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「国文学 解釈と鑑賞」(ぎょうせい)が休刊するらしい。

『国文学 解釈と鑑賞』休刊のお知らせ:Prof. Shima's Life and Opinion

學燈社の「國文學」は一足先(2009年)に休刊になったので、国文学に特化した雑誌(学術雑誌を除く)はこれで完全になくなったことになる。一抹の寂しさがないわけじゃないが、ぶっちゃけ、なくなってもしょうがないなという感覚がある。

大学生のときからそう思っていたのだが、この二つの雑誌、何がしたいのかイマイチわからなかった。分かりやすく言うと、初心者に敷居が高すぎるのである。

僕は雑誌には二種類あると考えている。一つは書く人のための雑誌、もう一つは読む人のための雑誌である。

例えば、紀要とか学会誌は論文を書く人のための雑誌である。読者のことなんか考えなくっていい。いい論文を選別して活字にすればいいのである。基本的にテーマとか特集は必要ない。書く人のための雑誌だから、誰でも投稿できる(ことになっている)。

それに対して、コンビニで売られているような雑誌は読む人のための雑誌である。読む人が面白いと思うような記事を載せる必要がある。だから、編集者がいい記事を書いてくれそうな人に依頼をする。

「解釈と鑑賞」にしても「國文學」にしても、本来は読む人のための雑誌だったはず。ところが、目次を見ると、論文然とした題目ばかり目を引く。いや題目だけではない。内容も投稿論文と何ら変わりがない。読むための雑誌を装っているが、中身は書くための雑誌なのである。

だから、初心者は読んでもよく分からない。初心者だけではない。国文学の専門家でも、自分の専門分野と違う特集を読んでもよく分からない。この点では「國文學」の方が少しマシだったと思う。

正直に言おう。僕がこの雑誌を新刊で買ったことがあるのは、自分の専門分野が特集されているときと、知り合いが書いているときだけである。そして、ほとんどの人がそうではないだろうか。

読む人を意識しなければ、商業雑誌なんか成り立たないのはあたりまえである。むしろ、このやり方でここまで持ったのが奇跡だと思う。

しかし、国文学科の学生や大学教員を始め、中学・高校の国語教員、一般の愛好家、思っているよりこの分野を必要としている人は多いのだ。ちゃんとニーズをつかめばもっと売れる雑誌はできるだろう。
(追記) (追記ここまで)
タグ :
#国文学
#解釈と鑑賞
#雑誌

コメント

コメント一覧 (3)

    • 1. ホシナ
    • 2011年08月11日 00:48
    • 残念といえば残念ですが、特集もマンネリ化して久しいし、まったくと言って良いほどチェックしなくなっていました。
      ぼくも、「なくなってもしょうがないな」と思います。
      昔のものの方が、最近のより遥かに難しかったと思いますが、却って面白かったですね。
    • 2. 中川@やたナビ
    • 2011年08月11日 01:56
    • >昔のものの方が、最近のより遥かに難しかったと思いますが、却って面白かったですね。

      そうなんですよ。
      中身は今と同じで、学者が書いているんで、難しいことは難しいのですが、特集の組み方にしても、各記事の内容にしても、ちゃんと読者が想定されていたように思えます。
      最近のは取って付けたテーマに、各人が好き勝手なことを書いている感じがしました。
      って、読んでないんですけどね。
    • 3. ホシナ
    • 2011年08月11日 21:54
    • > って、読んでないんですけどね。

      あ、そういえば僕もそうだ。
      「最近」というのも、本当の最近じゃないですね。
      これじゃぁ、休刊を惜しんだり憂えたりする資格はありませんな。
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