大陸からの音楽文化の渡来―飛鳥・奈良時代―
飛鳥時代(592-710)になると、中国大陸や朝鮮半島などの外国との交流が盛んになり、さまざまな芸能が日本に渡来し、宮廷や仏教寺院で演奏されるようになりました。
大陸からの音楽や舞の伝来
中国大陸や朝鮮半島との芸能の交流に関する最古の記録は、453年に允恭(いんぎょう)天皇の葬儀のために新羅(しらぎ)から楽人(がくにん)
雅楽(ががく)を演奏する人やその家柄のこと。特に平安時代中期以後、朝廷の下で雅楽を習得し、宮廷や寺社で専門に雅楽を演奏する人のことをいう。「がくじん」ともよむ。60名が派遣されたという『日本書紀(にほんしょき)』の記述です。朝鮮半島の音楽は、新羅の他に、高麗(こま・こうらい)(高句麗(こうくり))と百済(くだら)からも渡来し、これらは三韓楽とよばれ、飛鳥時代には宮廷で演奏されるようになりました。
唐で演奏されていたさまざまな音楽と舞も日本に伝わり、唐楽(とうがく)
雅楽(ががく)の曲の中で、中国大陸より伝わったもの。またその音楽形式にならって日本で作られたものの総称。とよばれるようになりました。さらに伎楽(ぎがく)、林邑楽(りんゆうがく)、度羅楽(どらがく)、渤海楽(ぼっかいがく)、踏歌(とうか)、散楽(さんがく)などアジアの様々な地域からも、多くの音楽や舞、芸能が伝来しました。和銅3年(710)に大宝律令が制定されると、雅楽寮(うたまいのつかさ)が作られ、演奏者の養成と宮廷での演奏が組織的に行われるようになりました。
出典:正倉院宝物
仏教音楽の伝来
仏教は6世紀半ばに百済から日本に伝わり、その後、遣隋使により中国からも仏教を学びます。仏教儀礼で奏する音楽も伝来し、僧侶が経文を旋律的な音の動きをつけながら唱える声明(しょうみょう)が日本でも行われるようになりました。天平勝宝4年(752)に東大寺で大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)が開催された時には、1万人を超える僧侶が参加して声明が唱えられ、また日本・中国・朝鮮半島の楽人や舞人によって、多くの舞や音楽が演奏されました。
その後、9世紀には天台宗(てんだいしゅう)や真言宗(しんごんしゅう)が唐から伝わり、さらに鎌倉時代になると浄土宗(じょうどしゅう)や浄土真宗(じょうどしんしゅう)など新しい仏教が生まれ、それぞれの宗派で独自の声明を伝えるようになりました。
所蔵:東大寺
提供:奈良国立博物館