※(注記)「旧石器人の琉球列島への航海(前編)」はこちらから
高山信紀(正会員)
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(1)舟
旧石器人が用いた舟は,草束舟,竹筏舟,丸木舟による実験航海19)の結果より丸木舟と考えられる.なお,フィリピンや台湾から漂流して琉球列島に生存してたどり着く可能性は極めて小さいことが漂流ブイの実験から示されている20).
(2)海上距離
琉球列島の島間の海上距離は海図と国土地理院ウエブサイト「地理院地図」の距離機能を併用し,台湾・与那国島間と大陸・魚釣島間などの海上距離はスケールで計測し,フィリピン・琉球列島間の海上距離は国土地理院ウエブサイト「測量計算(距離と方位角の計算)」を用いた.(表-2,表-3)
(3)航海の条件と限界
旧石器時代に丸木舟による航海を行うには舟の上あるいは島の高所から目指す島が見えることが必要で,見えない島は島があることが分からないので航海は行わなかったと考えた.航海は,舟の上から目指す島を見ながら舟がそこに向かって進むように漕ぎ,舟の上から目指す島が見えないときは出航した島や天体,風向などから目指す島の方向の見当をつけて漕いだと考えられる.
島が見えるかどうかは,文献21)と同様な方法で検討した.その結果を表-2,表-3の「L」と「可視」に示す.海水準が低下すると海面からの島の高さは高くなり遠くから見えるようになるが,4万年前の「古久米島」と「古宮古曽根島」の間は,お互いに島の最高点や出航した島が見える範囲内の海上の舟からでも相手の島は見えない.2万年前の「古沖縄・久米島」と「古西大九曽根島」の間は,お互いに島の最高点から相手の島は見えないが,出航した島が見える範囲内の海上で相手の島が見える所がある.
丸木舟を「漕いで進む速度」は,2019年に行われた台湾から与那国島への実験航海19)の結果から3.7km/hr(3.9km/hrと3.5km/hr21)の平均)とした.実験航海では2日目午後から休憩の頻度が目立ち,出航して45hr10min後(途中約8hrの睡眠休憩)に与那国島に到達している19).また,復元された古代ポリネシア式カヌーを10人の乗組員が櫂で漕いだ走行実験では,屈強なクルーが漕いでも2日間で体力が限界だった22).これらより,平均速度3.7km/hrで漕ぎ続けることができる限界時間は48hrとした.黒潮が流れていない海域での航海距離の限界は 177kmとなる.
(4)航海への黒潮の影響 旧石器人が琉球列島に向けて出航した所は,九州,大陸,台湾(大陸とつながっていた),フィリピンが考えられる.これらの所から琉球列島へ到達するには,全て黒潮を横断しなければならない.黒潮を横断する航海は,黒潮の流れを受ける舟が黒潮に流されることなく目指す島に進むように,出航した島と目指す島の線上に舟が居ることを確認しながら,目指す島より黒潮の上流側に舳先を向けて漕いだと考えられる.
図-3において黒潮区間外のAを出航し黒潮区間CDを横断して黒潮区間外の目的地Bに行くときの航海時間Tは,同図の式で求めることができる.なお,Aから目的地Bにまっすぐ進まず,図-3の点線のようにAからFに進み,Fから黒潮区間を黒潮の流れに沿ってGに進んで目的地Bに行くと,AからBに向かってまっすぐ進むときより航海時間Tが短くなる場合がある.しかし,旧石器人が初めて黒潮を横断して琉球列島の島へ航海したときに,このようなルートをとったとは思えない.
(5)4万年前の琉球列島への航海 4万年前の黒潮横断航海について,出航地と目的地,距離Y1〜Y3,黒潮の流向θを表-3のように推定し,目指す島が見えるかを検討した.また,「漕いで 進む速度」rが3.7km/hr,黒潮速度kが2〜4km/hrのときの航海時間Tを図-3の式で求め,Tが48hr以内となる黒潮速度kを検討した.トカラ海峡の黒潮横断は,海上距離が最も長い屋久島か ら口之島を対象とし,この区間の黒潮は現在と同様に東(θ=145°)と南東(θ=105°)の間を移動していたと考えた.
検討結果を表-3に示す.屋久島から口之島への航海は,逆潮であるが,屋久島から口之島が見え,航海時間Tが48hr以内の ときがあるので,航海が可能なときがあったと考えられる.大正島から「古久米島」や「古宮古島」,魚釣島から「古宮古島」への航海は,目指す島が見えないので航海は行わなかったと考 えられる.魚釣島から「古八重山島」への航海は可能なときがあったと考えられる.大陸やその周辺の島の海岸線は定かではないが,大陸と魚釣島の間は遠く島伝いでも見えずこの間の航 海は行わなかった可能性が高いと推測した.台湾(蘇澳)から与那国島ヘの航海は可能なときがある.なお,蘇澳周辺では,当時は海面からの高さ170m以上の所で与那国島が見えたので,この付近の旧石器人は海の向こうに島があることをよく知っていたと考えられる.フィリピン(イトバヤット島,図-1)から波照間島や与那国島への航海は,目指す島が見えないので航海は行わなかったと考えられ,たとえ航海したとしても航海時間Tが48hrを超えるので成功の可能性は低い.
4万年前の黒潮横断航海以外の航海は,島間の「海上距離」は全て177km以内であるが,「古久米島」と「古宮古曽根島」の間は互いに目指す島は見えない(前述2.(3))ので,航海は行わなかったと考えられる.これ以外の区間は目指す島が見えるので,航海は可能であったと考えられる.
(6)2万年前の琉球列島への航海 2万年前の黒潮横断航海は,4万年前と比べ海水準は更に低下したが目指す島が見えるかは変わらず,航海距離もあまり変わらないので,航海の可否は4 万年前と変わらない.2万年前の大陸や周辺の島の海岸線は4万年前に比べ魚釣島に近く,大陸から魚釣島への航海は行うことが出来た可能性が高いと推測した.
2万年前の黒潮横断航海以外の航海のうち「古沖縄・久米島」と「古西大九曽根島」の間は,出航した島が見える範囲内の海上で相手の島が見える所があり(前述2.(3)),釣漁(サキタリ洞遺跡では2万3千年前の釣針が発見されている1))などで沖合に出て偶然海の向こうに島を見つけてこの間を航海した可能性は否定できない.しかし,出航した島と相手の島の両方が海 上で見える所は限られており,また,約2万年前の港川フィッシャー遺跡(沖縄本島)と白保竿根田原洞穴遺跡(石垣島)の人骨のDNAは異なっており,この間を航海した可能性は低いと推測した.この区間以外の航海は,目指す島が見え,「海上距離」が177km以内なので可能であったと考えられる.
以上の検討結果をまとめると図-4のようになり,旧石器人が琉球列島へ移動した経路は以下のように推測される.
上述のように,宮古島の旧石器人は「古八重山島」(現在の石垣島など)から移動したと推測したが,現在までに発見されている旧石器人骨の年代は宮古島の方が石垣島より古く,食い 違っている.また,本稿では航海を行う条件として目指す島が見えることをあげたが,島が見えなくとも鳥が飛んで来る方向に陸地があると信じて航海に出た23)と考えると移動経路の候補は多くなる.今後の旧石器人骨の発見,人骨の年代やDNA分析結果などに注目したい.黒潮横断航海で目的地にまっすぐ進むより航海時間が短くなるルートがあることや東シナ海の堆積など貴重なコメントを頂いた星野延夫氏に感謝します.
(※(注記)前編の文献情報も掲載しています)
※(注記)「まえがき」,「1.4万年前と2万年前の琉球列島」,は2月号ニュース誌に前編として掲載しています.またカラーの図表を学会HPに掲載しています.