2009年07月09日
福岡伸一「生物と無生物のあいだ」
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うわさのベストセラーをついに読みました。そしてうわさ通り、かなり面白かったですね。いわゆる新書というのではなくて、科学者の熱が伝わってくるような一書です。科学とは何なのか、演繹、帰納、ひらめき、データ、直感のあいまいさなど、著者の科学に関する思うところを、冷静に、しかし熱く語ってくれています。
「生物と無生物のあいだ」というタイトルですから、てっきり、なにが生物で、何が無生物なのかを記述する本なのかと思っていましたが、「生命となにか」という問に答えるのが本書でした。それは、著者自身が大学の初年度に問われた問でもありました。そして、その大学一年目に出会った問に対して出した一つの答えが、本書であるのです。
著者が出した答が以下。特に下の二つが著者の答です。
「生命とは自己複製するシステムである」(p.134)
「生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである」(p.167)
「生命とは時間軸に沿って流れる後戻りのできない一方向のプロセスである」(p.263)
答そのものよりも、そこに至るプロセスが、素人にも分かるように、おもしろく、ドラマを交えて展開されています。
なかなかに、読んでよかったなと思える一冊でした。
目次
第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
第2章 アンサング・ヒーロー
第3章 フォー・レター・ワード
第4章 シャルガフのパズル
第5章 サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
第6章 ダーク・サイド・オブ・DNA
第7章 チャンスは、準備された心に降り立つ
第8章 原子が秩序を生み出すとき
第9章 動的平衡とは何か
第10章 タンパク質のかすかな口づけ
第11章 内部の内部は外部である
第12章 細胞膜のダイナミズム
第13章 膜にかたちを与えるもの
第14章 数・タイミング・ノックアウト
第15章 時間という名の解けない折り紙
エピローグ
うわさのベストセラーをついに読みました。そしてうわさ通り、かなり面白かったですね。いわゆる新書というのではなくて、科学者の熱が伝わってくるような一書です。科学とは何なのか、演繹、帰納、ひらめき、データ、直感のあいまいさなど、著者の科学に関する思うところを、冷静に、しかし熱く語ってくれています。
「生物と無生物のあいだ」というタイトルですから、てっきり、なにが生物で、何が無生物なのかを記述する本なのかと思っていましたが、「生命となにか」という問に答えるのが本書でした。それは、著者自身が大学の初年度に問われた問でもありました。そして、その大学一年目に出会った問に対して出した一つの答えが、本書であるのです。
著者が出した答が以下。特に下の二つが著者の答です。
「生命とは自己複製するシステムである」(p.134)
「生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである」(p.167)
「生命とは時間軸に沿って流れる後戻りのできない一方向のプロセスである」(p.263)
答そのものよりも、そこに至るプロセスが、素人にも分かるように、おもしろく、ドラマを交えて展開されています。
なかなかに、読んでよかったなと思える一冊でした。
目次
第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
第2章 アンサング・ヒーロー
第3章 フォー・レター・ワード
第4章 シャルガフのパズル
第5章 サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
第6章 ダーク・サイド・オブ・DNA
第7章 チャンスは、準備された心に降り立つ
第8章 原子が秩序を生み出すとき
第9章 動的平衡とは何か
第10章 タンパク質のかすかな口づけ
第11章 内部の内部は外部である
第12章 細胞膜のダイナミズム
第13章 膜にかたちを与えるもの
第14章 数・タイミング・ノックアウト
第15章 時間という名の解けない折り紙
エピローグ
2009年06月29日
有田隆也「心はプログラムできるか-人工生命で探る人類最後の謎」
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内容紹介(amazon.co.jpより)
人類最大の謎を人工生命が解き明かせるのか
コンピュータの中で生息するデジタル生命体。彼らは集団の中で学習し、協調したり進化することができます。本書は、人工生命研究の基本を知るエピソードを紹介しながら、デジタル生命体を使って人類最大の謎「心」の秘密に迫る過程を描きます。
内容(「BOOK」データベースより)
人工生命の研究で、生命の長い進化の歴史をコンピュータで再現するには、進化をデザインしたり、理解できる豊かなイマジネーションが重要です。本書は、人類最後の謎といえる"心"を解き明かそうと、著者が夢中で取り組んできたビックリするようなアプローチを取り上げます。
人工生命のイントロダクションとしては、非常に読みやすい本です。人工生命なんて、学ぶ気がなくても、単純に知的好奇心を満たす上で読む本としても、簡単に書かれているので面白いです。
個人的には第一章の「蟻たちの真似をして儲ける話」がおもしろかったです。この章は、人工生命と言うよりも、ニューラルネットワークの話が面白かったです。あとは、第五章の「利己的であるからこそ利他性が生まれる」や第六章の「進化と学習が生む生命と心」、第七章の「暗闇で不安そうに動くロボット」もおもしろかったです。
第五章は最近は良く出てきている話で、利他的であるほうが一時的には不利でも、長期的、また集団的に見れば適応的であるという話です。第六章は進化と学習が併せて「進化」あるいは「より適応的」につながるという話で、結構新しいように思いました。第七章も最近、よく言われる話ですが、感情が適応的な理由から進化してきたという学説から、感情を行動で定義して、それをロボットにプログラミングして、さらに進化を促していくと、「まるで感情を持って動いているように見える」(例えば暗闇で不安そうに動く)ロボットを作ることが出来たという話です。
いずれも(まだ)新しい研究分野を分かりやすく、自身の研究成果から解説してくれています。
目次(抜粋)
第1章
蟻たちの真似をして儲ける話
第2章
進化の力を借りてアートを創る試み
第3章
デジタル生命で進化を研究する時代の到来
第4章
人工生命というムーブメントの本質
第5章
利己的であるからこそ利他性が生まれる
第6章
進化と学習が生む生命と心
第7章
暗闇で不安そうに動くロボット
第8章
計算機の中で心を進化させる
内容紹介(amazon.co.jpより)
人類最大の謎を人工生命が解き明かせるのか
コンピュータの中で生息するデジタル生命体。彼らは集団の中で学習し、協調したり進化することができます。本書は、人工生命研究の基本を知るエピソードを紹介しながら、デジタル生命体を使って人類最大の謎「心」の秘密に迫る過程を描きます。
内容(「BOOK」データベースより)
人工生命の研究で、生命の長い進化の歴史をコンピュータで再現するには、進化をデザインしたり、理解できる豊かなイマジネーションが重要です。本書は、人類最後の謎といえる"心"を解き明かそうと、著者が夢中で取り組んできたビックリするようなアプローチを取り上げます。
人工生命のイントロダクションとしては、非常に読みやすい本です。人工生命なんて、学ぶ気がなくても、単純に知的好奇心を満たす上で読む本としても、簡単に書かれているので面白いです。
個人的には第一章の「蟻たちの真似をして儲ける話」がおもしろかったです。この章は、人工生命と言うよりも、ニューラルネットワークの話が面白かったです。あとは、第五章の「利己的であるからこそ利他性が生まれる」や第六章の「進化と学習が生む生命と心」、第七章の「暗闇で不安そうに動くロボット」もおもしろかったです。
第五章は最近は良く出てきている話で、利他的であるほうが一時的には不利でも、長期的、また集団的に見れば適応的であるという話です。第六章は進化と学習が併せて「進化」あるいは「より適応的」につながるという話で、結構新しいように思いました。第七章も最近、よく言われる話ですが、感情が適応的な理由から進化してきたという学説から、感情を行動で定義して、それをロボットにプログラミングして、さらに進化を促していくと、「まるで感情を持って動いているように見える」(例えば暗闇で不安そうに動く)ロボットを作ることが出来たという話です。
いずれも(まだ)新しい研究分野を分かりやすく、自身の研究成果から解説してくれています。
目次(抜粋)
第1章
蟻たちの真似をして儲ける話
第2章
進化の力を借りてアートを創る試み
第3章
デジタル生命で進化を研究する時代の到来
第4章
人工生命というムーブメントの本質
第5章
利己的であるからこそ利他性が生まれる
第6章
進化と学習が生む生命と心
第7章
暗闇で不安そうに動くロボット
第8章
計算機の中で心を進化させる
2009年06月17日
山岡悦郎「うそつきのパラドックス-論理的に考えることへの挑戦-」
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初めて、論理学の本を読みました。通読するのはかなりつらかったです。
うそつきのパラドックスの典型的な例は「この文章は偽である」というものです。この「」の中で言われていること=Lが真であれば、Lは偽ということになるし、Lがそもそも偽であると仮定すれば、偽の偽なので、真ということになる。どちらを仮定してもその仮定とは反対の結果が出るので、パラドックス、あるいは矛盾と言われるのです。
内容としては、どのようにしてこのパラドックスを解決するのかを、さまざまな論理学者の考えを引用して解説しているます。しかし、素人としては、「こういう文章の場合は偽だけど、こうなら真だ」みたいな明確な答えを求めてたのですが、本書が紹介しているのは「非文なのでパラドックスにならない」とか「まだ真とか偽とかを決めるに値する文章になっていない」や「雪は白いは真である」という文章を持ってきて「雪は白い」は対象言語に属するとし、「真である」はメタ言語に属するという風に階層を分けることによって矛盾を解決しようとするものなど、パラドックスそのものを解決しようとする試みというよりは、パラドックスじゃない状態を定義しようとする試みの本であるという印象です。
冒頭にも書きましたが、教科書的な本なので、通読するのはけっこう骨が折れます。ですので、1章と15章をまず読んでみて、それから中の章を読んでいくと分かりやすく読みやすくなるかなと思います。
目次(抜粋)
第1章 うそつきのパラドックス
第2章 ラッセルの解決法
第4章 コイレの分析
第5章 心理の担い手とうそつき
第6章 真理論とうそつき
第7章 クワインの対処法
第9章 うそつきの受容
第11章 うそつきの語用論的解決
第13章 シモンズの特異性解決
第14章 自己言及とうそつき
第15章 うそつきの解決試論
初めて、論理学の本を読みました。通読するのはかなりつらかったです。
うそつきのパラドックスの典型的な例は「この文章は偽である」というものです。この「」の中で言われていること=Lが真であれば、Lは偽ということになるし、Lがそもそも偽であると仮定すれば、偽の偽なので、真ということになる。どちらを仮定してもその仮定とは反対の結果が出るので、パラドックス、あるいは矛盾と言われるのです。
内容としては、どのようにしてこのパラドックスを解決するのかを、さまざまな論理学者の考えを引用して解説しているます。しかし、素人としては、「こういう文章の場合は偽だけど、こうなら真だ」みたいな明確な答えを求めてたのですが、本書が紹介しているのは「非文なのでパラドックスにならない」とか「まだ真とか偽とかを決めるに値する文章になっていない」や「雪は白いは真である」という文章を持ってきて「雪は白い」は対象言語に属するとし、「真である」はメタ言語に属するという風に階層を分けることによって矛盾を解決しようとするものなど、パラドックスそのものを解決しようとする試みというよりは、パラドックスじゃない状態を定義しようとする試みの本であるという印象です。
冒頭にも書きましたが、教科書的な本なので、通読するのはけっこう骨が折れます。ですので、1章と15章をまず読んでみて、それから中の章を読んでいくと分かりやすく読みやすくなるかなと思います。
目次(抜粋)
第1章 うそつきのパラドックス
第2章 ラッセルの解決法
第4章 コイレの分析
第5章 心理の担い手とうそつき
第6章 真理論とうそつき
第7章 クワインの対処法
第9章 うそつきの受容
第11章 うそつきの語用論的解決
第13章 シモンズの特異性解決
第14章 自己言及とうそつき
第15章 うそつきの解決試論
2009年06月15日
高橋克徳+河合太介+永田稔+渡部幹「不機嫌な職場-なぜ社員同士で協力できないのか-」
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ずいぶん前に買ったのですが、長らく読んでいませんでした。しかし非常にいい本であると思います。これを読んでいた当時、ちょうど研究関連で書かなければならない書類があり、「現代の社内で起きている人間関係の問題」と「素人に伝わる文章の書き方」という二点において、非常に勉強になりました。
なぜ、社員たちは協力しなくなったのか、変わったのは社員なのか?上司なのか?はたまた組織/会社なのかといった問題を分かりやすく読み解いていってくれます。
グーグル、サイバーエージェント、ヨリタ歯科クリニックという三つの成功している会社を例に出して、面白い取り組みについても実例を持って紹介してくれています。
筆者もコンサルタント、社長、心理学者、執行役員と多岐にわたっています。
また、折を見て読み直したいと思います。文章自体も読みやすく、なんとなく「おもしろいな」と感じさせる文体に仕上がっています。社員をまとめる立場にあるリーダーにもお勧めの一冊ですね。
目次(抜粋)
第一章
いま、職場で何が起きているのか
第二章
何が協力関係を阻害しているのか
協力関係を阻害する「構造的要因」
1 進む組織のタコツボ化
2 評判情報流通と情報共有の低下
3 インセンティブ構造の変化
第三章
協力の心理を理解する
第四章
協力し合う組織に学ぶ
第五章
協力し合える組織を作る方法
1 役割構造に対する工夫
2 評判情報に対する工夫
3 インセンティブに対する工夫
最終章
協力への第一歩の踏み出し方
ずいぶん前に買ったのですが、長らく読んでいませんでした。しかし非常にいい本であると思います。これを読んでいた当時、ちょうど研究関連で書かなければならない書類があり、「現代の社内で起きている人間関係の問題」と「素人に伝わる文章の書き方」という二点において、非常に勉強になりました。
なぜ、社員たちは協力しなくなったのか、変わったのは社員なのか?上司なのか?はたまた組織/会社なのかといった問題を分かりやすく読み解いていってくれます。
グーグル、サイバーエージェント、ヨリタ歯科クリニックという三つの成功している会社を例に出して、面白い取り組みについても実例を持って紹介してくれています。
筆者もコンサルタント、社長、心理学者、執行役員と多岐にわたっています。
また、折を見て読み直したいと思います。文章自体も読みやすく、なんとなく「おもしろいな」と感じさせる文体に仕上がっています。社員をまとめる立場にあるリーダーにもお勧めの一冊ですね。
目次(抜粋)
第一章
いま、職場で何が起きているのか
第二章
何が協力関係を阻害しているのか
協力関係を阻害する「構造的要因」
1 進む組織のタコツボ化
2 評判情報流通と情報共有の低下
3 インセンティブ構造の変化
第三章
協力の心理を理解する
第四章
協力し合う組織に学ぶ
第五章
協力し合える組織を作る方法
1 役割構造に対する工夫
2 評判情報に対する工夫
3 インセンティブに対する工夫
最終章
協力への第一歩の踏み出し方
2009年05月05日
伊藤哲司「常識を疑ってみる心理学―モノの見方のパラダイム変革」
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正直言って、何度も途中で本を読むのをやめようかと思いました。どんな本であれ、最後まで読むことが正しいことではないなと思いました。
基準としては、意味が分からないなら、とにかく読み通してみることはありだと思いますが、意味が分かった、自分にとって価値の無いと思うならやめていいと思います。本を読むことで、時間を無駄にしてはいけないと思います。
内容としては、普段、「当たり前」に捉えていることを、すこし斜にかまえてみてみようという類の話です。心理学による解説も一応、ちょこちょこ出てきます。
普段物事をあまり深く考えないけど、考えるのは好きという人は読んでみてもいいかもしれません。だけど、「もうこの辺でいいな」と思ったら、途中でもやめる勇気と決断力を持って読み始めることをお勧めします。
正直言って、何度も途中で本を読むのをやめようかと思いました。どんな本であれ、最後まで読むことが正しいことではないなと思いました。
基準としては、意味が分からないなら、とにかく読み通してみることはありだと思いますが、意味が分かった、自分にとって価値の無いと思うならやめていいと思います。本を読むことで、時間を無駄にしてはいけないと思います。
内容としては、普段、「当たり前」に捉えていることを、すこし斜にかまえてみてみようという類の話です。心理学による解説も一応、ちょこちょこ出てきます。
普段物事をあまり深く考えないけど、考えるのは好きという人は読んでみてもいいかもしれません。だけど、「もうこの辺でいいな」と思ったら、途中でもやめる勇気と決断力を持って読み始めることをお勧めします。
2009年04月13日
岩波書店編集部「ブックガイド〈心の科学〉を読む」
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認知科学、認知哲学、言語学、発達心理学、神経心理学、作家など、とにかく色んな分野の「心の専門家」が自分に影響を与えた本、心の科学について知りたい人にお勧めしたい本をオムニバス形式で紹介しています。
一冊を通して読むのも面白いですが、なんせブックガイドなのでそこから得られるものはあまり多くありません。ぱらぱらとめくって興味のある人が紹介している本を実際に手にとって読んでみることをお勧めします。それが本書の意図であるはずですしね。
全体的に言語とか言葉の研究をしているヒトが多いですね。
いつものように目次を載せておくので著者名をググって興味のある人がいるか見てみてください。
目次
<心>とは何か 黒崎政男
「動物の心」+「ことば」=「ヒトの心」 そして僕の心は? 岡ノ谷一夫
思い続けることの不思議‐心と身体の倫理学 瀬名秀明
意識の迷宮 信原幸弘
「心を読む」心の科学 子安増生
臨床神経心理学者が読む<心の科学> 山鳥 重
ことばから見た心 大津由紀雄
言語によって動的に構築される世界 大堀壽夫
俳句・漢字・自分 田中茂樹
地面や空気から「心」について考えることもできる−早わかりアフォーダンス 佐々木正人
認知科学、認知哲学、言語学、発達心理学、神経心理学、作家など、とにかく色んな分野の「心の専門家」が自分に影響を与えた本、心の科学について知りたい人にお勧めしたい本をオムニバス形式で紹介しています。
一冊を通して読むのも面白いですが、なんせブックガイドなのでそこから得られるものはあまり多くありません。ぱらぱらとめくって興味のある人が紹介している本を実際に手にとって読んでみることをお勧めします。それが本書の意図であるはずですしね。
全体的に言語とか言葉の研究をしているヒトが多いですね。
いつものように目次を載せておくので著者名をググって興味のある人がいるか見てみてください。
目次
<心>とは何か 黒崎政男
「動物の心」+「ことば」=「ヒトの心」 そして僕の心は? 岡ノ谷一夫
思い続けることの不思議‐心と身体の倫理学 瀬名秀明
意識の迷宮 信原幸弘
「心を読む」心の科学 子安増生
臨床神経心理学者が読む<心の科学> 山鳥 重
ことばから見た心 大津由紀雄
言語によって動的に構築される世界 大堀壽夫
俳句・漢字・自分 田中茂樹
地面や空気から「心」について考えることもできる−早わかりアフォーダンス 佐々木正人
2009年04月05日
柴田正良「ロボットの心‐7つの哲学物語」
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ロボットも心は持てる――脳科学や哲学の最新理論をふまえつつ、機械、知性、道徳など現代人の課題に迫る思考実験。(amazonより転載)
ロボットは心を持てるのかという疑問に迫りながらヒト、あるいは人間とは何なのであろう、もっと言うと人の心ってなんなのかという疑問に迫ろうとする新書です。
途中までなかなかいい仕事をしていて、それなりに面白いのですが、クオリアと感情の段に入って急に議論は込み入ってきてかなり読みにくくなります。僕自身、クオリアが何なのかということをちゃんと理解していないということもありますが、それは筆者自身も同じようです。そして、程度の差こそあれ、学術の世界でもまだよく分かっていないのが現状であるために、当初の疑問に対する明確な答えはなにも出されないまま終わってしまいます。
ニューラルネットワークコンピュータに関する記述の点では非常に驚かされるし、機械が心に迫っているようでなかなかおもしろいです。そこからあまり遠く離れないところでさらに議論を深めていった方が有意義であったかもしれません。
なお、随所において筆者が括弧書きで自分に突っ込みを入れており、平たい言葉で言うとうっとおしいです。その突込みを解消してから出版してほしかったという思いです。
あと、7つの哲学物語と名づけられた「物語」が理解の助けになっているかと言うとかなり怪しい。
本書の批判をもって紹介を終えるのは悲しいが仕方ない。
目次(一部)
第0章 プロローグ
2. 素朴な物理主義
3. 素朴なメンタリズム
4. 再び、ロボットの心とは?
第1章 チューリングテストPart1‐ゆるやかな行動主義
第2章 チューリングテストPart2‐意味なき会話
2. 言葉で何かを意味するためには
第3章 中国語の部屋
1. 強いAIに対する批判
2. 意味の生成はいかにして可能か
第4章 フレーム問題
1. 小世界(Toy worlds)でのAIの栄華
2. 全てを明示的に知る?
第5章 コネクショニズムって何?
1. 学習する機械
2. 教えられたこと以上のことを知る?
第6章 感情とクオリア
1. 感情の機能性・合理性
2. 感じられない感情はありうるか
第7章 エピローグ‐クオリアと善悪
2. 善悪のクオリア?
あとがき
ロボットも心は持てる――脳科学や哲学の最新理論をふまえつつ、機械、知性、道徳など現代人の課題に迫る思考実験。(amazonより転載)
ロボットは心を持てるのかという疑問に迫りながらヒト、あるいは人間とは何なのであろう、もっと言うと人の心ってなんなのかという疑問に迫ろうとする新書です。
途中までなかなかいい仕事をしていて、それなりに面白いのですが、クオリアと感情の段に入って急に議論は込み入ってきてかなり読みにくくなります。僕自身、クオリアが何なのかということをちゃんと理解していないということもありますが、それは筆者自身も同じようです。そして、程度の差こそあれ、学術の世界でもまだよく分かっていないのが現状であるために、当初の疑問に対する明確な答えはなにも出されないまま終わってしまいます。
ニューラルネットワークコンピュータに関する記述の点では非常に驚かされるし、機械が心に迫っているようでなかなかおもしろいです。そこからあまり遠く離れないところでさらに議論を深めていった方が有意義であったかもしれません。
なお、随所において筆者が括弧書きで自分に突っ込みを入れており、平たい言葉で言うとうっとおしいです。その突込みを解消してから出版してほしかったという思いです。
あと、7つの哲学物語と名づけられた「物語」が理解の助けになっているかと言うとかなり怪しい。
本書の批判をもって紹介を終えるのは悲しいが仕方ない。
目次(一部)
第0章 プロローグ
2. 素朴な物理主義
3. 素朴なメンタリズム
4. 再び、ロボットの心とは?
第1章 チューリングテストPart1‐ゆるやかな行動主義
第2章 チューリングテストPart2‐意味なき会話
2. 言葉で何かを意味するためには
第3章 中国語の部屋
1. 強いAIに対する批判
2. 意味の生成はいかにして可能か
第4章 フレーム問題
1. 小世界(Toy worlds)でのAIの栄華
2. 全てを明示的に知る?
第5章 コネクショニズムって何?
1. 学習する機械
2. 教えられたこと以上のことを知る?
第6章 感情とクオリア
1. 感情の機能性・合理性
2. 感じられない感情はありうるか
第7章 エピローグ‐クオリアと善悪
2. 善悪のクオリア?
あとがき
2009年03月21日
村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」
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僕が初めて村上春樹の作品を読んだのは高校生のときでした。多分、短編集が最初で、ノルウェイの森、そして青春三部作だったと思います。僕はいつも、村上春樹の作品を読むとひどく落ち込みました。それは、村上の文体に宿命的に染み付いた静寂と孤独によるものだと思っていました。
あの頃から7〜8年、今回読んだ「ダンス・ダンス・ダンス」が青春三部作の続編だとはじめて知りました。青春三部作で終わったとばかり思っていた物語に7〜8年ぶりに再会したのです。今、改めて「僕」の話を読んで思ったのは、「僕」が失うもの、失ってきたものを、まだあまり多くのものを失っていない僕もまた、失うのだと、あの頃の僕は思っていたんだということです。
そして今、思うことは、村上の作品の中の「僕」が失ったものは、誰でも失うものであり、僕もまた失ってきたものであるということです。しかし、「僕」が失うものは彼がとても大切に思っているものであり、大事にしている人たちだから、同じように失ってきた今の僕が読んでもやはり悲しく、落ち込みました。
村上作品の中で子どもが大きな地位を占める作品は三つ思い浮かべることが出来ます。まず主人公が子どもの「海辺のカフカ」。主人公の友達として子どもが出てくる「ねじまき鳥」。そして今回のやはり主人公の友達として出てくるユキという子どもです。
今回の作品で一つ面白い視点だなと思ったのは、主人公が熱く育児や親とこの関わり方について話をする点です。こういうのはあまりほかの村上作品では見られないような気がします。だれかに自分の考えを熱く語ったりする主人公は他にいないような気がするのです。
他の作品の主人公は降りかかってくる様々な出来事にうまく対処するという受動的でありながら、冷静で頑固な性格を提示するものでした。しかし今回の「僕」は、大切なユキのこととなると、熱くユキの親に語るのです。
ここに、村上のオミッションからコミットメントへの転換の一つが見られるのかなと思いました。
引用
僕が初めて村上春樹の作品を読んだのは高校生のときでした。多分、短編集が最初で、ノルウェイの森、そして青春三部作だったと思います。僕はいつも、村上春樹の作品を読むとひどく落ち込みました。それは、村上の文体に宿命的に染み付いた静寂と孤独によるものだと思っていました。
あの頃から7〜8年、今回読んだ「ダンス・ダンス・ダンス」が青春三部作の続編だとはじめて知りました。青春三部作で終わったとばかり思っていた物語に7〜8年ぶりに再会したのです。今、改めて「僕」の話を読んで思ったのは、「僕」が失うもの、失ってきたものを、まだあまり多くのものを失っていない僕もまた、失うのだと、あの頃の僕は思っていたんだということです。
そして今、思うことは、村上の作品の中の「僕」が失ったものは、誰でも失うものであり、僕もまた失ってきたものであるということです。しかし、「僕」が失うものは彼がとても大切に思っているものであり、大事にしている人たちだから、同じように失ってきた今の僕が読んでもやはり悲しく、落ち込みました。
村上作品の中で子どもが大きな地位を占める作品は三つ思い浮かべることが出来ます。まず主人公が子どもの「海辺のカフカ」。主人公の友達として子どもが出てくる「ねじまき鳥」。そして今回のやはり主人公の友達として出てくるユキという子どもです。
今回の作品で一つ面白い視点だなと思ったのは、主人公が熱く育児や親とこの関わり方について話をする点です。こういうのはあまりほかの村上作品では見られないような気がします。だれかに自分の考えを熱く語ったりする主人公は他にいないような気がするのです。
他の作品の主人公は降りかかってくる様々な出来事にうまく対処するという受動的でありながら、冷静で頑固な性格を提示するものでした。しかし今回の「僕」は、大切なユキのこととなると、熱くユキの親に語るのです。
ここに、村上のオミッションからコミットメントへの転換の一つが見られるのかなと思いました。
引用
「そういうの(傷、あるいは傷つくこと)って慢性化するってことなんだ。日常に飲み込まれて、どれが傷なのかわからなくなっちゃうんだ。でもそれはそこにある。傷というのはそういうものなんだ。これといって取り出して見せることのできるものじゃないし、見せることのできるものは、そんなの大した傷じゃない」(p. 84)
「うまくいくと神戸のデリカテッセン・サンドイッチ・スタンドのスモーク・サーモン・サンドイッチに近い味になる。うまくいかないこともある。しかし目標があり、試行錯誤があって物事は初めて成し遂げられる」(p. 237)
2009年03月04日
村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」
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本書のタイトルは、村上春樹の敬愛する作家、レイモンド・カーヴァーの短編集のタイトル「What We Talk about When We Talk About Love」からいただいたものだそうです。
この本は、村上氏いわく、メモワールだそうです。走るということを媒介して、自分自身、そして自分の小説について語った本です。
村上春樹の小説というのは、当然というか、フィクションです。そして、そのなかにどの程度かは分かりませんが、村上氏の言いたいことが書かれています。
その言いたいことを書くために、物語があります。どちらが先だ、とか、その目的のためだけに、なんて言うつもりはありませんが、少なくとも、そういう関係を想定することは問題ではないと思います。脈絡もなく、言いたいメッセージが突然出てくることはないのです。そういう言い方をすれば、物語が大切にされているともいえるでしょう。
しかし、この本は、村上氏が言いたいことを書いた本なので、非常に直接的で、率直です。「熱い」と言ってもいいかもしれません。人間らしい。自分に向き合ってる。そして、物語というよりも、私たち読者と向かい合っているのかもしれません。
「走ること」を通して、「村上春樹」と「その小説」について、ほんの少し知ることが出来るかもしれません。
そうそう、一つ書き忘れていたが、小説に書く上で必要なものを村上氏は三つ上げていた。まず第一に才能、次に集中力。そして持続力。
また、小説を書くこと自体は頭脳労働だが、長い小説を書くことは肉体労であり、そのためには基礎体力が必要であると。これは、研究者にも通じる話だと思う。普段僕は、研究者はアスリートじゃないから、練習というものがなかなか行えない、なんて言っているが、基礎体力はやはり必要なわけで、現実的に、フィジカルに体をいじめてみる(頭ばかりじゃなくて)のも有用なのかもしれないと、勉強になりました。
引用
「Pain is inevitable. Suffering is optional.」(P. 3)
「今のところは僕はまだ、音楽とコンピュータをからめたくはない。友情や仕事とセックスをからめないのと同じように」(P. 28)
「しかし何はともあれ走り続ける。日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。」(P. 102)
目次
前書き|選択事項(オプショナル)としての苦しみ
第1章|誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?
第2章|人はどのようにして走る小説家になるのか
第3章|真夏のアテネで最初の42キロを走る
第4章|僕は小説を書く方法の多くを、道路を走ることから学んできた
第5章|もしそのころの僕が、長いポニーテールを持っていたとしても
第6章|もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった
第7章|ニューヨークの秋
第8章|死ぬまで18歳
第9章|少なくとも最後まで歩かなかった
後書き|世界中の路上で
本書のタイトルは、村上春樹の敬愛する作家、レイモンド・カーヴァーの短編集のタイトル「What We Talk about When We Talk About Love」からいただいたものだそうです。
この本は、村上氏いわく、メモワールだそうです。走るということを媒介して、自分自身、そして自分の小説について語った本です。
村上春樹の小説というのは、当然というか、フィクションです。そして、そのなかにどの程度かは分かりませんが、村上氏の言いたいことが書かれています。
その言いたいことを書くために、物語があります。どちらが先だ、とか、その目的のためだけに、なんて言うつもりはありませんが、少なくとも、そういう関係を想定することは問題ではないと思います。脈絡もなく、言いたいメッセージが突然出てくることはないのです。そういう言い方をすれば、物語が大切にされているともいえるでしょう。
しかし、この本は、村上氏が言いたいことを書いた本なので、非常に直接的で、率直です。「熱い」と言ってもいいかもしれません。人間らしい。自分に向き合ってる。そして、物語というよりも、私たち読者と向かい合っているのかもしれません。
「走ること」を通して、「村上春樹」と「その小説」について、ほんの少し知ることが出来るかもしれません。
そうそう、一つ書き忘れていたが、小説に書く上で必要なものを村上氏は三つ上げていた。まず第一に才能、次に集中力。そして持続力。
また、小説を書くこと自体は頭脳労働だが、長い小説を書くことは肉体労であり、そのためには基礎体力が必要であると。これは、研究者にも通じる話だと思う。普段僕は、研究者はアスリートじゃないから、練習というものがなかなか行えない、なんて言っているが、基礎体力はやはり必要なわけで、現実的に、フィジカルに体をいじめてみる(頭ばかりじゃなくて)のも有用なのかもしれないと、勉強になりました。
引用
「Pain is inevitable. Suffering is optional.」(P. 3)
「今のところは僕はまだ、音楽とコンピュータをからめたくはない。友情や仕事とセックスをからめないのと同じように」(P. 28)
「しかし何はともあれ走り続ける。日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。」(P. 102)
目次
前書き|選択事項(オプショナル)としての苦しみ
第1章|誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?
第2章|人はどのようにして走る小説家になるのか
第3章|真夏のアテネで最初の42キロを走る
第4章|僕は小説を書く方法の多くを、道路を走ることから学んできた
第5章|もしそのころの僕が、長いポニーテールを持っていたとしても
第6章|もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった
第7章|ニューヨークの秋
第8章|死ぬまで18歳
第9章|少なくとも最後まで歩かなかった
後書き|世界中の路上で
2009年02月28日
伊坂幸太郎「重力ピエロ」
[フレーム]
チルドレンと同じ作家だろうか。そういう疑問が読み終わった僕にはあった。いや、実際、不安になって、このブログに「チルドレン」とだけ書いてamazonに確認しに行ったほどだ。
とても、しっかりと作られている。それが最初の感想だったと思う。あるいは、とてもまじめな作品であると。チルドレンはどこか非日常的で、テンポがよく、楽しめる作品だった。
自分の人生にはとてもありそうにないけど、角の向こうではそんなことが起こっているかもしれない。そんなことをチルドレンを読んだときには感じた。
あるいは、人事とは思えない。そんなことを、重力ピエロを読んで思ったのかもしれない。
自分の仙台出張とタイミングを合わせて読み始めたのは非常にうまくいったと思う。自分が普段いない街にいて、そこで読んでいる小説がその街について描いているというのはなんとも不思議な感覚で、特別な感覚だった。
重力ピエロでは、多くの偉人の言葉や哲学者の言葉が引用されていた。そして、それらの引用は、ちゃんと巻末に引用文献として紹介されていた。なんともまじめな作品である。
作品の冒頭で語られた言葉、後半になって繰り返されたり、あるいはちゃんと効いてきたり、あるいは登場人物によって「この前の話だけど」なんて言及されたりする。行き当たりばったりで書いていて、自然と脈絡があってその文に言及するなんてことはあるけど、そういう印象ではない。「しっかりと作られている」のだ。
何を引用してもネタばれになっちゃいそうなので(それほどしっかりと作りこまれている)、ここまでにしておきます。
「しっかりと作られた」小説が読みたい方はどうぞ。
チルドレンと同じ作家だろうか。そういう疑問が読み終わった僕にはあった。いや、実際、不安になって、このブログに「チルドレン」とだけ書いてamazonに確認しに行ったほどだ。
とても、しっかりと作られている。それが最初の感想だったと思う。あるいは、とてもまじめな作品であると。チルドレンはどこか非日常的で、テンポがよく、楽しめる作品だった。
自分の人生にはとてもありそうにないけど、角の向こうではそんなことが起こっているかもしれない。そんなことをチルドレンを読んだときには感じた。
あるいは、人事とは思えない。そんなことを、重力ピエロを読んで思ったのかもしれない。
自分の仙台出張とタイミングを合わせて読み始めたのは非常にうまくいったと思う。自分が普段いない街にいて、そこで読んでいる小説がその街について描いているというのはなんとも不思議な感覚で、特別な感覚だった。
重力ピエロでは、多くの偉人の言葉や哲学者の言葉が引用されていた。そして、それらの引用は、ちゃんと巻末に引用文献として紹介されていた。なんともまじめな作品である。
作品の冒頭で語られた言葉、後半になって繰り返されたり、あるいはちゃんと効いてきたり、あるいは登場人物によって「この前の話だけど」なんて言及されたりする。行き当たりばったりで書いていて、自然と脈絡があってその文に言及するなんてことはあるけど、そういう印象ではない。「しっかりと作られている」のだ。
何を引用してもネタばれになっちゃいそうなので(それほどしっかりと作りこまれている)、ここまでにしておきます。
「しっかりと作られた」小説が読みたい方はどうぞ。