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僕が最初にkindleでお金を出して購入したのは、創元推理文庫のラヴクラフト全集である。電子書籍自体を初めて買ったのがBookLiveの『這いよれニャル子さん』だった(逢空万太『這いよれ! ニャル子さん』を読んだ:2012年07月25日)ので、記念すべきkindle最初の買い物をラヴクラフトにしたのである。この時はまだ2巻までしか出ていなかった。

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このラヴクラフト全集、最近、3巻4巻が出たので読んでみた。2巻まで読んだ時にはよくわからなかったのだが、3巻以降でやっとラヴクラフトが描く「恐怖」の正体が分かった。

ラブクラフト(Howard Phillips Lovecraft)はアメリカのホラー小説作家である。1890年生まれで、日本の作家だと芥川龍之介(1892年生まれ)などの大正文学作家と同世代になる。ただし、ラヴクラフトの場合は、生前はそれほど評価されなかったようだ。

作品の多くは、人類が誕生するはるか以前に、宇宙からやってきた知的生命体が繁栄しており、ほとんどは絶滅、もしくは異星に去ったが、その名残や生き残りが遺跡や伝説、宗教として残っており、現代人に何らかの悪影響を及ぼすという筋になっている。ここで我々日本人は生命体の姿や、「悪影響を及ぼす」に恐怖を感じるが、ラヴクラフトの描こうとした恐怖の本質はそこではない。

ラブクラフトの作品は「クトゥルフ神話」などといわれるが、この「神話」がミソである。

「宇宙からやってきた生命体」は現在の人間とはかけ離れた、「名状しがたい」姿をしている。キリスト教の観念では、人間は神によって、神に似せて作られたということになっている。神によって作られた人類以前に、人類と同等の文明なんかあってはいけないのである。それが存在し学問的に証明されるというのが、ラヴクラフトの描く恐怖の根本になっている。

生命体が人間とよく似た姿をしていれば何も問題はない。それは神が神自身に似せて作りたもうたものであると解釈できるからである。ところが、彼らは明らかに神の作ったものではない、人間とはかけ離れた〈名状しがたい〉姿をしているから恐怖となる。

「冒涜的な」という言葉がやたらと出てくるのも最初はよく意味がわからなかったが、これはキリスト教の神を冒涜しているという意味である。人類誕生以前に、人類と同等かそれ以上の文明をもった生命体がいたというのは、キリスト教の観念からすると「冒涜的」以外の何者でもないのだ。

この宇宙の神秘を垣間見るのは、学者だというのも象徴的だ。西洋の学問はキリスト教の観念との戦いで発展していった。アメリカではいまだに進化論だけでなく創造論を教えるべきだという保守派がいるというのはよく知られている。

チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を刊行したのが1859年、ラヴクラフトの生まれる30年前である。ダーウィンの提唱する進化論は、神が人間を作ったというキリスト教的な世界観を打ち壊す、まさに〈冒涜的な〉ものだった。この、科学によって自らが信じる〈真理〉が打ち破られる恐怖は、いまだに続いているのである。

キリスト教は聖書を解釈する宗教である。聖書は絶対的に正しいことが書かれており、それを正しく解釈することこそがキリスト教のテーマになる。西洋で文献学が確立されたのも、聖書の正しい本文を得るためである。

しかし、もとにするのが数千年前に書かれたものだから、科学の進歩とともにどうして解釈だけでは解決できない問題がでてくる。そういった矛盾がラヴクラフトの宇宙的恐怖であり、学校で創造論を教えるべきと主張する人たちである。

一方、仏教は理屈をこね回して論理を構築する宗教である。時代に合わなくなって、問題が出てくれば、そこは理屈で回避する。もちろん、経典の解釈もないわけではないが、論理の構築によって新たに経典を作ることも厭わない。その結果、たくさんの経典ができた。それが仏教的な観念と論理的に整合していれば、たとえ偽作でもかまわないのである。

仮にクトゥルフ神話のように、人類誕生以前に異星からきた文明があったとしても、仏教的な考え方では、前世の前世のそのまた前世の・・・・で済まされてしまう。自称無宗教でも、無意識のうちに生まれ変わりを信じる日本人には、ラヴクラフト作品の本当の怖さは理解できないのである。
(追記) (追記ここまで)
タグ :
#ラヴクラフト
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