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2008年03月25日

読書術 加藤周一

読書術

「読書」について、これから何冊か読んでいきたいと思ってます。ちょっと古めで、簡単そうな本として、これを第一冊目に選んでみました。簡単な言葉で書かれていて、非常に読みやすい。本は古いが、内容はそうではない。

どうの意味
どう読書をするか?ということに書かれた本である。しかし、どの本を読むかというい一般論は、なかなかすることが難しいが、いつどこでどういうふうに読むかといった一般論は展開できるではないかと最初に言っている。そして、最初の「どう?」がどういう姿勢で読むか?、といったところから話が始まる。
もちろんいちばん楽な姿勢においてだろうと思います。(p.16)
僕は普段、おおよそ三つの読書の姿勢がある。一つめは、通学に電車は使わないのだが、電車に乗ったときに、座りながら読む姿勢、二つめは、ベッドに横になりながら読書灯の下で読む姿勢、そして、最後に机に向かいながら読む姿勢である。大体三つの姿勢で読む本が違ってくる。机に向かいながら読む本は限られていて、物理の教科書であったり、専門書の類で、ノートを取りながらといことが多い。ベッド・電車では、専門書はほとんど読まず、縦書きの本、つまり、小説や新書だ。区別しようと思ってしたわけではないが、自然とこのスタイルになっていた。

その技術と外国語の習得
読み方というものを、おそく読む「精読術」、はやく読む「速読術」、本を読まない「読書術」、外国の本を読む「解読術」、新聞・雑誌を読む「看破術」、むずかしい本を読む「読破術」と分けて紹介しています。なるほどと思うこともたくさんあったのですが、これから個人的に英語の本を読む機会が多くなると思うので、外国の本読むというところは結構役に立ちそうな気がしました。が、あまりにもすごすぎた外国語の本の読み方は、小林秀雄さんの
外国の本を読むにも、一日一冊を片づけられる程度の速さがなければ、そもそも外国語の知識と言うものは使い物にならない、・・・中略・・・翻訳のある小説を買ってきて、原書を右手におき、翻訳書を左手において、左の翻訳書を一ページ読んでから、右の原書の一ページを読む、時引きは使わない。わからないところはとばす(p.95)
というものだ。著者は、この方法が最善の方法だといってるわけじゃないのですが、世の中には、こういう風にやって外国語が習得できてしまう人がいるんだなーと驚嘆してしまいます。

本を読まない「読書術」
はじめ題を見たときに、おや?と思ったので、少しだけ補足をしておく。本を読まない読書というは、一体なんぞや?読まずにわかるの?と思ってしまいましたが、もちろんそんなことではありません。たとえば、自分の知りたいことに関する本が世の中に何十冊もあるわけです。しかし、何冊か読めば、しかも教科書のように一冊を何度も読めば、他の本は読む必要がなくなってしまっている、もしくは、読まない本というのをどう選ぶか、という話です。

必要性
外国語を学ぶのにいちばんよい本は
私たちが一番必要としている本以外にない(p.138)
これは、やっぱり英語の勉強をするには、専門書に激しくぶつかっていくしかない、という僕の考えを強く確信させる言葉になりました。そして、やはり最初は翻訳と原書を二つ用意して、勉強していく、今、実行中のスタイルでまだがんばっていこうと思いました。
さらに、本を読んでて、わかんねー!意味不明やー!となって挫折することがあっても、こう考えればいい。
なぜ、一冊の本が私にとってむずかしいかといえば、その理由は、つまるところ、私がその本を求めていない、別の言葉でいえば、私にとって少なくとも、いまその本は必要がないという点に帰着するでしょう。(p209)
もしくは、本が悪いということありますけどね。



読むも読書、読まぬも読書。

create1192 at 18:05│Comments(0)TrackBack(0)│ [フレーム] │本(新書)

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