新御茶ノ水駅

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新御茶ノ水駅(しんおちゃのみずえき)とは、東京地下鉄 千代田線の駅。行政区画で言うと東京都 千代田区 神田駿河台三丁目とその周辺が含まれる。略称は「新茶(しんちゃ)」であり、英語でも「new tea」の名で知られている。

JR 御茶ノ水駅の西側水道橋駅寄りにあるのが「御茶ノ水橋」で、東側秋葉原駅寄りにあるのが「聖橋」である。ここでは千代田線の新御茶ノ水駅周辺と神田川に架かる聖橋付近を詳述する。

お茶と新茶[編集 ]

「御茶ノ水」の名の由来については「御茶ノ水」の項を参照していただきたい。正式な説の他に、中国は唐の茶人陸羽が、弘法大師空海が、日本臨済宗の祖栄西が、江戸城を築いた太田道灌が、茶道の大成者千利休が、へうげものの古田織部が、それぞれここの名水を愛でて、この地を「御茶ノ水」と呼んだと、巷間ではさまざまな形で伝承されている。このように徳川家康の江戸開府までには、「御茶ノ水」の水は天下に轟いていたのである。家康は「お茶を飲むなら「御茶ノ水」」のコピーまで用意し、宣伝と普及に努めていたという。

しかしこの名水も時代を経るにしたがって名水の面影を失っていく。黒船来航に伴いペリーハリスら欧米人にも、苦労をねぎらうため「天下の名水・御茶ノ水」を勧めたところ、「ガマンシテ飲ミマシタガ臭イデス(ペリー)」、「コレガ東洋ノ神秘ノ「青ジル」ナノデスカ(ハリス)」、「コンナ水ヲ飲ンデイルノハ馬鹿デスネ(オールコック)」とかなり評判が悪く、嬉々として接待をした大老 井伊直弼はとんだ大恥をかいたようである。ちなみに井伊大老は政治家として有名だが、茶人としても有名だった人である。それでも調子が悪いときというのはこういうぶざまなこともあるのである。流石にオールコックの発言でプライドをズタズタにされた井伊大老は、ぼんやりふさぎ込むことが多くなり、精彩を欠くようになっていった、そして1860年3月3日には、江戸城の門の側で、ぼんやりして水戸浪士らに首を打たれることになるのである。これが「桜田門外の変」である。

それはともかく「御茶ノ水」の項にもあるよう、1868年の「御茶ノ水戦争(戊辰戦争の一環)」では、補給物資としてのお茶が戦争の行方を左右したようであるが、とりわけ旧幕府軍が誤算だったのは、「権現様(徳川家康)有難し」のムードにだまされ、「お茶の水」の水は美味しいと誤解したことであった。旧幕府軍は雨の降らない天気で、ごくごくと「御茶ノ水」の水を大量に摂取しまくり、一転、悪寒・寒気・腹痛・下痢、特に激しい下痢に見舞われたというのである。その下痢の勢いは凄まじく神田川の水を紅茶色に染め上げたという。

幕末から明治にかけて人口増加と環境の悪化、それと周辺住民の屎尿汚物の垂れ流しは最早看過できないものになっており、「名水」と呼ばれていた「御茶ノ水」は「濁茶(にごりちゃ)」、「澱茶(よどみちゃ)」、あるいは「汚茶ノ水(おちゃのみず)」と呼ばれる有様だったのである。このように時の政府は早急に改善する必要に迫られたのである。そこで浮上したのが「御茶ノ水」に代わる「御茶ノ水」すなわち「新茶」の開発だったのである。

新茶のシンボル聖橋[編集 ]

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア 専門家気取りたちが「聖橋 」の項目を執筆しています。

神田川は一向に汚染が改善されなかった。にもかかわらず新しい「御茶ノ水」を求める試みは、旧幕臣を中心に続けられていた。特に旧幕時代の官吏養成学校であった湯島聖堂に日夜集まっては、「新御茶ノ水」を求める動きが幾度となく模索された。そして新茶を求める動きは「不死の泉」を求めるような荒唐無稽な神秘主義、悪く言えばカルト的なグループの結束を促すことになる。明治初期のキリスト教入信者に旧幕府関係者が多かったという動きと似通うところがある。しかしもともとの「御茶ノ水」より神田川を500mは下ったところにある湯島聖堂近辺に「新御茶ノ水」を見つけ出すという、彼らのアイデアは根本的な間違いがあった。河川は下流に行けば行くほど水質が落ちていくのに、湯島聖堂に籠もりっきりの彼らはそこまで考えていなかったのである。

そんな動きを知ってか知らずか、御茶ノ水界隈からは、水の良さを売り物にする「お茶屋」が一軒また一軒と姿を消しつつあった。代わりに目立ってきたのが医療関係機関(東京医科歯科大学、順天堂大学)や大学組織(明治大学、中央大学、日本大学) である。御茶ノ水界隈が変貌する明治後期に、ロシアからやって来た宣教師ニコライは、「神田川ハ相当汚レテイテ臭イマスガ、ソレデモコノ川ノ水デ、オ茶ヲ沸カス人ガイルノニハ感心スル。ト言ウヨリアキレル」と日記に記録している。その彼ですら1905年の日露戦争バルチック艦隊が敗北してからは、前言を翻すように「「御茶ノ水」ノ水ハ魔法ノ水カモ知レマセン、「ウーン、不味イ、モウ一杯!」ト言イナガラ、アノオ茶ノ水ヲ飲ミ干ス日本人ハ、ヤハリ凄イデス、我慢強サガアリマス。敵ニシタクナイモノデス。」と大きく評価している。そしてロシアに勝利した日本人の不屈の魂の根源に「御茶ノ水」を見たのである。かくして湯島聖堂の対岸にニコライ堂が建てられ、そこを結んで聖橋が架けられたのも故なしとしないのである。

かくして湯島聖堂に巣食う旧幕府残党と、ニコライ堂を根城とするロシア正教会グループ(以下、煩わしいので「新茶グループ」と呼ぶ、シオン修道会みたいなものである)の暗躍により、「新茶」すなわち「新御茶ノ水」の独立が進められたのである。途中、関東大震災により計画は頓挫したかのように見えたが、昭和初年の帝都復興にあわせて昭和モダンを体現したコンクリート造りの「聖橋」が建設されたのである。もちろんこれも「新茶グループ」の陰謀の一環である。旧幕残党とロシア正教会はこの橋を秘密裏に「新御茶ノ水橋」と仲間内で呼び合い、近代化で腐った「旧御茶ノ水」に対抗し、「聖水」となる「新・御茶ノ水」を探す彼らのシンボルとして、そして秘密の「新茶」掘削部隊のアジトとして、「聖橋」はその姿を現し、存在感をアピールしたのである。

しかし神田川の両岸は地盤が悪く、「新茶グループ」が力任せにあちこちを掘り起こしたものだから、ますます地盤が緩くなってきた。(事実、集中豪雨になると一番最初に操業停止になるのがJR御茶ノ水の駅である)。こうした不手際に加えて、しかもあの戦争である。もはや時運は、空想科学的な「新御茶ノ水」を探求すること(new tea quest)に味方せず、地球空洞説宇宙人誘拐説のような戯言として省みられることはなかったのである。

エスカレーターの地獄[編集 ]

戦後の復興に伴い、東京は大きく変貌することになる。その代表的な出来事として地下鉄丸ノ内線の開通が挙げられるであろう。1956年(昭和31年)に御茶ノ水〜淡路町間(0.8km)開業が開業していることに注目して欲しい。この短い区間の開通こそが東京地下鉄史の中でも最も忘れがたい出来事だったのである。というのも、この区間こそが戦争のドサクサで壊滅した「新茶グループ」がめちゃくちゃに掘り起こした区間であり、その地ならしのために未曾有の大工事が行われたからである。

『帝都東京・隠された地下網の秘密』で秋庭俊氏が指摘するように、東京の地下鉄は謎だらけだが、その最たるものが神田川に沈みそうで沈まない寸前の丸の内線の橋の存在なのである。この橋は近年の集中豪雨で巡査両津勘吉氏が乗った隅田川からの屋形船が乗り上げたことでも知られているが、丸の内線の車体は川面にスレスレで近接していて、まるでネズミーランドの水上アトラクションのようであり、事実丸の内線の車体は、澱んだ神田川の飛沫(しぶき)を浴びて車体の傷みが激しいそうである。

ともかく神田川ギリギリまで掘られた穴はモグラ穴より始末が悪く、おかげで地下掘削工事は難渋を極めたというのは詳述したとおりである。そのため神田川に数センチという丸の内線の架橋も、「新茶グループ」の穴掘りの後始末と考えられるだろう。しかし問題は丸の内線だけではなかったのである。「新茶グループ」が掘った地下の空洞は、想像以上に巨大なものであり、その処理は特株専門家チームを組ませるまでのものだったのである。そして千代田線の「新御茶ノ水駅」の登場となるのである。

さて神田川の千代田区側、現在の千代田線の「新御茶ノ水」駅の構内に当たる部分が、巨大な地下空洞になっているのが発見されたのは地下鉄工事が進んだ昭和30年代後半のことであった。とにもかくにもこの巨大な空洞の処理には地下鉄関係者は頭を痛めたのである。苦肉の策として考えられたのが、広すぎるスペースを有効活用してもらうべく、アトラクションとして巨大なエスカレーターを設置することであった。一番長いエスカレーターは公式では41mになっているが、実際は4100mである。ものすごい速度で動いているので、相対性理論による「速度が一定以上早くなれば、時間の進みは遅くなる」のテーゼに従って人間はその速さを感じず、2分ぐらいで乗り降りは完了しているように思われている。あまりの速さのため乗ることが出来ず、かえって機械に巻き込まれグモ現象に巻き込まれ、哀れコマ切れミンチになる人のことがよく話題になっている。

しかもこのエスカレーターの設置場所は、非ユークリッド空間のように捩れており、平行に並んでいるように見えるのは錯覚である。乗るエスカレーターによっては、階下のホームにたどり着かず、誰も知らない世界へと吸い込まれていくことも稀ではないと言う。よくジジババがエスカレーターから降りるのに往生している場面に出くわすことがあるが、間抜けな年寄りが降りられなくなったりすると、場合によってはメビウスの輪のように延々と永劫回帰のように続くエスカレーターにそのまま乗せられ、そのまま流されていく。隣を見るとどうみても100年以上経過した人間の遺体がエスカレーターを下っているということもよくある話だそうである。

上りのエスカレーターはさらに過酷である。一見普通のエスカレータのように見えるが、段がかなり急な角度で傾いているために、ベルトにつかまらないと滑り落ちそうである。しかもご丁寧なことにベルトには油が塗ってあり、所々に手でつかみにくいようにおろし金やヤスリでできている部分がある。人によってはザイルとピッケルが必要だという新御茶ノ水のエスカレーター、そのため通勤時間帯はこの上りのエスカレーターはまるで修羅場である。このエスカレーターは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出させる。蜘蛛の糸に必至になってしがみつこうとする亡者の群れを。ご想像のように手を滑らせた客は、そのまま転落するや地獄の釜に叩き落されるように落ちていく。地下から立ち上る噴煙にかき消されて姿が見えなくなってしまうのである。

逆にあらん限りの力を使って、この地獄のエスカレーターを上りきると、貴方はこの世ならぬものを目にすることだろう。羽をはためかせる天使の黄金に輝く姿が。こうしての祝福を受けて出口に出たところで、一休み。まずは一杯お茶を頂きましょう。もちろん新茶で。

競技[編集 ]

この場所は、大江戸線各駅東北新幹線 上野駅とならんで、エクストリームスポーツの競技に使われる。エクストリーム・エスカレータースキーはその代表的な競技であり、外国人選手にも人気のゲレンデである。

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