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昨日のエントリで書いた、吹屋ふるさと村は見るところが多く、もっと早く行くつもりだったのだが、着いたときにはもう暗くなっていた。理由の一つは、予想した以上に行くのがたいへんだったからだが、もう一つは備中松山城に登ったためである。

備中松山城は高梁市にある山城である。実はこの城、山田方谷三島中洲の仕官した備中松山藩の城である。詳しくは、備中 松山城:ザ・登城をどうぞ。

備中松山城1


これは、駐車場で撮ったもの。この駐車場まで、すでに細い道をかなり登ってきている。

左に城主さまのありがたい「心得」が書かれている。
忘れ物なきよう身支度すべし

ここの城主様は大変慈悲深い人らしく、このあともたびたびアドバイスをくれる。

備中松山城2

松山城へは右手の道を進むべし

しばらくいくと・・・。(立て札の写真はクリックしても拡大しません)
[画像:備中松山城3]

ああ、一刻も早く城主様にお会いしたい一心で急いでしまった。たしかにこれは危険だ。ゆっくり行こう。

[画像:備中松山城5]

かたじけない。でもそれは心得ではございませぬ。

[画像:備中松山城6]

いや、だからそれは心得では・・・。

本当はもっと心得があったんだけど、これしか撮ってなかった。とにかく、城主様さえ気を使うほど、山を登っていかなければならない。さきほどの駐車場から30分ほど歩いてやっと着いた。

道のところどころにウしろまるコが落ちている。犬のウしろまるコと同じぐらいの大きさだが、犬がいるとは思えない。見かけなかったが、猿が多く生息しているそうなので、たぶん猿のものだろう。

備中松山城7


備中松山城8


この天守閣は、後に再建されたものではなく、現在12しかない現存天守である。江戸時代の城は廃城令により取り壊されたものが多いが、ここは場所柄、取り壊すのにも相当なコストがかかるため、放置されたらしい。昭和になってから、地元の郷土史家の運動で修復したそうだ。

二層の天守閣で、こじんまりとした印象を受ける。現存する天守では一番小さいらしい。なにしろ山のてっぺんにあるので、二層でもとても見晴らしがいい。

で、意味もなく忍者になったつもりで、石垣を登ってみた。

備中松山城9


それにしても、こんなところまで登らなきゃいけないなんて中洲先生も大変だったろうなと思ったら、江戸時代以降の城主はふもとにある御根小屋(現在の高梁高校)で日常生活及び政務をしていたそうだ。
(追記) (追記ここまで)
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