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8月30日の国会議事堂前デモに行ってきた(その1)のつづき。

前回の最後に少し書いたが、30日のデモ参加者数は、マスコミ発表が12万人、SEALDs発表が35万人、警察発表が3万人だったらしい。3万と35万ではだいぶ開きがあるが(僕の見た感じでは少なく見積っても10万はいただろうと思っている)、そんな数字はどうでもいい。

大事なことは、下のような写真が撮れる状態になったということである。
議事堂前の民衆

戦前の日本を取り戻す

安倍やめろ

このような写真は、国会議事堂前の道路をデモ参加者が占拠しなければ撮影できない。3万人だろうが35万人だろうが、議事堂の前の道路を沢山の人が埋め尽くしたのだけは事実なのである。

60年安保以来、こんな写真を撮ることは不可能だった。このインパクトはとても大きい。

デモはなによりもインパクトが大事なのである。天安門事件を思い出して欲しい。天安門事件といって思い出すのは、戦車の行く手を阻むたった一人の男である。あの時、天安門前広場には民主化を求める沢山の若者が集結し、かなり印象的な光景だったが、それ以上に戦車の前に立った一人の男がデモの最大のインパクトになったのである。

Tank Man (now with more raw footage):Youtube

「誰もいない国会議事堂前で騒いでも意味がない」という人がいる。この意見は、デモの意味を完全に履き違えている。「安倍は辞めろ!」と叫んでいても、それで辞めるタマでないことぐらい、みんな分かっている。そもそもデモは、直接要求を聞かせるものではない。

大事なことは、このデモを通して、安保関連法案に反対する人が存在するということを示すことである。それにより、潜在的な同調者を掘り起こすことができ、また、全く関心のない人に、こういう問題があるということを知らしめることができるのである。その点で、今回のデモは大成功だったと言えるだろう。

最後に、安倍政権を支持する人にお願いがある。安倍首相を支持する人にとって、このようなデモは不快に違いない。だが、感情のおもむくままに、デモそのものを「意味がない」などと批判しないでほしい。

デモは一般市民が意思表示できる数少ない場である。デモ自体を否定してしまうと、逆の立場になったときに、何も意思表示できないことになる。あなたが為政者であるならそれも仕方がないが、そうでないなら、デモを否定することは自分の首を締めていることに他ならない。

もし、デモができなくなったら、少数派はどうするか。中東に目を向ければ、すぐに分かるだろう。
(追記) (追記ここまで)
タグ :
#デモ

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