コロナ禍の影響で3年程開催できずにいた交流会。今年は、患者・患者家族・先生・関係者の方々と一緒に垣根を超えた交流をやりたいと思っていましたが、残念ながら諸事情により全体での開催調整がつきませんでした。そこで今年は、患者・患者家族を対象にし、会場とzoomで繋がり、お菓子と温かい飲み物を頂きながら、12月24日に「クリスマス交流会」を開催しました。
当日は、患者Hさんに御自身の子どもの頃からの思いをお話いただき、この病気(遺伝も含め)を誰にどのように聞いたのか、また親として子ども達にどう話してきたのかをテーマに参加者さんの話を聞かせていただきました。
くろまる患者のHさんの話
対処療法しかなかった頃、母親の転倒や下痢、様々な症状の進行に、子どもながらにとても心配していた。兄が国内FAP患者初スウェーデンで肝臓移植を受けた。その後自分も発症し移植を受け、現在は新しい治療(皮下注射)を受けている。母親が子供だった私達に、遺伝を含めた病気の話をしてくれていたおかげで遺伝の可能性があることも事前に理解できていて本当によかった。
くろまる誰にどのように聞いたのか
・子どもの頃から病気(遺伝も含め)のことは母から聞いたり、友達の母(初代代表)と母が話をしているのを聞いたり文集を読んで知っていた。母は、結婚は相手とその親に話し承諾を受けることを切望した。
・父親はすでに他界し、病気のことは聞いてなく知らなかった。気になる症状が出てきた兄が「どうもおやじと同じ病気のようだ」と教えてくれて自分も治療に繋がった。
・私(配偶者)は同級生の移植の募金活動の協力でこの病気があることを知った。妻もその時自分も同じ病気ではないかと思ったようだ。次男の妊娠出産後もすっと体調が戻らず、その症状をみた妻の母親から「もしかしたらFAPかもしれない」と聞き検査を受けた。
・県外の方。親や兄弟には同じような症状がなく知らなかった。手足のしびれやドライアイ、のどが渇く、尿がでにくい等の症状で各病院を受診していた。症状が出始めて5年程経ち、いい先生に巡り合い診断がついた。
くろまる子ども達にどのように話しをしてきたか
・子どもには日常生活の中で親のありのままの姿をみせていて、辛そうな母の背中をさすり優しく寄り添ってくれていた。なんでも話をしてきた。
・以前から隠さず話していた。遺伝の話をするきっかけは、子どもが小学校の遺伝の学習後、「遺伝するの?」と尋ねられた時。また、親が名前を出して活動してもいいと子ども達が受け入れてくれたので、公にして患者会活動をやってきた。
・小さい時から会の活動に参加し、親の話を聞いており子どもへも話をしていた。思春期に話たがらない時期もあったが、その後は早期発見がその後の社会生活に大きく影響することや、薬の情報も伝えながら見守っていた。














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック URL
→http://ayuminokai2011.blog.fc2.com/tb.php/148-9c54b271
| ホーム |

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /