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トラキア属州

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Provincia Thracia
ἐπαρχία Θρᾳκῶν

46年 - 7世紀
トラキアの位置
トラキアの位置
ローマ帝国内のトラキア属州、120年 政庁所在地 ヘラクレア・ペリントゥス (英語版)フィリッポポリス 時代 古典古代  - ローマ帝国属国オドリュサイ王国の併合 46年  - ディオクレティアヌスによる分割 293年  - テマ・トラキア設立 7世紀 現在 ブルガリアの旗 ブルガリア
ギリシャの旗 ギリシャ
トルコの旗 トルコ
ハドリアヌス帝時代のローマ帝国、トラキア属州はヨーロッパの南東部に位置する。
帝政後期のトラキア管区の領域(管区)

トラキア属州(トラキアぞくしゅう、ギリシア語: Θρᾴκη)は46年にローマ皇帝クラウディウスの命で属国のオドリュサイ王国を併合して設立されたローマ帝国の属州である。

元首政下

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黒海沿岸地域でギリシア都市国家群が自治権を持つ同盟都市(キウィタス)としてローマ帝国の支配下となっていく中、トラキアのオドリュサイ王国は紀元前20年にローマ帝国の属国となった。トラキア王Rhoemetalces IIIの死とローマ帝国への反乱の失敗の後、紀元46年に王国はローマ帝国の属州として併合された[1]

新たな属州は旧オドリュサイ王国の領土のみならず、エーゲ海タソス島サモトラキ島ギョクチェアダ島およびマケドニア属州の北東部も含んでいた。属州の北部はモエシアに接しており、その境界線は当初ハイモス山 (英語版)の北側に沿っておりニコポリス・アド・イストルムマルキアノポリス (英語版)などの都市もトラキアに含まれていたが、2世紀までに境界線はハイモス山の南側に動かされた。現代のガリポリ半島に当たるトラキアケルソネソス半島は属州総督の権限内には含まれず、ローマ皇帝の私領の一部として管理された[2] 。属州の初めの州都はヘラクレア・ペリントゥス (英語版)であり総督もそこに居住した。トラキアは皇帝属州であり、初めは元首属吏による統治が行われていたが、107年もしくは109年以降は皇帝管轄属州総督 (英語版)が統治した。その他の面ではオドリュサイ王国時代の下部組織は保持されたままであり、徐々にローマの制度に置き換えられていった。ストラテゴス(将軍)を首領とした古い部族集団は主要な行政区画として保持されたが、いくつかの村は指導的位置にあった村に纏められるか、もしくは近隣の都市の下に置かれた。一世紀中ごろにはストラテゴスは50人にも上ったが、都市および都市に割り当てられた土地の漸進的な拡大と共に減少し、2世紀前半までには14人に減少した。136年には公的な行政区画としてのストラテゴスは全面的に廃止された[3]

トラキア属州はローマ帝国の国境から程遠い帝国の内部に位置していたため平和と繁栄を享受していたが、3世紀にはローマ帝国に動乱の時期が訪れ(3世紀の危機)、ドナウ川を超えてきたゴート族による襲撃に晒された。ローマ皇帝デキウス率いるローマ軍がこの侵略者に対抗したが、251年のアブリットゥスの戦いにおける敗北でデキウスは戦死した。268年から270年にかけてのゴート族の海上攻撃(ナイススの戦い)においてトラキア属州は特に重大な被害を受けたが、271年にローマ皇帝アウレリアヌスがゴート族を打ち破り、バルカン地方の当面の安定が確保された[4]

帝政後期

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ディオクレティアヌスによる行政改革のもと、トラキア属州の領域は4つの小さな州(トラキア、ハエミモントゥス (英語版)ロドピ (英語版)エウロペ (英語版))に分割された。新たなトラキア属州の領域は旧領域の北西部からなり、ロドペとハイモス山の間を流れるヘブロス川上流の谷や、3世紀後半には州都となるフィリッポポリスなどを含んでいた。トラキア属州は執政官級 (英語版)の総督が統治した。トラキアを分割して設置された4つの属州および、モエシアを分割して設置された2つの属州(モエシア、スキュティア)は併せてトラキア管区 (英語版)に分類され、さらにはオリエンス道に含まれた。軍事的には全ての領域はマギステル・ミリトゥム・ペル・トラキアス(トラキア方面軍区司令官)の指揮下に置かれていた[5]

司教管区

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トラキア属州における名義司教 (英語版)としての司教管区 (英語版)一覧(『教皇庁年鑑』(Annuario Pontificio)による)[6]

出典

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  1. ^ Soustal (1991), pp. 59–60
  2. ^ Soustal (1991), p. 60
  3. ^ Soustal (1991), pp. 60–61
  4. ^ Soustal (1991), p. 62
  5. ^ Soustal (1991), pp. 62–63
  6. ^ Annuario Pontificio 2013 (Libreria Editrice Vaticana 2013 ISBN 978-88-209-9070-1), "Sedi titolari", pp. 819-1013

参考文献

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  • Soustal, Peter (1991) (German). Tabula Imperii Byzantini, Band 6: Thrakien (Thrakē, Rodopē und Haimimontos). Vienna: Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften. ISBN 3-7001-1898-8  
前期ローマ帝国の属州(3世紀以前)
本土
元老院属州
皇帝属州
皇帝私領
東方属州(115年 - 117年)
117年以前に存在した属州
上記は、ローマ帝国の領土が最大となった117年の属州。「東方属州」はトラヤヌス帝期にのみ存在した属州。
後期ローマ帝国の属州(4 - 7世紀)
歴史的背景

293年、ディオクレティアヌスによって属州の統治体制が再編され、新たに管区が制定された。は337年のコンスタンティヌス1世の死後、確立された。

ガリア道 (英語版)
ガリア管区 (英語版)
ウィエンヌ管区 (英語版)
ヒスパニア管区 (英語版)
ブリタンニア管区
イタリア道 (英語版)
イタリア郊外区
イタリア穀物区
アフリカ管区 (英語版)
パンノニア管区 (英語版)
イリュリクム道 (英語版)
ダキア管区 (英語版)
マケドニア管区 (英語版)
オリエンス道
トラキア管区 (英語版)
アシア管区 (英語版)
ポントゥス管区 (英語版)
オリエンス管区
アエギュプトゥス管区 (英語版)
その他

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