多摩センター
多摩センター(たま - )とは、1960年代に人口過密になった東京都心部から入植者を募って作られた夢の人工都市多摩ニュータウンの中枢であり司令塔。21世紀になってからは、都心回帰で急速に過疎化が進んでいる落日のユートピア。名前はたまプラーザに対抗して名付けられた。
地元民は親しみを込めて「多摩セン」と呼ぶ。しかし何故「ター」だけ略すのか不明であり、多摩地区三大七不思議の一つに数えられている。
老人のいない街を目指して[編集 ]
高度成長期もピークを過ぎ、東京都心の人口も飽和状態を迎えた1960年代後半に、多摩ニュータウン構想が持ち上がった。テーマは「老人のいない明るい街づくり」である。日本には封建的なムラ社会的な要素が強固に存在し、排他的な地域共同体のしがらみや「イエ意識」が若い夫婦の生活を重苦しいものにし、ジェンダー差別を助長する、といった社会学的な指摘から、「ジジ抜き、ババ抜き」の明るく健康的なニュー・ファミリー像が描かれたのである。当時、姑(しゅうとめ)や舅(しゅうと)に虐められてきた若いカップルはこぞってこの計画に乗り、多くの新婚さんが新天地を求めて、多摩ニュータウン開拓団に参加したのである。彼らのモットーは「明白なる天命(マニフェスト・デステニー)」であり、新世界を夢見る若人たちの目には希望が照り輝いていた。それを近在の農民たちは、「満蒙開拓団だって失敗したのに、わかってねぇな」と見る目は冷ややかであった。
多摩センターの誕生[編集 ]
多摩ニュータウンをアメリカ西部に見立てると、多摩センター駅につながる小田急線、京王線はさしずめ大陸横断鉄道である。これらの電車には、ラッシュ時に都心に向かう鉄道とは異なり、朝から酒盃を重ねる酔っ払い、雑誌をくすねるあやしい風体の人、痴漢や痴女、痴漢冤罪でしょっ引かれる人々、ブツブツ車掌の真似をして車内アナウンスをする鉄道オタクが、全く乗っていない、というか乗るとすぐさま撤去されてしまうので、見事に目障り・耳障りな者が存在しないのである。乗り入れる電車ですらこのような驚くべき潔癖さで管理されているのであるから、この多摩センターも怖ろしいほどの潔癖さである。この計画都市では、ゴミを捨てること、痰を吐くことはもちろんのこと、目くそ鼻くそフケ陰毛を落とすこと、痒みから股間をまさぐること、屋外での放屁、美少女アニメを見て「萌え」とかわめくことがあると、その場で多摩中央警察署からのレーザービームで抹殺される(蒸発する)。その規則の厳しさゆえ人はここを「東京のシンガポール」と呼んでいる。パルテノン多摩をアクロポリスとして戴くこの街にあっては、パチ屋、飲み屋、ポン引き、風俗店、ホームレス、コマ劇場に集まるおばはんの類は、全く見ることがなく、多摩センターの整然とした清潔な街で生まれ育った人は、こういったものの存在を知らずして一生を終える人も多い。しかし近年では、多摩センターを支配する多摩市役所が態度を軟化させておりヨーカドー以外にも、ファッションビルやショッピングモール、パチ屋や飲み屋、映画館も立地するようになった。しかし依然として多摩市民のそれらへの施設への立ち入りは厳しく制限され、経営難となっている。それにより2000年にはそーごー(SOGO)デパート、2010年にはIDC大塚家具が多摩センターから撤退した。
老いたニュータウン[編集 ]
ニュータウンの青春時代はとても短い。都心のドーナツ化現象が騒がれたのはバブルの時代までであった。裏を返せばこの時代までが多摩ニュータウン全域の黄金時代であったのである。21世紀に入り都心回帰が本格化するとニュータウンの栄光は急速に色褪せていく。その最も甚だしい表われは、居住者の高齢化である。入居時に30代であった若夫婦ももう70歳に手が届く年代となっている。あれほど老人を呪い、忌み嫌い、遠ざけていたニュータウンの入居者たち、その彼らに容赦のない老いが襲ってきたのである。自分の親を捨てたがばっかりに、自ら乳母捨て山に行くという自業自得な事態に陥った。
天にツバをするというのはこういうことを言うのだろうか、人を呪わば穴二つ。江戸の敵を長崎で討つ。ともかく年寄りをバカにした報いが回ってきたのである。ああ怖い。彼らの息子や娘は都心回帰に便乗し、残るは老いた年寄りばかり。極端な人口減少は隣接する永山地区から多摩センターの方にまで押し寄せており、ジジババが集うような地域コミュニティの貧弱さが、その衰勢に拍車を駆けている。一部の地区では毎日のように老人たちに点呼して「 まだ生きてますか? 」「 大丈夫だぁ 」と応答があるのを確認しているらしい。老人たちの枕元には「死にそうだ警報」のブザーが常時設置されている。にもかかわらず天日干しにされたかのようなおじいさんのミイラ、おばあさんのミイラが何の前触れもなく発見されるので、地域住民の悩みは深い。時たまもぐりこんだ野良猫がスルメのようなものを頬張っていることがあるが、それは言うまでもなく先週までは生きていたおじいさんやおばあさんの肉の一部である。合掌。
参考までに「おばあちゃんの原宿」巣鴨では、老人たちはこんな悲しい目にあっていない。どうせお迎えが近いのだから、ひと花咲かせて、逝っちゃおうとする、海千山千の猛者でいっぱいなのが、巣鴨である。「ジジ抜き、ババ抜き」ではなく「ジジあり、ババあり」だからこそ巣鴨のお地蔵さんが、勢いを保っているのではないだろうか。口うるさい巣鴨の老婆に言わせると「姑の苦労を味わってないから、すぐ孤独死なんかしちゃうのよ、多摩ニュータウン全体を「渡る世間は鬼ばかり」みたいにしちゃったらどうなのよ、えなり君みたいのが老後の面倒見てくれるわよ」と、かなり突き放した物言いをしているらしい。
ガキをゲットしてニュータウン再生を[編集 ]
しかし潔癖な多摩ニュータウン民に巣鴨のような荒療治はできない。後継者不足に悩む多摩ニュータウン民が最後にとる戦略こそが、「ガキをゲット」することである。ガキを集めて、多摩ニュータウンの延命を図るための方策が続々と行われている。最も注目されているのがこの地に根付いた「癒し系」キャラの研究開発である。まずキティちゃんやマイメロディの可愛いキャラでお馴染みのサンリオピューロランド、それからしまじろうや進研ゼミ・赤ペン先生でよく知られているベネッセコーポレーション、犬猫と思う存分戯れることができるわんにゃんワールド多摩、(しかし、残念ながら今は空き地となり、荒れ放題である)これらはガキをゲットするための苦肉の策であり、ガキをつかまえるための、ありていに言えば、エサである。かくしてガキをゲットして、若いカップルに育て、未来につなげていこうというのである。もちろん赤ちゃんを育てるのが心配な方のためには、ベネッセの「たまごクラブ」、「ひよこクラブ」が無料で配布されるなど、アフターケアもバッチリである。 中途半端な物価と立ち位置が東京の大学デビューした地方民の心を掴み、移民を大量ゲットする事にも成功し、多摩センの快進撃はとどまることを知らない。
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