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2008年06月02日

運について、いつか書いておきたいなと思っていたのですが、なかなか自分でも理解できていないので、書けないなと感じていました。

成果 ≠ 運+実力


で、こちらの記事にインスパイアされて、ちょっと書いてみたいと思います。

運というのは、Wikipediaによると、

運のとらえ方には歴史上いくつかの種類がある。

決定論の一つである因果的決定論に立てば、実は幸運や不運の意味はなく、過去や未来はすべて決定されているという考え方になる。ラプラスの悪魔に代表されるような存在によって結果はすべて見通されているということになる。

現在、決定論はハイゼンベルグの不確定性原理によって否定されており、運は現在確率論が扱う事柄になっている。


なんのことやらよくわかりませんね。

大辞泉で調べてみると、

1 人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越したはたらき。天命。運命。「―が悪い」

2 よいめぐりあわせ。幸運。「―が向いてくる」「―がない」


人間には、コントロールできないもの、といった感じでしょうか。

このような定義からすると、運を良くすることなどできません。


成果にしろ、結果にしろ、良くすることができると考えるなら、運というものを考えるのは、おかしなことなのかもしれません。

で、Wikipediaの記述に戻ってみると、

運は現在確率論が扱う事柄

とあります。

確率によって決まるということでしょう。


もし運を良くするということを、別の言い方で言うとしたら、確率を上げるという感じでしょうか。



成果 = 実力(運)
Achievement = Virtue(Fortune)


実力とはモノ(what you have)ではない、機能(what you do)なのだ。


実力は、行動ということのようですが、

成果=試行錯誤(運) とか 成果=行動(運)などのほうが良いような気がします。

実力と言うと、すでに獲得しているようなものの感じがしますから。
(英語では、Virtueとしているので、そちらのほうが良い感じもします。)


運を確率と考えると、

成果=試行錯誤(確率) 成果 = 行動(確率)

となるのでしょうか。


式の正誤は、よくわかりませんが、


仮説を立てて、実行を通してうまくいくように試行錯誤していく


運を確率として考えて、成功の確率を上げるのであれば、結局ここに行き着くのだと思います。


運を変えることができないのであれば、受け入れるか、努力するか、

とある意味、あまりひねりのない、ありきたりの結論になってしまいますが。



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