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2025年01月17日

阪神淡路大震災から30年

短編ドラマ『懲戒免職』を観た。
(たぶん今、U-Nextでしか観られないドラマで、すみません)

選ばれている言葉のひとつひとつが
的確で。
キャストもそれぞれ、この上なくぴったり。

ちょっとしばらく blog 書けてないな、
と思って前回アップした日を見たら、10日以上も経過していた。

毎日何かしらアップしたいな、
と思った、遠い日のことをおもう。

無理はいけない。無理なので。( ^ ^ )
無理に絞り出したものは、
読みにきてくれた人にダイレクトに響かないのではないか?
そんな言い訳は置いといて。

今、書く気になったので、すこし。

* * *

今日は30年前に阪神淡路大震災が起きた日。
よくライブで「ひつじいぬ」を歌う前に云うように、
この歌を書いた年が同年で、
ずっと首都圏で暮らしてきた私にとっては
地下鉄サリン事件が起きた年。
その時のけたたましいサイレンを聞いた
新橋と虎ノ門の間にあるオフィスに通う日々に
実際に目にした風景をうたったうたが「ひつじいぬ」だ。

で、
なんとなく神戸に暮らし始めたら
阪神淡路大震災が、自分の内(なか)でくっきりとした輪郭を持ち始めた。

音楽家の大友良英氏のXのポストで
氏が音楽担当した、この震災を描いたドラマ
『その街のこども』が20日までの限定でNHKプラスで観られる、
と知った。
(ちなみに後につくられた劇場版も全国主要都市で再上映されます)

たぶんドラマ版の方を見た記憶があって。
住む前に観たような気がするので、また観ようと思う。

で、はて?脚本家誰だったかな?と見たら渡辺あや。
『ジョゼと虎と魚たち』
『カーネーション』
『エルピス-希望、あるいは災い-』
を観たな。
でも、強烈に脚本家として注目するにも至っていなかった。

気になったので、ちょっとネットを散策。

そして U-Next に、渡辺あや原作・脚本・監督の15分の短編ドラマ
『懲戒免職』を発見したので、すぐさま観た。
すぐもう1回観たいくらい好きだったので、
もう1回観るまえに、blog 書いたらいいんじゃね?
ということで、書いてます。

高校生女子が抱く恋心が15分の中に、ある種、完璧に描かれていた!

私にも一応、高校生女子だった時間が確かにあった。
だからこれを観て、完璧だ!と感じるのかもしれない。
男子が観たら一体どういうふうに感じるのか
素朴に興味津々だ。

先日SNSを見てたら、
" ある歌を聴いて心が大きく揺さぶられるのは
聴く人の中に、そのうたにより蘇る記憶や感情や細やかな心の機微があるからこそ "
みたいなことが書かれていて、本当にそうだな、と。
音楽は自分も創っているので近すぎるから、絵について言うと、
それを前にしたときに、
とてつもなく大きく沸き上がる何かを感じる絵がある。
でもそれは、すべての絵について言えることなのではない。
同じ絵をみても、それをみている瞬間の自分のコンディションにより
反応も違ってくるだろう。

つきつめると、真の芸術作品とは...???
みたいな話になってしまうので、それは置いときます。

ということで、カッコ良く着地点が設定できてない文だけど、
生存確認ということでアップしときます。

* * *

今日も読みにきてくださりありがとうございます。

X に流れてきた劇場版『その街のこども』の予告編の中に

「地震はホンマにワケがわからん。
なんであんなええおっちゃんが、
ボロボロなるまで苦しまなあかんねん」

というセリフがあって。
ほんとに。

自然災害であればやるせないけど、
かたや、戦争や産業開発に根ざす災害(たとえば原発事故など)であっても
モノだけでなく人との関係までずたずたにされてしまうことが
実際に起きている。
その原因になるものは人間の仕業。
それなら、どこかで何かが違っていたら、起きなかったのでは?
と思うと、なんとかできないのか ?! と思ってしまう。
生命を失ってしまう人もいるわけで。

自分の身に起きていないのであれば、
ただただ幸運が続いている状態なんだろう。
生まれてきたことも奇跡なら、
生き続けている日々もまた奇跡の連続なんだな。

今日もひとりでも多くの人が平穏でありますように。

ではまた〜。



*劇場版『その街のこども』の予告編

*劇場版『その街のこども』再上映についての記事


posted by Ackey at 16:42| ドラマを観て つらつら

2023年11月10日

これはめっっっちゃ切り込んでいるドラマ


こんばんは。

日々自分的には、目まぐるしくあれこれの出来事と対峙しているんですが、
それを記したり、
ましてや、そこそこ伝わりやすい文章にと推敲してアップ、
みたいな余裕が全然作れません。

とはいえ、
このブログが更新されないことが、なにより、自分自身にとって
つまらん!

ということで、
まとめられる気がとうていしないんですが、
もう30回くらい、頭の中で反芻している一言を。

「これは痛烈に切り込んでいる!」

「いちばんすきな花」というドラマ。
(ドラマに興味がない方々すみません。)

脚本は、生方美久さん。オリジナル作品。
前作のドラマ「silent」も、正座して全部観た。
彼女が尊敬する脚本家として挙げているのが坂元裕二。
ミュージシャンじゃない人で私が敬愛している数人のうちの、ひとり。
私の本棚は坂元氏の市販の脚本がかなりなスペースを占拠している。

で、生方さんの作品に対して巷(ネット)では
坂元裕二の作風を踏襲している、みたいな論調もしばしば見かける。
が、それはそうなんだけど、
生方さんの作品は、坂元氏が描く世界より、登場人物の心情にさらに深く切り込んでいる、と感じる。

ひとは、見聞きし、体験した出来事を、どのように解釈し、どう感じているのか?
映像やドラマや小説は、それらが可視化される手段でもある。
現実の世界では、身も蓋もなく、永遠に這い上がれないであろうと思われるような
どん底に心情的に落ちることもあって。
実際に落ちた人だけがそれを体感し、
そんな酷い状態のことをわざわざ誰かに話すことなどしない人も多いと思う。

「助けて!」って言える相手がどこにも居ない。
私もしばしば言及しているこういう領域のことを
生方氏は書き、スタッフはそれを肯定してカタチにしていく。

ひとがひとを好きになる気持ちの純度とか、
性愛の領域に入らない(入り得ない?)異性間のおもいとか。

登場人物たちは、
おそらく視聴者の多くが一生言葉にすることがないであろうことも
口にする。
視聴者の大部分が飲み込んできた言葉が発せられ
それを受けてまた、登場人物たちが体験する世界が動かされていく。

その言葉を飲み込んだ経験を持つ人が観ると
本当にナイフが刺さっているかのような胸の痛みを感じるだろう。

これらは、坂元氏が意識的に回避してきた領域なのではないか??

刺さりつつも前作「silent」も結果的には絶望的な鑑賞後感
((注記)ちょっと調べたら鑑賞後感という語は目下、造語の領域にあるらしいけど。)
ではなかったので、
「いちばんすきな花」も
昨晩の5回目でかなりな切り込みを見たけど、
おそらくは、視聴者の気持ちを不安定にする着地にはならないだろう、
という安心感を持ちつつ、観ている。

なかなかに新しい領域だな。

* * *

昨晩、とあるライブを観に行ったんだけど、
出演したシンガーソングライターが、それぞれの世界観をきっちりカタチにして
手堅く、着実で、それでいてたぶん本人にとっても自由な心持ちで
弾き語りというスタイルで歌っていた。
それを、店主さんも、お客さんも、全身でたのしんでいて。

聴いてくれてるお客さんの顔が見えるくらいのサイズ感の場所で
夜な夜なこういうライブが開催されている世界を
心底守っていきたいな、と思った。

できることを、やっていきます。

今日も読みに来てくださり、ありがとうございます。
つつがない一日を。


posted by Ackey at 03:46| ドラマを観て つらつら
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