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スキャン代行業者のことは、以前このブログで取り上げたことがある(自分のマヌケを棚にあげて:2011年09月07日)。僕はスキャン代行業者が違法とはいいがたく、何の問題もないという考え方に組する。

その後、出版社が抗議文を業者に送ったりしていたが、ついに作家がスキャン代行業者を提訴した。彼らの言い分が実にトンチンカンで面白い。

スキャン代行業者提訴で作家7名はかく語りき:eBook USER

内容は上のリンク先を読んでもらえれば分かると思う。名のある作家ともあろうものが、これほど説得力のないことを語るのは不思議としかいいようがない。

彼らの主張の一つは、スキャン業者は違法だから提訴したというものである。だから違法性を疑わないのは無理もない。しかし、なぜ違法なのか、明確に言っている人は一人もいない。それどころか、違法性そのものにはまったく言及しない人すらいる。

一番重要なのはこの点なのに、ここに踏み込んだ発言がないのは、彼らが事態をよく把握していないという証拠である。唯一、分かっていそうなのは大沢在昌センセーだが、反対に把握していないっぷりが一番面白かったのは『北斗の拳』でおなじみのこの人。

知ってもらうことが一番大事――武論尊
僕も含めてなんですが、インターネットとか電子の世界にまったく疎く、ついて行けない方は結構おられると思います。そうした僕たちの知らないところで今何が起こっているのか、こういうことが起こっているんですよ、ということを誰かが教えていかないといけない。知ってもらうことが僕は一番大事だと思ってる。そうじゃなければどんどんおかしな世界に入って行ってしまう。


「僕も含めて〜ついて行けない」というからには「誰かが教えていかないといけない」の「誰か」には自分が含まれていないことになる。自分が知らないことを人に知れ(僕は知るつもりないけどね)という、大変シュールな主張である。こっちからすると、一体何を知ればいいのか、さっぱりわからない。

彼らは本質的な問題点が理解できないまま、心情に訴えかけようとする。なるほど、法律論よりも心情に訴えた方が理解されやすいという目論見かもしれないが、本質が分かっていないから「本を裁断するな」という、おそろしくオソマツなものしかでてこない。

裁断された本、私はあれを正視に堪えない――浅田次郎
裁断された本、私はあれを正視に堪えない。自分の書いた本があのように手足もバラバラにされ、さらにはネットオークションで売りに出される、結果的にこういうことまでやる業者の方々に対しては、何ら正当な論理が私には感じられません。


"本"の尊厳が傷つけられている――林真理子
浅田さんもおっしゃいましたけど、そこに本当に無残な本の姿がありますが、本屋の娘として、物書きとして、"本"というものの尊厳がこんなに傷つけられる世の中になるということをとんでもないことだと思っております。単なる利益だけではなくて、私たち物を書いている人間、そして本の尊厳を守るために今日ここに加わりました。


出版された本は作家のものではなく、買った人のものだ。漬物石にしようと、枕にしようと、カッターマットにしようと、作者にどうこう言われる筋合いはない。第一、売れなかった本は、それこそ裁断して捨てられる運命にある。一度も世に出ることなく、シュレッダーの露ときえるのだから、文句があるなら先にそっちに言えということになる。

書籍というものは、書かれた内容(データ)に価値があり、物自体の価値は副次的なものである。装丁や挿画は内容と無関係ではないが、だからと言って美術書を除いて主役にはなりえない。多くの人は中のデータに用があるので、これで心情に訴えようというのは無理がある。

しかし、自分の書いた本を裁断されたくないという気持ちは分からなくもない。僕自身、装丁を見るのが好きで、少なくとも現代の日本では、本と装丁は不可分のものだからだ。

それはあくまで「現代において」であって、これからは違うかもしれない。形としての本よりも、データだけがやりとりされる時代が来る。音楽がレコードからCDへ、そしてネット配信へ移ったように。

いや、これからだけではない。実は昔も書籍とはデータだけがやり取りされるものだった。書籍はその元の姿に戻ろうとしているのである。これも、音楽と同じである。(つづく)
(追記) (追記ここまで)
タグ :
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  1. 1. 本を切るということ(その2)

    • [やた管ブログ]
    • 2011年12月23日 03:57
    • 本を切るということ(その1)のつづき。 書籍の本質はデータである。データがなければ、それは紙を束ねたものにすぎない。現代では「紙を束ねたもの」以外にデータを保存・閲覧 ...

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