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2005年08月

どういうわけか、僕がPCの電源を入れた時に限って(もちろん必ずじゃない)地震がくる。
動いている時のハードディスクは振動に弱いという固定観念を持っている僕にとってはビクビクものだ。
そんなわけだから、i-Podなんか買うやつの神経が理解できない。だって、ハードディスクだよ。そんなの怖くて持ち歩けないよ。

話はそれたが、地震といえば(まただよ・・・)鴨長明の『方丈記』である。この随筆の根底にあるのが無常観だが、そんな無常観を長明に抱かせるに至った原因の一つが地震なのである。
『平家物語』ほどではないが、この『方丈記』も異本が多い。長さの長短によって、広本系と略本系にわけられるが、広本系もさらに、古本系と流布本系に分けられる。

この流布本系には元暦の大地震の記事のところに、古本系にない一節がある。

その中にある武士のひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、築地のおほひの下に小家を作り、はかなげなる跡なしごとをして遊び侍りしが、俄に崩れ埋められて、あとかたなく平ひらにうちひさがれて、二つの目など、一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲も惜しまず悲しみ合ひて侍りしこそ、あはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみには、猛き武士も恥を忘れけりと覺えて、いとほしく理かな、とぞ見侍りし。

遊んでいた子どもが土塀に押しつぶされてしまう描写がなんとも生々しくてやりきれないが、地震の恐ろしさをうまく描いていると思う。
この部分、長明が最初に書いたのを後に書き直したとき(古本系本文)削除したとか、別人が書き入れたなどの説があるが、僕はちょっと大きな地震がくるたびにこの一節を思い出してしまうのである。

ひやぁ暑い暑い。
日本の古典で(削除) 暑い (削除ここまで)熱い男といったら、なんと言っても『平家物語』の平清盛だろう。
なにしろ、あまりの熱さで、水に入れたらあっという間に沸騰しちゃったぐらいである。
清盛の死に様は、一般的に「あっち死」と表現されるが、『平家物語』は異本が多く、実は諸本によって微妙に違ったりする。

流布本(元和九年本)・・・あづちじに
#なんかよくわかんないから「つ」に濁点付けちゃったんでしょうかね。『平家正節』(琵琶法師の楽譜みたいなもん)もそうなっているみたいです。

百二十句本・・・あつけ死に
#あっけなく死んじゃったってことですかね。

屋代本・・・あつた死に
#なんか「あった」んでしょうか?

長門本・・・あつさ死に
#わかるけど、いまいち面白くないな・・・

源平盛衰記・・・周章死
#これは・・・「あわて死に」でしょうか?まあ、あわてますね、これだけ熱が高いと。

四部合戦状本・・・熱池死
#「熱い」と水が熱湯になったことをかけているのかな。本文に「熱地池死(あっちち死に)」とあってこっちの方が面白いけど、実は地にミセケチがある。


そもそも「あっち死に」ってどんな死に方だよ、と思うかもしれないけど、その辺は諸説あるようなんで調べてみると面白いかもしれない。

10月に北京の故宮博物院で清明上河図が公開されるそうだ。
僕は二年前、上海博物館の「晋唐宋元書画国宝展」でこれの現物を見た。
そうとう並ばなくては見られないという情報を聞いた僕たちは開館一時間前に行ったのだが、すでに長蛇の列、やっと見られたのは5時間後である。
ところが、実はその長蛇の列はこの「清明上河図」のためのもので、それ以外は並ばなくても楽に見られる。肝心の「清明上河図」も列の後ろから頭越しに見るなら並ぶ必要はない。僕たちのお目当ては「清明上河図」ではなかったので、見終わった後大変な疲労が襲ったのを覚えている。
このエピソードだけでも、「清明上河図」がいかに中国人にとって重要な美術品かということが分かるだろう。このときの展覧会には蘇軾だの米元章だのなかなか見られない宝物がいっぱい展示されていたのだが、それよりなにより「清明上河図」なのである。

さて「清明上河図」を見た僕の印象である。
これはたしかに傑作だと思う。絵巻の長さ(5.28メートル)いっぱいに広がった遠景に、現代の中国にも通じる活気あふれる民衆(843人!)の日常生活が生き生きと描かれている。
しかし、どうにも僕には『ウォーリーを探せ』に見えてきてしまう。「清明上河図」には動きがないのだ。
たとえていうなら、「清明上河図」は超広角レンズかパノラマカメラで撮影したスチール写真である。それに対し日本の絵巻はムービーである。動きがあるのだ。
同じ民衆でも、「清明上河図」の民衆と「伴大納言絵詞」の民衆では「生き生き度」が違う。もちろん人数ではかなわないが。
一瞬を捕らえるスチールと動きをとらえるムービーを比較して優劣を競うのはラーメンとカレーを比較するようなもので意味がないかもしれない。でも、やはり僕にとっては日本の絵巻の方が技術的に数段上に感じた。

四大絵巻に代表される絵巻が作られた時代と、「清明上河図」が作られた時代はほとんど同じである。日本人はもっとオリジナルの芸術である絵巻を誇っていいのではないだろうか。

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