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先日、親戚の結婚式でハワイに行ってきた。鳥取の羽合温泉ではなく、アメリカ合衆国のハワイ州である。結婚式なので、当然宴会があったのだが、そこで面白い話を聞いた。

ハワイの州法では、酒を一瓶飲み切るまでは、別の酒を出してはいけないのだそうだ。さらに、店員以外の者が、他人に酒を注ぐのも違法らしい。だから、ビール瓶を持って席をまわり、「どうぞ、どうぞ」とお酌するという、宴会にありがちな風景は、ハワイでは違法になる。

この法律は、酒の強要を禁止するために制定されたそうだ。逆に言えば、目に余る酒の強要があったということだろう。ハワイはアジア人(当然日本人も含まれる)の移民や観光客が多い土地だから、だいたいそのあたりが原因であろうことは、想像に難くない。

他人に無理やり酒を飲ますという悪しき風習は、相当昔からあるらしく、兼好法師は『徒然草』175段でこの風習を批判している。「もう全く理解できない」という感じだ。
世には心えぬ事の多きなり。ともある毎にはまづ酒をすゝめて、強ひ飲ませたるを興とする事、如何なる故とも心えず。

続けて、酔っぱらいの描写に移るが、これがまたよく書けている。
飲む人の顏いと堪へ難げに眉をひそめ、人目をはかりて捨てんとし、逃げんとするを、捕へて引きとゞめて、すゞろに飲ませつれば、うるはしき人も忽に狂人となりてをこがましく、息災なる人も目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れ伏す。

経験者は語る・・・。
祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。明くる日まで頭いたく、物食はず、によびふし、生をへだてたるやうにして昨日の事覺えず。公私の大事を缺きて、わづらひとなる。人をしてかゝるめを見する事、慈悲もなく、禮儀にもそむけり。かく辛きめにあひたらん人、ねたく口をしと思はざらんや。

最後がいい。
人の國にかゝる習ひあなりと、これらになき人事にて傳へ聞きたらんは、あやしく不思議に覺えぬべし。(以上、『徒然草』175段:Japanese Text Initiative, University of Virginia Libraryによる。)

「日本では酒を無理やり飲ませてヘベレケにする習慣があるらしいよ」と、そんな習慣が無い国の人が聞いたら、奇妙で考えられないことだと思うだろうと、兼好はいう。

日本の奇妙な習慣を客観的に見るために、価値観の違う外国を引き合いに出しているのである。もちろん、兼好は外国に行ったことはない。それどころか、酒の強要がない国があるのかどうかさえ分からない。それなのに、日本の習慣を批判するために、普遍的な価値観を持つ仮想外国を想定するのが、兼好の感覚の鋭さである。

日本の価値観にどっぷりつかった日本人が、客観的に日本の価値観を批判するのは、とても難しいことだ。例えば、「酒を無理強いするなんて、イギリス人が聞いたら、ヘンだと思うんじゃない?」とでも言おうものなら、「ここは日本だ、日本の習慣に従え」と言われてしまうだろう。言った方は普遍的な価値観として「イギリス人」を出したつもりでも、日本の価値観で生きてきた人にとっては、自分の価値観こそが普遍的で、「イギリス人」が特殊ということになってしまうのだ。

さて、このような記述はしばらく続き、酒をクソミソにけなすのだが、兼好は決して酒が嫌いなわけではない。後半では、「かくうとましと思ふ物なれど、おのづから捨てがたき折も有るべし」と、一転して酒を讃え始める。兼好法師、本当は酒が好きだったのだろう。好きだからこそ、ただ酔っ払うだけの酒の飲み方が許せないのである。

僕も酒を無理強いする人は、実は酒が嫌いなのだと思っている。本当に酒が好きなら、飲みたくない人に無理には飲ませない。もったいないからね。
(追記) (追記ここまで)
タグ :
#徒然草
#ハワイ
#酒

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