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「即戦力」ドラフト候補 今年も注目!独立リーグの躍進 昨秋史上最多23人指名

[ 2024年1月17日 05:30 ]

NPB入りへのノウハウを明かした徳島・南啓介球団代表(撮影・柳内 遼平)
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ドラフト戦線に異状あり――。昨秋のドラフト会議で支配下、育成合わせて史上最多の23選手が指名されたのが独立リーグだ。四国・徳島の椎葉剛投手(21)が阪神、日本海・富山の大谷輝龍投手(23)がロッテからそれぞれ2位指名を受けるなど、旋風を起こした独立リーグの現状に迫った。今秋ドラフトでの指名候補生も目白押しだ。(取材・構成、柳内 遼平)

立ち位置は以前の育成指名での「お試し枠」から、「即戦力」へと変化している。22年ドラフトの計10選手から、昨年は2位指名2選手を含む史上最多の23選手がプロ入りを果たした独立リーグ。今冬もまた、有力選手が相次いで独立リーグの門を叩いた。

社会人野球の名門・日立製作所での主力選手の座を捨ててBC神奈川入りしたのは、最速151キロ左腕の安里海投手(24)。「NPBに自信を持って行けるように全力で勝負します」と目的は明確だ。高校生では1メートル92の長身から最速148キロを誇る修徳・篠崎国忠投手(18)が、社会人チームからのオファーを受けながらも四国・徳島に入団。花咲徳栄の大砲・小野勝利内野手(18)は「1年でNPB入りをかなえたい」とBC栃木入りを決めた。独立リーグ行きの最大の魅力は、ドラフト指名まで中・高卒では3年、それ以外では2年の在籍が必要な社会人と違い、1年目から指名を受ける資格が発生することだ。

11年連続でドラフト指名選手を輩出中なのが、四国・徳島。南啓介球団代表は、阪神2位の椎葉を例にNPB入りへの3つのポイントを明かした。

(1)スカウティング 徳島入団選手の約3割は、球団からのオファー。スカウティングでは選手の能力ではなく「やりきる力」を最重要視する。南氏は「NPBに行けていないということは、能力が足りないということ。徳島でやりきって成長することが鍵」と強調。159キロ右腕の椎葉も、入団当初は最速148キロだった。

(2)肉体改造 入団が決まった選手は1〜3月に徳島県北島町にある「インディゴコンディショニングハウス」でトレーナーの指導の下、肉体改造に励む。シーズンが本格化する4月以降、フィジカルが最高の状態で元NPB選手のコーチらから技術指導を受けるため、爆発的成長が見込める。ただ、4月以降はトレーナーによる指導がなく、「やりきる力」次第で成長に差が出る。

(3)需要の把握 フロントはNPBが求める選手のタイプを分析。最も力が発揮できる適材適所を現場に提案する。椎葉も当初は先発投手だったが、球威をアピールするため救援に配置転換したことで才能が開花。目先の勝利を追わないスタイルに不満を持つファンもいるが「最終的な優勝とドラフトで納得してもらう」と南球団代表は腹を決めている。また、NPB入りした選手からは初年度の契約金、年俸の20%を受け取る契約を結んでいるため、ドラフト指名が次の逸材を生み出す原動力となる。

05年に日本初の独立リーグ「四国アイランドリーグ」が発足してから19年。徳島をはじめ各球団がドラフト指名への「育成ノウハウ」を熟成させた。「これまでも力を持つ選手がいたが、やっと適正な評価を頂けるようになった」と南球団代表。ドラフトの主力へ、選手もリーグも変貌を遂げる独立リーグに今年も注目だ。

≪プロ入り目指す社会人選手は...≫独立リーグ選手は加入から1年でNPB入りできることが魅力。社会人野球は日本野球連盟と日本プロフェッショナル野球組織との間の協定に基づき、中卒、高卒選手は3年目、大卒選手は2年目まで指名を受けることができない。プロ入りを目指す社会人選手は指名解禁の年に「旬」を迎える必要がある。また、社会人選手は育成指名されない慣習が強く、育成指名でもNPB入りを希望する場合は独立リーグへ移籍するケースもある。

≪今秋も上位候補へ好素材ズラリ≫24年もドラフト上位候補になり得る素材が集まった。JFE東日本の右腕・広沢優投手(22)は四国・愛媛へ。日大三時代からプロ注目で、1メートル93の長身から最速152キロを投げ下ろす。最速149キロ右腕・落合秀市投手(22)は、四国・高知で独立リーグ再挑戦。和歌山東時代「紀州の剛腕」と呼ばれ、3年夏の和歌山大会では日米13球団のスカウトが視察した。19年ドラフトで指名漏れし、その後は関西独立リーグの兵庫などでプレーした。トヨタ自動車東日本からBC神奈川に入団の右腕・氏家蓮投手(21)は、大崎中央(宮城)時代に151キロをマークした逸材だ。

【取材後記】記者と独立リーグは縁が深い。光陵(福岡)卒業後、NPB審判員になることを目指し、当時の四国・九州アイランドリーグの審判員となった。審判経験ゼロでいきなりジャッジを任された18歳。判定の正確性は正直ボロボロだった。福岡の自宅から車で片道約2時間をかけ、佐世保に本拠地を持つ長崎セインツの試合をジャッジ。誤審した時には家路に就く気力もなかった。

そんな下手くそアンパイア。リーグは2年も我慢してくれた。おかげで20歳の時、NPB審判員になる夢もかなった。現在、野球記者として生きる原点でもある。20年にスポニチに入社して最初の企画は独立リーグ特集。そして24年最初の企画も。一文字一文字に感謝を込めた。(アマチュア野球担当・柳内 遼平)

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