代々木
代々木(よよぎ)とは、行政区分の上では渋谷区であるが東京都庁のある新宿に隣接する地域。JR 代々木駅は代々木公園や代々木八幡や代々木上原といった地域からは若干距離がある。むしろ代々木駅は新宿駅に近すぎるほど近く、新宿駅南口から徒歩10分弱で代々木駅へ行ける。ちなみに「代々木の三色旗(トリコロール)」とは「共産党の赤」「浪人生の灰」「アニオタ専門学校の黒」の三色を表し、この町のトレード・カラーになっている。
赤い代々木[編集 ]
日本共産党の誕生[編集 ]
「代々木」と言えば共産党のことを指す。昭和初年の1920年代から1930年代にかけて非合法の時代に地下組織として誕生したのが日本共産党である。レーニンによる党の指導性を基礎として、ソ連仕込みの徹底的なプロパガンダ闘争を展開し、泣く子も黙る粛清とリンチを繰り広げたのもこの時期である。「改造」での懸賞論文をめぐって、後の大評論家となる若き日の小林秀雄をこてんぱんにしたのが、党の顔役ともなる宮本顕治であるが、文学青年であった彼が、共産党の非転向のエースとなったのも、この時期のリンチ事件を唱導して性格が変わったからだという説もある。宮本顕治は共産党に入るまでは、『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』などのメルヘンに入れ込んでいた優しい男であり、「雨ニモ負ケズ」の詩をを口ずさむ農村特有の朴訥さの残る青年で、デクノボーと呼ばれても不思議ではなかったのに、何が彼を変えたのであろうか、謎だらけである。
赤に染められた街[編集 ]
それはともかく共産党関係者は、良家の子女を左傾化させ、脳味噌を赤ダシ味噌のように真っ赤な色に染め上げることから人々に恐れられ、「アカ」は共産党とその関係者を揶揄する言葉として用いられるようになったのである。しかしこの偏見を越えて、第二次世界大戦後の昭和20年代は、政治犯として収容されていた関係者が釈放されることとなり、共産党は黄金時代を迎えたのである。代々木のみならず国電中央線沿線は真っ赤に染め上げられ、その赤い波にマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東の顔が並び、「赤にあらざれば人にあらず」と言った空気に覆われていたのである。この地ではポストや信号のランプが赤いばかりでなく、電信柱も道路もみな赤く染め上げられていた。赤だらけでは視神経を苛立たせるというクレームがつき、自動車を運転する人々が目を血ばらせて危険だという意見も出たので、部分的にショッキングピンクを代用して事なきを得たらしい。
代々木におけるサヨク同士の戦い[編集 ]
しかし昭和30〜40年代に入ると、スターリン批判や中ソ論争で共産党の党の指導性に疑問が投げかけられるようになり、共産党から分派したサヨク運動にも様々な潮流が生まれ始めた。おそらく「代々木」と言う名で特別な感情を抱くのは、今を去ること40年前、学生運動で暴れまわった団塊世代を中心とする50~60代の中高年層であろう。彼ら全共闘の学生運動の担い手やシンパ (死語)にとって、同じ反体制左翼運動の旗印でありながら、代々木に本拠地のある共産党は、いわば宿命のライバルにあった。当時、共産党は学生運動の手合いからは「日共」と呼ばれ、議会制民主主義なんて甘っちょろいものに乗っかった反動的なグループにしか見えなかったようである。だから学生運動と共産党青年部がトラブルを起こすや、代々木を舞台に丁々発止と殴ったり、蹴ったり、押し潰したりしたことも日常茶飯であった。そしてまたもやこの乱闘の中でこの街は血しぶきによって真っ赤に染まったのである。
21世紀を迎えた共産党[編集 ]
しかし今日、学生運動の方が、転向してしまい、ほとんど社会の歯車になって、埋没して消え去った一方で、「鉄の規律」を持つ共産党は、尚不死鳥の如く勢力を保っている。共産党本部の周りには、共産党の候補者のポスターが何枚も重なって貼られている。特に共産党委員長である志位和夫氏のポスターは、人々に愛されるようそれとなくウィンクしていたり、はにかんだり、セクシャルな演出をされているらしく、ポスターの評判は上々であり、マニア垂涎のお宝になるらしい。もしかすると志位さんのイメージ戦略は、2ちゃんねるキャラの「しぃちゃん」に想を得ているとの噂もあるらしい。一部に志位さんが飲み会の余興で猫耳をつけた超レアもののナマ写真があるそうだが、アンサイクロペディアでは確認されていない。ちなみに志位さんのポスターのみならず、共産党所属の議員のポスターの写真の鼻の部分に画鋲(がびょう)を刺す大バカがいるようだが、志位さんのポスターだけは例外で、鼻に画鋲が刺してあると可愛らしい志位さんの顔がますますキュートに見えると、今や2chねらーのみならず女子高生・女子中学生にも大うけだそうである。
勿論言うまでもなく近所のポストには、「しんぶん赤旗」が例外なく投函されており、朝日新聞はともかくとして、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、東京スポーツを見ることはまずありえない。それと聖教新聞を、ギャグであってさえ、とっている家はまず皆無だろう。そして町全体が共産党を守るように、八百屋から魚屋からスーパー、医者、弁護士その他どんな家屋も、共産党本部に向けられて建てられており、耳を澄ませば、誰が警官にチクったとか、どこのどいつが転向しそうだとか、志位たんハァ・・・ハァ・・・・、といった台詞が聞こえてくる。そういった真っ赤な共産党支持者たちが集まる中で、「アヲハタ」のブルーベリージャムを食べるのはなんとなく気がひけるものである。
創価・信濃町との仁義なき戦い[編集 ]
ちなみに創価学会グループと日本共産党が犬猿の仲であることはよく知られている。共産党関係者の建物には創価学会系の盗聴器が、創価学会関係の建物には共産党系の盗聴器が、それぞれタコ足配線のように仕掛けられているという噂があるのですが、どうなのでしょう。なにせ配線がタコ足ですから「日本共産党秘密幹部会」のテープを聴いてみたら「創価学会青年部座談会」が聞こえたなんてことも有るとか無いとか。特にJR 中央・総武線の代々木 駅(日本共産党)-千駄ヶ谷駅-信濃町 駅(創価学会)の区間ではこの二つの勢力がヤクザ真っ青な抗争を続けているらしいから、巻き込まれて死なないように注意しよう。
ちなみに千駄ヶ谷は停戦監視委員会により、非武装中立地帯に指定されている。しかしながら千駄ヶ谷に君臨している将棋連盟は赤旗とともに公式棋戦の新人王戦を主催しており、千駄ヶ谷の中立的地位がおびやかされている。
殺されたくなかったら快速を使って新宿 -(代々木)-(千駄ヶ谷)-(信濃町)-四ツ谷 と飛ばしてしまおう。
灰色の代々木[編集 ]
しかし大学進学率が軒並み上昇した今日にあっては、「代々木」といえばやはり「ゼミナール」であろう。代々木ゼミナール(代ゼミ)が、その名を冠したのは1959年(昭和34年)のことである。戦後日本の復興も一段落し、多くの父兄が我が子を難易度の高い大学に入れるべくしのぎを削り始めた時代である。代ゼミの「志望校が母校になる」の標語ではないが、稼ぎの悪い旦那の将来をさっさと見限り、どう見てもできそこないなのだけれど可愛いわが子に、「愛の鞭」をくれるのはここしかないと、藁にもすがる気持ちで教育ママたちがお受験の果てにたどり着いたのが、約束の地「代ゼミ」だったのである。さすがに並み居る講師陣は、すさんだ教育で荒れ果てた高校教師よりも、卓越した指導力で多くの受験生を魅了し、進路をサポートしていったのである。でも、よく考えると全てが全てうまく行っているとは限らず、膨大な受講生数があるだけに、栄光をつかむ者もいれば、もれなく二度目、三度目の挫折を味わう者もいるのである。それを知ってか知らずか、何にも考えずにネギしょった鴨のようにおいでなさった浪人生は、代ゼミにおいしくしゃぶり尽くされることであろう。浪人さんたちよ、君らの春はまだ灰色だ。甚六クンや勉三さんみたいになるなよ。
黒い代々木[編集 ]
1990年代から赤色、灰色に混じって、代々木駅にパステル・カラーの男女が入り混じるようになった。ちょうど代々木駅構内では「落書きコーナー」がお目見えし、秋葉原方面からあの一群の人々、そうオタクさんたちがやって来るようになったのである。オタクさんたちは色とりどりのペンを持ってきては、自分の好きなキャラだとかなんとかを、代々木駅の落書きコーナーに描きまくったのである。それはともすると共産党員や、代ゼミ生、あるいは一般人が、思わずのけぞって引いてしまうようなコーナーであったが、当事者たちは、ここを喜んで遊び場とし伝言板のように使いまくったのである。
その背後にはある組織の暗躍があった。「代々木アニメーション学院(代アニ)」の存在である。CMなど一部のマニアには既にお馴染みであったが、秋葉原がオタク街に変貌した時期にこの専門学校も大幅な拡張を試みたのである。「就職・デビュー率は100%」の謳い文句は、楽しいことして楽して生きよう、とするアニオタの心を鷲摑みにしたのである。コミック作者、アニメーター、声優とオタクさんたちの将来はこの学院で薔薇色の夢のように膨らんだ。一方でこの学院は、「本当に就職率が100%なのか?」という疑いも少なからず話題になっていた。その噂を払拭すべく2006年4月から、この学院長に三遊亭楽太郎が就任することになったのである。しかし常々、笑点で司会の桂歌丸から「腹黒野郎」の仇名をつけられている楽太郎である。その就任とともに、なにやら黒い空気がこの学院を覆った。しかして2006年12月には早くも、東京地裁によるこの学院への民事再生法の適用が俎上に上ったようである。100%この学院に依存していたオタクさんたちの行方はどうなったであろうか。気になるところである。バックには麻生太郎がついていたという噂も流れている。
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