岩波文庫の『訳注聯珠詩格』(柏木如亭著・揖斐高校注)を買った。
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『訳注聯珠詩格』とは、『聯珠詩格』という漢詩集の一部を、江戸時代後期の漢詩人柏木如亭が、初心者用に当時の話し言葉で「現代語訳」したもの。
といっても、なんのことやら分からないと思うので、高校の教科書にも出てくる、王維の「送元二使安西」で一例を示してみよう。
これが、柏木如亭先生の手にかかるとこうなる。なお、括弧に入れたのはルビ。
なるほど、これは訓読よりはるかに分かりやすい。ルビで注釈をしているのである。それにしても、本気と書いてマジと読む式の書き方がこのころからあったとは知らなかった。
分かりやすいのはいいけど、「客舎」を「旅籠屋」と読んだり、「陽関」を「お関所」とか読んだりすると、唐代の風景が一変して江戸時代の品川宿みたいに思えてくる。
全編この調子で、なにやらご隠居の薀蓄を聞いているみたいで面白い。こういう漢詩の現代語訳というと、井伏鱒二の『厄除け詩集』を思い出すが、『厄除け詩集』はあきらかにウケ狙いの感があるのに対し、こちらはそれがない。もしかしたら、狙っているのかもしれないけど、自然なんだな。 (追記) (追記ここまで)
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『訳注聯珠詩格』とは、『聯珠詩格』という漢詩集の一部を、江戸時代後期の漢詩人柏木如亭が、初心者用に当時の話し言葉で「現代語訳」したもの。
といっても、なんのことやら分からないと思うので、高校の教科書にも出てくる、王維の「送元二使安西」で一例を示してみよう。
渭城朝雨裛軽塵 渭城の朝雨 軽塵を裛し
客舎青青柳色新 客舎青青 柳色新たなり
勧君更尽一杯酒 君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西出陽関無故人 西のかた陽関を出づれば故人無からん
これが、柏木如亭先生の手にかかるとこうなる。なお、括弧に入れたのはルビ。
渭城といふとこまで送てきたれば
朝(けさ)の雨で軽塵(みちのほこり)も裛(しづまつ)て
客舎(はたごや)にある柳の色も青々として新(めづらし)い
勧君(おすすめまう)す酒(わかれざけ)だから更(かくべつ)に一杯尽(すご)したまへ
これから西のはうの陽関(おせきしょ)を出(こし)たら飲(のも)ふといつても無故人(つれがあるまい)
なるほど、これは訓読よりはるかに分かりやすい。ルビで注釈をしているのである。それにしても、本気と書いてマジと読む式の書き方がこのころからあったとは知らなかった。
分かりやすいのはいいけど、「客舎」を「旅籠屋」と読んだり、「陽関」を「お関所」とか読んだりすると、唐代の風景が一変して江戸時代の品川宿みたいに思えてくる。
全編この調子で、なにやらご隠居の薀蓄を聞いているみたいで面白い。こういう漢詩の現代語訳というと、井伏鱒二の『厄除け詩集』を思い出すが、『厄除け詩集』はあきらかにウケ狙いの感があるのに対し、こちらはそれがない。もしかしたら、狙っているのかもしれないけど、自然なんだな。 (追記) (追記ここまで)
コメント
コメント一覧 (11)
一昨日、雷雨に遭い、避難した書店でだいぶ
時間をすごしたのですが、ついに気づかなか
ったなあ・・・
だいたい、この聯珠詩格ってばりばり作法書
の手本で、漢詩の実作者にはけっこう役立つと
思います。
三体詩よりも便利かもしれません。唐詩選は、
今日の作家には読むだけでせいいっぱいかも。
渭城曲は
「用勸君字格」の第一首目、
この格では他に、
鸚鵡 羅隱
莫恨雕籠翠羽殘。江南地暖隴西寒。
勸君不用分明語。語得分明出轉難。
梅樓 鄭碩
山雪樓頭半夜明。天風吹下讀書聲。
勸君莫把離騷讀。見説梅花恨未平。
翠禽 韓渥
天長水闊網羅稀。保得重重翠碧衣。
挾彈少年多害物。勸君莫近五陵飛。
最近の本では「七言絶句作法挙隅」(1936年、馮振著)
ってのが、中国書店から復刻されてます。おんなじよう
に起句やら転句に同じ文字が使ってある作がずらっ〜と
並んでたりします。
奥付によると、7月16日発行になっているので、最新刊ですね。
入手した経緯は次のエントリで。
> だいたい、この聯珠詩格ってばりばり作法書
> の手本で、漢詩の実作者にはけっこう役立つと
> 思います。
そうなんですか。訳の面白さに、どんな詩集か考えもしませんでした。
この後も面白いです。
ルビを括弧に入れるのが面倒なんで、勝手に漢字を当てて書きますね。
> 鸚鵡 羅隱
結構な鳥かごで美しい羽の悪くなるのを恨みやるな
江南は土地があったかで隴西は寒いはさ
よく聞けよはっきりと物を言ふのはいらぬものだ
言いおほせてよく分かるが最後出ることはなほなほなるまい
> 梅樓 鄭碩
山の雪で二階中が夜中も明るいさうで
高いとこの風が本を読む声を吹き下ろすはへ
お勧め申す離騷をば読みたまふな
そのなかには梅の花ばかりぬけてゐるとってまだ悔しがってゐるそうだ
> 翠禽 韓渥
これは入ってませんね。次は用落字格の「松下」になってます。
当時すごい人気を博したようですが、当時の俗語を用いて翻訳しているため、正直わたしには分かり難いところもありました(そのために訳注してるんだけど)。訓読のほうがすっきりしている感がどうしてもあるんです。完成度が高い対訳なのは分かりますが。
このように文語文、いわゆる訓読文ではなく、口語文で漢籍を翻訳したものは実はたくさんあります。たとえば四書五経などを口語訳で翻訳した『経典余師』は当時すごい売れたようです。服部南郭『唐詩選国字解』(東洋文庫)や田中江南『六朝詩選俗訓』(東洋文庫)なんかもその類ですよね。
あと、同じ揖斐先生が訳注された如亭の『詩本草』(岩波文庫)も面白いですよ。グルメ漢詩集で、中国でいう袁枚の『随園食単』のようなものです。
昨今、江戸文学における漢詩文の位置づけが見直され、大手出版社からこうして翻刻出版されることはとてもうれしい限りです。
うん、カッコイイ。
で、どのへんが?
一ノ澤さん:
>口語文で漢籍を翻訳したものは実はたくさんあります。
そうなんですか。全然知りませんでした。
経書の口語訳ってのはどんなだか全然想像がつきません。
>『詩本草』(岩波文庫)も面白いですよ。
これ、面白そうですね。探してみます。
柏木如亭って人はずいぶんな粋人だったそうで、ちょっと興味を持ちました。
西鶴あたりを見ていると、そういうの、出てきますね。
専門の人に聞くと、通説なのかどうかは知らないけれど、本文は振り仮名の方で、それに漢字を当てている、漢字だけ追って行ってもそもそも読めるようなものではない、らしいです。
歌舞伎の外題にもありますね。有名なところでは、「伽羅(めいぼく)先代萩」とか。
ふと思ったんですが、文選読みから進化したのかもしれません。
「和文で注釈をするのは二流だ」という考えがあるんです。
たとえば、大正時代に『国訳漢文大成』が出版された時、
頑固な老漢学者先生は、「漢籍を国訳するとは何事ぞ」と言って、
すごく批判したみたいです。
でもじつはそうではなくて、江戸時代でも漢籍を国訳して解説する
ことは大いに盛んだったんですね。明治期に早稲田から出た
「漢籍国字解全書」も江戸期の漢籍の和訳集ですし。
その背景には、やはり寺子屋などで素読によって漢文を習っても、
予習・復習するときにはこうした「アンチョコ本」に頼らざる得ない
わけだったようです。考えてみるとこうしたものが、
江戸の教養水準を陰で支えていたわけですね。
まあ如亭のは「アンチョコ」とは違う意図で書かれたものでしょうが。
このことは、鈴木俊幸氏『江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通』
(平凡社〔平凡社選書227〕2007年)に詳しく論じられています。
柏木如亭を現代によみがえらせたのは、
ひとえに揖斐高さんの功績ですね。
如亭の詩集は「新日本古典文学大系」にも
収録されるようになりましたし。
「旧大系本」だと、山岸徳平先生の『五山文学集・江戸漢詩集』
だけでしたもんね(涙)
なるほどー。
でも、こういう考え方って、いまだにありますよね。
新釈漢文大系みたいな注釈書は二流だみたいな。
本当に読めてるのかよとか思いますけどね。
>その背景には、やはり寺子屋などで素読によって漢文を習っても、
>予習・復習するときにはこうした「アンチョコ本」に頼らざる得ない
>わけだったようです。考えてみるとこうしたものが、
>江戸の教養水準を陰で支えていたわけですね。
素読と和訳ってのは、最強の組み合わせだと思いますよ。
昔はだれでもそうやっていたんで、国文専門でも、そういう時代の人たちにはかなわないです。
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