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【内田雅也の追球】球団設立90周年に思う原点 地域密着、ファン重視の姿勢は今も息づく

[ 2024年12月11日 08:00 ]

タイガース結成当時のメンバー=阪神電気鉄道提供=。前列左から藤井勇、御園生崇男、村田重治、岡田宗芳、平枡敏男、古川正男、小川年安、伊賀上良平、中列左から阪神電鉄本社・岡喜太郎常務、今西与三郎社長、石井五郎専務、細野躋支配人、後列左から田中義一常務、景浦将、門前真佐人、佐藤武男、藤村富美男、冨樫興一代表、森茂雄監督、松木謙治郎主将、若林忠志、山口政信、渡辺一夫、菊矢吉男
Photo By 提供写真

タイガースの創立記念日だった。1935(昭和10)年12月10日、球団設立総会が開かれている。満89歳を迎えたことになる。つまり、90周年イヤーの幕開けである。

阪神は例年、この誕生日を祝う何かを行うことはない。ただ、今回は90周年イヤーの幕開けでもあり、球団は「90周年の取り組みとしてさまざまなイベントや記念グッズなどを展開してまいります」との姿勢でいる。

巨人に次ぐ伝統は阪神の財産である。他球団が手にしようとしても及ばない歴史を重んじる姿勢を忘れてはならない。

球団誕生当時の原点を振り返ってみたい。

設立総会の時点でまだニックネームはない。阪神電鉄の社内公募から「タイガース」と発表となるのは年明け36年1月10日だ。35年ワールドシリーズを制したデトロイト・タイガースにあやかった、大阪城のシンボルが天守閣の伏虎だから......など由来は諸説ある。

設立時の会社名は公募で多数を占めた株式会社「阪神野球倶楽部」ではなく、大リーグ式に都市名を冠した「大阪野球倶楽部」とした。当時の阪神電鉄社長・今西与三郎の鶴の一声だったという。「阪神地区だけでなく、大阪の人たちもファン対象にしたい」との思いがあった。地域に根ざした球団運営というプロ野球のあり方が見える。

会社名が「阪神タイガース」となるのは61年4月。この「阪神」も、後に名物オーナーとなる久万俊二郎が「阪神は親会社の名前だが、大阪・神戸間の地域名なのが良かった。人びとに受けいれられた」と語っていた。

今のプロ野球は36年2月5日、7球団で創立されたが、親会社を冠したのは阪急だけで、他は巨人、タイガース、セネタース、名古屋......など愛称か都市名を名乗っていた。当時大東京の役員で後に連盟会長となる鈴木龍二は『鈴木龍二回顧録』で<当時プロ野球に参加した人たちは(中略)理想家肌の人が多かった。プロ野球を経営して一儲(もう)けしようとか、商品の宣伝をしようとか考える人はいなかった>と記している。甲子園球場に広告を出す案をタイガースの初代代表・冨樫興一が「野球は神聖なものだ」と拒否している。

誕生時から地域密着、ファン重視の姿勢があったわけだ。今の球団社長・粟井一夫もファンサービス、地域や社会貢献の重要性を分かっている。90周年は姿勢を示す1年になる。 =敬称略=
(編集委員)

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