2010年02月20日
クーリエ・ジャポン3月号
COURRiER Japon ( クーリエ ジャポン ) 2010年 03月号 [雑誌]
COURRiER Japon ( クーリエ ジャポン ) 2010年 03月号 [雑誌]
- 作者:
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010年02月10日
- メディア: 雑誌
レビュープラスさんよりクーリエ・ジャポン三月号を献本していただきました。
クーリエ・ジャポン ブログレビューコンテスト
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三月号のクーリエ・ジャポンは「ルポ 貧困大国アメリカ」を書かれた堤未果さん責任編集による、アメリカ特集号です。
まずクーリエ・ジャポンの表紙にいきなり驚かされます。「貧困大国の真実」と書かれた表紙の「貧困大国」の上に、「アメリカ」とルビがふられています。アメリカといえば経済大国で大きな家で、夢と希望に溢れた国、というのが多くの日本人によって抱かれているイメージではないでしょうか。
僕自身、アメリカで4年間の大学生活を送ったものとして、光ばかりではなく影もある国とは理解していますが、「アメリカ」と「貧困」がそこまでダイレクトに結びつくとは考えもしませんでした。
ページを繰っていくと、堤さんの写真があります。美人。。。きれいかわいいという感じです。この人の顔を見るだけでも3月号のクーリエ・ジャポンを手にする価値はあるかと思います。しかし、堤さんの美しさに負けないくらい、3月号の記事はアメリカの真実を映し出しています。
そして、堤さん言います。今のアメリカでは、多くの中流家庭の人々が貧困層に転落していると。
「「貧困大国」は変わったか?」というセクションでは1日2万人のペースでフードスタンプ(1人当たり平均月130ドル分の食料を買うことの出来るカード)受給者が増加していることが明かされます。フードスタンプを受給している人は怠け者だと思っていた中流家庭の人が、失業によってフードスタンプなしでは満足に食べるものも買えなくなり、今では、フードスタンプで「心の安定」を買っていると言います。
「人間の尊厳を奪う「医療崩壊」」というセクションでは、多くの人が満足な医療保険に入ることが出来ず、十分な治療を受けられない事実が描き出されています。安い保険ほど、ある意味当然ですが自己負担分の医療費が大きくなります。しかし、貧しいから安い保険に入っているのに高い医療費を出すお金などあるはずがありません。もっどひどいものだと、思い病気にかかっていることがわかった途端に、医療費の支払いを拒否する保険会社もあるそうです。貧困大国と呼ばれるアメリカの矛盾しきった医療保険の真実がここにあります。医療改革はオバマの公約の一つであったのですが、製薬・医療保険業界から多額の献金を受けるオバマ政権は次々に業界に妥協をしていき、いまではその政策はすっかり骨抜きにされてしまったそうです。
「学生を借金漬けにする教育システム」というセクションでは、授業料の高騰と高金利の学資ローンの問題が浮き彫りにされています。ここ20年間でアメリカの大学授業料は120%近く、つまり2倍近くあがったにもかかわらず、家計所得の平均は17%程度しか上昇していません。多くの学生が大学進学には学資ローンに頼るしかないにもかかわらず、高金利のローンは学生の卒業後を借金返済のためだけの時間に変えてしまうのです。こういった問題の背景には不況の問題があります。カリフォルニア大学はここ2年間で州からの予算が5分の1に減らされ、来年は更に13億ドルが削減される見通しだそうです。授業料、あるいは入学金を上げざるをえないのです。マサチューセッツ州の私立アマースト大学のアンソニー・マルクス学長は言います。「大学教育の質を犠牲にするのか、それとも学生の支払能力ではなく、才能に基づいて学生を受け入れる方針を犠牲にするのかのどちらかです。いずれにしても近い将来、米国の競争力が弱まることは間違いありません。」
特集の最後のセクションは「民営化で加速する「刑務所ビジネス」」です。アメリカの驚きは、司法に関わるはずの刑務所までがコスト削減の名目のもと民営化されていることです。刑務所が民営化されるということは、刑務所が利益を上げることを目的とするようになるということです。どのようにして利益を上げるかというと、1人でも多くの受刑者という名の住居者、つまり「お客さん」を増やし、長く「住ませる」のです。さらに、有害物質を含む機械の解体作業を受刑者にやらせて利益を得ているところもあるらしい。何より一番の問題はコスト削減のために職業訓練や更生教育が行われていないことだ。さらに本来は無料であるはずの、部屋代、食費、医療サービスも民営刑務所では自己負担となっている。それらは全て受刑者の借金となり、出所する頃には巨額の借金を抱えることとなるのだ。職業訓練も更生教育も受けていない借金まみれの人々は、すぐに再び犯罪を犯し、刑務所に戻ってくる。そうして民営刑務所はさらなる利益を上げるという。危険にさらされているのは市民なのだ。
以上の特集号のセクションで僕が特に興味を持って読んだのは3つ目のセクションです。アメリカで4年間の大学生活を送った僕にとって身近に感じられる話でした。
「高金利の学資ローン」と言いますが、実際には政府保証の学生ローンの金利は、6.8%〜8.5%という高さです。僕自身、大学の学費を出すために、6.8%の金利で2万ドルを借りました。2万ドルに対して6.8%の金利が何を意味するかというと、月々113.34ドルの利息がつくということです。月々の最低返済額が107.55ドルであったので、こんな額では毎月借金が増えていき、それにかかる利息も毎月大きくなってしまいます。
僕は一日も早くこの借金を完済するために、親から借金することを決めました。親は当時すでに定年退職をしていましたが、定期預金を崩して120万円を貸してくれました。ただ、親も住宅ローンの支払い等がまだ残っていたため、話し合いで、半年後から元金に1%の利息をつけて、大学の返済が残る間は月5万円ずつ、大学への返済が終わり次第、月々10万1千円を返していくことを約束しました。
僕はまず、その120万円で大学の学費の半分以上を返済し、さらに月々700ドル程度を返し続けました。結果的に、2万ドルの借金は、利子分を合わせて、21209ドルを約二年間で返済することが出来ました。
僕は大学卒業後は日本に帰国し、大学院に進学しました。借金を返済中、月々10〜12万円程度を親と大学に支払っていたことになります。この金額をどこから得ていたかというと、日本の独立行政法人日本学生支援機構(旧育英会)です。現在、日本の大学院生は月々最高第二種15万円と第1種8万8千円の合わせて23万8千を借りることが出来ます。僕は両方、最高額を借りていたため、大学院入学後のこの二年間で約570万円の新たな借金を抱えたことになります。
現在、第1種は無利子で、第二種は1%程度の金利で借りることが出来ます。このため、アメリカのように大学卒業後、借金を返しても返しても減らないという状況に陥る可能性は、今のところは低いといってよいでしょう。
しかし、クーリエ・ジャポンの編集長、古賀義章さんは言います。「この特集は決して海の向こうの話ではないと思っている。"貧困大国"は、米国に追随してきた日本の近未来の姿なのかもしれないからだ」と。
僕は、この4月から更に博士後期課程に進学することが決まっています。そのため、現状のままだと更に借金を抱えることとなり、卒業後には借金は1千万近くになるかもしれません。あらためて、文字にしてみるとぞっとします。僕が大学院を出ること、日本はアメリカのような「貧困大国」になってしまっているのでしょうか。
堤さんは言います。「「チェンジ」は待つものではなく起こすもの。今、失望の中、そう言って再び政治に目を向け始めたアメリカ国民は少なくない。
1年前のあの日、アメリカが、世界が手にした希望は色褪せたのだろうか? 答えはノーだ。本当の「チェンジ」は、これから始まる。」
世界を変える力は一人一人の手の中にある。アメリカが貧困大国を脱するかも、日本が貧困大国とならないかも、一人一人の問題意識と行動にかかっている。そう思えば希望もまた、僕らの手の中にあるのかなと思えます。
今月号のクーリエ・ジャポンの特集はそんな希望に気づかせてくれたのかもしれません。
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2010年02月12日
有川浩「空の中」
空の中 (角川文庫)
- 作者: 有川 浩
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008年06月25日
- メディア: 文庫
な、なんと、今年に入って初のアップです。例年をはるかに越える読書率の悪さですね。忙中閑なくても、読書するくらいの気概が必要ですよね。
これは、1月24日から2月2日までの、アメリカに言っている間に読みました。中部国際空港から成田に向かう機内で読み始めたのですが、小説の冒頭で、いきなり名古屋空港を飛び立った飛行機が落ちるというなんとも臨場感のある(いろんな意味でw)読み出しとなりました。
二人の少年少女と、二人の若い男女が核となって話が進んでいきます。もともとはライトノベルで出版される予定だったらしく、飛行機に関する記述がちょっとマニアックなところもありますが、登場人物の描写がなかなか心に迫るところがあり、小説としてもしっかりしています。
冒頭で、主人公の男の子のお父さんが飛行機事故でなくなるのですが、その辺ではおもわずぐっと来てしまい、早くも話に引き込まれます。
心の痛みと身体の痛みは別であること。自分が傷ついていなくても自分の大切な人が傷つくと自分も痛みを感じること。集団であることと個人でいること。そしてアイデンティティなど、心理を専攻しているものにとっても何かと考えさせるテーマが多くあります。
また、友人の意味についても問題提起がされます。話の中盤で、主人公の男の子、瞬のもとへ、もう一人の主人公である瞬の幼馴染、佳江が駆けつけたときのシーン。
瞬:「やっぱり、佳江って要るとき来るよな」
要るって。要るってどうして
佳江:「・・・どうして、そんなこと言うが?」
そんなことを言う瞬は知らない。要るとか要らないとか自分の都合だけで人の価値を決めるような瞬は知らない。
そんな一方的な勝手な接し方をする瞬は、佳江の知っている瞬じゃない。
よく、「必要なときにいてくれる存在」を求めるなどと言いますが、そういった考えに真正面から疑問を問いかけるこのやり取りには、考えさせられるところがあります。
不安定な少年少女の心と、ある程度の責任は求められるものの一人で生きていけるほど強くない男と女。その二組の主人公に、どんな年代の読者も共感できる作品であると思います。
全体的に非常に話が大きく、スペクタクル感も満載です。実写にするとつまらなくなりそうですが、SFアニメとして映画化すると面白いだろうなと思わせてくれます。