アルペス・コッティアエ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルペス・コッティアエ(ラテン語: Alpes Cottiae)とは、古代ローマの属州の一つである。「アルペス」と名前の付く3つの属州の一つである。コッティアエの名前は現在も「コッティアン・アルプス」(Cottian Alps)として残っている。
アルペス・コッティアエ属州の西にガリア・ナルボネンシス、南にアルペス・マリティマエ、北にアルペス・ポエニナエの各属州、東はイタリア本土にそれぞれ面していた。州都はセグシウム(Segusium、現:スーザ)に置かれた。
アルペス・コッティアエは紀元前1世紀まではリグリア人の支配下にあったが、初代ローマ皇帝アウグストゥスの時代にローマの従属国となった。ネロ帝の時期にローマ帝国の皇帝属州となり、皇帝の代理としてエクィテスのローマ人が属州総督に任じられた。
前期ローマ帝国の属州(3世紀以前) | |
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本土 | |
元老院属州 | |
皇帝属州 | |
皇帝私領 | |
東方属州(115年 - 117年) | |
117年以前に存在した属州 | |
上記は、ローマ帝国の領土が最大となった117年の属州。「東方属州」はトラヤヌス帝期にのみ存在した属州。 |
後期ローマ帝国の属州(4 - 7世紀) | |||||||||||
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歴史的背景 | 293年、ディオクレティアヌスによって属州の統治体制が再編され、新たに管区が制定された。道は337年のコンスタンティヌス1世の死後、確立された。 | ||||||||||
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ガリア道 (英語版) |
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イタリア道 (英語版) |
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イリュリクム道 (英語版) |
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オリエンス道 |
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その他 |
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