直方市の水道の変遷を辿ると、明治時代までは井戸水であったが、昭和7年人口27,000人となり、遠賀川の伏流水でもって水道を開始した。そのころは一人1日100lの使用量である。その後人口の増加と炭鉱の開発によって遠賀川が汚染され、水源を表流水に変更を余儀なくされた。さらに昭和40年八木山川の力丸ダムに水源を求め、12,000m3/日が供給されている。現在(平成23年)人口58,800人に対する水道は、遠賀川の表流水と、力丸ダム、福智山ダム、地下水を水源としている。現在の一人1日水使用量はほぼ300lである。
◆だいやまーく 6. おわりに
昭和40年以降、完成した主なる遠賀川におけるダムは、力丸ダム(昭和40年完成)、頓田第一・頓田第二ダム(昭和43年完成)、陣屋ダム(昭和51年完成)、遠賀川河口堰(昭和58年)、犬鳴ダム(平成7年)、福智山ダム(平成17年)であり、これらのダムは、北九州市と筑豊地域の高度経済成長と水需要増大の都市化のための治水と利水に対応する多目的ダムである。さらに、平成23年4月から北部福岡緊急連絡管(通称福北導水)47?qの完成によって、水不足に悩んでいた福岡県福津市、宗像市、古賀市、新宮町にも水道水が供給されるようになった。遠賀川の水は、多岐にわたって利用されている。
本年(平成23年)、筑豊の炭鉱を記録した山本作兵衛の絵や日記が、「ユネスコの世界記憶遺産」に登録された。日本初の世界記憶遺産である。炭鉱労働や生活の風景が彩色画、墨絵で克明に描かれている。作兵衛が描いた筑豊炭田は、昭和51年大之浦露天掘炭鉱の閉山を最後に、炭鉱がなくなった。今では、黒い川、ぜんざい川と呼ばれていた遠賀川は水質の浄化が、かなりすすんだ。遠賀川上流嘉穂町に鮭神社があるように、かつては遠賀川には神の使いであるとされた鮭が遡上し、鮎も群生していた。このような遠賀川を目指して流域市民の意識が高まり、青少年の環境教育に取り込む「遠賀川水辺館」、 「堀川再生の会・五平太」、建花寺川を考える「龍王・山・里・川の会」の活動をはじめ、沢山の環境団体が設立され、遠賀川流域の水環境の向上に取り組んでいる。
終わりに、いくつかの遠賀川に関する書を挙げる。
・香月靖晴著『遠賀川 流域の文化誌』(海鳥社・平成2年)
・林 正登著『遠賀川流域史探訪』(葦書房・平成元年)
・野間 栄著・発行『写真集遠賀川水系の橋』(平成3年)
・西日本文化協会編・発行『西日本文化NO441遠賀川』(平成21年)
・倉掛晴美著『サケよふるさとの川へ』(石風社・平成15年)
・遠賀川下流域河川環境教育研究会編・発行『遠賀堀川の歴史』(平成20年)
・堀川再生を考える実行委員会編・発行『昭和の遠賀堀川』(平成17年)
・澤田憲孝編著・発行『犬鳴川流域思考研究資料集』(平成17年)