大陸音楽の日本化―平安時代―
中国大陸や朝鮮半島から日本に渡来したさまざまな楽器や楽曲は日本独自の方法で整理され、宮中儀式や寺社儀礼で奏されるだけなく、天皇や貴族階級の人々の音楽として演奏されるようになりました。
雅楽の歴史
渡来した音楽や舞は、中国系統の唐楽(とうがく)
雅楽(ががく)の曲の中で、中国大陸より伝わったもの。またその音楽形式にならって日本で作られたものの総称。(左舞(さまい))と、朝鮮半島系を中心にした高麗楽(こまがく)
雅楽(ががく)の曲の中で、朝鮮半島を経由して伝わったもの、またその音楽形式にならって日本で作られたものの総称。(右舞(うまい))の大きく二つに整理されました。また、大陸から渡来した楽曲を演奏するだけでなく、日本人による楽曲の創作も行われるようになりました。やがて、雅楽(ががく)の楽器を演奏することが貴族の教養のひとつと考えられるようになりました。器楽のみの合奏である管絃(かんげん)や、宮廷歌謡の催馬楽(さいばら)
歌いもののひとつで、平安時代に隆盛した古代歌謡。日本各地に伝わっていた民謡や風俗歌に雅楽器の伴奏を加え、おもに遊宴や祝宴、娯楽などで歌われた。や朗詠(ろうえい)
日本の伝統音楽における歌いもののひとつ。漢詩に旋律をつけて、自由なリズムで歌われるもので、抑揚の変化がはっきりしている。平安時代以降は、管絃の遊びなどで歌われた。も好んで演奏されました。
平安時代(782-1190)の中期には今様(いまよう)と呼ばれる新しい歌謡(かよう)
節をつけて歌う歌のこと。が流行しました。大陸渡来の音楽や舞だけなく、日本古来の歌や舞である国風歌舞(くにぶりのうたまい)も演奏され、現在、雅楽と呼ばれる音楽の基礎がこの時代に作られました。雅楽は楽所(がくそ)という機関で伝承されるようになり、宮廷に加えて寺社での奏楽のために南都(奈良)と天王寺(大坂)にも楽所が置かれました。平安時代後期になると楽所の楽人(がくにん)
雅楽(ががく)を演奏する人やその家柄のこと。特に平安時代中期以後、朝廷の下で雅楽を習得し、宮廷や寺社で専門に雅楽を演奏する人のことをいう。「がくじん」ともよむ。は世襲になり、家ごとに楽器や舞などの分担が定まります。
所蔵:宮内庁書陵部図書寮文庫