27日に、30分間の追加代表質問に立った阿部裕美子県議は、2月整理予算関連、除染対策、県外・県内避難支援、障がい者支援の4項目について質問しました。
伊達市・伊達郡選出のあべ県議は、私より早く県議2期を努め、3期目挑戦の県議選で定数が4から3に減らされて落選。しかし、昨年11月の県議選でそれをみごと跳ね返し、第二位で返り咲きました。
あべ県議は、放射線量が高くあとで避難区域になった飯舘村と隣接している伊達市・伊達郡の選出です。ですから、除染対策の質問も真にせまるものでした。他会派の県議が、何人もあべさんの質問原稿がほしいと控室にやってきました。(質問原稿は、県議団ホームページにもアップされています)
あべさんの質問は、被災者や県民の思いをじっくりと聴きとったものを情感を込めて質すので、みな真剣に聞いています。私も何度も涙がこぼれました。
再質問で、仮設住宅の追い炊きできない風呂釜に「何らかの支援をすべき。心身共に疲れている避難者に、せめてあたたかい風呂でゆっくりとさせてあげたい」と切々とした訴えは心に沁みました。
さらに、県外避難者を受け入れている長野県議団から、県外避難者について3月末で締め切ろうとしているとの情報がよせられ、あべ県議が再質問で質すと、県は「継続」していく考えだと答弁。
国会でも厚生労働省に確かめてもらったところ「打ち切りは考えていない」とのこと。その一方で、それをさぐっているような国の言動も見え隠れします。
しかし、今も放射能を恐れて県外へ自主避難する人が増え続けているのです。こうした実態をみれば、まだまだ支援が必要なことは明らかです。避難者支援を打ち切るような動きにストップをかけ、これからも求め続けていきましょう。
改選後の初質問にたくさんの傍聴者がみえました。あべ県議の地元保原町から初めて傍聴にこられた女性は、「私たちの思いをそのまま議場で代弁してくれた。あべさんを県議に送って本当によかった」と感想を述べました。
25日、地元中田町と小原田地区で議会報告をしました。中田地区では、つきたての餅も出て和やかに、そして激励をたくさんいただきました。
小原田地区では、岩崎市議とともに県政・市政報告。ここは、昨年9月の台風15号による水害が大きかった地域で、その時高橋ちづ子衆院議員とともに要望を伺った町内会の役員さんも参加しました。
水害対策、一部損壊家屋への支援、放射能の除染対策などについて特に質問が多く、要望もされました。
23日、宮川県議が代表質問を行ないました。今回は予算議会なので、通常議会の2倍、1時間(片道分)です。
宮川県議は、まず消費税増税・社会保障の一体改悪とTPP参加について、被災県民の立場から反対を表明すべきと知事に質問しましたが、慎重な言い回しで明確な答弁はしませんでした。
一方、県が昨年早い段階から国に求めていた原発事故を受けた福島県のための特別法=「福島再生特別措置法」案が今国会で審議され、採択される方向です。これは大きな一歩です。
しかも、この法案では「知事の意見」を国に述べることができる条項が盛り込まれているのが大きな特徴となっています。宮川県議は、この立場から知事や県当局に被災者支援、除染、賠償問題などについて質しました。
なお、知事の意見がいえる法案は他に沖縄の特措法だけのようです。どちらも国策による県民被害があるからでしょう。
この他、来年度予算編成については、ムダな大型開発である小名浜東港建設と大規模林道の中止を求め、企業立地補助金を上限35億円から一気に200億円の全国トップに引き上げたことを批判。
災害・原発事故を受けた今、産業復興についてはこれまでの呼び込み方式を転換し、県内中小企業や農業など内需拡大・地域循環型で雇用も増やすよう求めました。漁業者への支援と海の放射能汚染の調査を求めました。
行革で県職員が不足していることが、さなざまな影響がでていることから県職の増員と正教員の増員を求めました。県は、正規職員ではなく、任期付職員などで増員する方針のようです。
原発事故の収束問題、放射能教育の副読本の見直しなどについても質しました。また、18才以下の子どもの医療費を国がやらないとしたため、県が独自に今年10月から実施することを明言。
内容は、小学3年生まではどの市町村も無料化していることから、小学4年生以上を県が全額負担し無料にします。また、これまでどおり就学前まで助成も行ないます。県の負担額は、年間47億円程度と試算しています。
21日、県議団で福島市内に開設した国の2つの機関、復興庁の福島復興局と環境省の福島除染チームを訪問し懇談しました。どちらも福島駅に近い別々の民間ビルに入居しています。
福島復興局では、鉢村参与・楠山参事官と懇談。今年2/10に開設され、局は30人態勢で、そのうち5名が川内村や避難区域の市町村に派遣されています。
鉢村参与とは、放射能がもたらしている影響や雇用、県内企業も含めた産業支援、そして「福島復興再生特別措置法」の内容など、短時間でしたが意見交換をしました。実際に帰還宣言した川内村の現地にも行ってきたそうですが、子どもたちが戻るのは2割ぐらいとのことです。
いずれにしても、設置された福島復興局は、福島県の復興のために省庁の枠を超えてワンストップで対応できる役割が求められます。
きょう20日は、議案審査のための議会休会日。でも、私たち県議団が、代表質問や本会議場のそれぞれの質問内容についてみんなで検討しています。
その打ち合わせ中の風景の写真です。みんな机の上が、書類や資料でいっぱいです。
19日、郡山で原発ゼロをめざす「郡山市民の会」の結成総会・つどいが開かれ450人が参加しました。会の顧問は前佐栄佐久知事、よびかけ人代表は名木昭さん、副代表は吉田岳夫さん(郡山市体育協会会長・元市議会議長)です。
オープニングは、呼びかけ人でもある佐藤真人さんのフルート演奏で始まりました。
名木さんは、政党や主義・主張、立場の違いをこえて原発廃炉をめざすために結成をよびかけたものだと、よびかけ人を代表して挨拶。
原正夫郡山市長もかけつけ、「原発廃炉」を求めていくと挨拶。
基調講演は、佐藤栄佐久前知事が行ないました。知事現職時代から保安院の分離やプルサーマル問題、使用済み核燃料についても問題点を提起してきたが、国はブルドーザのごとく原発を推進してきたとも。
【ビッグアイの会議室は、後ろまでびっしりの参加であふれました】
坪井正夫桑野協立病院長がチェルノブイリ視察報告、子育て中の3人のママが、子どもの健康・放射能汚染から守る家族の切実な思いをそれぞれ涙ながらに訴えました。
また、大規模農産物生産者の柳田さんは、有機農業をやってきたのに環境も美しい自然も放射能で汚された怒りを、安藤弁護士が全面賠償と何でも相談に応じていくと述べました。
【前知事佐藤栄佐久さんと】
原発廃炉をめざす「オール郡山」の動きがきょうから始まります。そして、来月の3・11の1周年の福島県民大集会は、郡山の開成山野球場で2万人集会規模で開かれる予定です。みなさんもぜひお出かけ下さい!
19日は、中田町の芸能祭でした。きょうは、原発ゼロをめざす郡山市民の会結成のつどいがあり、みなさんにご挨拶だけとなりました。中田のみなさんは、芸の達人揃いです。
夕方、緑ヶ丘の仮設住宅の調査してきました。凍結防止策などが心配だったからです。県は、住民や市町村の指摘を受けて内側に断熱材を入れたり、床下の隙間を防ぐ板張りと通気口を設置したようです。
それでも、サッシのレールが結露で凍りつき開閉に支障をきたしているとのこと。そういえば、今朝わが家の台所の水道も細く水を出していたのに、つらららで凍るような寒さでした。
また、火災などへの対策で私たちも要望していた南側の窓については、一部掃き出し窓に改修されていました。これは希望者のみだそうです。
【配管凍結防止や床下寒さ対策、一部掃き出し窓に改修された緑ヶ丘の仮設住宅】
18日は、富久山地区と開成地区の2ヶ所でつどいを開き、県政・市政報告をしました。県議選後に初めてお会いする方もたくさんいて、あらためて5人の県議団になったことのお礼と県政での変化について報告しました。
高橋市議と橋本市議もそれぞれ市政報告を行ない、参加者からは除染対策や消費税増税問題、議会報告のチラシの内容についても感想や意見がよせられました。
参加者からは、国会でも共産党に伸びてほしい、今の政治を変えてほしいなど要望もたくさんよせられました。私からも比例定数80削減など許さず、東北の命綱、被災県の思いを国会に届けるただ1つの高橋ちづ子衆院議員の議席をぜひ守ってほしいとよびかけました。
17日、『大震災・原発事故1年〜復旧・復興の現状と課題』のテーマで、仙台で開かれた被災3県の県議と日野秀逸(東北大学名誉教授)を交えての座談会に出席しました。「議会の自治体」誌の企画です。
被災3県からは、岩手県の斎藤信県議団長、宮城県の横田有史県議団長と遠藤いく子県議、そして福島県は私です。
野田政権がすすようとしている「社会保障と税の一体改悪』、TPP参加問題にもふれながら、被災者支援、雇用、産業、原発放射能の除染・賠償、健康支援などについて、それぞれ被災県での取り組みと課題、現状などについて意見交換しました。それぞれ県によって課題も悩みも共通のものもあれば違いもあります。
私からは、18才以下の医療費無料化を県議選の公約に掲げ、それを知事が国に求め、結局国が実施しないとしたことから今年秋から県が独自に実施する成果を得たこと。ただし、県民や市町村負担がどのようになるのかは不明。
さらに、原発事故については、知事がついに「全基廃炉」を明言し、県の復興計画に盛り込んだが、肝心の除染も賠償も健康支援も検査機器もまだ緒についた程度。
なのに、野田首相はステップ2完了をもって「原発事故は収束した」と宣言し、国と東電の責任を小さくみせ、被災者も差菜ざまな形で線引きし県民の分断を図っていること。
一方、県内の避難者は16万人で、そのうち県外避難者は6万人を超え、今も増え続けている現状で、放射能に対する不安は1年たってもますます拡大し続けていると報告しました。
日野秀逸教授は、阪神・淡路大震災と今回の東北の大震災が比較されることが多いが、今回の東日本の震災は、地震・津波に原発事故まで加わって、規模も内容も比較にならないくらい大きいこと。
また、東北の被災3県は、もともと産業基盤が弱く、高齢化・過疎化が進んでいたこと。そこに構造改革による医療・介護・福祉の後退、公共交通機関や住宅問題など、「複雑で困難な課題がある」と分析されています。
ところが野田政権は、今回の震災と原発事故を簡単に片付けようとしていると厳しく指摘。また、経団連など財界の真のねらいと戦略について、さまざまな発言例を引いて明らかにしました。
詳しくは、3月号の「議会と自治体」をぜひご覧下さい。私は、この座談会で多くのヒントと今後の展望がみえてきて、もやもや感がだいぶ晴れた思いです。
11〜12日は、党会津地区の会津若松、磐梯町、喜多方の3ヶ所の「新春のつどい」で県議団を代表して挨拶させていただきました。
11日は、会津若松市のつどいに参加。手づくり感いっぱいの楽しい会でした。思えば、昨年3/12に県議選に向けた会津の演説会で私が挨拶するはずでした。それが、前日の大震災の発生でキャンセルに。あれから11ヶ月ぶりに会津のみなさんにお会いできたわけです。今度は、5人の県議団の団長として・・・。
【大熊町から会津若松に避難している石田党町議と】
【女性後援会は、どこでも元気いっぱいです】
この日は、会津若松市に宿泊。雪の会津はこんな時でなければ見る機会もないので、とても楽しみでした。鶴ヶ城は雪化粧。夜は城内で絵ろうそくまつりが開かれていたので、行ってみようかと思いましたが、風邪をぶり返してはとあきらめました。きっと、幻想的な風景でしょうね。
【磐梯町の新春のつどい】
さて、12日は夕べの降り積もった雪に驚きましたが、しだいに青空もみえて快晴に。道路は雪で覆われ、喜多方へ向かうにしたがって吹雪に。でも、会場はそれぞれ熱気あふれる新春のつどいで、私も大いに元気をもらいました!
【喜多方のつどいで。左は喜多方市の田中市議】
喜多方で餅つきの手伝いをするとは思ってもみませんでしたが。
帰りは、会津地区委員長のおすすめで、喜多方駅3:15pm発の磐越西線「ストーブ列車」に乗り、終点の郡山駅に夕方5:13分に着きました。私は初体験です。全席指定で、切符を手配をしてもらった甲斐がありました。お陰で、素敵な鉄道の旅を満喫できました!
【喜多方の駅舎。雪でつくった灯ろうが2つ】
【ホームで出発を待つ喜多方ー郡山間の風っこストーブ列車】
【3両編成で、私の席は2号車。テーブルつきの座席は木製で、車内はレトロな雰囲気】
【列車は、磐梯山の近くをゆっくりと登って行きます。喜多方のつどいで頂いたつきたてのお餅。おいしくて2つも食べてしまいました!】
【ストーブは3号車に入ったところに。ここから配管で車内にあたたかい空気が送られるしくみのようです】