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巨人 コイつかまえた!ナイター記念日に再接近0差 井上がV打&6勝目

[ 2024年8月18日 05:30 ]

セ・リーグ 巨人11-1DeNA ( 2024年8月17日 横浜 )

<D・巨>6回4安打1失点で6勝目を手にした(撮影・西川 祐介)
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巨人は17日、11―1でDeNAに快勝。敗れた首位・広島にゲーム差なしに迫った。5年目左腕の先発・井上温大投手(23)が、2回に先制内野安打でプロ初打点を挙げるなど2安打2打点。投げては6回4安打1失点で6勝目を手にした。この日は「プロ野球ナイター記念日」で、76年前の1948年にプロ野球初のナイターとなる中日戦に挑んだのが巨人。開催地でもあった横浜で大きな白星を手にした。

投げて、打って、走って。真夏のグラウンドで躍動した井上に、弱気の虫はいなかった。「ああいう1点は相手投手にとっても、投手に打たれたというのが残ると思う。自分はそうなので、凄いダメージ与えるかなと」。自らのバットで先制点を奪うなど2安打2打点し、勢いそのまま6回を4安打1失点の好投と躍動した。

自身4連勝で6勝目を挙げた23歳。4回までに8得点の大量援護のきっかけは、自らつくった。2回2死二、三塁から先制の投手強襲安打。5年目のプロ初打点が決勝打となった。3―0の3回2死満塁でも三遊間へゴロを放ち全力疾走。「どうにかしてでも1点欲しいと思っているので、自分の足で取れたのは良かった」と内野安打で4点目を加えた。投手の2打席連続適時打は、球団では02年桑田以来22年ぶりだった。

グラウンドを離れれば、小さな虫すら苦手という心優しき青年。「トンボも苦手です」と苦笑いするが、マウンドでは一変する。リーグトップのチーム打率・253のDeNA打線を強気に支配。「打線がいいので、上から(目線で)いけない。嫌なイメージがある」とするが、最速150キロをマークした直球を主体に臆せず投げ込んだ。阿部監督も「頑張りました。いい投球をしても点を取ってもらえない投手もいる。そういうところはツイているのかな」と称えた。

(6勝中5勝ナイター/) 1948年の同じ日、同じ横浜でプロ野球初の公式戦ナイターを戦った「プロ野球ナイター記念日」。同じ夜空の下で連勝を決めて、首位・広島にはゲーム差なしと接近した。「投げさせてもらっているだけでも、大きな経験。いけるところまで、勝てるところまで勝ちたい」と井上。6勝のうち5勝をナイターで挙げる左腕が、勝負の夏の鍵になる。(小野寺 大)

≪桑田以来の球団投手22年ぶり!2打席連続適時打≫井上(巨)が2回に投手内野安打でプロ初打点を挙げ、自身初のV打も記録。巨人の投手で初打点が勝利打点となったのは19年4月24日ヤクルト戦の高橋以来だ。また、井上は続く3回にも遊撃へ適時内野安打。巨人の投手が1試合で適時打2本は13年8月25日DeNA戦の菅野以来で、2打席連続となると02年5月3日横浜戦で桑田真澄が第3、4打席目に打って以来22年ぶりだった。

▽プロ野球ナイター記念日 1948年8月17日、横浜ゲーリック球場でプロ野球公式戦では初のナイトゲームが開催された。巨人と中日が対戦し、午後8時8分に試合開始。中日が3―2で勝利した。試合前には前日の16日に死去したベーブ・ルースへの黙とうも行われたという。当時の照明は現在の約10分の1程度の明るさとされ、試合中には投球が見えずに巨人・青田昇が顔付近に死球を受けて担架で運ばれ退場した。球場は77年に横浜スタジアム建設のため解体された。

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