春節(旧正月からの一週間休み)とか、労働節(5月1日からの一週間休み)国慶節(10月1日を挟む一週間休み)とか、中国(大陸)にはうらやましい「節」がいくつかあるが、昨日、9月10日は教師節だそうだ。これはうらやましいぞ。
教師節:中華人民共和国福岡総領事館
子供のころ、まるで先生を全然尊敬していなかった僕がいうのもナンだけど、教師という仕事は、無条件に生徒から尊敬されていなければとてもやりにくい仕事である。
もちろん、教師はいつでも正しいとか、批判してはいけないという意味ではない。間違っていることは間違っているし、間違っていればそれを批判されるのは当然のことだ。
だが、いわれもなく、親が教師をさげすむような態度を子供の前で見せたり、学校の先生よりも塾の先生を信用するようにしむけたりするのはどうか。それが、子供の教育にプラスになるとは僕には思えない。
特に、中学校あたりだと、学校の先生よりも、塾の先生の方が上と思っている親が多い。思っているだけならいいが、そういうのは必ず生徒に伝わるものだ。
塾の先生は現役の東大生で・・・いや、東大は行ってないけど、大学に10年以上通った博士様なんですが、やっぱり現役の東大生にはかなわないですかね。
【中国ブログ】なぜ?日本に『教師の日』がない理由:サーチナ
答えは3。間違いない。 (追記) (追記ここまで)
教師節:中華人民共和国福岡総領事館
九月十日は中国の教師節である。教師を尊重し、教育を大事にすることは中国の優れた伝統である。紀元前11世紀の西周の時代に、中国は早くも「弟子事師、敬同與父」と唱えられ、中国の古代の大教育家孔子はなおさら「有教無類」や「温故而知新」、「学而時習之」など教育に関する一連の哲学的名言を言い残した。道業を伝授し、困惑を解明する教師は中国の人々から魂の塑造者と褒め称えられる。
子供のころ、まるで先生を全然尊敬していなかった僕がいうのもナンだけど、教師という仕事は、無条件に生徒から尊敬されていなければとてもやりにくい仕事である。
もちろん、教師はいつでも正しいとか、批判してはいけないという意味ではない。間違っていることは間違っているし、間違っていればそれを批判されるのは当然のことだ。
だが、いわれもなく、親が教師をさげすむような態度を子供の前で見せたり、学校の先生よりも塾の先生を信用するようにしむけたりするのはどうか。それが、子供の教育にプラスになるとは僕には思えない。
特に、中学校あたりだと、学校の先生よりも、塾の先生の方が上と思っている親が多い。思っているだけならいいが、そういうのは必ず生徒に伝わるものだ。
塾の先生は現役の東大生で・・・いや、東大は行ってないけど、大学に10年以上通った博士様なんですが、やっぱり現役の東大生にはかなわないですかね。
【中国ブログ】なぜ?日本に『教師の日』がない理由:サーチナ
毛丹青氏は日本に『教師の日』が存在しない理由として、
1.『教師の日』を制定することによって他の業種に対しても同様の日を制定するよう世論が巻き起こる可能性があった。例えば、『弁護士の日』や『医者の日』などである。
2.日本は儒教の教えが浸透しておらず、師を尊ぶ伝統が不完全であったため
3.日本では教師という職業は聖職ではないため
答えは3。間違いない。 (追記) (追記ここまで)
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