「映画の時系列」について考える 〜映像作品を分析するということ〜

2020年6月30日 (火) 投稿者: メディア技術コース

助教の戀津です。

昨日に引き続き、映画の時系列のお話です。今回は研究内容の紹介ではなく、そのプロセスについて紹介します。
映画の時系列、とだけ書いてしまえば簡単ですが、しっかりと追究するとそこにはいくつかの異なるものが混ざっています。とりあえず例示すると・・・

1 映画の初めから終わりまでの再生時間上の時系列
2 作品中の世界における歴史上の時系列
3 作品の登場人物の主観上の時系列

の3つが考えられます。

1については、時系列という呼び方は若干違和感があるかも知れません。「物語上で描写された順序」とより正確に書けばしっくりくるでしょうか。
2は「ストーリーの時系列」と言い換えると誤解が少ないように思います。「映画の時系列」と聞いて一番イメージされるのはこれでしょうか。
3は若干複雑ですが、作品の中で登場人物が時間移動をした場合に生じます。とはいえ基本的には移動するのは主人公で、描写は主人公を中心にされるため多くの場合は1と一致します。

3の、1と一致しない場合というのはどういうものかというと、ループものと呼ばれるジャンルが該当します。
作品中の登場人物が、ある事件・事象を何度も繰り返しているというタイプの作品です。その事件・事象で起きた出来事や結末に納得ができず、何らかの方法でその前の時間まで戻ってやり直す。
やり直しているのが主人公自身の場合も、(主人公を助けるために)他の誰かである場合もありますね。後者の場合はループしていること自体物語の中盤あるいは終盤まで明かされないことが多いでしょうか。
これを可視化しようとすると、通常1・2とは全く違った形になってきます。

このように、一言で「映画の時系列」と言っても全く異なる複数の概念を含んでしまっています。
議論の際には、どれのことを指しているのか、そもそもちゃんとこれらを区別できているのかによって誤解が生じ得ます。
また、映像作品の分析をする際にはどうしても個々人の解釈による差もあるため、その差を常に意識しながら誤解が生じないよう議論を進める必要があります。

昨日の記事で紹介した研究では、3に該当する作品の分析・可視化手法の検討に大変苦労しました。
また、とりあえず3つ挙げてみましたが、時間の流れが通常の範囲を逸脱するとまた別の類型がありそうです。

人格の入れ替わりだとか時間移動と歴史改変だとか、そもそも主人公2人だし・・・という、今はそんなとある作品の分析に頭を悩ませています。

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