2005年03月
2005年03月30日
限られた時間と空間
先日、事業計画書というほどでもないけど、自分が今後かかわっていくつもりの業務内容を、改めて表に書き出してみた。実は、英語教室のほうでも新しい案があって、それがうまくいけば、全国に向けたサービス提供ができるかもしれない。とはいえ、現在、英語教室の運営兼講師で週の半分は取られるので、新規事業の準備はあいた時間で行わねばならない。さらに、そのあいた時間の一部を行政書士業務にあてるとすると、かなりタイトなスケジュールになってしまう。計画書を書いている段階で、いったいこれら3つの業務をどうやって同時進行すればいいのか頭を抱え込んでしまった。最悪の場合、どれも中途半端になって共倒れ、なんてことになりはしないか。
ここで頭によぎるのが、先日、知り合いの社長さんがおっしゃっていた言葉。「なんでもかんでもひとりでしようと思うからあかんねん。事業を大きくするには人を雇わな」 社長が私の立場だったら、教室には講師を雇って授業にあたらせ、行政書士のほうは別に事務所を借りて法人として開業するという。経営手腕のある人ならそうすべきなんだろうけど、人件費や事務所の固定費はばかにならない。もし十分な利益が出なかったら・・・ついそんなふうに考えて二の足を踏んでしまう。
兼業するならするで、自由に使える時間と空間の限界がのしかかってくる。うーん、道のりは険しい。
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2005年03月28日
苦いバイト経験
先日、仕事の合間にようやく「カバチタレ!」を読み始めた。私はもともと読むのが遅いうえに、このマンガは法律用語の混じった重たい内容なので、ますます考えながら読んで遅くなってしまう。いきなり、冒頭で主人公らしき青年が、理不尽な会社社長にクビにされる話が出てきたが、ふと、ずっと前に自分の身に起きた出来事を思い出してしまった。
もちろん、相手はちゃんとした会社で、この物語のように深刻な話じゃない。当時、私は企業の正社員をやめて、英語関係の派遣業務を探しているところだった。で、つなぎのつもりで、ある補修塾のアルバイト講師として働き始めた。同僚は皆大学生で、20代後半の自分だけが浮いているように思えた。中学生対象の塾なので、授業はいつも夕方から行われていた。私のシフトは週に3,4回ぐらいで、最初1ヶ月の見習期間は時給が確か800円!本採用になると1000円になるという。数人の講師が分担して少人数の生徒を教えるシステムだったので負担は少なかったとはいえ、えらく安い料金だった。でも、ほかに採用してくれるところがなかったのでそこに落ち着いたのだと思う。
その塾の方針では、アルバイト講師は皆、授業開始の30分以上前に到着して、その日の教材の予習をすることになっていた。でも、その準備時間は無給。沿線各地にフランチャイズの教室があり、勤務場所は1箇所ではなかった。あるとき、私は初めての教室へ行く途中、あろうことか道に迷ってしまい、ようやく到着したときは授業開始の約15分前だった。授業に支障は出なかったが、室長である若い女性は、あとで居残るように私に言った。どうも、その場で謝ってすむ問題ではなかったらしい。
どうなったかというと、彼女が社長に電話を入れて事情を説明し、私は受話器を受けてこっぴどく叱られるはめになったのだ。「おまえ、15分前なんかに来て、まともに教えられる思うてんのか!」 あまり年の変わらない青年社長にののしられた私は、すみませんとひたすら言いながら、情けなくて涙が出そうになった。さらに、罰として、その日の私の講師料は支払われず、さらに、給料から1500円の罰金まで差し引かれてしまった。
遅刻しそうになった自分が悪いのだとわかっていながらも、そのとき、どうも釈然としない思いが残った。30分以上前に到着せねばならないのにその分の手当ては出ず、逆に、開始30分前を切ると無給になって罰金まで取られる。これって正しいことなのだろうか?その後でちょっとむかついたのは、教室によっては、アルバイト講師の少々の遅刻を見逃している例があるとわかったとき。5分前に来ても室長のおとがめがなく、涼しい顔をしていた女子学生もいた。
その後、この教室の運営方針には納得できないところが多々あらわれた。たとえば、社長からこんなお達しが出たことがある。「生徒さんにはきちんとあいさつすること。」それはまあわかる。でも続きがあって、「生徒さんが10人いっしょに教室へ入ってきたら、大きな声で、こんにちは、こんにちはって10回きっちり言うこと。もし、あいさつの回数が人数より少なかったときは、1回につき1000円罰金!」 その回数を数えるのが室長の役目だとか。(もう、アホかいな)この時点で相当いやになった。それからほどなくして、その社長が登場する研修会とやらの告知があり、用事があって行けないと室長に言うと、「行かんかったら、あの社長のことやし、時給下げるとか言われるよ」と脅しめいた警告を受けた。この時点であまりにもバカらしくなってやめてしまった。
たとえ、従業員が大学生のアルバイトとはいえ、もうちょっと人間味のある対応ができないんだろうか。私は今でも、テレビでその塾のコマーシャルを見ると当時のことを苦々しく思い出す。
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2005年03月26日
新たな出発に向けて
今日はいつもにも増して英語教室が忙しく、事務作業に追われてこんな時間になってしまいました。なんだか疲れているので簡単にします。
3月は企業や学校の年度末になるため、4月の新年度に向けた出会いや別れが多いですね。教室の生徒さんの中にも遠方へ転居される方がいて、これまで熱心に学習されていたので本当に寂しく感じています。
今後は毎週通っていただくわけにはいかず、当初はお互いにただ残念がっていましたが、なんとか、これまでとは違った形でこちらがサポートする案が浮上してきました。←なんのこっちゃって感じですね。まだ構想段階なのでこれ以上書けなくて・・・。
その案に関連して、もしかしたら、メインの英語ブログの形式も若干、いや、かなり変更するかもしれません。内容は見てのお楽しみ・・・"誰も楽しみにしてへん"って突っ込まれそうですが。
では、今回はこのあたりで。書くつもりだった記事は、また日を改めます。どうかよい週末を!
2005年03月25日
札束を燃やす勇気
このブログは知人にもあまりアドレスを教えず、ひっそりと書いていくつもりだったが、もう、生徒さんの何人かにも存在を知られてしまい、あまりのんきに構えていられなくなってしまった。でも、応援していただけるのはありがたい。
先日の記事で優先順位をつけた事項のうち、目をつけていた情報商材の購入だけはなんとか果たすことができた。数冊のEブックをまとめて購入したのでけっこうな金額になり、決断にはかなりの勇気が必要だった。万単位のお金がクレジット決済で簡単に出て行くのはあっけなく、ちょっとこわいぐらいだった。ふと、引き落とされる通帳の残高が大丈夫なのか気になってしまった。
札束を燃やす、とまではいかないけど、これが10倍ぐらいの金額になったらそう表現するのだろう。この前の社長さんもそうだけど、億単位の売上や収益をめざす人は、投資に対する感覚が最初から違う。これまでの私は、教室運営に広告費をほとんどかけず、年に1、2回だけ数万円使う程度でけっこうな出費をした気になっていた。そういえば、最近、仲のよい友人とこんな会話をしたっけ。
私:「広告費ってさあ、私、数万円単位でしか考えたことなかったけど、スケールの大きい人は個人事業でも最初から5、60万円ぐらいは使うらしいで」
友人:「え、そうなん? 年に60万やったら月5万ぐらい・・・?」
私:「ちがうって。年じゃなくって月に60万!」
友人:「・・・・・・」
細々とやっているフリーランスや個人事業主にとって、"へたしたら月収が赤字になるで"っていう金額だ。もちろん、分相応の出費を心得る必要があるけど、今後は、必要な投資を惜しまないよう精神を保っていきたい。
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2005年03月23日
器の違いを実感
今日、貿易会社を運営している知り合いの社長と会って数時間話をした。10年以上前に起業してから順調な経営をされているので、ちょっとしたものの考え方や助言がとても参考になる。社員数人の体制で少しずつ事業を拡大し、先日、「新事業に乗り出して収益を2倍にする」とスタッフに宣言されたという。
聞くところでは、顧問契約を結んでいるのは税理士のみで、会社設立の手続きはご自分でされたそうだ。行政書士の取り扱い業務にも関連した債権回収等の手続きもよくご存じなのでわけを聞くと、それらはすべて、裁判所や役所へ自ら足を運んで担当者から詳しい説明を聞き、雛型をもらってきたそうだ。この方法は、開業したら私も見習いたいところだ。別に、専門書を何冊も買い込んで読んだり、セミナーに出席したり、という投資をしたわけではないらしい。こんな何でもやってしまう社長さんばかりだと、行政書士の商売あがったりですね、と苦笑いした。
私のほうの仕事は順調かどうか聞かれ、本当の意味で、ぼちぼちと答えるしかなかった。そこでずばっと指摘されたのは、「事業を拡大しようと思ったら、人を雇って法人化するしかない」ということ。さらに、「自分の会社にあいたスペースがあるから、そこを事務所にして開業したらどうか」と提案された。また、「会社の新事業は語学関係なので、それにも好きなように関わって応分の収益をもっていっていい」とも。
いずれも大変ありがたい申し出で、できる限り前向きに応じていきたいと思う。でも、ちまちまと個人でやってきた自分に対して社長の器が大きすぎて圧倒されていることも確か。いずれにせよ、今日お話できた内容は、私にとって個人セミナーを受けたぐらいの値打ちがある。思いついたアイディアを無駄にしないよう、できることから確実に行動していこう。
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2005年03月21日
連休までの課題
最近、どうも英語教室の業務に時間をとられて行政書士のほうに手が回らない。そのため、こちらのブログもついほったらかしに・・・。いかんなあ。せっかく合格者研修にも出席したのに!あの日は、えらくモチベーションが高まって、やる気満々で帰宅したというのに、週があけたらこのていたらくとは情けない。一応、作業項目はある程度決めてあるので、あとはいかに優先順位をつけて着手していくか、というのが問題。
1. マーケティング関連の書籍、e-bookで目をつけていたものを購入。
2. 名刺の印刷を業者に発注。
3. 開業手続きの完了。
4. 国際法務関連の書籍、資料を購入し、研究。
5. 国際法務関連のHPを作成。
細かくみていけばまだあるが、まず大枠はこんな感じかな。あと、「カバチタレ!」が済んだら、今度は高橋さんもお勧めの話題の本「行政書士の花道」もぜひ読んでみたい。関連本とはいえ、これは楽しみの部類に入るかもしれないけど。とりあえず、一応のメドとして連休明けまでにできるだけ進めておきたいところ。
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どん底を経験して
私がかつて滞在したスイスのインターナショナルスクールに日本人生徒を斡旋するという計画は、ひとまず、F社長にお任せする形となりました。今週、一度お会いするので、そのときに詳細を話し合う予定です。
さて、私が日本語を教えるインターン教師としてスイスの寄宿学校へ赴くまでの過程は、お世辞にも将来を見通したものとはいえませんでした。
20歳代も後半にさしかかり、小さな輸出商社のパート事務員だった私は、なんとか現状を打破するために"一度、海外に出てみたい"という願望をもっていたのだと思います。日本でうまくいかないから海外へ、という現実逃避的な発想が私にもあったのだと認めざるをえません。
だから、必ずしもあのとき海外へ出なくても、国内で次の道を模索する・・・例えば、貿易会社での英文事務の経歴を生かして転職の道を探る、ということも可能だったかもしれません。そのほうが、きっと将来に直結する仕事がずっと早く見つかったでしょう。
ですが、あの海外での1年半は、私にとって、その後のキャリアアップの原点ともいえる、忘れがたい財産となったのです。無計画な渡航の結果、現地で苦労を強いられたからこそ、それを乗り越える精神的な強さを得ることができたからです。
スイスでの経験が私にとってつらかったのは、単に言葉や生活習慣が違っていたからではありません。帰国後の進路が決まっていないまま、常に経済的な不安を抱えながら生活せねばならなかったためです。
少ない貯金から、既にインターンプログラムの参加費を100万円以上支払っていた私は、現地での出費をできるだけ抑えようと心に決めていました。そのため、生活費として、スイスフランのトラベラーズチェックを30万円相当しか持って行かなかったのです。
いくら、ホームステイの費用は支払済みで、寄宿学校での食費や住居費はいらなかったとはいえ、1年間の滞在にこれでは少なすぎますよね。
だから、通常の旅行者のように、ちょっと乗り物で遠出して観光地を回るとか、レストランで食事をする、なんてことは気軽にできなかったのです。途中で現金が底をついてしまったら大変ですから。
もちろん、友人と一緒のときはある程度つき合いましたが、なるべく、一番安い買い物をするように気を配っていたと思います。周囲からは、さぞ貧乏でみみっちい日本人に見えていたことでしょう。
収入のない状況では、食事も出されたものをいただくしかなく、空腹をこらえたことが何度もありました。住む場所も、ベビーシッターを条件に無料でおいてもらったホームステイ先では個室という空間がなく、寄宿学校ではアリが中に入りこんでくるような部屋でした。
そのとき強く感じたのは、収入がないため周囲に気を遣わねばならない生活がいかにみじめであるか、ということです。
(もう、こんな情けない思いは二度としたくない) ---どんな形でもいいから、自分自身が稼いだお金で食料を買い、自分の家のキッチンで自由に調理する生活をしたい---そんな、日本ではあたりまえに手に入るだろう生活を渇望しながら日々を送っていたのです。
帰国後、今日に至るまで、私はあのときにまさる苦労を一度も経験していません。転職先での複雑な人間関係も、資格取得に向けた猛勉強も、実家からの経済的独立の過程も、あれに比べれば天国でした。
比較的若いうちに海外で試練を味わったことを、今では逆にありがたいと感謝しています。未然に防げる失敗はしないほうがいいのだろうけれど、失敗を逆に糧とするたくましさも必要なのかもしれませんね。
2005年03月20日
特殊文字で大失敗
再び前回の続きです。F社長からのメールには、私が前日転送したメールの日本語の部分が「文字化けして読めない」とあります。(しまった・・・)実は、思い当たるところがありました。
というのも、そのメールを送る際、以下のような見慣れない警告メッセージが出ていたのです。
「このメッセージには、規定の文字セットで定義されていない文字が使用されています。このメッセージを送信するときのオプションを選択してください」
その選択肢が「Unicodeで送信」「そのまま送信」となっており、選択肢にも説明がついていましたが、よくわからないので、自分のアドレス宛てに両方で試してみました。
着信された文字を確認するとどちらも大丈夫だったので、UnicodeのほうでF社長宛てに送ったのです。うーん、実験が甘かったですね・・・。
F社長に転送したメールは、K女史からの英文に私が日本語で補足説明した構成になっていました。
(英文と和文の混合がいけないのか?でも、そんなはずは・・・)疑問に思ってよく見直すと、英文中の固有名詞に、ドイツ語とフランス語で使われる特殊文字が含まれていたのです。どうも、これらの文字が原因らしい・・・。
しかたがないので、今度は謝罪文を添えた和文と英文を別々にF社長に送信し直しました。幸い、今度はうまくいったようです。
よく考えると、F社長のメルアドはHotmailでした。いつも、会社のアドレスとは別の個人メールで対応されていたのです。あとで自分のHotmailアドレス宛てに再度実験をしてみると、「Unicodeで送信」では和文が全て文字化けしており、英文は特殊文字を除いて大丈夫でした。
「そのまま送信」のほうは、和文が正常、英文は特殊文字だけが文字化けしていました。英文だけを送信しても、特殊文字は文字化けでした。
やはり、無料のHotmailメールでは特殊文字までサポートされていない、ということでしょうか。
今回はF社長がよく知っている方だったからよかったものの、文字化けメールを送るなんて失礼ですよね。これからは特殊文字に注意せねば、と大いに反省しております。
2005年03月19日
留学斡旋のお膳立て
また前回の続きです。スイスの寄宿学校から良い感触の返信メールをもらった私は、(よっしゃ!)とばかりに、すぐにその英文メールをF社長に転送しました。
さらに、メールの差出人であるK女史に対し、確認の意味で次のような返信を送りました。
Thank you so much for your kind message! I'm glad to see that you are positive about this plan.
So President F has a few options: Visit the school during the spring vacation in your absence, meet Mr. C in Tokyo or Osaka, or find another opportunity for a meeting after the spring term starts.
To make it go faster, I've already forwarded your message to Mr. F and asked him to directly contact you from now on. I also reminded him of the coming spring vacation so that his e-mail would not come too late.(中略)
I hope this project would benefit both your school and Mr. F. Whenever necessary, I'm always here for help.
スイスの学校代表であるK女史と日本のF社長の仲介役として、私はこれまでの流れを両者にメールで説明したうえで、今後は直接連絡を取り合うようお願いしました。いちいち私が間に入ったのでは話が進まず、こちらも大変だからです。
(ここまでお膳立てしたら、あとは任せといても大丈夫。われながら、けっこうヒトの役に立っとるやん) 一応、役目を果たしたと思って自己満足に浸っていると、翌朝、F社長から(えっ)というようなメールが届いたのです。
2005年03月18日
緊張の返信メール
再び、昨日の記事の続きです。
スイスのこの寄宿学校は、ドイツ語で授業を行うスイス・セクション(スイス人やドイツ人の生徒対象)と、英語で授業を行うアメリカン・セクション(アメリカ人の生徒やその他外国人留学生対象)に分かれており、それぞれの部門に学校代表者がふたりずついるのです。
日本からの留学生は、通常アメリカン・セクションに入るので、こちらのオフィス宛てにメールを送ったところ、代表者のひとりであるアメリカ人のK女史から返信が来たのです。送信者の名前を見て、私はにわかに緊張が高まりました。
というのも、私が約10年前、日本からのインターン教師としてこの学校に滞在した際、受け入れの窓口となったのが他ならぬK女史でした。
その際、日本の斡旋機関がインターン教師の契約内容をきちんと決めていなかったせいで、"私が学校で何をすればよいのか"という基本的なところで、学校側と私の認識にずれがあったのです。
そのため、彼女は日本のエージェントに対して何度も確認のFAXを送るはめになり、私もよけいな手間をとらせてしまったことを申し訳なく思っていました。
そんな経緯もあり、日本に戻った私は、学校宛てに一度お礼状を出したきりで、その後、K女史とは音信不通になっていたのです。彼女にとって、私はお荷物な存在だったのではないか、という後ろめたさもありました。
だから、帰国から9年近くたった今、再びメールをやりとりすることになるとは夢にも思っていませんでした。人の縁とはつくづく不思議なものです。果たして、K女史からのメールの内容はこうでした。
(前略)Of course I remember you. How nice to hear from you. This sounds like a very interesting project and it would be delightful to receive your former boss. Is there any way for him to come at another time?
I could, however, ask Mr. ... or Ms. ... if they could meet him and show him around, as they will both be here over the holidays. (中略)
Mr.C will be spending 3-4 days in Tokyo. (中略) I'll pass your message on to him and see if he has any time left in his schedule to meet with Mr. F.
I need to go to conference so I'll keep this short, but let's stay in touch about this.
・・・読んでほっとひと安心!内容はいたって好意的で、「日本からの留学生を斡旋したい」というF社長のプランに彼女も関心をもってくれているようです。文面によると、F社長が春休み中に学校訪問を希望する場合は、留守番役の別の教師に案内を委ねるとあります。
いっぽうで、彼女の夫であり、アメリカン・セクションのもうひとりの代表者であるC氏が近々東京に立ち寄るので、その際にF社長と日本で会う可能性についても触れられています。C氏は、私もずいぶんお世話になったアメリカ人男性です。
(え、Cさん日本に来はるんや!それやったら私も同席できるかも・・・。) F社長とC氏は面識がないので、最初の顔合わせとしては十分にありうる想定です。
なかなかおもしろい展開になってきました。