「ダムの施工設備としては久し振りにわが国ではめずらしいといわれる、トレッスルシステムを採用した。鉄骨材料、ジブクレーンあるいは機関車など非常に進歩しているので昔のような苦労はなかった。しかしこの方法ははじめての人が多く、有能な若い技術者たちにこの150万立方メートルという大きなダムで、トレッスルシステムを勉強してもらったことはたいへん有意義であった。
ダム地点の岩盤は緑泥片岩で付近に有名な三波石峡がある。これらの岩石はコンクリート用の骨材としてはやや不適当であったので、原石山を捜すのに苦労をしたが、上流の近い所に砂岩の山が見つかったのは天与の恵みだった。採掘も容易であったが、なにぶんシルト分が予想よりはるかに多く、真空フィルターや沈殿池でこれを処理するのに、工事終了まで担当者の苦心と努力が続けられた。工事は順調に進み40年10月にコンクリートの打設を開始してから約2年後の42年11月には一部湛水を始め、43年8月には満水面近くまで貯水することができた。冬の間もコンクリート工事は続けられたが、なにぶん流量が少なく、工事用水が不足をきたし発電を止めてもらったことも何日かあったくらいで、よく見学者などからこんな流量で何年目ぐらいに満水するつもりかと皮肉を浴びせられたこともあり、湛水の経過については多少の不安はあったが、1ヵ年以内にこんなに満々と水をたたえたことはよろこびに堪えない。年々増加してゆく首都圏の都市人口とこれに伴い飛躍的に累加する水需要に対し、この神流湖は、みるものをして心強い安心感を抱かせることになるだろう。」
「下久保ダムは、昭和44年1月より管理段階に進み、不特定灌漑用水による放流量の安定が図られ、神流川の下流に展開する扇状地において、水田耕作地は昭和37年の1,340haからダム竣工後10年を経た昭和53年には2,617haと約2倍も増大した。これらの水田灌漑用水は、大部分が下久保ダムから約12?qの神流川合口堰から取水される。ところが下久保ダムの運用開始後の45年頃から灌漑用水の低水温の影響による農作業上の障害、収量の減少が現れ始めた。これは、ダムからの放流が、通常時には常時満水位(EL.296.8m)から約78m低い発電取水口を通して行なわれるので、貯水池の水深の深い部分の低温の水が放流されることによるものであった。この対策について種々検討のうえ、発電取水口に表面取水設備を新設することとされたのである。完成して運用中のダムについて、下流への水の供給および発電への利用をなるべくそこなうことなく、堤体全面の底部に水理構造物を新設しなければならないことがこの工事の困難な点であった。......この設備の扉体型式として、4段式半円形ローラゲートを採用した。工事は、昭和50年度から52年度まで3箇年にわたって管理業務の中で実施されて完成し、放流水温を上昇させることに所期の効果を収めることができた。」
「洪水調節が自然調節方式である等、一定条件を満足することから「平常時巡回・洪水時常駐管理」として、管理体制の合理化を図っている」(萩原英生群馬県土木部長)
「地元万場町と協調して、ダム周辺環境整備としてダム右岸コンクリート擁壁の壁面を利用して全国でも珍しい巨大なタイルモザイク壁画をもうけている。また管理棟や対岸の管理用道路周辺・土捨場にはポケットパークとして、四阿、ベンチ、ゲートボール場、植樹等を施工した。そして労働災害なしに工事を終えた」(小曽根耕一藤岡土木事務所長)