霊媒師の死生観
サンデージャポンを見ていたら、霊媒師の何某とかいう巫女の装束を着た女性が、心霊スポットをめぐるという企画をやっていた。このとき、何某が霊?に対して言った言葉が面白かった。
天国に成仏してください。
天国はキリスト教の概念で、仏教では使わない。仏教だと、浄土があてはまるだろうが、ニュアンスとしてはかなり違う。言葉の違いは宗教ばかりではなく死生観の違いを表している。霊と交信できるというこの霊媒師は一体どんな死生観をもっているのだろうか。
「天国」は言葉もキリスト教のものだが、一般の人が思い浮かべる「なにやら楽しいところ」というイメージも、キリスト教のものに近いだろう。本来は、神が支配する国という意味である。つまり、神様は王様みたいなものなので、当然キリスト教徒でないと天国へは行けない。
それに対し、仏教の浄土は、分かりやすく言えば設備の整った学校のようなものである。指導するいい先生(仏)がいて、修行に適したいい環境があり、そこで仏になるための勉強をする。いい環境で勉強するのが東大への近道みたいなものだ。死んでまで学校に行きたくないよという人は、そもそも浄土にはいけないだろうから、無用の心配である。
浄土の対義語は穢土で、これは私たちの住む世界を指している。先ほどの学校でいうと、不良ばかりで設備も悪く、先生もろくなやつがいない学校をイメージすればよい。こういう学校では勉強するのが難しく、なかなか東大には進学できない。ただし、絶対に入れない・・・つまり仏になれないというわけではない。
ついでに、地獄のことも書いておくと、地獄という言葉は仏教でもキリスト教でも使うが、キリスト教ではあまりはっきりした定義がなく、神様のいないつまらんところらしい。
仏教では、現世の罪にしたがって、舌を引っこ抜かれたり、溶けた鉄を飲まされたり、いろいろ楽しい罰を受けるところである。もちろん、こんな状態で仏になるのは不可能だ。なお、地獄のありさまに関しては、源信の『往生要集』にやたらと詳しく書いてある。
最初の霊媒師の言葉に戻る。成仏という言葉は、読んで字の如く悟りを開いて仏に成ることである。当然、仏教でしか使わない。悟りを開いて、仏になることなので、うさんくさい霊媒師が祈ったぐらいでは成仏できない。
なお、神道では天国とか地獄という概念はなく、死者は全員黄泉(よみ)の国へ行く。黄泉は地下にあってこの世と地続きである。死者はそこでこの世とたいして変わりのない生活をしているるらしい。
この霊媒師がインチキだというつもりはない(インチキだと思っているけど)。ただ、霊媒師にかぎらずこの「天国に成仏してください」式の言い方がすごく多いように思うのである。これは、あまりにも宗教を軽視した言い方だし、その人がどんな死生観を持っているのかが疑われる。
たとえば、先ごろ川内康範が亡くなったときも、やたらと天国という言葉が目に付いた。月光菩薩をモデルにした月光仮面や、インドの山奥で修行するレインボーマン作者の川内康範が天国に行くわけはない。
川内康範も草葉の陰でないているぞ・・・って、草葉の陰ってどこだよ。
天国に成仏してください。
天国はキリスト教の概念で、仏教では使わない。仏教だと、浄土があてはまるだろうが、ニュアンスとしてはかなり違う。言葉の違いは宗教ばかりではなく死生観の違いを表している。霊と交信できるというこの霊媒師は一体どんな死生観をもっているのだろうか。
「天国」は言葉もキリスト教のものだが、一般の人が思い浮かべる「なにやら楽しいところ」というイメージも、キリスト教のものに近いだろう。本来は、神が支配する国という意味である。つまり、神様は王様みたいなものなので、当然キリスト教徒でないと天国へは行けない。
それに対し、仏教の浄土は、分かりやすく言えば設備の整った学校のようなものである。指導するいい先生(仏)がいて、修行に適したいい環境があり、そこで仏になるための勉強をする。いい環境で勉強するのが東大への近道みたいなものだ。死んでまで学校に行きたくないよという人は、そもそも浄土にはいけないだろうから、無用の心配である。
浄土の対義語は穢土で、これは私たちの住む世界を指している。先ほどの学校でいうと、不良ばかりで設備も悪く、先生もろくなやつがいない学校をイメージすればよい。こういう学校では勉強するのが難しく、なかなか東大には進学できない。ただし、絶対に入れない・・・つまり仏になれないというわけではない。
ついでに、地獄のことも書いておくと、地獄という言葉は仏教でもキリスト教でも使うが、キリスト教ではあまりはっきりした定義がなく、神様のいないつまらんところらしい。
仏教では、現世の罪にしたがって、舌を引っこ抜かれたり、溶けた鉄を飲まされたり、いろいろ楽しい罰を受けるところである。もちろん、こんな状態で仏になるのは不可能だ。なお、地獄のありさまに関しては、源信の『往生要集』にやたらと詳しく書いてある。
最初の霊媒師の言葉に戻る。成仏という言葉は、読んで字の如く悟りを開いて仏に成ることである。当然、仏教でしか使わない。悟りを開いて、仏になることなので、うさんくさい霊媒師が祈ったぐらいでは成仏できない。
なお、神道では天国とか地獄という概念はなく、死者は全員黄泉(よみ)の国へ行く。黄泉は地下にあってこの世と地続きである。死者はそこでこの世とたいして変わりのない生活をしているるらしい。
この霊媒師がインチキだというつもりはない(インチキだと思っているけど)。ただ、霊媒師にかぎらずこの「天国に成仏してください」式の言い方がすごく多いように思うのである。これは、あまりにも宗教を軽視した言い方だし、その人がどんな死生観を持っているのかが疑われる。
たとえば、先ごろ川内康範が亡くなったときも、やたらと天国という言葉が目に付いた。月光菩薩をモデルにした月光仮面や、インドの山奥で修行するレインボーマン作者の川内康範が天国に行くわけはない。
川内康範も草葉の陰でないているぞ・・・って、草葉の陰ってどこだよ。