである。
やる気の有無と、仕事をするかしないかは別問題である。だから、「仕事をしなければクビにする」とは言えても、「やる気がない」から「やめろ」とは言えないのである。
仕事をしているかどうかは簡単に分かるが、やる気の有無なんかは本人がどう感じているかだけで、第三者が分かるものではない。
「やめさせる」のは会社に責任がかかってくるが、「やめる」のは本人の責任だ。会社がやめさせた場合、その理由が争点になり、下手すると訴訟沙汰になりうるが、社員自らやめた場合は基本的に自己責任だ。
要するに「やる気がなければやめろ」という言葉は、すべての責任を部下に投げる、とてつもなく無責任な言葉なのである。
件の「熱血上司」はそんなことまでは考えていないだろう。なにしろ熱血だから、やる気があって当たり前なのだ。たぶん、熱血上司は給料をもらえなくってもやる気が出せるのだろう。
でもね、会社は学校や部活じゃないんだよ。ホント、熱血って迷惑だよな。 (追記) (追記ここまで)
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