[フレーム]
<<前の10件 1 2 3 4 5.. 次の10件>>

2010年04月07日

藤井直敬「つながる脳 SOCIAL BRAINS」


つながる脳

つながる脳

  • 作者: 藤井 直敬
  • 出版社/メーカー: エヌティティ出版
  • 発売日: 2009年05月15日
  • メディア: 単行本




科学の重要な要素の一つに「再現性」というものがあります。つまり同じ条件化で実験を行えば同じ結果を「再現」出来なければいけないという意味です。

この再現性を得るために科学者は実験条件を徹底的に制限します。コントロールできないものを排除し、偶然という科学の敵を実験室から追い出すのです。たとえばヒトを対象にした脳波を測定する実験であれば、「動かないで下さい」という指示の下に、ベッドの上に寝かされ、爆音のするfMRIのなかで、「目も腕も動かさないで下さい」という指示も付け加えられます。

こんな科学者の「常識」を壊そうとするの本書の著者です。私たちは普通、そのような状況におかれることはありません。そんな状況におかれたことのないヒトの社会的(適応)知性が、どうやってそのような状況で明らかにされるのかと著者は問いかけます。

著者は二頭の自由に動けるサルを連れてきて、何も教えることなくえさの取り合いを行わせます。次第に二頭のサルの間に上下関係が生まれ始め、一頭のサルはめったにサルを取らなくなります。このような上下関係の生成はサル山では常識的に見られます。しかし、このような実験方法は二頭のサルが自由に動き回るという点において偶然性が高すぎ、再現性も得られないため、「非常識」とされてきました。

そんな実験方法に、著者は社会脳、関係性の中で生まれるヒトの適応知性を明らかにするために挑んだのです。

この本を読んでいると、医学部出身で脳や知性について研究している著者は、非常に工学的だなと僕なんかは思ってしまいます。つまり、知りたいことがあれば、それを知るために必要な装置をどんどん作ってしまうのです。時には具体的に明らかにしたいことがなくてもまず装置を作ってしまいます。出来ることが増えればアイデアおのずとついてくる、といった感じです。

一方で著者は非常に現実的で、完璧は求めないし、出来ることでやることをやるといった姿勢も持っています。このような「出来ることをやりつつ出来ることだけに縛られない」という姿勢はまさに科学者であるなと思うのです。

よく人間は「あれは出来ない」「お金がない」「機会がない」「それは許されない」「禁止されている」「前例がない」「非常識だ」といった言葉でやるべきことや最良の方法をあえてとろうとしないことがあります。しかし科学者に必要な要件というのはそういった言い訳を排し、可能な範囲を常に拡張しながら出来ることから確実に達成していく姿勢ではないかと、この本を読んでいて思いました。

目次
序章 脳と社会と私たち
第1章 脳科学の四つの壁
第2章 二頭のサルで壁に挑む
第3章 壁はきっと壊せる―適応知性の解明に向けて
第4章 仮想空間とヒト
第5章 ブレイン-マシン・インターフェイス
第6章 つながる脳

2010年03月20日

村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」


中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1997/04
  • メディア: 文庫




タイトルからすると、村上春樹の中国旅の紀行文かと思いますが、短編集です。

タイトルは以下のとおり。
・中国行きのスロウ・ボート
・貧乏な叔母さんの話
・ニューヨーク炭鉱の悲劇
・カンガルー通信
・午後の最後の芝生
・土の中の彼女の小さな犬
・シドニーのグリーン・ストリート

やっぱり、ブックレビューは読んですぐにやらないといけません。ということで、今回は抜書きだけ。
ニューヨーク炭鉱の悲劇
詩人は21で死ぬし、革命家とロックンローラーは24で死ぬ。それさえ過ぎちまえば、当分はなんとかうまくやっていけるだろう、というのが我々の大方の予測だった。p.98


ニューヨーク炭鉱の悲劇
「テレビには少なくともひとつだけ優れた点がある」しばらく考えたあとで彼はそう言った。「好きな時に消せる」p.107


午後の最後の芝生
記憶というのは小説に似ている、あるいは小説というのは記憶に似ている。(中略)どれだけきちんとした形に整えようと努力してみても、文脈はあっちに行ったりこっちに行ったりして、最後には文脈ですらなくなってしまう。なんだかまるでくったりした子猫を何匹か積みかさねたみたいだ。生あたたかくて、しかも不安定だ。そんなものが商品になるなんて―商品だよ―すごく恥ずかしいことだと僕はときどき思う。本当に顔が赤らむことだってある。僕が顔を赤らめると、世界中が顔を赤らめる。p.151


シドニーのグリーン・ストリート
「この世界には、たぶんあなたは御存じないと思うのですが、約三千人の羊男が住んでおります」
「アラスカにもボリヴィアにもタンザニアにもアイスランドにも、いたるところに羊男がおります。しかしこれは秘密結社とか革命組織とか宗教団体とかいったようなものではありません。会議があったり機関紙があったりするわけでもありません。要するに我々はただの羊男でありまして、羊男として平和に暮らしたいと願っているだけなのです。羊男としてものを考え、羊男として食事をとり、羊男として家庭を持ちたいのです。だからこそ我々は羊男なのです。お分かりでしょうか?」
「しかし我々の行く手に立ちはだかる人々も何人かいます。その代表的な人間がこの羊博士なんです。羊博士の本名も歳も国籍もわかりません。それが一人の人間なのか、複数の人間なのかもわかりません。しかし相当な老人であることはたしかです。そして羊博士の生きがいは羊男の耳をちぎってコレクションすることなのです」
「羊博士には羊男の行き方が気に入らないのです。だからいやがらせに耳をちぎっちゃうんです。そして喜んでいるんです」pp.268-269

2010年03月02日

村上春樹・佐々木マキ「ふしぎな図書館」


ふしぎな図書館 (講談社文庫)

ふしぎな図書館 (講談社文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2008年01月16日
  • メディア: 文庫



またまた村上春樹づいています。

ある少年が不思議な図書館に迷い込んで、老人やきれいな女の子や、おなじみの羊男と出会う話です。

ポップな絵にごまかされそうになりますが、とっても悲しい話です。救いがありません。気づかれないように、村上作品の悲しい部分だけを集めて、お話をつむいでいくような感じです。

村上作品の話の筋だけを凝縮すると、こうなるのか、という感じです。だけど、筋だけだから、感心するような言葉も教訓もありません。これが人生だ、とは思いたくない。

ひょっとすると読むと損するかもしれません。

2010年03月01日

村上春樹「アフターダーク」


アフターダーク

アフターダーク

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004年09月07日
  • メディア: 単行本



村上春樹のアフターダークを読みました。

ある日の、日付が変わる直前から朝が空けるまでの一晩に、少女に起こった出来事の話です。

19歳のマリは家に帰りたくない事情があって、ファミレスで時間をつぶしています。そこにマリのお姉さんのエリの同級生である高橋が通りかかる。高橋もまた、バンドの練習で一晩を都会の中で過ごしています。マリは中国語がしゃべれるという理由で、ちょっとした「出来事」に巻き込まれます。また同じように一晩を都会の中で過ごしている白川というサラリーマンも登場します。やがて、マリと高橋は少しずつ仲良くなっていき、エリが「少し眠る」といったま二ヶ月も眠り続けていることも明かされます。

村上春樹の作品としてはちょっと珍しいかなと思うのですが、ほとんど何も起こりません。いくつかの伏線らしきものも提示されますが、ほとんど回収されません。なぞの「視点」についても何の説明も与えられません。
こういう一晩の出来事を小説にするスタイルってのは割とあることかなと思いますが、「村上さんもこういうこと、やりたかったんだな」ってのが正直な感想です。

読んでとくに損はしませんが、得もしないかな。まあ、読むことは楽しめるのでそういう意味では得できます。


いいなと思った箇所を引用。
「どうして?」とマリは尋ねる。
「それはつまり、本当に答えを聞きたくて質問しているわけ?」
「もちろん。だって答えを聞きたいから質問するんでしょう、普通」
「理屈としてはね。でもさ、中にはただ儀礼的に質問する人もいる」
「よくわからないんだけど、私がどうしてあなたに、儀礼的に質問をしなくちゃならないけ?」
「それはまあそうだ」。p.135
高橋が言っていることをちょっと最近考えていたので、くすっとしてしまいました。
「とにかくその日を境にして、こう考えるようになった。ひとつ法律をまじめに勉強してみようって。そこには何か、僕の探し求めるべきものがあるのかもしれない。法律を勉強するのは、音楽をやるほど楽しくないかもしれないけど、しょうがない、それが人生だ。それが大人になるということだ。」p.141
村上さんは登場人物によく人生について語らせます。「それが大人になるということ」の「それ」は「楽しいことばかりはしていれない」って意味と、「探し求めるべきものを探す」という意味があるなと思いました。
「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」p.203
高橋の人生のモットー。マリが間違えて「たくさん歩け、ゆっくり水を飲め」と言ったけど、それでも大して変わらないらしい。
高橋は電話を切って、折り畳んでポケットにしまう。ベンチから立ち上がり、ひとつ大きく伸びをして、それから空を見上げる。空はまだ暗い。さっきと同じ三日月が空に浮かんでいる。明け方近い都会の一角から見上げると、そんな大きな物体が無償で空に浮かんでいること自体、不思議に思える。p.261
月が無償で空に浮かんでいることを不思議に思う。今までなかった考えですが、そう考えてみると、月が浮かんでいてくれることは感謝ですよね。

こうやって抜き出してみると、全部、高橋の発言でした。

2010年02月20日

クーリエ・ジャポン3月号





レビュープラスさんよりクーリエ・ジャポン三月号を献本していただきました。

クーリエ・ジャポン ブログレビューコンテスト
Fujisanギフト券プレゼントキャンペーン


三月号のクーリエ・ジャポンは「ルポ 貧困大国アメリカ」を書かれた堤未果さん責任編集による、アメリカ特集号です。

まずクーリエ・ジャポンの表紙にいきなり驚かされます。「貧困大国の真実」と書かれた表紙の「貧困大国」の上に、「アメリカ」とルビがふられています。アメリカといえば経済大国で大きな家で、夢と希望に溢れた国、というのが多くの日本人によって抱かれているイメージではないでしょうか。

僕自身、アメリカで4年間の大学生活を送ったものとして、光ばかりではなく影もある国とは理解していますが、「アメリカ」と「貧困」がそこまでダイレクトに結びつくとは考えもしませんでした。

ページを繰っていくと、堤さんの写真があります。美人。。。きれいかわいいという感じです。この人の顔を見るだけでも3月号のクーリエ・ジャポンを手にする価値はあるかと思います。しかし、堤さんの美しさに負けないくらい、3月号の記事はアメリカの真実を映し出しています。

そして、堤さん言います。今のアメリカでは、多くの中流家庭の人々が貧困層に転落していると。

「「貧困大国」は変わったか?」というセクションでは1日2万人のペースでフードスタンプ(1人当たり平均月130ドル分の食料を買うことの出来るカード)受給者が増加していることが明かされます。フードスタンプを受給している人は怠け者だと思っていた中流家庭の人が、失業によってフードスタンプなしでは満足に食べるものも買えなくなり、今では、フードスタンプで「心の安定」を買っていると言います。

「人間の尊厳を奪う「医療崩壊」」というセクションでは、多くの人が満足な医療保険に入ることが出来ず、十分な治療を受けられない事実が描き出されています。安い保険ほど、ある意味当然ですが自己負担分の医療費が大きくなります。しかし、貧しいから安い保険に入っているのに高い医療費を出すお金などあるはずがありません。もっどひどいものだと、思い病気にかかっていることがわかった途端に、医療費の支払いを拒否する保険会社もあるそうです。貧困大国と呼ばれるアメリカの矛盾しきった医療保険の真実がここにあります。医療改革はオバマの公約の一つであったのですが、製薬・医療保険業界から多額の献金を受けるオバマ政権は次々に業界に妥協をしていき、いまではその政策はすっかり骨抜きにされてしまったそうです。

「学生を借金漬けにする教育システム」というセクションでは、授業料の高騰と高金利の学資ローンの問題が浮き彫りにされています。ここ20年間でアメリカの大学授業料は120%近く、つまり2倍近くあがったにもかかわらず、家計所得の平均は17%程度しか上昇していません。多くの学生が大学進学には学資ローンに頼るしかないにもかかわらず、高金利のローンは学生の卒業後を借金返済のためだけの時間に変えてしまうのです。こういった問題の背景には不況の問題があります。カリフォルニア大学はここ2年間で州からの予算が5分の1に減らされ、来年は更に13億ドルが削減される見通しだそうです。授業料、あるいは入学金を上げざるをえないのです。マサチューセッツ州の私立アマースト大学のアンソニー・マルクス学長は言います。「大学教育の質を犠牲にするのか、それとも学生の支払能力ではなく、才能に基づいて学生を受け入れる方針を犠牲にするのかのどちらかです。いずれにしても近い将来、米国の競争力が弱まることは間違いありません。」

特集の最後のセクションは「民営化で加速する「刑務所ビジネス」」です。アメリカの驚きは、司法に関わるはずの刑務所までがコスト削減の名目のもと民営化されていることです。刑務所が民営化されるということは、刑務所が利益を上げることを目的とするようになるということです。どのようにして利益を上げるかというと、1人でも多くの受刑者という名の住居者、つまり「お客さん」を増やし、長く「住ませる」のです。さらに、有害物質を含む機械の解体作業を受刑者にやらせて利益を得ているところもあるらしい。何より一番の問題はコスト削減のために職業訓練や更生教育が行われていないことだ。さらに本来は無料であるはずの、部屋代、食費、医療サービスも民営刑務所では自己負担となっている。それらは全て受刑者の借金となり、出所する頃には巨額の借金を抱えることとなるのだ。職業訓練も更生教育も受けていない借金まみれの人々は、すぐに再び犯罪を犯し、刑務所に戻ってくる。そうして民営刑務所はさらなる利益を上げるという。危険にさらされているのは市民なのだ。


以上の特集号のセクションで僕が特に興味を持って読んだのは3つ目のセクションです。アメリカで4年間の大学生活を送った僕にとって身近に感じられる話でした。

「高金利の学資ローン」と言いますが、実際には政府保証の学生ローンの金利は、6.8%〜8.5%という高さです。僕自身、大学の学費を出すために、6.8%の金利で2万ドルを借りました。2万ドルに対して6.8%の金利が何を意味するかというと、月々113.34ドルの利息がつくということです。月々の最低返済額が107.55ドルであったので、こんな額では毎月借金が増えていき、それにかかる利息も毎月大きくなってしまいます。

僕は一日も早くこの借金を完済するために、親から借金することを決めました。親は当時すでに定年退職をしていましたが、定期預金を崩して120万円を貸してくれました。ただ、親も住宅ローンの支払い等がまだ残っていたため、話し合いで、半年後から元金に1%の利息をつけて、大学の返済が残る間は月5万円ずつ、大学への返済が終わり次第、月々10万1千円を返していくことを約束しました。

僕はまず、その120万円で大学の学費の半分以上を返済し、さらに月々700ドル程度を返し続けました。結果的に、2万ドルの借金は、利子分を合わせて、21209ドルを約二年間で返済することが出来ました。

僕は大学卒業後は日本に帰国し、大学院に進学しました。借金を返済中、月々10〜12万円程度を親と大学に支払っていたことになります。この金額をどこから得ていたかというと、日本の独立行政法人日本学生支援機構(旧育英会)です。現在、日本の大学院生は月々最高第二種15万円と第1種8万8千円の合わせて23万8千を借りることが出来ます。僕は両方、最高額を借りていたため、大学院入学後のこの二年間で約570万円の新たな借金を抱えたことになります。

現在、第1種は無利子で、第二種は1%程度の金利で借りることが出来ます。このため、アメリカのように大学卒業後、借金を返しても返しても減らないという状況に陥る可能性は、今のところは低いといってよいでしょう。

しかし、クーリエ・ジャポンの編集長、古賀義章さんは言います。「この特集は決して海の向こうの話ではないと思っている。"貧困大国"は、米国に追随してきた日本の近未来の姿なのかもしれないからだ」と。

僕は、この4月から更に博士後期課程に進学することが決まっています。そのため、現状のままだと更に借金を抱えることとなり、卒業後には借金は1千万近くになるかもしれません。あらためて、文字にしてみるとぞっとします。僕が大学院を出ること、日本はアメリカのような「貧困大国」になってしまっているのでしょうか。

堤さんは言います。「「チェンジ」は待つものではなく起こすもの。今、失望の中、そう言って再び政治に目を向け始めたアメリカ国民は少なくない。
1年前のあの日、アメリカが、世界が手にした希望は色褪せたのだろうか? 答えはノーだ。本当の「チェンジ」は、これから始まる。」


世界を変える力は一人一人の手の中にある。アメリカが貧困大国を脱するかも、日本が貧困大国とならないかも、一人一人の問題意識と行動にかかっている。そう思えば希望もまた、僕らの手の中にあるのかなと思えます。
今月号のクーリエ・ジャポンの特集はそんな希望に気づかせてくれたのかもしれません。

クーリエ・ジャポン ブログレビューコンテスト
Fujisanギフト券プレゼントキャンペーン

2010年02月12日

有川浩「空の中」


空の中 (角川文庫)

空の中 (角川文庫)

  • 作者: 有川 浩
  • 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
  • 発売日: 2008年06月25日
  • メディア: 文庫



な、なんと、今年に入って初のアップです。例年をはるかに越える読書率の悪さですね。忙中閑なくても、読書するくらいの気概が必要ですよね。

これは、1月24日から2月2日までの、アメリカに言っている間に読みました。中部国際空港から成田に向かう機内で読み始めたのですが、小説の冒頭で、いきなり名古屋空港を飛び立った飛行機が落ちるというなんとも臨場感のある(いろんな意味でw)読み出しとなりました。

二人の少年少女と、二人の若い男女が核となって話が進んでいきます。もともとはライトノベルで出版される予定だったらしく、飛行機に関する記述がちょっとマニアックなところもありますが、登場人物の描写がなかなか心に迫るところがあり、小説としてもしっかりしています。

冒頭で、主人公の男の子のお父さんが飛行機事故でなくなるのですが、その辺ではおもわずぐっと来てしまい、早くも話に引き込まれます。

心の痛みと身体の痛みは別であること。自分が傷ついていなくても自分の大切な人が傷つくと自分も痛みを感じること。集団であることと個人でいること。そしてアイデンティティなど、心理を専攻しているものにとっても何かと考えさせるテーマが多くあります。

また、友人の意味についても問題提起がされます。話の中盤で、主人公の男の子、瞬のもとへ、もう一人の主人公である瞬の幼馴染、佳江が駆けつけたときのシーン。
瞬:「やっぱり、佳江って要るとき来るよな」
要るって。要るってどうして
佳江:「・・・どうして、そんなこと言うが?」
そんなことを言う瞬は知らない。要るとか要らないとか自分の都合だけで人の価値を決めるような瞬は知らない。
そんな一方的な勝手な接し方をする瞬は、佳江の知っている瞬じゃない。

よく、「必要なときにいてくれる存在」を求めるなどと言いますが、そういった考えに真正面から疑問を問いかけるこのやり取りには、考えさせられるところがあります。

不安定な少年少女の心と、ある程度の責任は求められるものの一人で生きていけるほど強くない男と女。その二組の主人公に、どんな年代の読者も共感できる作品であると思います。

全体的に非常に話が大きく、スペクタクル感も満載です。実写にするとつまらなくなりそうですが、SFアニメとして映画化すると面白いだろうなと思わせてくれます。
ラベル:有川浩

2009年12月31日

小沢征爾「ボクの音楽武者修行」

[フレーム]

これぞのだめカンタービレのリアル千秋です。1958年、神戸から船でヨーロッパに向かい、スクーターでフランスを走った23歳の小沢征爾。

当時、唯一の国際的な指揮者コンクールに出場した小沢さん。周りは大使館のサポートを受けながら出場している、間違いなく国代表の指揮者たち。「俺こそが優勝だ」っていう自信満々の男たちの中で、小沢さんはいきなり一位を勝ち取ってしまいます。そっから演奏会を開いて、なんだって、一気にキャリアを開いて、フランス、ベルリン、アメリカをいったりきたりする二年半の生活を自らの言葉で綴ったエッセイです。

まだ海外が果てしなく遠いところにあった時代に、今や世界一級の指揮者が駆け抜けた若き時代の2年半はとても勇気を与えてくれます。

2009年12月28日

外山滋比古「思考の整理学」

[フレーム]

うわさのベストセラーを読みました。

本の帯には「"もっと若いときに読んでいれば..."そう思わすにはいられませんでした」とか、「この本を読んでいないなんて、人生の半分を損している。」なんて大げさなことが書いてありますが、そこまですっごい話ではないです。

軽い調子で、エッセイのように語られていきます。ここで語られていることは、希望です。優しさです。忘れていいんだ、時間をかければいいんだ、天才なんてものはないんだ、などそういった「気負わなくていい」というメッセージにはあふれているように僕には思えました。

ただ、その上で、やるべきことはやらなければならない。「忘れていい」というのは一度は「覚える」または「考え」なければならないということです。「時間をかければいい」ということは、逆に言えば「時間をかけなければならない」ということです。「天才なんてない」というのは、「努力しかない」ということです。

アイデアノートの作り方や、着想についての外山先生なりの考え方は参考になります。手元において、ふとしたときにぱらぱらと読みたくなる本です。

2009年12月16日

スティーブン・ピンカー「人間の本性を考える(下)-心は「空白の石版」か 」

[フレーム]

ついに、「人間の本性を考える」の(下)を読み終わりました。(上)を読み終わったのが9月頭なので3ヵ月以上、時を見て折を見て読んでいたのですね。

(中)で見た、人間の本性を明らかにすることが、社会的問題を解決する出発点となる、という議論をさらにトピックごとに細かく分けて書いていきます。

特に、暴力について語る項で、ホッブズの哲学を詳述しながら、国家間の対立を解き明かしていくあたりは非常に興味深く読みました。

ピンカーは、「私見によれば、背景にあるこの無道徳性の結果(つまり自然淘汰)の結果をよく見抜いていたのは、ホッブズの『リヴァイアサン』である。」とし、「なぜ暴力が起きるのかではなく、なぜ回避されるのかを問う必要がある」という(p.73「つまり自然淘汰」はごとうpの追記)。

つまり、暴力は自然淘汰の過程によって進化してきたものであるため、しばしば暴力が合理的になるときがある。法的にも「正当防衛」という暴力や、市民を守るための「刑の執行」という暴力が存在する。ならば、どのような時に、その暴力が合理的でなくなるのか、どのように回避されるのかを考えなければならない。その問はとりもなおさず、人間の本性を見つめることが必要とされる。

そして、ホッブスの考えが引用される。長くなるが、これもそのまま引用しておきます。
したがって人間の本性のなかに、三つの主要な不和の原因を見ることができる。第一は競争、第二は不信、第三は栄誉である。第一は人間に利得を求める侵略をおこなわせ、第二は安全を、第三は評判を求めた侵略をおこなわせる。第一は自分をほかの人びとの人格や、妻や、子どもや、家畜の主人とするために暴力を行使し、第二は自分を防衛するために暴力を行使する。第三は、一つの言葉や笑いや意見のちがいなど、過小評価の徴候となるあらゆる些細なことがらに対して、それが直接自分の人格に向けられたものか、間接的に親族、友人、国家、職業、あるいは名前に向けられたものかにかかわらず、暴力を行使する。 p.74


微妙なニュアンスでありますが、「競争(する)」「不信(する)」「栄誉(を求める・を守る)」原因が、人間の本性のなかに存在することであると思います。逆の言い方をすれば、この三つの行動は人間の本性そのものではなく、不可避なものでもないということです。

ここでいう、「競争」「不信」が、マーク・ブキャナンが挙げる人間の本質の一つ、つまり「協調する」と相反するように見えることは、興味深いことではあります。しかし、ブキャナンは、集団レベルの自然淘汰を考えたときに「協調」が進化すると限定的に議論しているので、必ずしも相反しているわけではないでしょう。つまり、個人間では競争、不信があり、集団内では強調があり、集団間ではやはり競争、不信があると、考えられると思います。

ここでは詳述しませんが、子育てに関する章も非常に興味深かったです。親とこの関係を考える人は、この章だけでも読む価値があるかと思います。


目次
V 五つのホットな問題―人間の本性から見る
第16章 政治―イデオロギー的対立の背景
第17章 暴力の起源―「高貴な野蛮人」神話を超えて
第18章 ジェンダー―なぜ男はレイプするのか
第19章 子育て―「生まれか育ちか論争の終焉」
第20章 芸術―再生への途をさぐる
VI 種の声―五つの文学作品から

2009年11月05日

マーク・ブキャナン「人は原子、世界は物理法則で動く―社会物理学で読み解く人間行動」

[フレーム]

マーク・ブキャナンの新刊が出ていたので早速読みました。
前作「複雑な世界・単純な法則」同様、複雑に見える現象ほど、単純な法則によって動いているというメッセージがこめられています。

人間を原子のごとく扱い、社会現象を物理の現象として扱えば、非常に難しく、複雑に見える物事も、全体のパターンとしてなら説明が可能で、うまくいけば予測も可能になると筆者は言います。
ブラーエ、ケプラー、ニュートンは、三人あいまって正しい科学のためのレシピのようなものをはっきりと示した。つまりデータを集め、パターンを突き止め、パターンを説明するメカニズムを見出すというものである。パターンから明らかになる規則性を見れば、一見複雑そうに見えるものが実際にはかなり単純であることがわかる。さらに、こうしたパターンの背後にある自然法則のおかげで、予測が可能になる場合もしばしばである。p.48

ここで言う、全体、またパターンという言葉には、個々の性質(原子、あるいは人間)を見ていたのでは現象の本質(自然現象や社会現象)を見抜くことができないという意味があります。

そういったパターンを理解するうえで重要なことは、適切なモデルを構築することだと筆者は言います。
本物の科学の発展には、考え抜かれた適切な近似的扱いが不可欠である。対象が何であれ、「完璧な」モデルや「すべてを備えた」モデルなど、あるはずがない。構図のなかに含まれるいくつかの要素を無視してはじめて、われわれに重要な関わりをもつ疑問に答えを出すことが可能になる。p.156

極端なまでに単純化したモデルによって複雑な物事の核心に到達することの重要性と、実際に到達できる可能性があることがわかっていないのだ。単純なモデルにそのようなことが可能だというのは、科学の奇跡のように思われるかもしれない。おそらくは奇跡なのだろう。だが、こうした奇跡がなければ、そもそも科学など存在しなかっただろう。p.225

概念や考え方、さらには実践面での物理学の威力は、どれほど巧みに近似を行えるか―実際には問題にならない細部を無視して、問題になる事柄だけに焦点を当てることを習得する力量―にかかっている。

正直なところ、いくつかの例外はあるものの、私も含めて物理学者には、非常に単純化したモデルに依拠しながら、あれほど多くの事実を知ることができるほんとうの理由がわかっているとは思えない。だが、どうやら宇宙はわれわれにチャンスをくれているようだ―世界は想像しているよりも簡単な形に組み立てられているように思われるのである。p.226

重要なのは、過度なまでに単純化したモデルなら何でも役に立つということではなく、過度なまでに単純化したモデルが威力を発揮するのは、ほんとうに問題になるごく少数の細かな点を正しく捉えている場合に限られるということなのである。p.228

本物の科学は、いずれもこの普遍的な性質をもつ「奇跡」、つまり、問題になる重要なパターンが多数の要因に左右されるケースはまれで、ふつうはごく少数の決定的に重要な要因に左右されているという事実を拠りどころにしている。

だから科学では、現実を恐ろしいまでにどこまでも詳細に捉えようとした精密なモデルは必要がない。進むべき方向は正反対で、そのためには無視できるものはすべて無視して、できるだけ単純な理論を構築しなければならない。たとえモデルに人間が含まれていても、このことに変わりはない。p.228


また、筆者が紹介しているものは、人間の活動が生みだすパターンであるために、人間の本質に迫った描像に必要なると言います。
その本質とは、適応し、模倣し、協調する、ということです。
さらに詳しくは、訳者があとがきのなかで以下のようにまとめてくれています。
人間は一人一人が性格も考え方も経験もまったく異なる複雑さの極致のような存在であるといえ、共通するごく少数の特性を的確に捉えて理論なりモデルに組み込めば十分p.283

その特性とは、?@人間は本質的には理性による論理的思考が不得手で、むしろ直感に頼って思考し、判断を下すこと、?A他者との関わりあいのなかで学習し、適応していくこと、?B進んで人のまねをしようとすること、?C仲間との協調を志向する一方で、協調を目指す同じ論理に従って、よそ者に対しては盲目的な敵意を向ける傾向があること、である。p.284


科学とは何かということを、社会科学者に熱く訴える一書であると共に、非常に身近な話題や多くの人が問題意識として持っているであろう事柄を、優れた訳で書かれた、一般の方も大いに楽しめる一書であると思います。


目次
第1章 人間ではなく、パターンを考える
第2章 世界が複雑なのは人間が複雑だから?
第3章 人間は本当に合理的なのか
第4章 適応する原子
第5章 模倣する原子
第6章 協調する原子
第7章 民族はなぜ憎しみあうのか
第8章 金持ちがさらに豊かになる理由
第9章 過去への前進
<<前の10件 1 2 3 4 5.. 次の10件>>
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


posted by Seesaa ブログ
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /