中学校の国語の教科書、三省堂『現代の国語』3にある呉人恵さんの「「ありがとう」と言わない重さ」というエッセイがすごくいい。
このエッセイによると、モンゴル人は日本語の「ありがとう」に当たる言葉(バヤルララー)を言わないのだそうだ。
彼らの価値観の中では、お礼の気持ちを言葉ですますのは安易であり、むしろ失礼となる。人の恩は黙って受け止め、そのことを忘れずに、いずれ恩返しという形で表現しなくてはならない。このような価値観は、助け合わないと生きていけない、モンゴルの厳しい風土に由来しているのだという。
簡単に言っちゃえば、「ありがとう」=「Thank you」=「バヤルララー」と簡単にイコールで結べるものではなく、言葉には文化的な価値観の違いがあるということだ。
こういう価値観の違いってのは、何も言葉の使い方だけじゃないだろう。例えば、欧米人には頭が付いた魚が食べられない人が多い。ほとんどの日本人は気にせず食べられる。しかし、中国でスープ食べると中から鳥の頭が出てきたりするが、日本人にはちょっとムリな人が多いんじゃないだろうか。
魚の頭と鳥の頭にいかほどの違いがあるのだろうと思うが、妹に聞いてみたら「魚は鳴かないだろ」と訳の分からないことを言われた。だが、少なくとも魚の頭と鳥の頭に優劣はない。
ともかく、水に感謝の声をかけると結晶が美しくなるとか言っている人たちや、朝鮮半島の人や中国人が犬を食うのはけしからんとか言っている人たちは、是非読んでほしい。
まあ、そういう人は読んでも分からないかもしれない。それが価値観の違いなのだ。 (追記) (追記ここまで)
このエッセイによると、モンゴル人は日本語の「ありがとう」に当たる言葉(バヤルララー)を言わないのだそうだ。
彼らの価値観の中では、お礼の気持ちを言葉ですますのは安易であり、むしろ失礼となる。人の恩は黙って受け止め、そのことを忘れずに、いずれ恩返しという形で表現しなくてはならない。このような価値観は、助け合わないと生きていけない、モンゴルの厳しい風土に由来しているのだという。
簡単に言っちゃえば、「ありがとう」=「Thank you」=「バヤルララー」と簡単にイコールで結べるものではなく、言葉には文化的な価値観の違いがあるということだ。
こういう価値観の違いってのは、何も言葉の使い方だけじゃないだろう。例えば、欧米人には頭が付いた魚が食べられない人が多い。ほとんどの日本人は気にせず食べられる。しかし、中国でスープ食べると中から鳥の頭が出てきたりするが、日本人にはちょっとムリな人が多いんじゃないだろうか。
魚の頭と鳥の頭にいかほどの違いがあるのだろうと思うが、妹に聞いてみたら「魚は鳴かないだろ」と訳の分からないことを言われた。だが、少なくとも魚の頭と鳥の頭に優劣はない。
ともかく、水に感謝の声をかけると結晶が美しくなるとか言っている人たちや、朝鮮半島の人や中国人が犬を食うのはけしからんとか言っている人たちは、是非読んでほしい。
まあ、そういう人は読んでも分からないかもしれない。それが価値観の違いなのだ。 (追記) (追記ここまで)
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コメント
コメント一覧 (2)
はじめまして。けちゃっぷと申します。
貴殿のブログを拝見して感激しました。日本人は外国人と一緒に暮らすということに不慣れで、日本に住む外国人をもつい日本人の尺度で図ろうとする傾向がありますね。もっと相手を思いやる想像力を持ちたいものです。
自分のブログに上記記事の一部を引用させていただきます。トラックバックもさせてください。もしご迷惑でしたら誠にお手数ですがご一報ください。いいお話をありがとうございました。
http://blogs.yahoo.co.jp/ketchup_pp/1466446.html
>日本人は外国人と一緒に暮らすということに不慣れで、日本に住む外国人をもつい日本人の尺度で図ろうとする傾向がありますね。
これは日本人に限ったことじゃないんで、ある程度はしょうがないです。
でも、国際化とかいっている割に、最近ますますそういう傾向が強くなってきたようにも思えますね。