本当の贅沢とは何か?
贅沢とは金を使うことではない。
例えば、満漢全席を食べるのは贅沢のようだが、食べきれないのを必死で食べたり、食べきれなかった料理を折詰にして持って帰ったりするのは、本当の贅沢とはいえない。それどころかかなり貧乏くさい行為である。二三口食べて「もう結構、次を出してくれ」。これが真の贅沢である。
金のかかる満漢全席でなくても、寒い日に自販機で120円の暖かい缶コーヒーを買い、懐に入れて暖をとった後、飲まずにそのまま棄てれば、贅沢である。しかし、それを飲むのは120円のコーヒーをそのまま飲むよりも貧乏くさい。
満漢全席を持ち帰ろうが持ち帰るまいが、また、缶コーヒーを飲むもうが飲むまいが、かかっている金額は同じである。つまり、贅沢と貧乏は表裏一体で、金をかけたか否かではなく、振る舞いがそれを分けるのである。
さて、昨年の暮れ銚子に行ってきたことはすでに書いたが、これはとても贅沢な旅だった。
まず、泊まった旅館はぎょうけい館。全室オーシャンビューというステキホテルだが、僕たちが泊まったのは「次の間付客室」なる特別室。
15畳+6畳の二部屋からなる広大な客室で、一階にあるのでオーシャンビューどころか波がかかりそうな勢い(実際には絶対にかからない)。
ぎょうけい館
ここに大人数で泊まれば贅沢ではないが、わずか二人で使う贅沢。しかも6畳の次の間は物置に使用。一泊しかしていないので、荷物が少なく一畳も使っていない。押入れで十分なのにあえて一部屋物置にしてしまった。
次の間
まあ、ここまではゼニさえ出せばだれでもできる贅沢である。本当の贅沢はここからだ。
徳富蘆花も書いているように、ここから見る日の出は絶品らしい。「らしい」というのは、僕がそれを見なかったである。見られなかったのではない。寝る方を優先したのだ。これほどの贅沢があるだろうか。
「あしか寿司」のご主人の話によると、夜から明け方、強い風が吹くと雲が無くなるらしいが、大抵は雲から日が出る。つまり、このような雲のない日の出は珍しいらしい(HOSHINA HOUSEよりパクり)。この千載一遇の日の出をあえて見ないで夢を見る。まさに究極の贅沢である。
ニセ初日の出(1024x768)
今回の記事は犬吠埼・その2(銚子2011・その6):HOSHINA HOUSEを徹底的にオマージュ(誤用)いたしました。
【オマケ】
ここにしてください
何をだよ。 (追記) (追記ここまで)
贅沢とは金を使うことではない。
例えば、満漢全席を食べるのは贅沢のようだが、食べきれないのを必死で食べたり、食べきれなかった料理を折詰にして持って帰ったりするのは、本当の贅沢とはいえない。それどころかかなり貧乏くさい行為である。二三口食べて「もう結構、次を出してくれ」。これが真の贅沢である。
金のかかる満漢全席でなくても、寒い日に自販機で120円の暖かい缶コーヒーを買い、懐に入れて暖をとった後、飲まずにそのまま棄てれば、贅沢である。しかし、それを飲むのは120円のコーヒーをそのまま飲むよりも貧乏くさい。
満漢全席を持ち帰ろうが持ち帰るまいが、また、缶コーヒーを飲むもうが飲むまいが、かかっている金額は同じである。つまり、贅沢と貧乏は表裏一体で、金をかけたか否かではなく、振る舞いがそれを分けるのである。
さて、昨年の暮れ銚子に行ってきたことはすでに書いたが、これはとても贅沢な旅だった。
まず、泊まった旅館はぎょうけい館。全室オーシャンビューというステキホテルだが、僕たちが泊まったのは「次の間付客室」なる特別室。
15畳+6畳の二部屋からなる広大な客室で、一階にあるのでオーシャンビューどころか波がかかりそうな勢い(実際には絶対にかからない)。
ぎょうけい館
ここに大人数で泊まれば贅沢ではないが、わずか二人で使う贅沢。しかも6畳の次の間は物置に使用。一泊しかしていないので、荷物が少なく一畳も使っていない。押入れで十分なのにあえて一部屋物置にしてしまった。
次の間
まあ、ここまではゼニさえ出せばだれでもできる贅沢である。本当の贅沢はここからだ。
東の空見るゝゝ金光射し来り、忽然として猩紅の一点海端に浮み出でぬ。驚破(すはや)、日出でぬ、と思ふ間もなし。息をもつかせず、瞬く間もなく、海神が手もてさゝ(注)ぐるまゝに、水を出づる紅点は金線となり、黄金の櫛となり、金蹄となり、一揺して名残なく水を離れつ。水を離るゝ其時遅く、万斛(ばんこく)の金たらゝゝと昇る日より滴りて、万里一瞬、此方を指して長蛇の如く大洋を走ると思へば、眼下の磯に忽焉として二丈ばかり黄金の雪を飛ばしぬ。(徳冨蘆花の『自然と人生』中、「大海の出日」より・HOSHINA HOUSEより孫引き)
徳富蘆花も書いているように、ここから見る日の出は絶品らしい。「らしい」というのは、僕がそれを見なかったである。見られなかったのではない。寝る方を優先したのだ。これほどの贅沢があるだろうか。
「あしか寿司」のご主人の話によると、夜から明け方、強い風が吹くと雲が無くなるらしいが、大抵は雲から日が出る。つまり、このような雲のない日の出は珍しいらしい(HOSHINA HOUSEよりパクり)。この千載一遇の日の出をあえて見ないで夢を見る。まさに究極の贅沢である。
ニセ初日の出(1024x768)
今回の記事は犬吠埼・その2(銚子2011・その6):HOSHINA HOUSEを徹底的にオマージュ(誤用)いたしました。
【オマケ】
ここにしてください
何をだよ。 (追記) (追記ここまで)
コメント
コメント一覧 (6)
外から見て、なかなか良さそうだな、とは思いましたが、浴場に行く人は皆その前を通るので、うるさくはないですか? ウチなど結構何回も行きましたし、子供連れでしたし...。
そんな贅沢をするなんて、何て...(以下略)
そこです。
>浴場に行く人は皆その前を通るので、うるさくはないですか?
入り口から部屋までに結構広い空間があって、小さなキッチンまで付いているので、廊下の音は聞こえませんでした。
なんとかキャンペーンでだいぶ安くなってたらしいです。
奈良に住んでいながら、「奈良ホテル」に泊まったこと?
そして、夕食も込みのパックなのに(かなりのお値段のパックだったはず)夕食は外で済ませたこと。
おまけにホテルに着いたのは12時を回っていて、寝るだけだったこと。
今から20数年前、結婚式の日のことです。
奈良ホテルってかなり高級ですよね。
>結婚式の日のことです。
あー、結婚式ってやっちゃいますよね。
まして宿泊費、向こうもちだったりすると。
自分のでも、付き合いとかあるし。
もし、貴方が私のかなり個人的な意見で気分を悪くしてしまったら
大変申し訳ないと思う。しかし私の意見を聞いて欲しい。
贅沢と無駄遣いは違う。あたたかい缶コーヒーをただ暖を取るためだけに買ったのだとしたら、中身がもったいないし食べ物を大事にしなければならないと心の何処かで考えてしまう。誰に叱られる訳ではないのに。
最高の日の出が見える部屋でゆっくりと二度寝を楽しむのもいいものであるだろう。だが、私が感じる私の贅沢はその物の本来の使い方を使い尽くすことにあるのではないかと感じる。たかが缶コーヒーの味を楽しむ。最高の日の出が見える部屋で日の出を官能する。それが私の贅沢であり、願望だ。長文失礼。
>最高の日の出が見える部屋で日の出を官能する。それが私の贅沢であり、願望だ。
僕もそうなんですが、諸般の事情によりそれが出来なかった、ようは寝坊しただけなんですが、そういう場合「あえて見なかった」と思うことによって残念な気持ちを紛らわそうとしているわけです。