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日本ハム退任の栗山監督「もっといろいろやってみたかった」 今後は白紙「北の旅人。そんな感じです」

[ 2021年11月2日 05:30 ]

退任会見のサプライズで杉谷(左)から花束が贈られ、笑顔で写真に納まる栗山監督(撮影・高橋 茂夫)
Photo By スポニチ

日本ハム・栗山英樹監督(60)が1日、札幌ドーム内で退任会見を行った。11年11月9日に就任会見に臨んでから10年間、3646日にわたってチームを全力で率いてきた。すっきりした表情で、さまざまな思いを語った。

以下、栗山監督の冒頭あいさつと一問一答。

「10年間、目いっぱい選手たちのために、そして応援してくれる皆さんに何とか喜んでもらおうと全力で走ってきました。終わってみると後悔ばかりではあります。球団関係者や全ての選手、全国の野球関係者の皆さんがいて10年間やらせてもらえた。本当にありがとうございました」

――どんな10年間だったか。
「大好きな野球をこの年まで全力で必死になれたのは、ただ幸せだった。ファンの皆さんが勝って喜ぶ、優勝して喜ぶことが思っていたより回数が少なかったことに関しては、本当にすいませんということしか言いようがない10年間です」

――前例や先入観にとらわれない策を講じてきた。
「本当はもっといろいろやってみたかったというのが凄いある。ふざけているように見えたかもしれないけど、全ては勝つためだったし、常識と呼ばれるものから全く離れたものをやって結果を出し続けることが、組織が一致団結するのに一番近いと思っていた。普通にやっても意味がないというか、やりにくいと思っていた」

――具体的にどんな采配を温めていたか。
「例えば...郡にブルペンで投球をさせた。140キロぐらい投げられて制球がいい。ミヤ(宮西)に外野守備を練習してもらって、郡を投げさせて、ひっくり返してミヤを戻すとか、やり方はいっぱいある。上原は(投手と野手の)2つやった方がいいんじゃないかと今でも思っている。辞めるから、球団には言っておきますけど、来年から二刀流という枠をつくってほしい」

――大谷(現エンゼルス)には入団前、どんな道が見えたか。
「こんなふうになってほしいというまだ全然途中。世界一の選手になる可能性があったから5年間という短さで卒業させました。その後、正直言えばチームが苦しんだ部分はあったかもしれないけど、世界最高峰という場所で輝いてくれることが力を与えてくれると信じていた」

――野球を考えなくていい日々になる。
「昨日もノートを書いていた。何で今年こんなに負けたかな、もっとやり方があっただろうと。無駄な抵抗ですけど。監督やっているとかやっていないとかじゃない。もっと野球を知りたいし、選手を喜ばせる方法を見つけたい。野球を考えない感じは全然ないなという気がします」

――座右の銘は「夢は正夢」。10年間で正夢になった夢は。
「いくつか。僕は監督としてユニホームを着られると全然思っていなかったので、日本一になった瞬間や1年目にリーグ優勝した瞬間は一生忘れない。あと"夢は正夢"というのとは全く逆なのかもしれないけど、活躍できずにユニホームを脱ぐ選手と話している時、苦しんだ人は次に輝けると僕は信じられた。まあ、なかなか正夢にならないからそう言っているので、これからも追いかけていく」

――今の夢は。
「このチームが世界一になると言ってきたのに、苦しんでいる。23年には新球場になる。僕が元気なうちに"世界一だよね"というチームになってくれることが一番大きな夢。残った選手たち、スタッフ、新監督、よろしくお願いします」

――今後について決まっていることは。
「何もない。北の旅人。そんな感じです。ふらふら歩いているうちにやりたいこと、やらなきゃいけないことが出てくるかな」

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