ミステリーで殺された被害者が、今際の際にメッセージを残し、それが推理のヒントになったり、妨げになったりするというお約束のパターンがある。いわゆるダイイング・メッセージである。近代に入ってから誰かが発明したものだろうと思っていたら、何と『今昔物語集』の中にあった。
早朝の政務に遅刻してきた史(さかん)の某が、慌てて庁舎に入ろうとしたが、そこには彼の上司、弁の某がいるはずなのに暗く、人気がない。人を呼んで火を灯して入ってみると、そこには猟奇的な殺人現場が展開されていた。
巻27第9話 参官朝庁弁為鬼被噉語 第九:やたナビTEXT
問題は太字にした、「亦、扇有り。弁の手を以て、其の扇に事の次第共書付られたり。」である。
この部分について、新日本古典文学大系(以下、新大系)では、「自分が命を落とすにいたった経緯を。」という注が付けられている。つまり、扇に書きつけられていたのはダイイング・メッセージだったという。
僕も最初はそう思ったのだが、よく考えてみると少々おかしい。
どんなミステリーでも、ダイイング・メッセージというものは、簡潔に書かれるものだ。死に直面した人間に事細かなことを書く余裕がないという前提があるからである。この場合、鬼に襲われたのなら「鬼」ぐらいなら書けるかもしれないが、それでは「事の次第共」ではない。逆にいうと、襲われている最中に「自分が命を落とすにいたった経緯を」書くのは不可能である。
また、『今昔物語集』は描写がやたらと細かいのが特徴なのだが、前後が血まみれの凄惨な場面なのに、この部分だけは意外にあっさり書かれているのもひっかかる。殺された経緯が書かれているなら、内容があってもおかしくないはずだが、それも書かれていない。
「弁の手」とは「弁の筆跡で」という意味だ。扇に書かれていたのは一目見て弁の筆跡でわかる、普段通りの筆跡だったらしい。また、とくに書かれていないところを見ると、ミステリーでお約束の、血で書かれたわけでもなく、普通に墨で書かれているのだろう。ここから、襲われている最中に書かれたものという読みはできない。
では、扇には何が書かれていたのか。実は、僕の見た範囲では、ダイイング・メッセージと解釈しているのは新大系だけで、他の注釈は当日の政務の予定が書かれていたと解釈している。これなら辻褄があう。
朝日古典全書(朝日新聞社・昭和28年4月)・・・弁の筆跡で、その扇に執務の次第などが書かれている。
角川文庫(角川書店・昭和29年9月)・・・既に当日の政務の予定が書かれていた
新潮日本古典集成(新潮社・昭和56年4月)・・・その日の政務の予定次第が書き込まれていた。
(日本古典文学大系は、扇の用途が書かれているだけで、何が書いてあったかは触れていない)
血まみれの殺人現場には、弁の生首と、血のついた笏と靴、そして当日の予定が書かれた扇が転がっていた。そう解釈すると、この殺人事件は弁が部屋に入った瞬間に起きたのではなく、普段通り仕事を始めようとした矢先に、突然何者かによって殺されたということになる。
『今昔物語集』の記述には、この扇には血が付いていたとは書かれていない。日常そのものの扇である。それが凄惨な血だまりの殺人現場に落ちていることによって、平和な日常が一瞬にして得体の知れないモノに打ち砕かれる恐怖が表現される。ただ現場を血まみれにするのではなく、まっさらの日常の扇と血だまりのコントラストを描くことによって、名状しがたい恐怖を増幅しているのである。
巻27は「本朝 付霊鬼」となっていて、現代風に言えばホラーのような説話がまとめられている。『今昔物語集』は、全体的に「こうだからこうなった」とか「実はこうだった」みたいな話が多いのだが、巻27にはあまりそれがない。最初からホラーを指向しているので、事件の真相はわからない方がより怖さが引き立つのだろう。
残念ながら、本邦(あるいは世界)初のダイイング・メッセージではなかったが、あらためて『今昔物語集』の表現力に驚嘆した。 (追記) (追記ここまで)
早朝の政務に遅刻してきた史(さかん)の某が、慌てて庁舎に入ろうとしたが、そこには彼の上司、弁の某がいるはずなのに暗く、人気がない。人を呼んで火を灯して入ってみると、そこには猟奇的な殺人現場が展開されていた。
巻27第9話 参官朝庁弁為鬼被噉語 第九:やたナビTEXT
史、極て怪く思て、弁の雑色共の居たる屏の許に寄て、「弁の殿は何こに御ますぞ」と問へば、雑色共、「東の庁に早く着せ給ひにき」と答ふれば、史、主殿寮の下部を召して、火を燃(とも)させて、庁の内に入て見れば、弁の座に赤く血肉(ちみどろ)なる頭の、髪所々付たる有り。史、「此は何に」と驚き怖れて傍を見れば、笏・沓も血付て有り。亦、扇有り。弁の手を以て、其の扇に事の次第共書付られたり。畳に血多く泛(こぼれ)たり。他の物は露見えず。奇異(あさまし)き事限無し。
問題は太字にした、「亦、扇有り。弁の手を以て、其の扇に事の次第共書付られたり。」である。
この部分について、新日本古典文学大系(以下、新大系)では、「自分が命を落とすにいたった経緯を。」という注が付けられている。つまり、扇に書きつけられていたのはダイイング・メッセージだったという。
僕も最初はそう思ったのだが、よく考えてみると少々おかしい。
どんなミステリーでも、ダイイング・メッセージというものは、簡潔に書かれるものだ。死に直面した人間に事細かなことを書く余裕がないという前提があるからである。この場合、鬼に襲われたのなら「鬼」ぐらいなら書けるかもしれないが、それでは「事の次第共」ではない。逆にいうと、襲われている最中に「自分が命を落とすにいたった経緯を」書くのは不可能である。
また、『今昔物語集』は描写がやたらと細かいのが特徴なのだが、前後が血まみれの凄惨な場面なのに、この部分だけは意外にあっさり書かれているのもひっかかる。殺された経緯が書かれているなら、内容があってもおかしくないはずだが、それも書かれていない。
「弁の手」とは「弁の筆跡で」という意味だ。扇に書かれていたのは一目見て弁の筆跡でわかる、普段通りの筆跡だったらしい。また、とくに書かれていないところを見ると、ミステリーでお約束の、血で書かれたわけでもなく、普通に墨で書かれているのだろう。ここから、襲われている最中に書かれたものという読みはできない。
では、扇には何が書かれていたのか。実は、僕の見た範囲では、ダイイング・メッセージと解釈しているのは新大系だけで、他の注釈は当日の政務の予定が書かれていたと解釈している。これなら辻褄があう。
朝日古典全書(朝日新聞社・昭和28年4月)・・・弁の筆跡で、その扇に執務の次第などが書かれている。
角川文庫(角川書店・昭和29年9月)・・・既に当日の政務の予定が書かれていた
新潮日本古典集成(新潮社・昭和56年4月)・・・その日の政務の予定次第が書き込まれていた。
(日本古典文学大系は、扇の用途が書かれているだけで、何が書いてあったかは触れていない)
血まみれの殺人現場には、弁の生首と、血のついた笏と靴、そして当日の予定が書かれた扇が転がっていた。そう解釈すると、この殺人事件は弁が部屋に入った瞬間に起きたのではなく、普段通り仕事を始めようとした矢先に、突然何者かによって殺されたということになる。
『今昔物語集』の記述には、この扇には血が付いていたとは書かれていない。日常そのものの扇である。それが凄惨な血だまりの殺人現場に落ちていることによって、平和な日常が一瞬にして得体の知れないモノに打ち砕かれる恐怖が表現される。ただ現場を血まみれにするのではなく、まっさらの日常の扇と血だまりのコントラストを描くことによって、名状しがたい恐怖を増幅しているのである。
巻27は「本朝 付霊鬼」となっていて、現代風に言えばホラーのような説話がまとめられている。『今昔物語集』は、全体的に「こうだからこうなった」とか「実はこうだった」みたいな話が多いのだが、巻27にはあまりそれがない。最初からホラーを指向しているので、事件の真相はわからない方がより怖さが引き立つのだろう。
残念ながら、本邦(あるいは世界)初のダイイング・メッセージではなかったが、あらためて『今昔物語集』の表現力に驚嘆した。 (追記) (追記ここまで)
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