ホパーク
ホパーク(ウクライナ語:гопак)とは、ウクライナの伝統武術であり、コサックによって継承されて来たために「コサック・ダンス」とも呼ばれている。
概要[編集 ]
スラブの厳しい大自然や激しい部族抗争を生き抜くため、コサックの子として生まれた以上は男であろうと女であろうと、幼少期から武術をその骨身に叩き込むのがコサックの伝統である。しかし、長く苦しく退屈な修行の日々はまだ精神的に未成熟な子どもにとって苦痛でしかなく、中には修行を投げだしてしまったり、多くを仕込まれても習得し切れない子どもたちが大勢出てしまっていた。そのため、大人たちは試行錯誤の末に「武術の動きを音楽に合わせて行わせることでレクリエーション・ダンスとしての性格を持たせれば、子どもたちは楽しく効果的に武術を習得することができるのではないか」という結論に達したのであった。元来子どもたちは遊び回りたい、体を動かしたくて仕方がない本能の塊であり、強制されてやらされることを嫌っているだけで身体を動かすために必要な体力も欲求も十分に秘めており、そのため動機づけさえしっかり大人たちがエスコートしてやれば、子どもたちは何も言わずとも自分たちで勝手に楽しく武術の稽古に励んでしまうものなのである。かくして大人たちが音楽に合わせて楽しそうに武術の稽古をしているところを目の当たりにした子どもたちはこの上ない娯楽として武術の稽古に身を入れるようになり、音楽センスの向上に合わせて身体機能を高め、より高度でより複雑な武術の奥義を習得することに成功したのである。
ちなみに、後にコサックの各部族がロシア政権(ロシア帝国、ソビエト連邦、ロシア連邦)の近代的な軍隊に制圧されてしまった後も、ホパークはあくまでコサック・ダンスであって武術ではないと偽装して当局による弾圧をはぐらかすことに成功、今日も彼らは着々と捲土重来を期して自らの戦闘力を高める修行の日々を送っているのである。歌と音楽というレクリエーション性を採り入れることによって子どもたちの興味・関心を高めたことが、皮肉にもホパークの存続に役立ったのである。
特色[編集 ]
ホパークの起源は13世紀、モンゴル帝国の襲来(いわゆる「タタールのくびき」)によってもたらされた東洋古武術(モンゴル相撲、中国拳法など)がその骨子となっている。緩急を織り交ぜた動物(狼、虎、鷹、梟、馬など)のさまざまな動きを元に、モンゴル帝国の脅威が去ったあとも続けられた独自研究(ロシア帝国という新たな脅威が、現代にいたるまでずっとのしかかっているためである)によって技術の向上・洗練がなされたのが現代のホパークであり、常に改良が繰り返されている。日本でコサック・ダンスと言えばステレオタイプとなってしまっている、あの「腰を低く落とした状態で腕を組み、足を交互に前へ突き出す」スタイルも、足腰を強化するために編み出されたこの上ない鍛錬なのである。
武器[編集 ]
スラブの厳しい大自然において最後まで生き残るために必要なのは自分の意志であり、力である。一人では生きていけないが、最初から他人を頼りにするようでは生きていく資格がない。そのため、ホパークは身体機能の向上を第一とした上で、身の周りにあるさまざまなものを武器として戦えるように創意工夫を重ねている。基本的な武器(強固な精神とか頑丈な肉体とかは除く)を用いた武術としては、1)刀術、2)槍術(棒術)、3)弓術(銃砲術を含む)、4)短剣術(ダガーナイフ、剃刀ほか)などがオーソドックスであるが、日用品を用いた変わり種としては、1)鎌術(ハンマーと合わせて使うのは推奨されない)、2)鍬(鋤)術、3)縄(鎖)術(いろいろ使える)、4)フライパン(鍋)術、5)火薬術、6)ペン術(ペン一本で人は殺せる)などもあり、いついかなる状況下にあっても敵を殺して自分の身を守り、ひいては次世代にコサックの希望を受け継いでいく覚悟を固めているのである。また、何も使わない体術や拳術の場合においてもコサックの心得として腰に刀を差しておくなどして演武するのが常識とされている。
音楽[編集 ]
ホパークの演武や鍛練における音楽に関する決まり事は特にないが、音楽の演奏テンポは4分の2拍子であることが多い。これもやはり試行錯誤の結果、演奏者および修行者の脈拍を高めることで血圧を適切に上昇させ、スラブの激しい気候(主に寒さ)に適応しやすくするために編み出された工夫であるとされている。また、歌い手としても歌いやすく、聞く者の戦意を高揚させる効果が見込まれているためである。また、使用する楽器はバンドゥーラやバラライカ、遠くスコットランドから伝わったバグパイプ、タンバリンや太鼓、笛などが多い。また「楽器の木製部分に血を染み込ませるほど音がよくなる」というコサックの俗信があり、捕虜にしたり生け贄にするなどして殺した敵の血は好んで摺り込まれているという。
歌[編集 ]
ホパークで歌われる歌には陽気な歌詞が多く採り入れられており、戦いにおいて悲壮感を醸し出す事は少ない。いつ死ぬかさえわからない戦場だからこそ、底抜けに明るいのがコサックの流儀である。
- コサック・ママーイ(英雄的コサック)の歌
- 1番
- Козак – душа правдивая,(俺たちコサックに怖いものなんてないさ)
- Сорочки не має. (たとえ丸裸でだって 敵をやっつけてやるから)
- Коли не п’є, то воші б’є,(蚤のように飛び跳ね回って)
- А все ж не гуляє(いつも敵をやっつけるのさ)
- 2番
- Гей–гей, як я молод був, що–то в мене була за сила!(昔はもっとすごかったのさ)
- Було – ляхів борючи і рука не мліла,(敵が何人かかって来ようが 蚤のようにつぶしてやったもんだ)
- А тепер і вош одоліла。(しかし今度はこっちがつぶされそうだ 蚤の意気地を見せてやる)
- 3番
- Не завидую нікому – ні панам, ані царю.(地位も名誉も権力も 自由に比べりゃつまらぬ飾りさ)
- Богу своєму святому я за все благодарю!(自由のために戦おう 神よ我らに慈愛の光を)
- Хотя титлом і не славен, та жизнь весело веду,(今日流した汗は 満足できる明日のために)
- У ділах своїх ісправен, я вовік не пропаду. (今日流した血は 一族の未来に希望をつなぐのさ)
余談[編集 ]
どうでもいいが、ホパークとはコサックの言葉で「跳ねるもの(hop)+動くもの(active)=Hopac」を意味する「ホーパティ(гопати)」が語源である。
また、17世紀から18世紀にかけてウクライナのみならず南スラブ全域に広まってしまったために、国際的にホパークというとロシアの伝統芸能であるかのごとく言われることがあるが、あくまでホパークの起源はウクライナ・コサックによるものであり、ロシア・コサックもクバーニ・コサックもドン・コサックもアゾフ・コサックもアストラハン・コサックも邪道にすぎないという事実を、今日も彼らは主張している。
外部リンク[編集 ]
関連項目[編集 ]
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