昭和20年代、戦後の日本は食糧を含めてあらゆる物資が不足していた。産業の振興に欠かせないエネルギーの電力ももちろん不足していた。
昭和25年6月に朝鮮戦争が勃発し、昭和28年7月に休戦となったが、いまでも休戦の状態のままである。昭和26年5月、電力界では強制的に電力会社の再編成が行われ、9電力会社の成立となった。朝鮮動乱による特需景気を背景としながら、電力需要の急増に対処するために、昭和27年7月31日、電源開発促進法が施行された。同法第1条に「この法律は、すみやかに電源の開発及び送電変電施設の整備を行うことにより、電気の供給を増加し、もってわが国産業の振興及び発展に寄与することを目的とする」と規定されている。この促進法に基づき、昭和27年9月16日国家資本による政府関係特殊会社、電源開発株式会社が設立され、総裁に高碕達之肋、副総裁に進藤武左ヱ門が就任、第3次吉田茂内閣のときである。
昭和28年4月、電源開発?鰍ヘ、諏訪湖を水源とする天竜川の中流部に佐久間ダム建設に着工、昭和31年4月に運用を開始させ、同年10月に竣工させた。工期3年、現在20数年余かかるといわれるダム建設に比べると驚異的だ。電源開発?鰍ヘ、35万kWの発電を有する佐久間ダムの完成によってその存在価値を確立した。さらに、佐久間ダムの成功が、その後の奥只見ダム(36万kW)、田子倉ダム(38万kW)、御母衣ダム(21.5万kW)、黒部第四ダム(25万kW)などの大規模ダム建設へつながっていくこととなった。