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2020年04月

2020年04月30日

下北沢X物語(3994)―会報第166号:北沢川文化遺産保存の会―

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「北沢川文化遺産保存の会」会報 第166号
2020年5月1日発行(毎月1回発行)
北沢川文化遺産保存の会 会長 長井 邦雄(信濃屋)
事務局:珈琲店「邪宗門」(水木定休)
155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
会報編集・発行人 きむらけん
東京荏原都市物語資料館:http://blog.livedoor.jp/rail777/
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1、文明と文化のスピード(コロナ以後を見据えて) きむらけん

よその国のことと思っていたら新型コロナウイルス感染症が日本にも入ってきた。これが広がって今未曾有の大変化を社会に与えている。人と人とが繋がることで人間は進歩し、社会も発展してきた。が、感染しないようにと人との間に距離を置けということになった。考え方の大転換が迫られている。

当方は、会発足以来、ずっと続けてきたことは人からの聞き取りである。荏原一帯に住む人々から多くの話を聞き取ってきた。その数はわからない。数千人にも及ぶはずだ。ところが、ソーシャル・ディスタンスを取れとのことで、この聞き取りができなくなった。この点は大きな傷手である。
それにしても今回のコロナ禍は衝撃的だ、人が行き来しない、それで交通機関の利用が極端に激減した。連休中に関わらず新幹線はガラガラだ、諸外国との交流に欠かせない飛行機もほとんどが停まっていて飛行場にはびっしりとこれが並んでいる。タクシー利用車も激減し、ある会社は約600人も運転手を解雇したという。

夏目漱石は、「現代日本の開化」で、人間「なろう事ならしないで用を足して満足に生きていたいという我儘な料簡」を持つという。これが「怪物のように辣腕な機械力に豹変した」つまり、人間の欲望が汽車を生んだ。生まれた怪物は人間に顧慮することはない、今は目に停まらない速さで駆け抜けていく。言えばひたすらに速度を求めてきた。ところが今は一切の交通機関が文明の開化以来の危難に瀕している。驚くべき現象である。

文明はやみくもに速度を追い続けてきた。今、その文明に亀裂が生じて、今見えなかったことが見えてきた。文明があまりにも速度を追い求めて来すぎたと思う。
私は、文学に描かれた汽車の研究をしている。人々は始めて汽車に遭遇したときは驚いた。が、それでもこれが便利だと分かって乗るようになった。ところが乗り慣れていないので景色の見方が分からない。窓には縞模様が飛んでいくだけで何のことかさっぱりわからないうちに横浜に着いてしまった。が、これにも慣れてきて車窓に映る景色を楽しめるようになった。それこそは「廻り灯籠の絵」である。

文学にとっては美は挑戦物である、新しく出来した景色、動いていく車窓をどう描くかというのは課題になった。が、これも各人各様、これに挑戦し見事に作品に描いている。ところが速度が速くなるにつれあまり書かれなくなった。文学と汽車車窓の調和という時代は、明治、大正、昭和であった。
新幹線が全国に張り巡らされるようなったがこの車窓ほど味気ないものはない。いわゆる在来線での車窓描写は、数え切れないほどあるが。新幹線の車窓風景を丹念に描く人はいない。鉄道会社も車窓美に顧慮しなくなった。この頃では防音壁が車窓を覆っているところもある。鉄道全盛時代は、車窓はウリであったが、その考えは放棄したようだ。

この文明の亀裂に遭遇して思うことは、速度至上主義は人間にとっていいことはなかったことだ。私は常日頃歩きに徹している。南下して新幹線沿いを歩きもする。通り掛かった新幹線は一瞬にいなくなる。なんであんなに急ぐのかと思う。

景色というものは楽しめるものでなくてはならぬ。それには歩きが一番だ、汽車に乗っても「.廻り灯籠の画の様に/変わる景色のおもしろさ」、景色が楽しめる速度でありたい。 時間には文明速度と文化速度とがある。後者は人間という生き物に合致している。生体リズムにあったものがこれであろう。もうやみくもに速度を求める時代は終わった。ポストコロナという時代がやってくる。私たちは、これからは生体速度にあった文化的時間を追い求めたいものだ。

2、『右文 覚え書き』に寄せて (中)
エッセイスト 葦田 華


「ミギちゃん、おいもがふけたから、いらっしゃい。」「パンパンあげるから、いきましょう。」痩せっぽちで食いしんぼうの右文は誘いをうけると、乞食の子のように無条件でその方へ走ってゆく。
実子の無い近所の野口さんは右文にあれやこれやを食べさせて、「右文に食べさすのは張り合いがある。どんなまずいものでも食べる。」と、そんなこともいう人だった、と栄と正子は苦々しく思う。 そして案の定血便が出た。
壷井栄と右文
「よそで、なに食べたの。」 やさしくただすと、「み だよ」
「なにの実?」 「野口ばあちゃんの、まあるい み」
私はハッとした。野口さんにはめずらしいあんずの木があって、それを右文はたべたのであろう。 実はもらったのだろうか、私は医者にかけつけながら考えた。考えるにつれて腹が立ってきた。

大騒ぎののち、右文はそののち一日の絶食を申しわたされ、番茶だけがゆるされた。
その番茶をわざと吐きだして、彼は泣きもだえた。
「ご飯よう。かたいごはんですよう。」

泣きに泣いた右文を 私は赤ん坊のようにひざに抱いてやった。
誰にともないへんな気がねから、食べ放題を続けていたことが心にとがめた。
右文の血便の原因が、「野口ばあちゃんの、まあるい 実」を食べたのが原因と判り、壺井栄は苦悩する。
「もしも自分の生んだほんとうの子なら、なりふりかまわず野口さんのおせっかいをはね返したかもしれぬ。」と思うと、しらずしらずの中にも他人行儀があったのかと思えて辛かった。
みんなの食事の時を外して、右文をおんぶして外に出た栄は、つらつらと自己を内省するのだった。
「おかあちゃん。」
右文が背にもたれたままよびかけた。 「お月さま、だれが半分にわったの?」
「ほんとね。だれが半分にわったのかしら。まあるいお月さまなのにね。」
「お月さま、いつも、あっちからくるんだね。」 小さな手は西の空をゆびさした。
「そうね。ミギー、よく知ってるのね。」 私は泣きそうになるのを押さえて、子守唄をうたい出した。
「おかあちゃん、お月さま、もう電気つけたよ。」

あたりはそろそろ暮れはじめ、うすねずみの空で月はいつの間にか灯をともしていた。
「ほんとね。お月さまデンキつけたわね。きょうはミギーお月さまのことばっかり考えるのね。」
「お星さまも考えるよ。お星さまのデンキスタンドは、ちっちゃいね。」
その小さな頭脳のどこから出てくるそれは言葉だろうか。
感動のまま私は右文を脇の下から前にくぐらせて、
「ミギー、いい子ね 、かわいい子、だいすき。」 私はかたく抱きかかえてやった。

ミギーの目が雨や風や、月や星への関心を示し出したことは、大人の心にも新しい風を吹き通した。
彼の知恵の芽生えは、私たちを笑わせ、考えさせ、感動させた。
「あッ、風がいるよ、たくさん風がいるよ、おかあちゃん。」 私の部屋の外にある広々とした畑をみて右文はいう。 「風がいるって。どれどれ、どこに。」
「ほら、あっちにいるじゃネエか。トウモコロシのとこに、いっぱいいるよ。風は長いね。」
ゆびさすところには、トウモロコシの青い葉が風に吹かれてさやさやと音立ててなびいていた。
トウモロコシをトウモコロシといい、オタマジャクシをオチャマダクシよりいえぬ彼が、風がいるじゃネエかという。

ここまでの文章を読んで、まだ大人に成り切っていなかった18歳の私は、いたく感動したのだった。 そして壺井栄のような「おかあちゃん」になりたい、と、華なりの未来像を描いた。

ある日右文は、あわただしく外から帰ってきて、いきなり私の部屋をあけ、私の背にとびついてきた。「ヒんじゃわないねえ、かあちゃん。」 シをヒ、と発音する彼だった。
「死んじゃわないさ。どうして?」
肩にかかった彼の手を、私はにぎってやった。小さな、細い手である。
「光夫ちゃんちの小母ちゃんがね、ミギちゃんのおかあちゃんは、ひんじゃったって、いったよ。
ひんじゃったらもう帰ってこないって、いったよ。ここにいるねえ。」

> ああもうそんなことをこの子の前で話す人もあるのかと思い、そろそろ彼に、真実をわからせるようにしなければなるまいと考えた。この、数え年五つの男の子に。
「ひまないのに、ひんだっていったよ。光夫ちゃんの小母ちゃん、うそつきだね。」
「まちがったんだね、きっと。ここにいるのにね。」

ここのやり取りを読んで、私は壺井栄は偉い!と思った。
光夫ちゃんの小母ちゃんを「うそつきだね」と息巻くミギーに「まちがったんだね、きっと。」と、優しく怒りの矛先をかわして、ミギーを護る賢明なおかあちゃんなのだ。

◇注釈 写真は「壷井栄全集」第五巻/(昭和二十八年 左から壷井栄、ひとりおいて 壷井繁治、右文)


3、新型コロナウィルスと当会行事

新型コロナウイルス感染症は、先行きが見通せない。2月と3月は歩く会を実施できた。が、4月は中止とした。やはり歩くのであればマスクなどなしに自由に行動したい。コース設定はいくらでもできるが収束が見通せない。それで当分に間、先々の見通しができるまでは。歩く会は、中止としたい。
この5月に計画していた第十三回戦争経験を伝承する会も中止とした。
会報は、165号はメール版、そしてネット掲載は行った。しかし、紙印刷は出来なかった。公的施設である「市民活動コーナー」が閉鎖されたからである。印刷ができるようになるまでは郵送も中止としたい。

しかく 編集後記
さんかく日常の活動が新型コロナウイルスによってできなくなった。会報は非接触形のものでこれは発行を続ける。が、公的施設が閉鎖されて印刷ができなくなった。お家にいろということから時間もできたのではないだろうか。ぜひみなさん、エッセイなり論文の投稿を。
さんかく当、メール会報は会友にも配信していますが、迷惑な場合連絡を。配信先から削除します。にじゅうまる当会への連絡、問い合わせ、また会報のメール無料配信は編集、発行者のきむらけんへk-tetudo@m09.itscom.net「北沢川文化遺産保存の会」は年会費1200円、入会金なし。会員へは会報を郵送している。事務局の世田谷「邪宗門」で常時入会を受け付けている。



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2020年04月29日

下北沢X物語(3993)―子どもたちよ、日記を書こう―

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☆新型コロナウイルスの感染による学校の休校が続いている。家にいる子どもたちが宙ぶらりんの状態にあると聞く。成長期にある子ども、今与えられた時間を無駄にせず、これをチャンスと捉えて自己発見をしてもらいたい。そのためには目標を持たせることが大事だ。それで子どもたちに日記を書くことを強く奨めたい。戦時中、学童疎開があった、このときに引率の先生は日記を奨励した。学童はひたすら書きまくって戦った。その成果はあった。国語力が飛躍的に向上したのだ。成長期にある子どもがどしどし書いて自分を鍛える、とても大事なことだ。私自身国税庁税務大学校で作文講師を三十年以上続けてきた、その経験も踏まえて「子どもたちよ、日記を書こう」と提案するものである。今回は、私は家の門にポスターをはり付け、興味を持った親御さんや子どもに印刷物を持っていってもらうようにした。(写真)ネットでも希望があればPDFで送りたい。子どもたちよ、コロナに負けるな、鉛筆を握ってどしどし書きまくり、日記博士になるぐらいに頑張ろう!

子どもたちよ、日記を書こう......キミのために

童話作家 きむらけん

〇みなさん、お元気ですか? このところずっとお休み続きですね。学校にも行けず、友だちにも会えない。そんなことで暇をもてあましていると聞いています。この話を聞いてとてももったいないと思いました。そこで私は、みなさんに提案したいと思います。ぜひ日記を書くようにしてください。これを続ければ学力もしっかりついてきます。

1、日記を書き続けると頭がよくなる。

一、頭の回転がはやくなります。(頭がよくなる)
二、考えが深まるようになります。(心がふわふわしなくなる)
三、書き方がうまくなります。(言葉の使い方がうまくなる)

みなさんは、言葉を毎日使っていますね。この言葉というのはとても大事なものなのです。言葉というものは自分の考えを伝える道具なのです。使いこなせばうまくなるのです。努力すれば、言葉の力が、キミの身につくのです。

2、言葉は道具

「言葉って道具だったの!」
言葉は道具、なのです、いいですか、言葉、そのものは本物ではありませんね。だってさ、口で「ビフテキ!」というとうまそうな肉が、ぽろっと出てくる、そうなればラッキーですけど、それは夢のポッキー......何のことか、クスリとするところに言葉の面白さもあるのですよ......まじめな話、言葉というものは物そのものを代用しているに過ぎません。つまりは記号なのです。

ほら、算数で使うでしょう、+プラスとか −マイナスは、記号ですね。一つのサインなのです。プラスとくれば足し算、マイナスとくれば引き算、ね、お約束ごとの記号なのです。道具なのです。ここが大事です。道具っていうのはいつも使っているとうまく扱えますね。使わないと錆(さ)びついてしまいます。言葉も同じなんです。いつも使っていると、使い方がうまくなるのです。

作文などで、「〇〇さん言葉の使い方がうまいですね」と先生に言われたら嬉しいでしょう。うまくなるにはやっぱり努力ですね。ぼんやりとしていると頭はなまってしまいます。けども言葉を磨けば、これの切れ味はよくなります。言葉を磨けば相手の心も動きます。神様だって感動することがあるのです。

3,日記はあなたが生きたあかし

学校に行かないから毎日が同じですね、三日前の夕ご飯になに食べましたか?ほら忘れているでしょう。人間は不思議です、学校に行っているときは曜日曜日によって時間割が違うでしょう。体育は水曜の午後、「ああ、そういえば体育の時間にドッチボールをしたな」などと思い出せます。
ところが今みたいに家の中のでの生活が長く続くととっかかりがないのですね。それですぐ忘れてしまうのです。
ある引きこもりの人が言っていました。「毎日『C』を見て暮らしていました。ほらカップ麺に『Cup』て書いてあるでしょう、その『C』を見つめていたんですね。気づくと十三年経っていました。怖いと思いました」と。本当に怖いですね。人間の頭の中は泥沼みたいなものなのです。記憶を呼び起こすことはむずかしいのです。でもね、日記に毎日のことを書いておけば、思い出せるのです。

今、心配なのはコロナウイルスに感染することです。それでこれにかかるとかならず聞かれます、いつどこで誰とあって話したかを。それを調べることでどこでだれにうつされたかということが推測できるのです。これを突き止めて感染源を調べるのですね。ここではそのときのためにと言っているのではありません。日記は、キミ自身がどのように生活してきたかの証拠になるのです。

一ヶ月書くとすぐに役立ちますよ。二月三日、テスト返却100点とか書いてあると嬉しいよね。でも、算数が二十八点だったことは書いてありません。
日記を書くとキミがどう日々を過ごして来たかが分かってきます。
前置きが長くなりました。まず日記を書くようにしましょう。

4、楽しみながら書く
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やっぱり大事なことは、おもしろがることです。今日が終わって、明日がくる、人は人生という道を歩いています、ときどきふり返って後ろを見る、日記があればふり返れます。自分をながめる楽しさがあります。

最初は習慣づけだからあまり難しいことは言いません。まずノートを用意してください。そして表紙には「日記帳」と書いてください。「おれの日記」でもいいですよ。名前も書きましょう。

4月28日(火)晴

日付を書き、これには曜日と天気を書きます。天気は大事です。雨と書いてあれば、「そうか雨だったんだ」、そういえばあのときびしょびしょに濡れたな。これも過去を思い出すとっかかりになります。
前は、きっと朝何時に起きて何を食べてと書いていたでしょう。それはやめて一日の中でもっとも印象に残ったことを書きます。慣れてきたら。ポイントを三つにしぼります。

〇今日〇〇君から電話があった。久しぶりだ、友の声を聞いてうれしくなった。
〇妹とけんかをした。あまり泣き止まなかったので、「ごめんね」といったら、「うん」と言った。
〇歴史の本を読んでいたら、縄文時代は一万年と書いてあった。こわくなった。

5、日記は続けることが大事

「三日坊主」ということがありますね、よしやろうと思ってやると三日と持たないこと。
この日記は続けて書くことが大事です。あまり書くことがないときは、日付と曜日と天気だけを記してもいいのです。
忘れずにつづけることが大事です。書いたものはキミの財産になります。

6、字は丁寧にかくこと

日記は、自分のものです、だからどう書いてもいいのですが、これは一年後のキミ自身へのメッセージですからしっかり書いておかないと後の自分がこまります。自分が書いたのによめなかったということのないように。
文字は人に伝わるように書くことです。
こっそり教えましょう、美しい字を書くと女子は美女に思われる、男子は美男子に思われる、これで人生を得したという人が実に五万八千三百五十八人もいるのです。

7、応用編

人の記憶はあてになりません、でも記録に書いておくとちゃんと残ってそれでそのときのことを思い出せます。自分自身の記録は大事ですね。

君たちは、それぞれ趣味を持っているでしょう。

スポーツ、読書、習い事など

君たちは成長期にあります。それだけに気づくことはとても大事です。
スポーツでのボールの扱いかた。
「ボールへの集中力が足りない」と先生に言われた。
ボールを取ろうとするなかまのことを気にするのでどうしても注意がいかない。
ボールと人とをしっかりとみるようにしたい。
などと書けるようになったら素晴らしい。

読書、主人公〇〇の生き方が素晴らしい。どんなに苦しくてもめげないところはとても感動した。

習い事、ピアノの鍵盤の触れ方が乱暴だと言われた。「こころをこめてやわらかくさわりなさい」と先生に言われた。そこを直したら先生がほめてくれた。

にじゅうまる人生で何かをしっかりと極めようとする人は、しっかりと日記をつけ、自分の弱点を日記から見つけて、それを直そうとする。多くのアスリートはそれをしています。

みなさんはアスリートのようにする必要はありませんが、一つ夢を持ち、それに向かって自分がどうしようとしているのか、それを日記に書いていくといいかもしれません。

まとめ
・日記はあなた自身を見つめるものです、後になって自分に役だってきます。
・まとめようとする力は学力にもむすびつきます。
重要な点を三つにまとめるというくせがつくとこれは暮らしの中でも、また社会に出たときも役立ちます。
・「継続は力なり」といいます、続けていけばかならずこれがキミを助けることにつながります。日記の継続の成果は微々たるものかもしれませんが、この積み重ねがだいじなのです。キミの成長の糧(かて)になることは間違いありません。

にじゅうまる漢字はなんども書いておぼえましょう。
にじゅうまるわからない言葉がでてきたら辞書で調べましょう。

言葉は道具、使い慣れると話し方もうまくなります。また、説明もうまくできるようになります。言葉は自分が生きていく上での大切な道具です。日記をしっかりと書いていくとこれをうまく使えるようになります。


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2020年04月27日

下北沢X物語(3992)―朝ドラ「エール」と世田谷代田2―

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(一)世田谷代田には音楽的、詩的感性が地域に育っている。これによって感化された人も少なくない。マリンバの安倍圭子さん、この4月には母校代沢小で創立百四十周年を記念してのコンサートを行う予定だった。が、コロナ騒ぎで延期になった。彼女は幼少期を世田谷代田で送っている。その音楽性は代沢小の音楽指導者浜館菊雄によって発掘され、これがきっかけとなって世界的な奏者となっている。安倍圭子の音楽性と世田谷代田、彼女に聞いてみたいと思っているが実現していない。「エール」では世田谷代田の地の文化は取り上げられないだろう。詩歌と音楽の連関は興味深い、試みに萩原朔太郎旧居と古関裕而旧居の距離を測ってみる。直線で約200メートルだ。この距離には都鄙境の知られざる物語が潜んでいる。

世田谷代田に音楽的感性が育まれるようになったのは、当地に帝国音楽学校が創設されたことが大きい。創設は1927年12月だ、つまり昭和2年である、この4月に小田原急行鉄道は開通した。学校建設は電車線の開業と深く関わる、学校に通うためのアクセスがないと人は集まらない。小田原急行鉄道の開業を待って学校は開校した。

当時は、一帯は田舎である。大根畑や竹藪、雑木林が広がっていた。ここに電車のタイフォンが鳴り響くと、すぐにここでよいとまけが歌われた。大根畑が切り開かれ、地固めが行われた。おじさんやおばさん、大勢が集まって重い槌を滑車であげおろしをした。やがてそこに建ったのは二階建ての校舎である。一帯に二階建てはまだ無かったころだ。

忽然と現れた建物、人々は目を瞠った。やがてここから歌声や楽曲が流れてきた。日本語に交じって外国語も。すばらしくオシャレだった。

ここに物語が生まれる。音に惹きつけられて折があればこれを聞きにいった少女がいた。代沢小に通っていた。当時は、この学校の学区域だった。歌にほだされることはある。彼女は歌のみちをめざし、藤原歌劇団に入ったと聞いている。
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2020年04月26日

下北沢X物語(3991)―朝ドラ「エール」と世田谷代田―

CCI20200426 (2)
(一)朝ドラ「エール」がこの4月から始まった。この余波を受けている。昨日もブログのアクセスが増えた。「エール」スペシャルなどの番組があってその影響らしい。我等のフィールドの世田谷代田に古関裕而は長年居住していた。それで彼については何度も触れてきた。2017年11月19日には、「世田谷代田も朝ドラに加えて」との記事を発信している。古関裕而夫妻の故郷の福島市と豊橋市がオリンピックイヤーの記念となる朝ドラをとの運動を始めた。当地世田谷代田こそは境涯の主舞台だ、運動のことは風聞でたまたま知ったことから「世田谷代田も仲間に入れてよ」とアピールしていた。事前の準備は早くに始まっていて、下調査ではNHKにも協力した。が、放送前に情報は漏らさないでと......が、本放送は始まった。もうヒミツはなくなった。

古関裕而は当地、世田谷代田に昭和六年(1931)から住んだ。その間当地では三箇所に住んだ。そして平成元年(1989)に物故された。その間、58年間を当地で過ごした。当然のことながら地元の人は彼のことを覚えている。このブログでは当地一帯に住まう文化人のことを取り上げてきた。彼に関するエピソードは何度も紹介してきた。

昨年だったろうか、事前調査があって私も局の人と会った。一緒に現地をフィールドワークしたことがある。

「当地での風景に高圧線というのがあります。世田谷代田ではどこでも目につきます。作曲家も常日頃見ていたと思います。ここには音楽関係の人が多く住んでいます。この高圧鉄塔と音楽家には少なからず因縁があります。かつては高圧線下は家は建たなかったのです。それでここを背にして家を建てれば、少々楽器の音がしても人に迷惑にならない、それで家を建てた人もいる。例えばここら辺近辺では大村能章がいい例です......この高圧鉄塔駒沢線は線が12本あります。五線譜二つ分ですね。ここに意味があります......作曲家は常に考えているのはサビですね、明けても暮れても考えている。これと高圧線との関係はまったく無かったとは言えません......鳥がここに留まるわけですね。動物のことですからバラバラッと留まるわけです。これが発想の源になったということもある......とある瞬間五線譜に鳥が来てパラパラッと留まった。『あ、これだ!』、サビのヒントをこれによって獲得した者もいる......古関裕而さんところも二階の窓を開ければもう向こうに高圧線が見えていましたからね」
道々そんな話をしたことを覚えている。

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2020年04月24日

下北沢X物語(3990)―歩きながら文明の行く末を想う2―

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(一)蟄居生活ではやはり散歩がベストだ、歩きでの移動だ、新緑を眺めながら思いに耽る。やはり自力での歩きというのは自然だ。しかし漱石は言う人間「なろう事ならしないで用を足して満足に生きていたいという我儘な料簡」を持つ。これが「怪物のように辣腕な機械力に豹変した」(「現代日本の開化)と言う。人間の欲望が汽車を生んだ。生まれた怪物は人間に顧慮しない、今は目に停まらない速さで駆け抜けていく。歩きながら新幹線を見ているとなんであんなに急ぐのかと思う。それでも汽車が走り始めた当初はこれに物語があった。私は、今鉄道が人々の心に生きていた時代を文学史として編んでいる。汽車が愛されていた時代への強い思いが自分の原動力となっている。汽車が詩であった時代が大好きだ、が、この通史には新幹線は全く入ってこない。

明治、大正、昭和の文学から鉄道場面を選んで通史をまとめる。十数人を選んでいる。このトップにくるのが森鴎外である。それぞれ見出しをつけているが、彼については「車窓にメスを入れた軍医」としている。

この鴎外に関わるニュースが報じられた。見出しは「鴎外ゆかりの宿 閉館へ」とあった。これもコロナ関連のものだ。2020年4月21日(火)朝日新聞夕刊

作家鴎外(1862〜1922年)ゆかりの旅館「水月ホテル鴎外荘」(東京都台東区)が、新型コロナウィルスの影響で五月末に80年の歴史を閉じる。敷地内には鴎外が代表作「舞姫」を執筆した旧邸があり、全国各地からフアンが足を運んだ。

鴎外「舞姫」は日本文学に光彩を放つ重要な作品だ。教科書の定番で高校三年生で習う。この作品、汽車には関わらない。が、冒頭は汽船から始まる。その一文だ。

石炭をば早や積み果てつ。

たった十一文字である。現役教師時代この表現の巧みさに気づかなかった。これも一種文明論の範疇に入るものだ。
「私の乗った汽船はもうすっかり石炭を積載し終えていた。」一読すると出発時のように思える。船に乗って洋行する、さて石炭の搭載も終わり船はこれからいよいよ出航していくはずだ。ところが、これは帰港中のことなのである。ここでの時間のたゆたいが素晴らしいと思う。

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2020年04月23日

下北沢X物語(3989)―歩きながら文明の行く末を想う―

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(一)じわりとコロナが押し寄せてきて日常の風景を変えつつある。散歩は人のいないところを選んで行く。と、ふと住宅街の中に広い駐車場、そこにびっしりと停まっていたのはタクシーだ。ニュースでは聞いていた。新型コロナウイルスの感染拡大で売り上げが激減したタクシー会社が乗務員約六百人を解雇したと。つぶさに現実を見る思いがした。自身調べてきたのは文明に遭遇した日本人だ。当初の衝撃は感嘆や感動に変化していき、これを享受してきた。が、考えもしないことだったが今我々は文明の亀裂に遭遇している。衝撃は強烈だ、が、行く末が見えない。我々はどこへ向かうのだろうか?

新型コロナウイルスの感染が広がりを見せている。対岸の火事と思っていたものが今身近に押し寄せて来ている。切実に思うことは今は病院に行けないことだ。病院はどこもここも感染症対応で追われている。医療崩壊が起きつつある、かかり付け医に薬をもらいに行くことでさえ遠慮されるほどだ。

日々の散歩は欠かさない。が、ここにも変化が起こっている。いつもは遊歩道をよく使う。が、このところ散歩する人、ジョギングする人が多くなった。それで今は住宅街を歩いている。昨日は、深沢城跡から奥沢城跡をたどった。今時城跡探訪者などはいない。静かに散歩ができる。

ところが自宅近くに来て驚いた。とある医院の前に行列ができていた。なぜだか分からない。しかし、こういう場合理由は容易に想像できる。マスクを求めての列に違いないと思った。

自身は散歩するときはマスクはしない。が、今はどこであろうとほとんどの人がマスクをしている。中にはジョギングする人さえつけてもいる。この変化は急速に起こってきた。

当方は荏原地区の真ん中に住んでいる。この地区の感染者数は多い。今朝の新聞による。おもしろいことに段の三段目の横列が荏原になっている。

品川区141 目黒区102 大田区100 世田谷区314

感染者がどこにでもいそうだ。

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2020年04月21日

下北沢X物語(3988)―特急あずさと特攻兵2―

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(一)どんな時でも希望の灯りを点し続けるのは大事だ。鉛筆部隊の田中幸子さん、「特攻兵に足を向けて寝られません」と。ご主人に先立たれたり、癌を患ったりと辛いことがあった。が、少女時代に特攻兵に「お嫁さんになってね」と言われたことが忘れられなかった。これを心の杖に特攻兵慰霊行脚を行ってきた。長生きできたのも今野さんのお陰だと感謝していた。死後に見つかった手紙には、「私の切ない気持ちは今も消えていません。来世は今野さんと過ごしたい」と。私たちは今暗闇を手探りで生きている、暗いニュースばかりで気分も暗い。「黒に交われば黒くなる」、一人で考えていると落ち込んでくる。が、どんなときも希望、希望、希望......

やっぱり「あずさ2号」は素晴らしい。近未来、「8時ちょうどのリニア2号で/私は私はあなたから旅立ちます」と歌われるかもしれない。が、「勝手に行けよ」となるように思う。40分で名古屋に着いてしまう。旅のプロセスがない。「あずさ2号」では、「春まだ浅い信濃路へ」とある、リニアだとまっ暗。トンネルを抜けるときしめんのつゆが匂ってきたでは、恋もへったくれもない。

おもしろいものだ、どんな列車の何号で傷心の私を運ぶのか?新幹線でもだめだ。「8時ちょうどののぞみ号で」も味気ない。とすれば、「あずさ2号」文学論が成り立つのではないか。

朝、8時は早からず遅からずである、さっそうと山の空気を切り裂いてあずさが行くというのは新鮮だ、2号も語呂がいい。何と言っても魅力なのは中央線という線路を走るから魅力がある。

テレビ番組「なんでも鑑定団」に特急「あずさ」の運転士が出演した。
「もちろんそんなことはしてはいけませんが、中央線は目をつぶっていても運転できますよ。」と言っていた。なるほどと思った。線路には固有性があるからだ。

中央線特急は、振り子式電車を用いている。カーブでの通過速度を向上させることで所要時間を短縮させるためだ。中央線は山岳路線である、それでカーブも多い。かつまたトンネルも橋梁もある。地形が変化に富んでいる。当然のことながらそれぞれの箇所を通過するときに音が違う。勾配も手がかりだ、上りと下りでは音の響きが違う。何度も乗り慣れている運転手には走行音でどこを走っているかが分かる。

中央線は起伏に富んでいる。ということは車窓から見える景色がいいということになる。

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2020年04月19日

下北沢X物語(3987)―特急あずさと特攻兵―

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(一)外出自粛、テレビでぼんやりと歌謡ベストテンを見ていた。この中に「あずさ2号」が入っていた。「8時ちょうどのあずさ2号で/私は私はあなたから旅立ちます」、曲を聞いて切なく思った。が、自身にとっての「あずさ」はこれよりも一時間遅れていた。「あずさ9号」だ。「9時ちょうどのあずさ9号で/私は私はあなたに会いに旅立ちます」となる。が、数字が9になると音楽性がだれる。8時発の2号ゆえに愛の賛歌は生きてくるものだと知った。しかし、「あずさ」の思い出は尽きない。ふとしたことがきっかけで長編ノンフィクションを5冊も書いた。このすべてに特急「あずさ」の思い出が染みこんでいる。AZUSAと聞くとそれが次から次に蘇ってくる、とくにはT女への思慕が......

ついこの間の4月5日、鉛筆部隊の田中幸子さんの一周忌だった。
「火葬場に行くときに霊柩車が桜のトンネルを潜ってていくのです。母親も満足したろうと思います」
弔問に伺ったときに息子さんは言っておられた。家族みんなで静かに最期を看取ったとのこと。彼女は疎開中に偶然特攻兵と出会った。今野勝郎軍曹は告白した「生きて帰ったならば自分のお嫁さんになって欲しい」と。が、その彼は昭和20年3月27日に沖縄慶良間列島沖で特攻戦死した。年齢は二十歳だった。

第一作目の『鉛筆部隊と特攻隊』を上梓したのは2012年7月だ。
疎開学童の鉛筆部隊と特攻兵とが浅間温泉で出会って一月ほど一緒に暮らした。双方にとって大きなドラマだった。この事実を知ったのは偶然からだった。

「鉛筆部隊」は、代沢小の疎開学童の一部だ。疎開引率者の柳内達雄先生が受け持った子をこう名づけた。疎開先は浅間温泉千代の湯だ。田中さんはこの鉛筆部隊の一員であった。

特攻隊と疎開学童のふれ合いはニュースとなった。しかし、この話は偶然に分かったことである。『鉛筆部隊と特攻隊』の冒頭書き出しはつぎのように始まる。

あるとき、ネットのブログにコメントが飛び込んできた。遙かな歴史への旅に導いたのはこの言葉だった。「もし御存じでしたら教えてください」に始まる問い掛けである。

鉛筆部隊は再疎開をする。浅間温泉から広丘の寺へと移った。この時に歌っていた学寮歌の歌詞を教えて欲しいという依頼が未知の人から寄せられた。これが発端となって取材を進めた。その過程で当事者である田中幸子さんに行き会った。

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2020年04月18日

下北沢X物語(3986)―怠るな、菌、菌、菌、菌対策―

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(一)コロナウィルスが荏原を攻めている。菌がひたひたと迫ってきているのを感じる。家での蟄居はしているが、どうしても食糧の買い出しは必要だ。スーパーは混んでいる。レジ待ちでの感染が危惧される。買い物をどうするか、これまでの散歩経験が役立つ。地域地域の特性を知って感染しないようにする。最近話題になったのが戸越銀座への密集だ。この商店街は武蔵小山商店街と繋がっている。後者はアーケードの長さ日本一だ。前者も日本一長い商店街だ。ここの特徴は、どこまで行っても吹きさらしだ、イメージがあるように思う。アーケードだと空気が籠もる、吹きさらしだと菌は飛んでいく。安全だと考えたのではないか。物を買うときは「吹きさらし」の店で買う、菌対策の一つだ。

連日、コロナ関係のニュースが流れてくる。言われるのは医療崩壊だ、病院はどこも手一杯で、関係者は疲労の極に達している。こうなってくると他の病気になっても診てくれない。病院には行かないようにしなくてはならない。コロナに感染してもPCR検査までは相当時間が掛かる。罹らないようにしなくてはならない。今は感染源不明の患者が増えている。そこら中に感染者がいると考えるべきだ。

荏原中を散歩している。感染者の数が気になる。今日の新聞には(16日時点)

・世田谷区247名 ・品川区111名 ・目黒区83名 ・大田区79名だ。

やはり荏原一帯は、都内でも感染者が多い。恐らくは都内に勤めていて、居宅が荏原にある人が多いのだろう。大半が市中での感染者である。
都内でも感染者数が多いということでテレビに保坂展人世田谷区長が出てくるようになった。9ヶ月前に区長とは戦争を巡って対談をした。そのときと比べるとだいぶやつれていると思った。今はトップというのはどこもここも大変のようだ。

町中での緊張が薄いとも言われているが、多くの人が不安に思っている。散歩をしているが擦れ違う人のほとんどがマスクをしている。が、このマスクはどこ行ってもない。ところが最近、雑貨店などで目にするようになった「マスクあります」と。これは手作りだ。

一昨日、御嶽山に行ったら「マスク入荷」という看板。店にはマスクの山があった。
ばら売りはしないとのこと。箱売りで5000円だった。一枚200円だった。

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2020年04月16日

下北沢X物語(3985)―世の中に希望の灯りを点そう2―

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(一)距離を取れ!というのが合いことばだ。感染しないようにする。そのために社会的距離、ソーシャル・ディスタンスを取れ!ふれ合うことによって社会は形成されたきたがこれを遮断せねばならなくなった。人に近づくなだ。十数年間、続けてきたのは聞き取りだ、その数何千人にも及ぶ、これができなくなった。人がいてこそ発見があるということを痛切に知ったことだ。人は幽閉されると心も閉じてしまう。どう夢を見るのか、希望を見つけ出すのか。精神の閉塞状況からどう抜け出すのか?その手法の一つとして「犬を飼え」というのがあったが、妙に納得することであった。

「犬を飼うべきだと思います......毎朝瞑想するのもいいでしょう。犬を飼うのも良い考えです。犬はいいですよ。気が紛れます。一緒にいると気が落ち着きます。ばかばかしいと思うかもしれませんが実効性があります。いつもと違うことをする必要があります。人間性を失ってはいけません。」
先だってテレビを見た。「緊急対談 パンデミックが変える世界 〜海外の知性が語る展望〜」(ETV特集)というタイトルだ。この中で国際政治学者のイアン・ブレマーが言った。

「いいかもしれない」と思った。
「緊急事態宣言」が出て町中に変化が生じている。その中に「犬」はあった。日々散歩していて犬を連れた人には会う。ところが宣言以降、目を瞠ったのはそこからここから犬が湧くように現れたことだ。これを見て推理したのは犬を連れていれば外出の口実となるからということだ。加えてこの学者の発言でなるほどと思った。その意を汲み取って四点にまとめてみた。

・犬にはソーシャル・ディスタンスが必要ない。
・犬は人なつっこい、笑い顔で尻尾を振ってやってくるとたちどころに気が紛れる。
・犬の毛をなでるとふさふさしていて気持ちよい。他者を手で感じとることができる。
・犬がいるだけで孤独感が希薄なる。


犬は希望である。が、犬とは限らない猫でもいい。この頃は犬のロボットもよく飼われている。
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2020年04月15日

下北沢X物語(3984)―世の中に希望の灯りを点そう―

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(一)希望の対義語は絶望だ、が、意味合いが根本的に異なる。前者には未来への繋がりがあるが後者にはない。一縷の望みという言い方がある、人は細い糸であっても繋がっていれば希望を持つことができる。ビクトル・ユーゴーの諺に、「友よ、逆境にあっては、常にこう叫ばねばならない。『希望、希望、また希望』と」そうなのだ我々はともしびをかざして前へ歩いていくことが必要だ。ところが、私たちの社会には不安が渦巻いている。言えば否定語・批判語に満ちている、こういう語ばかり目にしていると鬱に染まってしまう。心は張りを失い免疫力も低下する。今、必要なのは灯火だ。希望である。その物語を今日は紹介するとしよう。

緊急事態宣言が出された。散歩や買い物には行くが電車やバスに乗って出掛けることはない。人と会うこともない。この生活を続けて気づいたのは、時間観念が希薄になっていることだ。三日前に何をして何を食べたか、この記憶すらも危うい。

言葉というのは記憶を繋ぐものだ、希望を保持するアィテムでもある。日々の記録が大切だ。この4月から記録することにした。ウィルスに感染した場合、過去の行動が問われる。感染の危機はもう誰にでもある。日々の行動記録は今や大切だ。

記録を始めて二週間あまり、ここから情報が読み取れる。

・雨の日はスーパーが空いている。が、雨の翌日は大混雑する(昨日)

外出を控えるようにとのことだが買い物は欠かせない。が、三密は避けろというが結構混み合っている。この頃スーパーのレジをビニールシートで覆い始めた。

三密を回避せよ、マスクを着用せよ、手を洗えと言う。が、最近気づいたのはこれの大元になる理由が伝えられていないのではないか。

新型コロナウイルスの感染者が都内でもどんどん増えている。とくに感染経路の分からない人が増えている。市中感染する危険性が高まった。

〇元気な感染者が普通に町中にいて生活を送っています。そういう人と接触して感染してしまうのです。どこにでもここにでも感染者がいます。だから気をつけなくてはならないのです。続きを読む

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2020年04月13日

下北沢X物語(3983)―汽車&ダイダラボッチ2―

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(一)戦争が始まったときの感覚はトタン屋根に小石がばらまかれたようだったという。が、気づいて見ると空にはB29の大群が押し寄せ、家々には雨あられと焼夷弾が降ってきた。死の恐怖を痛切に思った。現今コロナも似たような経過をたどっている。安閑としていたが今肌身にウイルスの脅威が迫ってきた。無症状の保菌者が知らずにウィルスを市中にばらまいているようだ。どこで感染するか分からなくなってきた。異常事態だ。コロナは我々が築いてきた価値観を根底から覆してしまった。ひたひたとウィルスは押し寄せてくる。新聞を見ていて、「コロナの思うツボ」とあった。コロナは意志をもって我々を攻めてきているのか。「東京は油断している、とくに旧郡の荏原はのんきだ、ここが攻撃の狙い目だ」と作戦司令部のコロキン将軍は部下のウイルス大隊に伝えたのか、と妄想した。

文明の親玉は汽車である。明治5年(1872)5月7日に品川駅 - 横浜駅間が仮開業した。大勢の見物人がやってきた。初めて目にする機関車を見て「火龍だ」と叫び人は蜘蛛の子を散らすように逃げたという。文明との出会いだ。が、初めてではなかった。

文久3年(1863)2月29日に黒船12隻が現れて江戸湾を回遊し示威行為を行った。
「たまげたよ、玉が縮こまるくらいだ、ずらっと並んだ黒船が、黒い煙を吐きながら沖合を通っていくんだからな、あれはな、大砲を積んでいるんだよ。全部がぶっ放せば、江戸っ子もイチコロよ」

江戸は大変な騒ぎとなった。戦争必死、それで江戸の商人は即座に荷車を仕立ててこれにありったけの財産を載せて、この荏原へ車を走らせ、蔵を持った地主の家々に運んだ。
「いやね、びっくりだよ。箪笥長持ちがまだ開いておっての、着物の柄がうつくしいのだ。目の覚めるようだった。お女中の腰巻きの色はさえておってなどきどきしたほどだ」
下馬引澤のとある農民が目撃談をこう語った。

黒船との遭遇、そして岡蒸気との遭遇、あれからたかだか156年ほどしか経っていない。文明は瞬く間に進歩発展し、今では、AIが普及し、これが人の代わりをする。人間が不要になってくる時代が巡ってくるとも。

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2020年04月12日

下北沢X物語(3982)―汽車&ダイダラボッチ―

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(一)一つが際立つことによってその対立軸が鮮明になってくる。今、文明が大逆境に立ち至っている。コロナ禍によってこれに亀裂が走っている。普段であれば文明の対義語を考えることはない。しかし考えられもしない事態に至って、「対義語は何か?」と思った。調べると「野蛮」と出てくる。「教養がなく、粗野で乱暴な」のは文明ではないか?やみくもに開発をし、自然を破壊してきた。コロナウィルスも文明による開発の結果野生動物が生息地を失い、動物が持つ病原体に人が曝されるようになったと。文明の対義語は野蛮では決してない。とすれば何か、思ったことは文化である。文化は精神的所産、教養と言い換えることもできる。ここから空想的に考えた。文明の親玉は汽車である。では、文化の親玉は何か、これはダイダラボッチだ。

私たちはどこからきてどこへ行こうとしているのか、分からない。が、我々は機械文明に導かれて旅をしていることは間違いない。芥川竜之介は、自殺直前に書いたエッセイにこう書いている。「我々は子供と大人とを問はず、我々の自由に突進したい欲望を持ち、その欲望を持つ所におのづから自由を失つてゐる」(『機関車を見ながら』)と。その欲望は、「金銭であり、或は又名誉であり、最後に或は女人によにんであらう」という。金銭欲、名誉欲、性欲が機関車を走らせている。しかし、怖いことにこの機関車に運転手は乗っていない。私たちは牽引する機関車に誰かが乗っていると思っている。それで列車に乗って呑めや歌えと騒いでいる......エミール・ゾラの『獣人』が思い起こされる。

文明論、文化論、たどっていくと話が迂遠になる。身近な話にもどそう。
東京には「非常事態宣言」が出ている。不要不急の外出は控えろとのことだ。が、近隣の公園や緑道を息抜きのため散歩することまでは禁じられていない。で、自身人のいないところを選んで散歩を続けている。

気づいたことは、散歩やジョギングする人が増えたことだ。もう一つ犬が街から湧いて現れた。ふだんでも犬の散歩をさせる人は多い。が、宣言が出た後は急に増えた。
一人でふらふらするのは憚られる。犬を連れていれば外に出る口実になる、そんな意識が働いているように思う。

私は、つい二三日前、野沢の鶴ヶ久保公園へ行った。二月の町歩きで来たところだ。そのときは工事中ということで入れなかった。先月半ばに工事は終わり、改修は完成していた。重機が入ってはいたがとくにこれによって地形に変化が生じたわけではなかった。全体は元のままであった。

ここは何か、文明の対義語は文化だ、その親玉であるダイダラボッチの痕跡だ。

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2020年04月10日

下北沢X物語(3981)―子どもたちよ、言葉と友だちになろう4―

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(一)みなさん、学校が休校になってどう過ごしていますか。今まで経験したことない時間ですね。家にいるとなかなか時間は過ぎていきませんね。それはすることがなくて、時間をもてあましているからです。でもね、キミらは自由に遊べる世界を持っています。それは想像力です、これはとてつもなく広いものです。どこへでもいける、宇宙だって、深海だって、世界の果てだって行くことができます。想像力、これがあるから人間は進歩発展してきました。しかし想像するには材料がなくてはいけません。その材料が言葉なのです。一つ例を取りましょう、「子」ですね、これは赤ちゃんが手を横に広げた様子を描いた象形文字です。これを知ると不思議、字からオギャーという泣き声が聞こえてきませんか。

よく知られている物語のはじめです。

「ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指さしながら、みんなに問いをかけました。
カムパネルラが手をあげました。それから四、五人手をあげました。


知っているでしょう、「銀河鉄道の夜」ですね。先生の言葉から始まります。どうやら理科の授業のようですね、「川」が出て来ますね、「乳のながれたあと」とか、「ぼんやりと白いもの」、ここまで来ると想像がつきますね。天ノ川、銀河の話ですね。

この後、旅が始まるのですね、カンパネルラとジョバンニが銀河を駆け抜ける鉄道に乗って旅をしますね。どきどきしてきません?

みなさん、知っていました。この銀河鉄道は、線路の上を走っているのですよ。だから音も立てるのです。あの正体不明のセロがこういっていますね。

「ここの汽車は、スティームや電気でうごいていない。ただうごくようにきまっているからうごいているのだ。ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音をたてる汽車にばかりなれているためなのだ」

カンパネルラとジョバンニはこの汽車に乗って旅をしていました。床下から聞こえてくるのは「ごとごと」という音、けれどもセロはたまたまそう聞こえるに過ぎないんだと。汽車はごとごとと音を立てるから「ごとごと」と聞こえるのだと。

たまたまそう聞こえるに過ぎないと。では、どんな音がしたのでしょう。これも想像する楽しみです。銀河鉄道は果たしてどんな音を立てていたか?

「銀河鉄道の夜」は、想像の話なのです。これを読むときは銀河に敷かれた鉄道を思い描いてこれを読んでいるのです。人間の想像力を最大限に利用したこの物語、すばらしいでしょう。
君たちも深海鉄道、月鉄道、マゼラン鉄道を走らせてみるといいよ。あ、そうそう私が大好きな鉄道は、「映画劇『ベーリング鉄道』序詞」、これも宮沢賢治の作品です。

(二)
言葉は想像力を刺激するものです。言葉を通して想像を楽しむのはいいですね。言葉の物語です。

おおむかしのことです。海岸に人々が集まってきました。すると水平線の向こうに日が昇ってきました。みんな感動して手を合わせました。しかし、文字がない時代でした。それでもこの感動を家に帰ってなんとか伝えたいと思いました。人々は今みた光景を字で表そうと相談しました。一人が長い線を引きました。『あうんあうん』といって他のひとも賛成しました。するともう一人が線の上に丸を書きました。これも『あうんあうん』といってうなずきました。『字がでけた』とよろこびました。ところが一人が、『おわんおわん』と言って反対しました。どうしてと聞いたら彼は、棒で〇の真ん中を突き刺して穴をあけました。『ほうほう、あうんあうん』と皆感心しました。何と彼は太陽の黒点を書いたのです。こうして『旦』という字はできたのです。つまり水平線上に昇ってきた太陽を表す語ができたのです。

言葉はとてもおもしろいものです。一つ一つの言葉を通して、想像するのです。材料はいくらでも転がっています。

言葉というものは人の想像を刺激するものなのです。君たちも、自分で言葉を書いてみてください。キミの隣りにいるミケだっていい。そうするとまずミケと書く。

ミケ これに「は」をつけます。すると「ミケは」となる。これでは落ち着きません。おもしろくします。よし、「ミケは地中鉄道に乗ってネズミのちょびたを引っ捕らえにいきました」
とか、おもしろくしちゃうんだ。あとは思いつくまままに。
ニャアといってミケは、ハンドルを回しました。すると靴の空箱でできたトロッコはネズミの穴をどんどん走っていきます。
「あっ、ちょびただ!」

こうして自由に想像を巡らせていくのです。大事なことは、人がおもしろがるだろうことを書くのです。

(三)
もう一つ、最後に提案します。みなさん、日記を書きましょう。わたしは、戦時中に疎開していた学童の日記や手紙を数多くみてきました。学童たちは書き続けることによって大きく成長しました。

・ものごとをまとめる力がしっかりとついてきました。
・言葉の組み立てがしっかりできるようになりました。
・字の書き方がとてもうまくなりました。
(言葉は伝わらないと意味がありません。上手でなくてもよい。字を丁寧にかくことです)

君たち、時間がありますね。これからは日々日記を書くようにしよう。

朝何時に起きて、ご飯を食べ......という一日に行ったことを並べる書き方はやめましょう。その日に起こったことで印象に残ったことを三つか四つにまとめるようにしよう。
この訓練をずっと続けると書き方がうまくなってきます。

・表現力がつく
・言葉が豊かになる
・ものしりになる。

みなさん、今日から日記をぜひしっかりと書くようにしてください。 書いた日記はキミの言葉の財産となります。

(写真は九品仏の新緑、近影)

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2020年04月09日

下北沢X物語(3980)―子どもたちよ、言葉と友だちになろう3―

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みなさん、お元気ですか。休校がまた長く続くことになりましたね。もう退屈でたまらないという人も多いでしょう。でもね、よくいうでしょう、ピンチはチャンスだと。せっかくの機会です。あたえられた時間は大切に使いましょう。そこで私は、みなさんに書くことをすすめたいと思います。どしどし書くのです、これが不思議、書いて書いて書きまくると自然に頭の働きがよくなります。この際、言葉と友だちになることです。時間はいっぱいあるでしょう。詩を書いたり、日記を書いたり、手紙を書いたり、いろんなことができますね。大切なことは言葉を書いておもしろがることです。そこでみなさんに三つお伝えしましょう。

まず一つ目、言葉は世界を知るための大切な道具

あのね、頭の中の世界というのはよく分からないでしょう。どれくらい深くて広いか。本当はね、とんでもなく広いのです。宇宙と同じくらいね。
この世界は暗いのでしょうか?いいえそうではありません、田舎に行ったときに夜、空を見上げると恐ろしいほどの星が見えますね。頭の中は星空世界のようなものなのです。一つ一つの星が言葉だと考えてください。みなさんはここから言葉を取り出して用を足します。

もの心がつくという言い方がありますね、「小さいころを過ぎて、世の中のいろいろなことがなんとなくわかりはじめる」という意味ですね、君たちも、ものごころがつくようになって色々なことを知ったでしょう。分からなかったことがだんだんに分かってきて今にいるのですね。ここで大事なのは言葉ですね、新しい言葉を知っていくと自分の世界が広がっていきます。言葉は世界の窓、新しく手にいれた一つ一つの言葉を通して君たちは世界を知りつつあるのです。言葉は世界を知るための手がかりなのです。

一つお話をしましょう。パラグライダーでアルプス山脈を縦走するレースがあります。
パラグライダーで風を掴み、オーストリアからモナコまで、ヨーロッパアルプス1200kmを越えてゆく大会です。これをテレビで見て感心したことがあります。王者と言われた人が居ましたが、おもしろいことをしていました。

パラグライダーは高いところを飛びますから皆手袋をしていますね。
空を飛んでいるとつい大事なことを忘れてしまうそうです。それでいつも手袋の指に言葉を書いておくのです例えば『風の向きに注意』とか。
やっぱりどんなベテランでもものごとをしているときは忘れるのですね。だから大事なことは言葉に書いていつも見えるようにしておくのです。

二つ目、目標を持つにはしっかりとこれを言葉に書き表すこと。

私たちの頭の中は際限なく広いのですね。とりとめがないのです。だから何かをしようとするときは紙に言葉を書いてよく部屋に張ったりしますね。

国語をがんばる。 算数の分数!。 朗読では声を大きくとか

自分が目標とすることを言葉に書いて掲げることはとても大事です。

人間はとてもルーズにできています。ほら、学校行っているときは、時間どおりにものごとをやるでしょう。ところが休みになると生活がいい加減になりますね。だからそうならないようにしっかりと自分なりの計画を立てることが大事なのです。何もないとついついゲームに耽って、これで一日中過ごしてしまうことだってありますね。

長い休みとなりますが、この期間何をするか。計画をノートに書いたり、また紙に書いて壁に貼ったりすることも大事ですね。

自分がこれからどうしていくか?とても難しい問題です。でもしっかりと目標を持った人は、言葉をうまく用いています。

とくにスポーツの場合はそうですね。多くの指導者が、向上心というのは大切だ、しかし、明日ばかりみつめていても始まらない、大事なのは昨日だ、自分が何をこれまでしてきたかそれを見つめることだ。そのためには記録を取りなさいというそうです。

「その場合には、いいところと、わるいところの両方を書くのです。一週間経って、それを見なおしてみる、そうすると自分の欠点が見えてきます。よいところは自分の得意につながりますからそれは大事にします。悪いところはなぜ悪いかを考えます。ここが重要です。これがよくなれば必ず技がうまくなったり、記録も伸びます......」

三つ目、漢字は手で書いて頭に覚えさせる。

言葉に慣れることはとても大事なことです。
そのためには言葉に書き慣れることです。漢字は尖っていたり、はねていたり、みな一つ一つ違いますね。これはやはり見て覚えるのではなくて書いて覚えることです。パソコンなどではなく自分の指を使って書くことが大事です。

指で書くと信号が脳に伝わります。繰り返し書くと手と脳とをつなげている線が太くなるのです。通りがよくなるのです。つまりは頭がよくなるのです。

文字言葉はこれは形なのです、形を繰り返し書いて覚えることでこれが自分のものになってくるのです。例えば「延長」の「延」は覚えにくいでしょう。そのためには繰り返して目と手に覚えさせるのです。

文字言葉を覚えるにはひたすら書いて「目」と「手」に覚えさせるのです。言葉の形を繰り返し書いて、これを頭に貯金するのです。貯まったその言葉は必ず役に立つのです。


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2020年04月07日

下北沢X物語(3979)―随想的文明論2―

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(一)新型コロナウィルスの蔓延で全く新しい事態に遭遇している。情報が飛びかう。この際、等しく皆に伝わってこそこれにも意味がある。が、なぜか新語や片仮名語が飛びかう。言葉の基本は日々使っている日本語が基準であるべきだ。ところが皆、社会全体が外来語に靡いている。もう散歩は何十年と続けている、そんな中で目につくのは、建物名である。みな外来語だ、ときに梅花荘とかに出会うと感動してしまう。が、ボロいアパートにメゾンとかの名がついていることもある。社会は極力日本語を避けようとしている。専門家が記者会見する、クラスター、オーバーシュート、ロックダウンと続いて、スティ・ホームと来る。我々はどこの国に住んでいるのだと思いたくなる。

この頃よく耳にするのが「エビデンス」である。何か、新しいエビチリ料理かと思うがそうではない、根拠という意味だ、平たく言えばいいものを外来語に託していう。

このところ頻繁に耳にするのが、オーバーシュートだ、都市での感染が増えている、これが爆発的に一気に進行する様を言うらしい。これも感染爆発と言い換えれば、爺さんにも婆さんにも分かる。識者たるもの外来語に言い換えて話すことがかっこいいと考えているらしい。

もう何十年と散歩していて気づくのは、漢字名のアパートが激減し外来語化していることだ。目につくのは、アパート名としての「ハイツ」である。高台や丘を意味するが場所に関係なくつけられている。かつての湿地帯でも右に倣えということで「ハイツ」や「コーポ」や「メゾン」などとつけられている。

アパートやマンションの外来語化は、東京一極集中が影響しているように思う。地方から上京してきた学生などが入居する場合、「桜荘」ではださい。入居する方も人に伝えてちょっぴりかっこいい方がいい。「桜荘」よりも「ハイツ」の方を選ぶだろう。

調べるとアパート名の付け方というノウハウがあった。代表事例として

・明るく・さわやか
・古臭くない
・英語よりフランス語やイタリア語の語感のほうがうける

外来語に走るわけである。関係者、とくに親が人に伝える場合の体裁というのはある。
「うちの息子は東京の世田谷のアパート〇〇メゾンに住んでいるの」
アパートの命名には西欧名がよい、文明へ夢、その揺曳でもある。

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2020年04月06日

下北沢X物語(3978)―随想的文明論―

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(一)長く生きていて印象に残る衝撃がある、初の日米宇宙中継と大統領暗殺、月面着陸、木星への隕石衝突、東日本大震災などがある。が、今起こっていることは映像ではなく現実に起こっている。かつて見た事の無い風景が至るところで見られる。電車に乗るとほとんどがマスクをしている。街中に人がいない。急行に乗っても乗客がいない。加えて感染経路不明の罹病者が多く発見されてきている。誰が保菌者なのか分からなくなって不安が増幅している。情報は世界的規模で伝わり、テレビでは病院に溢れる患者、棺桶を巨大な穴につぎつぎに放り込む様がリアルに映し出される。飛ばなくなった飛行機が空港に、まるで玩具を並べたように置かれている。私たちは今歴史の裂け目に遭遇している。

自身は、人が初めて文明に遭遇したときどんな反応を示したかを調べている。その文明の親玉は汽車である。とくにはこれが文学においてどのように表現されてきたかを追っている。文学における汽車の受容史である。

汽車は物体だ、これは目に見える。が、菌は目に見えない。いずれも出現時に人々は恐怖した。

明治時代、全く見たこともない物体に遭遇した。黒い煙を吐いて素早く走るものである。汽車である。初めて人々が汽車に出会ったとき人々は驚嘆した。火龍と呼んだ、これに出会ったとき人は腰を抜かしたり、立ち竦んだりした。

ところが出現したものは分かってみると便利なものであった。汽車は、行き来の利便性を飛躍的に向上させた。英国の詩人ウィリアム・ワーズワース(1770〜1850)こう謳っている。

「移動」と「利便」よ、なんじらは、いま陸で海で
古来の詩情と衝突しているが、そのことで
公正な詩人が間違った判断をすることがないだろう。


標題は、「汽船、高架橋、鉄道」である。「移動」や「利便」は、文明が産み出したこれら機械のことを指す。詩人は人間が創り出した文明の勝利を宣言している。この後に彼は、「自然は、人間の技術の嫡子を抱擁している」と言い切る。

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2020年04月04日

下北沢X物語(3977)―コロナ禍と世界の深淵―

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(一)今日は4月4日、75年前世田谷代田西の丸荘の近くに時限爆弾が落ちた。「五秒、十秒、一分、二分、五分、私は息を殺して次の爆発を待っている」(『東京空襲』)どれほどの恐怖だったろうか?が、2020年のこの日、「ステイ・アット・ホーム」とのことで家でウィルスに怯えながら暮らしている。時限爆弾は破裂する、が、ウィルスは破裂せずにはびこる。際限のない不安はうち続く、絶えてなかった歴史を日々我々は経験している。アット・ホームでもベタベタしてはいけない。距離を取って接する、姦しくするのも嬲るのもいけない。離れろだ、裸の男女が背中を付き合わせている「Kappa」のロゴも、「V」と「W」のフォルクスワーゲンのロゴも離されてしまった。とんでもない異変が起こっている。

接触はするな、会話はするな。絶えてなかったことだ。
ユダヤ人捕虜収容所ではいずれはガス室に送られて死ぬ、それでも集まっては各自がユーモアを披露して生き延びた。有名な話だ、人はふれ合ってこそ希望が持てる。が、新型コロナウイルスはそういう人の根本まで破壊しようとしている。

今、私たちは、遮断されたところでつましく暮らすようにと言われている。テレビでも見てのんびり過ごせと。しかし、テレビを見ても、極端だ、おふざけ娯楽番組か、コロナ関係番組か、両極端だ、しかも後者で出てくる人の発言が、どうもヒステリックになってきたように思う。それをしないと世界終末が巡ってくるような言い方をする人もいる。

現代文明の一つの柱に、デモクラシーによる政治制度がある。いわゆる民主主義である。どうもこれが機能していないように思う。新聞報道やテレビ報道を見ていて思うのは、本当は一丸になってコロナ感染症を撲滅しなくてはならないのだが、お互いがお互いをけなし合っている。民主主義は話し合うことではなくけなし合うことなのか?

とくに週刊誌などは過激を競っている、売らんかながどぎつすぎて見出しを見るのも嫌になってくる。一昨日だったか、女性週刊誌の見出しに「60才以上は家から出してはいけない!」とあった。老齢者が外に出て散歩したり、畑仕事したりして、何十万人、いや百万人もいるかもしれない。この人たちが助かっていることを知らないで言っている。

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2020年04月03日

下北沢X物語(3976)―人はなぜさすらいの旅に出るのか―

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(一)人混みを避けて毎日近隣の遊歩道や公園を散策している。春が萌え始めた今、花々が、そして新緑が刻々と色合いを変えていく。それらを眺めながら行くと鬱屈した思いはたちまちに消えて行く。かつては自転車派だった、夢中になって乗っていた。自転車は走っているときには感じないが、停まれば荷物である、どこに置こうか、置くとこんどは盗まれないかと心配になる。今は歩きに徹している。歩きだと身体一つだ、そこが素晴らしい。自転車だと景色が縞模様になって飛んでいく。が、歩きの一歩一歩は一頁一頁だ。一歩毎に景色が変わっていく。歩きでは景色をめくっていく楽しさがある。数十分の歩きだって、旅なのである。三木清は言う、「旅はつねに遠くて同時につねに近いものである。」と。

昨日、九品仏川遊歩道で小さな子と擦れ違った、瞬間目が合った。通り過ぎてしばらくすると後ろで声がする。ふり返るとその子が「バイバイ」と言っていた。こちらは思いっきり手を振って「バイバイ」を返した。お母さんは笑って見ていた。

散歩はドラマだ、一昨日は駒沢大学の裏手を歩いていた。「うん、私も楽しみしていたんですけどね集まって騒ぐと感染するでしょう」擦れ違った男性が携帯で話をしていた。小耳に挟んだワンフレーズですべてが分かった。夜の街での飲み会、それを止めることになったようだ。

「お父さん、毎日テレビ番をしていちゃいけないんだよ。ほらこうやって外に出れば、桜だって見られるし......」
擦れ違った老夫婦、奥さんが言っていた。

お父さんが家に籠もってテレビ番をする。ごく一般であるようだ。熊本地震で被害に遭った人の奥さんが言っていた。親父さんは仮設住宅に住み始めてから家から出なくなってやはりテレビ番をしていると。

全国的に男子の引きこもりは多い。
「驚きですよね、気づいてみたら私は、カップ麺の『C』という文字をずっとみつめていたんですね。何と十一年も経っていました......」

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2020年04月01日

下北沢X物語(3975)―子どもの未来と文明―

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(一)子どもの表情は大人の心を映し出す。外出自粛が求められた土日、次の日の月曜日公園、緑道には保育園児が湧くように現れた。共通しているのは明るいことだ。スキップをしたり、また友だちをキャアキャア言いながら追っかけたり。束縛から解放された明るさがあった。土日は親と密に過ごしたようだ。しかし、親は親でストレスを抱えている、子育て、仕事などコロナウイルスの蔓延に伴う明日の不安がある。テレワークは聞こえがいいが家庭での密着した生活を余儀なくさせられる。これが却ってストレスを生み、父親によるDVが起こっているともいう。月曜日親との濃密な時間が終わりやっと保育園に行けた。子どもらは羽を伸ばす思いだったようだ。彼等の明るさは親の心の不安を映している。今、社会には暗雲が満ちている。が、明るい材料も皆無ではない。文明に対しては深く懐疑的になっているが、一つだけ、「ほぉ」と感心する事例があった。

外出自粛が出ているが、散歩を禁止するものではない。いつも通り毎日散歩は欠かさない。歩いて町を常に観察している。週末の休みの日、目についたのはワンちゃんだ。いつも見かけはするがことに多かった。あっちからは大型犬、こっちからは小型犬。外出自粛というのは心理的な圧迫を生じさせる。犬を連れて外に出れば体裁は保てる、飼い主はそう思って犬を連れ出したのではないか?

月曜日、買い物帰りの人と擦れ違った。いつもと違って荷物が多い。スーパーの混雑は一段落した。平常に復したようだ。それでもいつも入っていた広告が出されなくなった。買い物需要は衰えていないことが分かる。

トイレットペーパーを抱えた人と何人も擦れ違った。無くなることが不安でやはり買い置きするのだろうか

まだ桜は咲いている。呑川べり、川面に桜が垂れている。
「ほら、桜が咲いているよ。見てごらん、きれいだよ」
保育園児を連れた保育士さんが子どもに呼び掛ける。が、子どもの反応は鈍い。
犬と子どもは桜を観賞しない、世の定理だ。

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