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アップル、アタリ、コモドールといった海外レトロPCゲームについて。【推薦】 レトロコンピュータを扱った傑作マンガ「WAVE」が電子書籍で復刊→しかく このブログについて→しかく
車レビュー.biz

2010年07月

atari_2600_ad

今回はあるブログで見かけた、面白いエッセイを要約して掲載します。かなりの超訳ですが、著者の言いたいことを表現できるよう努めました。

いつまでもレトロゲームにこだわっていると、新しいゲームの真価を見誤ることになりがちだという話で、個人的にも思い当たるところが多くあり、なかなかきびしい意見なのですが、だからこそ耳を傾ける価値があると思うのです。

―――

20年ほど前のこと、ある小さな会社がゲームを売り出した。それは世間を驚かせ、ありとあらゆる年齢の人々が買っていき、家族みんなで楽しんだ。巨額の利益につられて、他の会社もつぎつぎと参入してきた。だがその小さな会社は、たちまち巨大な存在になりつつも、他社の先をゆくことで競争を生きのびた。

誰もがその会社を愛していた。彼らにとってその会社は、いつまでも子供の頃の楽しい思い出と共にある存在なのだ。

最近、あるゲーム機が売り出された。それはまさしく、20年前のゲーム機と同じような形で世間に受け入れられた。ゲーム好きな人々ではなく、ゲームに縁のない人々、あるいは家族層をひきつけるものだった。そして、過去に例のないほどの売れ行きを記録した。

古いものは、新しいものによって追い落とされる。今のゲーム好きな大人が幼い頃に見たことと同じだ。今の子供は、その新しいゲーム機とともに成長する。登場した時は画期的だったコントローラも、その子たちにとっては、ごく当たり前の存在であり、それは生涯変わらない。

その新しいゲーム機を、ゲーム好きな人々はこぞって批判した。コントローラを初めとする、さまざまな外部機器も含めて、単なるギミック、時代のあだ花であり、肝心のゲームも質より量といったものばかりではないか。他のゲーム機の方が、グラフィック機能もすぐれているし、ずっと深みのあるゲームがプレイできる。それが彼らの言い分だった。

Wiiは、ゲーム市場を一変させてしまった。

どうしてゲーム好きな連中があんなことを言ったのか。その理由はぼくにも分かる。ぼくもまた、彼らと同じだからだ。Wiiは、ファミコンで育った世代のゲーマーにとって癪にさわる存在なのだ。それこそ、アタリで育ったゲーマーがファミコンを憎んだように。

今のゲーマーにとっては遠い昔の出来事であり、知らないのも無理はないが、アタリ以降の風潮といえば、ゲームは今後PCにシフトしてゆき、ゲーム専用機は時代遅れになる、というものだった。ところがそれを、ファミコンがひっくり返してしまった。

アタリによって、たくさんの人々がゲームに触れるきっかけを得た。だからこそ、アタリは特別なものとして人々の記憶に残っている。すぐれたゲームを作った会社なら他にもたくさんあるが、そのさきがけとなったのがアタリなのだ。

アタリの時代が終わると、ゲームはPCの時代に移っていった。キーボードとフロッピーディスクがあれば、さらにスケールの大きい、より洗練されたゲームを作ることができる。ただし、ゲーム向きのPCは子供にはとうてい手が届くものではない。だから、もう子供向けにゲームを作っても仕方がないということになった。

アタリはアメリカで大成功を収め、ヨーロッパ、そして世界各地へと広がっていった。ただし、唯一の例外があった。それが日本だ。あまりにアメリカ的すぎるアタリを日本は相手にしなかった。アタリ2600が日本市場に参入したのは1983年のことで、それはあまりにも遅すぎた。

ゲームのPC化によって、世界の子供たちは最新のゲームに触れる機会を奪われた。そして日本は、まだゲームというものが一般に広がっていなかった。この両者は、やがて訪れるゲームの新時代にとって最高の土壌となった。そこで大きく花開いたのが、ファミコンだった。

ファミコンが発売されると、アメリカではふたつの異なる反応があった。最新のゲームを楽しんでいた層と、時代遅れのゲームを押し付けられていた層だ。日本ではまだゲームが普及していなかったから、そのようなズレなど生じるはずもなかった。だが、アメリカには既にアタリがあった。

アメリカのゲーム業界は、ファミコンの登場によって起こった変化が、かつてのアタリ全盛期における現象と同じものだということが分からなかった。だからこそ、小売店はファミコンをわざわざ置こうとはしなかったし、ゲーム業界もファミコンの真価にすぐには気付かなかった。ゲーム業界の誰もが、さらに高度なグラフィックと、洗練されたゲームプレイにこそ、ゲームの未来はあると信じきっていたのだ。そうなれば自然と、ゲーム向きのPCに注目することになる。

ファミコンが登場した頃、ゲーム向きのPCは16ビット機が主流になっていた。ファミコンでは洗練されたゲームなど出来ないし、グラフィックは1世代前のものでしかない。

それに、コントローラの問題もあった。当時のゲーム業界では、コントローラといえばジョイスティックが当たり前のものであり、それのないゲーム専用機などありえない話だった。おまけに、ファミコンのコントローラは床やひざに置くのではなく、両手で抱え持つというものだったのだ。

新しい時代のゲームに移った者は、ファミコンではレトロゲームを遊んだ。ファミコンなら「パックマン」「センチピード」「ガントレット」と、かつてアタリ世代がアーケードで親しんだ有名な作品がすべて楽しめた。さらに「ロードランナー」「MULE」「アーコン」と、PCゲームの移植もいろいろあった。ファミコンではそうした作品ばかり追いかけていて、「ゼルダ」や「メトロイド」のようなファミコンのオリジナル作品は素通りしたというゲーマーもいるくらいだ。

Wiiはファミコンの成功を繰り返した。それも、実に衝撃的なやり方で。他機種に見劣りするグラフィック機能。まったく新しいコントローラ。ゲームに親しみのない層が買っていったこと。山ほどある凡庸なゲーム。Wiiを好む人々は、新世代のゲーマーというより、ファミコン世代パート2というべき存在だ。ぼく自身、Wiiでは昔の作品ばかりプレイしていて、それこそかつてのファミコンのように使っている。

20年前のゲーム市場を手がかりにして未来を考えてみるなら、レトロゲームの多くはもう二度と復活しないかもしれない。権利問題と、テレビの技術面での変化を考えると、レトロゲームが遊べるのはWiiが最後になる可能性があるのだ。高品位テレビの時代になれば、ファミコンのゲームなど商売になるはずがない。

Wiiのゲームのラインアップを判断する手がかりとして、ファミコン時代のソフトの品揃えを見ているゲーマーは実に多い。それ自体は悪いことではない。ただし、ファミコンとWiiでは、ゲームのスタイルにおいて大きな違いがある。

宮本茂氏は、ファミコンでは2つの種類のゲームができるようにしたいと語ったことがある。ひとつはスポーツのゲームであり、彼に言わせれば、だからこそファミコンはコントローラを2つ備えているということになる。そしてもうひとつは「スーパーマリオ・ブラザーズ」のようなゲームだ。この2つを言い表すなら、非没入型の社交的ゲームと、深く没入できる一人用ゲームということになる。

売れ行きということでは「スーパーマリオ」は大ヒットしたが、スポーツゲームの方はいまひとつだった(それでも熱心なファンが今でも存在するが)。

やがて、任天堂は没入型の一人用ゲームに力を入れてゆき、その一方で社交的なゲームは顧みられなくなった。

そんなわけで、スーパーファミコンでは、マリオやゼルダ、メトロイドがいくつも出る一方で、スポーツゲームは少なくなった。同じことはニンテンドー64やゲームキューブにも当てはまる。任天堂はスポーツゲームを作り続けてはいたものの、つくりとしてはスーパーマリオのキャラクターを起用した没入型のゲームになっていった。

そして、それと逆のことがWiiでは起こった。「Wiiスポーツ」や「Wiiフィット」「Wiiプレイ」のような非没入型の社交的ゲームが大人気となる一方で、「マリオギャラクシー」「ゼルダ・トワイライト・プリンセス」「メトロイド・プライム・スリー」といった没入型の一人用ゲームは売れ行きでは(「Wiiスポーツ」などに比べると)地味な結果に終わった。

思えば、アタリ時代が始まったのは「ポン」のような非没入型の社交的ゲームがバーで遊ばれていた頃だった。もしかすると、これからWiiの全盛期が、アタリ時代と同じようなかたちで広がってゆくのかもしれない。

Wiiの批判者はじつに面白い。任天堂に裏切られたと騒いでいる。ならば、次世代に移ることができなかった、アタリ時代のゲーマーを見てみるといい。いまだに「スペース・インベーダー」やアタリ2600で遊んでいる。そのこと自体は別に間違いでも何でもない。だが彼らが時代に取り残された存在だという事実からは目をそらすべきでない。

Wiiを批判する人々にはこう言いたい。アタリ世代は後続のファミコン世代に席を譲ったのだから、あなたたちもこれから登場するWii世代に席を譲るべきだ。この新世代は、モーションコントロールとインターネット常時接続が当たり前という環境で育っている。彼らにしてみれば、動き検出のないコントローラや、ネットに常時つながっていない環境など、寒気がするほどに時代遅れのものでしかない。昔の骨組みをどう塗りつくろったところで、古い建物であることには変わりがないのだ。

ソニーやマイクロソフトは、ゲーム事業を続けるのなら、Wiiを見習い、その後継者となることを目指すべきだ。そうしなければ、ますます時代に置いてゆかれることになるだろう。

アタリは、ファミコンの登場後も、かつての栄光を取り戻そうとして、いくつかのゲーム機を発表した。そうして出たハードやソフトの中には、素晴らしいものもなかったわけではないが、結局はアタリ世代にしかアピールしなかった。

ソニーやマイクロソフトまで、Wii路線に追随するようになれば、熱心なゲーマーはそれこそ断末魔の叫びをあげることだろう。そこで初めて彼らも、自分たちが恐竜のごとく滅びゆく運命にあることを悟るようになる。

最近のゲームが気に入らない年長世代のゲーマーには、選択肢は限られている。あくまで時代についてゆくか、さもなくばレトロゲームに閉じこもって残りの人生を過ごすか、ふたつにひとつだ。ゲームはもはや、あなたたちのものではない。新世代の子供たちのものなのだ。「スーパーマリオ」の何が面白いのか理解できなかったアタリ世代のゲーマーと同じで、あなたたちにとっても「Wiiスポーツ」の良さは自然と分かるものではない。面白く思えるようになるには、自分で取り組む必要がある。

非没入型の社交的ゲームにこそ、ゲームの未来がある。子供の視点で世の中を見てみることだ。

原文
The Third Era of Console Gaming
タグ :
#opinion
[画像:bushnell+pong]

4月に公表された、アタリの創業者ノーラン・ブッシュネルが古巣に復帰するというニュースは、さすがにインパクトがあったようで、国内のサイトでも取り上げたところが多かったようです。

ノーラン・ブッシュネル氏、アタリに復帰
ビデオゲームの父にしてAtariの創業者でもあるノーラン・ブッシュネル氏がAtariに復帰
『ブロックくずし』開発者、世界初のゲーム機会社に30年ぶりに復帰

ノーラン・ブッシュネルといえばアタリの設立後、「ポン」を筆頭に初期アーケードの名作をプロデュースし、ゲーム専用機のアタリ2600(アタリVCS)を大成功させた人物。アタリが1984年のゲーム不況によって倒れた後は業界を離れ、レストラン・チェーンの〈チャック・E・チーズ〉など、数々のビジネスを興してきました(残念ながらその大半が失敗に終わりましたが)。

実はブッシュネル、ゲーム業界への復帰そのものは昨年からで、BattleswarmというFPS風オンラインゲームのパブリッシャーであるReality Gapの代表として、数々の取材をこなしていたりもします。

ビデオゲームの父,ノーラン・ブッシュネル氏が「Battleswarm: Field of Honor」を発表

そもそも、ゲーム業界の先駆者であるアタリという会社はとっくの昔に解消されており、今となっては単なるブランド名です。現在アタリを名乗る会社はありますが、その実体といえば1999年にアタリを買収した仏アンフォグラムに他なりません。それが2001年にアタリという名前に改称したわけです。それでもしばらくの間はアンフォグラム時代の作品が好調な売れ行きだったおかげで、わりと安定した会社になっていました。

ところがここ10年ほどはこれといったヒットがなく、会社はジリ貧になるばかり。2007年末には自社開発をやめて発売元に専念するという方針に転換する始末でした。2008年にはソニーでプレイステーション2の立ち上げに貢献したことで知られるフィル・ハリソンがアタリの社長に就任しますが、さしたる成果を挙げられないまま、わずか2年で退任。それが2010年4月のことで、それとまさしく同じ日に取締役として加わったのがブッシュネルだったというわけです。

[画像:PhilHarrison]

(フィル・ハリソン)

現在アタリは再び自社開発に乗り出しており、「スタートレック・オンライン」「テストドライブ・アンリミテッド2」といったタイトルを製作中です。

というわけで、名ばかりの古巣に戻ってきたブッシュネルなのですが、そもそも今回の復帰については、ゲーム業界の反応は当初から歓迎一色とはなりませんでした。今回の措置はただの宣伝であり、ブッシュネルは単なるお飾りで、実際の経営には関与しないのではないかとの見解が根強くあるのです。

復帰から間もないことですし、評価するにはまだ時期尚早だと思いますが、さすがに有名人だけあってメディアにはいろいろ顔を出しては、なかなかの意気込みを見せてくれています。こちらはCNNが先月収録したビデオですが、後半から現在のゲーム業界について話しています。

[埋込みオブジェクト:http://i.cdn.turner.com/money/.element/apps/cvp/4.0/swf/cnn_money_384x216_embed.swf?con]

「今はとにかく面白い技術や製品がいっぱいある。iPhoneとか、クラウドを使ったゲームとかね」「今後のことだと、バーチャル・リアリティだね。使いにくいゴーグルみたいな、インタフェースの問題がまだ残っているけど、もしVRと現実世界がまったく同じように感じられるようになったら、大きな可能性が開けてくると思う」ブッシュネルはずいぶん昔からバーチャル・リアリティに強い関心を示してきましたが、それは今も変わっていないようです。

さて、アタリに復帰後のブッシュネルが実権を握っているとするなら、いったい何をするのでしょうか。それを類推させる資料がありました。2008年7月のインタビューです。

Nolan Bushnell: Atari needs 'values'

この2年前の記事で、ブッシュネルは当時のアタリが抱えている問題をこう語っています。

「いちばん問題なのは、過去15年間のアタリには実体が何ひとつなかったということだ。ブランドというものは、実体があってこそ成り立つ。そうじゃないなら、単なるロゴでしかない。アタリの経営陣には中核となるビジョンに欠けているのだと思う」

つまり、ゲーム開発を再開したアタリは、まさしくブッシュネルが考える方向に動き出しているわけです。大御所の新たな挑戦に期待したいところです。
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