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野球の神様が導いたNPB審判員への道 「ビッグボスキャンプ」で腕を磨く郡司真里審判員

[ 2022年2月11日 12:56 ]

1軍初出場を目指す4年目の郡司審判員(撮影・柳内 遼平)
Photo By スポニチ

沖縄・名護ではビッグボスこと新庄剛志監督(50)の下、日本ハムがキャンプを行っている。練習に汗を流すのは選手だけではない。帯同して練習や対外試合の判定を担当する4年目の郡司真里審判員(26)は1軍戦初出場を目指して腕を磨いている。

本球場のタピックスタジアム名護を飛び出した郡司審判員が走る、走る、走る。目的地は200メートルほど離れたブルペンだ。胸にプロテクター、足にレガースをつけ、手にマスクを持つ「アンパイア」の姿で駆け、まだ選手やスタッフも来ていないブルペンに到着。班のチーフを務める嶋田哲也審判員(54)から受けた「審判で飯を食うためにどうしたらいいか考えよう」の助言が郡司審判員を走らせた。

「先輩より早くブルペンに行って一球でも多くボールを見る。先輩の言葉でそう考えました」

10日に行われたブルペン投球で判定した投球数は250球を超えた。「ストライクゾーンを確立させたい」と最後まで集中力を切らすことなくジャッジ。「ストラ〜イク!」の声はブルペンを飛び出し、隣接するビーチにまで響いた。

野球の才能に恵まれていた。小学生の時はロッテジュニアに選出され、中学では名門「佐倉リトルシニア」に所属。高校は甲子園を目指して千葉の強豪校・習志野に進学した。転機は3年夏の千葉大会。外野手として先発し、内野ゴロを放った際に一塁へヘッドスライディング。経験したことのない痛みが右肩に走った。脱臼だった。決勝で敗退後も痛みは引かず「野球の神様が"選手としてはここで終わり"と言っているのかなと思った」と硬式野球の引退を決意した。

転機は亜大の2年時に再び訪れた。たまたま、見ていた日本野球機構(NPB)のHPに「審判員募集」の案内を見つけた。かつて追った「野球で飯を食う」という夢に新たな形で挑んだ。在学しながら高野連の審判員で経験を積み、就活は一切せずに審判学校のテストを受け、見事に採用を勝ち取った。

「何事もなく無事に試合が終わった時の快感は特別です。1試合ずつ積み重ねて1軍の舞台に呼ばれるように頑張りたいと思います」。4年目の今年、育成審判員から本契約となった郡司審判員は1軍戦出場の資格を持っている。(柳内 遼平)

◇郡司 真里(ぐんじ・まさと)1995年7月18日生まれ、千葉県成田市出身の26歳。小2で橋賀台サンダーズで野球を始める。成田西中では佐倉リトルシニアに所属。習志野を経て、亜大では軟式野球部に所属。18年からNPBの研修審判員となり、19年に育成審判員に昇格し、22年から1軍戦出場資格のある本契約となった。1メートル74、75キロ。右投げ右打ち。袖番号は44。

▼豆知識 日本ハム2位の有薗直輝内野手(18)は同じくロッテジュニアから佐倉リトルシニアの経歴。高校は千葉学芸に進み、春季千葉大会制覇、ドラフト指名など同校初の歴史をつくった。

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